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死とあきらめの仏教から、命と喜びの仏教へ。大乗仏教の精髄

作者: 舜風人

さて、


ところで、、


密教には、「法具」、、というモノがあることはご存知でしょう。


おそらく仏教各宗派、世に、無数にあれども


モノを、、、修行用具として?使うのは、密教だけでしょう。


まあ。禅宗でも、如意とか、払子なんてえのは、、持ちますが、


それってのは、座興の具?でしかなくて


それでサトリがどうなるこうなるというような


いわゆるシンボライズ化された「法具」ではないですよね。



座禅修行に法具は使わないし


浄土教系では、ただもうひたすら専心念仏のみですからね。


日蓮宗は、もう、南無妙法蓮華経を専心で唱える。



密教のように法具を使って瞑想するとか


祈祷するとか


治病するなんてのは他宗には無いわけですね。



そういう意味で私が思うには、


密教ほどサトリとか神通力をシステマティックに物体化して


整備した仏教はないといえるでしょうね。


道具(法具)を使ってシステマティックに瞑想を様式化して、わかりやすい?ハウツー化?


今の言葉でいえば、まさに、ハウトウー物ですよ。


どっかの新興宗教が、電磁波の出る?というヘッドギアをかぶって瞑想修行していましたが


まあ。あれのハシリ?が密教法具なのでしょう。



その密教のハウツーの典型的な例が法具です。


目に見える法具で瞑想や神通力を視覚化して

物化した。


その

法具としてはいろいろあるわけですが、


金剛杵がその代表ですね。



独鈷杵



三鈷杵



五鈷杵



五鈷鈴



カツマ



法螺



などがありますが



その中でも代表と言えば



空海の像にも描かれている


五鈷杵でしょう。



これは、密教法具を代表するものであり、


その意味するところは



これを手に持ち、マントラを唱えて、


剣の先から


宇宙の霊気を修行者の体内にとりいれるためです。


或いは取り入れた霊気をその剣の先から


放出させて


それをたとえば、病者の患部に当てて治病するとか


魔除けするとか、


そういう法具であるわけですね。


ただ誰にも簡単にできるとは、行かないことは言うまでもないことで


いたずらに法具を持ってみたところで、、、、、


運転免許の無い人が車を運転しようとするようなもので、


ムリです。


ただ暴走して、精気をごっそりとられてオシマイみたいな


或いは、膨大な宇宙エネルギーを一気に注ぎ込まれて


空気を入れ過ぎたタイヤみたいにパンク、、なんてことになりかねませんね。



まあよほど修行の階梯が進まない限り

或いは取扱い要領を熟知しない限りは



密教法具は


「基地外に刃物」


「豚に真珠」だという


たとえ通りだということでしょう。



ちなみに、、


独鈷杵よりも


三鈷杵


三鈷杵よりも


五鈷杵というように



霊気の取り入れ口


霊気の放散口が多いほど



その扱いは危険というか、


取り扱いが、困難度が増大します。



金剛杵について概観的に言うならば



それは


宇宙エネルギーとの


交換装置?交感装置、であるということです。



ヨガや


仙道でも宇宙エネルギーとの交感はあるのですが


こうした法具は使いません。


ただ素手でとか


指先の動きとかだけで行います。


意識を掛けて、霊気を集める


濃縮する、

それをボール状にして,魔にぶつけるとか、、、


要するに道具(法具)は使いません、

あくまでも意識上での目に見えない操作ですね。


ところが密教では


それをシステマテティック化して目に見える法具として顕在化して、


法具という形に具現化したわけですね。


法具という一種シンボルでそこに霊気を集める。


先ほどの電磁ヘッドギアではないですが、、


そういう物体化というか

宇宙エネルギー集約装置?的なものとして


法具を具現させる。


つまりヨガや仙道よりも


様式化して、仏具として、物体化して、シンボル化して、、つまりは、ハウトウー化したというわけです。



こうした点に



密教の先進性、、と言うか時代の先取り?があるのでしょう。



サトリの科学化?というか

霊気交換機?があるのですよ,、的な、、、



『金剛杵を使って、あなたも、よりスムーズに神通力を、』




という


なんか、どっかの新興宗教の売り?


