元日
年末のスーパーで缶焼酎と、ちょっとしたつまみを買う。と、レジで会計をしている自分の後ろに、缶チューハイのロング缶を持った、そろそろ老境に差し掛かるという風情の男性が居た。彼から漂う何とも言えない孤独感や、之までの人生に希望と言うものがあったのだろうかと疑わずにはいられない佇まいは、「ある種」の人間には見ているだけでとてもタマラナイ気持ちにさせるものであった。とは言え、結局の所それを見ている自分自身もその「ある種」の人間なのだ。耐えがたい孤独な夜を、アルコールを友として過ごす様な、タマラナイ気持ちに沈む人間なのだ。
「酒を飲むと詩的になれる」だとか、「酩酊による浮遊感を愉しんでいるんだ」だとか嘯いてみても、その本質は何ら変わらず、とどのつまりはあの男は自分の行く末なのだという思いが、自分に暗澹たるものを抱かせる。
そうして年が明ける。
驚く程に雪が降っていた。正直な所、この寒さと雪とは、自分を部屋に縛り付けるには十分で、しっかりと暖房の効いた部屋で本を読むなりゲームをするなりするのにも実に適した条件でもあった。けれど僕は自転車を走らせて駅へ急いだ、街へ向かうため。急ぐのはただ単に雪が降っていたからで、寒いからで、待ち合わせが在る訳では無い。
雪が時折追い風にのり自分の後ろから流れ、その度にまるで自分が後ろ向きに走っているような錯覚に陥る。僕は後ろへ、後ろへと流されながら駅へ急ぐ。
元日の列車内は空気が柔らかく、一度寝てしまったら暫く目覚める事の無さそうな程に穏やかで暖かい。凍えこわばった身体と心が僅かに柔ぐのを感じる。
新しい年が始まろうと、相変わらず街を歩く、独りで。それは孤独なのかもしれないけれど、正月特有の半ば眠ったような暢気さと、子供が幾ら夜更かししても怒られ無い様な、祭りの様に浮ついた空気とが混じり合った時間を歩くことに、僕は喜びを感じる事が出来る。そこにある孤独さは、決して悪いばかりのものでは無くて、自分と言うものと、他人というものと、世界というものとが、世界は自分を愛しているに違いないと思い込む欺瞞を、もしかしたら欺瞞じゃないのかも知れないという希望を抱かせてくれる。
「私は交通事故で足を失いました」
そう書いた立て看板を横に、片輪の男が独り、雪降る冷気の中、雑踏に身を晒し物乞いをしている。先ほどまでの暢気な気分が一気に醒める。ああ、この世は残酷なのだろうか。元日の長閑な、全てを肯定された様な、柔らかい時間は、自分の余りに無邪気な思い込みなだったのか。強張りだす空気なか、喘ぐように僕は歩く。
やがて着く商店街、高架下に軒を連ねるそれは、正月だからか締まっていた。暗く、蟠った闇の向こうに人の往来が見える。その人が作る怪しげな影法師を、僕は意味も無く眺めた。闇から出てきた人影が、楽しげに笑う。楽しげに歩く。僕の心は醒めたまま。
元日の酷く混んでいる寺に着く。それはそれは賑わっている。活況に呈している。それは素晴らしく、世界が、喜びでしかものを語れない存在に成ってしまったかのようだ。けれど僕は知っているし、恐らくここで笑っている人間の大半が知っているのだろう。深夜のスーパーで缶チューハイを買う寂しい背中や、寒風の中で物乞いをする男の姿を。全てを肯定してくれる時間など存在しない事を。
やがて歩き疲れ、僕は帰ろうと電車に乗る。走りだす時、子供の鳴き声が聞こえた、それは「アー」とも「ウー」とも聞こえる、恐らく電車の軋む音なんだろう。けれど僕は想像する。祝福されず、望まれることなく産み落とされた赤子が、電車にある空白に居る事を。その存在はただ電車の振動に刺激され泣き叫ぶ、生きているという証明を。けれど彼らは死ぬことが決まっているのだ。僕たちと同じ様に。只一つ違うのは彼らは死ぬ為に生まれてきたという事だ。僕らは、違うはずだ。生きる意味は別に、きっと別にあるはずなのだ。窓外では未だ雪が降っていた。
不図眼が覚める。椅子に座り、机に脚をかけたまま寝ていたようだ。眼前のモニターに書かれている文章を読み、これは日記なのか、違うのか、自問する。時計は1月2日の00:15という時を告げる。元日はもう終わり。
暖かい空気に満たされた部屋の中、暖房の呼気だけが聞こえる。それは子守唄然とした安らぎに満ち、現実感は希薄になる。
矢張り自分は夢を見ていたのだろうか。大晦日、酒を飲み、意識判然としない半醒半睡の中で、外へなど行かず、安らぎに満ちた空気に満たされながら昨日を、元日を終えてしまったのだろうか。
窓外を見れば、雪の降っていた気色は無く、ただのっぺりとした闇があるだけだ。部屋からの明かりに照らされ見える地面にも、その跡は見られない。まるで驚く程の雪など最初から降らなかったかのように。でも雪は溶けるものだ、だからただ溶けただけなのかもしれない。
夢だったのか、雪が溶けたのか、溶けた時間の中を過ごし今があるのか。判然としない中を、自分は生きているのだ。今までも、これからも。