みたいな、元祖が密教だったというわけですね。


とはいえ

デンジヘッドギア、イコール、五鈷杵、、ではりえませんがね。


そもそも、、


金剛杵の意義は


仏智の顕現であり


いわゆる破邪顕正です、


魔除けであり


仏光の放散装置です。


つまり密教のシンボライズされた物が金剛杵である。



これは

もともとインドの古代の武器をかたどったものであり


仏敵の退散の防具です。


転じて、霊的なシンボルとしての


密教の象徴である、法具となったのです。


一般に、、、


仏教と言うと、消極的に、、敗北主義?隠遁主義、厭世主義。

負け犬主義?


ただ、、もう、、、死と向き合う、

苦行、、苦行、、また苦行。


逃避する、

無抵抗、

争わない、

非暴力

不殺生

虫も殺せない?

菜食

温厚

優柔

動かないで

座りっぱなし




、と言うイメージですが、、、、、、、、。


(これじゃあ、、血気盛んな若者が寄り付かないわ)


こと、密教に関しては

大生命の讃歌そして生命の大海に荘厳する。

生きる喜びを荘厳しようという命の仏教。


現実肯定主義

現世利益

快楽肯定

闘争心

怒りもまた楽しからずや?

方便としての、殺傷肯定?

生命の散華

生命の荘厳

生命主義

そして

仏敵と戦うという積極性を持ってるのですね。


憤怒神とか、不動明王、ダキニ天など

怒りをあらわにした神が祀られているのも密教だけです。


やさしい、、やさしい、観音様だけとか


涅槃寂静の阿弥陀様しか、祀らない浄土教とは


大違いですね。


そういう点では


異色の?仏教と言えるでしょう。


戦う仏教であり、

降魔退散の仏教です。


まあそれもこれも、


そもそも密教なるものは


原始釈迦仏教が非情に個人救済的かつ、、どっかく的であり

現世否定的であり

厭離穢土的であったのを

現世救済的という180度大転換したのが密教だからです。



それは7世紀ころになりインドがイスラム教徒に侵略されて晒されて

イスラム教徒は正に戦う宗教であり

ことごとく仏教寺院を破壊し尽くしたからです。

仏教僧は皆殺しです。

ここにきてさすがに

無抵抗、非暴力の仏教徒も、


これでは仏教の絶滅と気づき、


急いでインド伝来の土着宗教である


インド伝統のタントラ教や、ヨーガなど結びついて


「戦う仏教」?に大変身ですね、



タントラやヨーガはとっても現実主義で現世主義です。



それらの現実主義や


現世主義が濃厚に


取り入れられて

現世利益的な


祈祷や護摩や呪術や神通力、現世利益を


積極的に指向するのが、そもそも、密教だからです。

かくしてインドでは仏教は最末期には

仏教+タントラ+ヨーガ、、というような

イスラム教に対しての、完全防備?宗教に大変身したのです。


が、、


それでも?効果なく?

あえなく、、仏教は、12世紀にはインドでは絶滅してしまったのでした。



そういう最末期の密教とは、タントラやヨーガの現世利益的な修法を大胆に取り入れて



今はやりのニュー宗教がそうしているように、?似非科学、疑似科学的な理屈で宣揚しているような、


今どきのニュー新興宗教などに先駆けて1000年前にすでに


ハウツー化して、物質化して、様式化して


目に見える仏具として法具化して、、物質化して


システム化したのが


まさに密教なのです。


密教はそれだけ先進性


というか時代の先取り感があったのですね。

というかそうでもしないと、


破竹の勢いで侵略してきては陣屋僧侶を焼き尽くしてゆくイスラム教に対抗できなかったからです。


と、ここまでは最末期の密教のお話ですが、、


その前に、、密教の原点に返ってみると、


その先進性はこと、「法具」の発明だけに限ったことではありませんね。



曼荼羅図がそうです。これはまさに幻視者が見えたであろう、ヴィジョンです。


サトリや瞑想の仏国土を一般大衆にも即時にわからせる。


それが図示、、映像化です。曼荼羅です。


今はもうヴァーチャルや、映像化は常識ですが


1000年前に悟りの世界を映像化したってのは画期的だったのですね。



師匠から弟子に、言葉でなく、伝えるのがサトリです。


でもそれでは一般大衆には、わからずじまいです。


それを曼荼羅図で画像化することで誰でもが、見ればわかるというのはすごい発想ですね。、


ごく一部の霊知にたっしたひと、


たとえばビンゲンのヒルデガルトのような

霊人にしか見えないヴィジョンを曼荼羅として図像化して一般人にも分からせる。



ここにも密教の現実主義というか大衆性?というか、先進性がうかがわれます。



ところで今現在一部の新興宗教では

薬物による、ヴィジョンを見させる、トリップ体験を取り入れているところもありますね。

違法薬物が使われるケースが多いようで問題ですが。


そうした薬物によるヴィジョン体験も密教がハシリでしょう。

と言っても、密教でも異端派と言われる、左道密教系ですけどね。



更には密教で行われる


印と真言ですね。


印とは印を結ぶとか、印を切るという風に使われるのですが


手指で独特の型を結びそれで宇宙の奥義を体現する、一体化するということです。


忍者が消えるとき結ぶのも、印ですね。


これも奥義を指の形で物化するという密教のお得意の、目に見える化、、


ハウツー化?です。物質化?ですね。


本在、、形のない奥義を、、形でシンボライズ化してわからせる、、と言う。


印も、、曼荼羅も、 法具も同様です。


更に


真言マントラもそうです、。


ノーマクサンマンダラ


とか


トラヤアヤアノ


とか聞いたことありませんか?


あれが真言マントラです。




真言もサトリとか宇宙の奥義をパロール化したものです。

古来人間は言葉の霊力を信じていて

コトバがすなわち、、現実化する、、物化すると信じていたのです。


それを系統化し、様式化して


マントラとして、普遍化した

それが密教なのです。


マントラを唱えることで宇宙の諸神と一体化して即身成仏する。


密教とはそういう風に


霊知を目に見える形に様式化した


時代を先取りした仏教だった、、、というわけです。



先ほどの曼荼羅にも描かれているように


密教には諸神、諸仏、たちが、、パンテオンを構成して


曼荼羅世界を構成していますね。


大日如来を中心に

クシティガルバ、

マイトレーヤ、

アミターバ、

マンジュシリー

マハーカーラ

サラスバーティー



などなどの神々が仏教を守護して

壮大なるパンテオンを形作る、

そこには憤怒神もいれば


柔和な神もいる、


こうして目に見える仏国土を提示して


即身成仏を視覚化させる。


これは密教独自のモノですね。


そういう意味で密教とは


まさに


仏教の総合デパートなのです。


なんでもあり。


目にも見える


手にもとれる、


耳にも聞こえる


五感で仏智を感得できる


仏教の総合レジャーランド?なのです。




それがすなわち、密教なのです。





密教についてわかりやすく書かれた本というのは無いものですね。

それは密教の性質から言っても当然ですが、、。

だって秘密の仏教イコール密教でしょ。

そもそも、、

わかりやすくかけるはずがない?


ただ密教は、、見た目はとっつきやすい?ですよ。

曼荼羅

真言

加持祈祷

密教仏のおどろおどろしさ、闘争的なフォルム。

きらびやかな法具たち


どれも見た目を引くものばかり。

密教仏のあの衣装、

色、、色彩、、憤怒の形相

慈愛のまなざし

まあ、芸術品としても最高です。

加持祈祷の荘厳さ、


まさに

仏教界の


総合デパートメントストア


総合レジャーランドですよね?



で、、


そんな密教への、、入門書にはどんなものがあるのか?と言われても


そもそも密教は師子相伝であり、阿字観やら

加持祈祷法を

書物では伝えられないのです。



というわけで密教寺院に弟子入りして良い師匠に着くしかないのですが

まあ我ら一般人はそうもできないので、


ほんの、、サワリだけでも知るための

入門書としては、、


密教の本    学研

真言密教の本  学研

加持祈祷の本

呪術の本

印と真言の本  学研

修験道の本

チベット密教の本

空海の本   以上すべて学研



密教念力入門

神通力入門

密教呪術入門  中岡俊哉


チベットの死者の書  角川

虹の階梯  中沢新一

タントラ仏教入門  宮坂ユウショウ


もう少し専門的な本は

弘法大師全集

加持祈祷秘密大全  小野清秀  著

密教大辞典

国訳大蔵経 密教の部



加持祈祷秘密大全  小野清秀  著

これは今を、盛りのあの「密教系新興宗教」の教祖がパクッた?と言われている本ですね。というわけでこの教祖様が書いた密教書は、、強勢付会で我田引水だけですから、、ダメです。










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