その一欠を、飲み下す。
ある時、そこには王国があった。王と妃の間には可愛らしい姫が一人いるだけで、他に子供には恵まれなかった。ただ、その姫が大変可愛らしかった為、他国からは引く手あまた、助けられながら国を治めていた。
その国はとても資源のある国で、他国もその国に資源を頼っていたため、その国の安定を保つことには協力的だった。
さて、その国の妃は実はとても強欲で国を我が物にしようと企んでいた。また、周りから可愛がられている姫が妬ましくて仕方なかった。この世で全て自分が一番でなくては気の済まない質だったのだ。
ある少年はそんな妃の心を知っていた。その少年は妃の目に止まり、城に庭師として入れられたものだった。その内、妃の召使いとなった。おそらく城の中では誰より妃の側にいる人物だったかもしれない。
彼はこの城で唯一、妃の秘密を知っていた。妃は実は魔女なのだ。人前で魔法を使うことはない。ただ妃の部屋には魔法の鏡があり、妃は毎朝鏡に向かってこの世で一番美しいのは誰かと尋ねるのが習慣だ。他にも魔法の道具やら薬やらがわんさとある。
少年は妃が企んでいることを知っていたけれど、それでも妃に仕えていた。妃は自分拾ってくれた恩人だったから。
ある日のこと。
少年は王に呼び出された。王は少年に姫を守るように頼んだ。何故かと尋ねると、お前は妃に仕えているが、まだ心までは支配されていないからだと言う。
少年は王の言葉を不思議に思った。誰より妃の側にいるというのに、それでも信じられるというのも不思議な話だ。そう思いつつ、はいと答えた。
丁度同じ日、妃にも呼び出された。姫を見張っていてくれという頼みだった。その日から少年は姫の召使いになった。
姫は裏のない暖かな笑顔を持っていた。確かに周りが可愛らしいというのもわかる。可憐な少女だった。花を愛し、鳥を愛する少女はとても美しかった。少年にも親切にしてくれた。
姫は好奇心旺盛でもあった。
ある日、城の中は退屈だと言って、少年を連れて近くの森に散歩に出掛けたのだ。少年は危ないからと止めたのだが、強引に連れ出されてしまった。
その日は森の獣の機嫌が悪く、不用意に近づいた姫は襲われた。幸い少年が庇った為、姫に怪我はなかったが、それを知った王に少年は大目玉を食らった。
何故勝手に出歩いた自分でなく少年が怒られるのか納得のいかない姫は父と口論になり、口を聞かなくなってしまった。
少年は少し寂しく思いつつ、それからも姫に仕えた。
姫と王が口論になってから数日が経ち、事件は起こった。
王が死んだのだ、突然に。
玉座に座した状態で、眠るように。──城は瞬く間に騒ぎになった。
少年は戸惑いつつ、ちらと擦れ違った妃の顔を見た。涙を流している顔が一瞬、口元だけ笑っていた。それでわかった。妃がとうとう動き出したのだ。王国を手中に収める為に。
──そう気づいたものの、誰にも言えない。何も証拠はないのだ。きっと妃はそこまで計算済みなのだろう。何も言わなければ何事もなく終わる。少年はそう思っていた。
しかし、少年はとんでもない妃の計画を知ってしまう。それは父の死に臥せってしまった姫の為に手拭いを濡らしに妃の部屋の前を通りかかった時のことだ。
妃の部屋の中から聞き慣れない声がしたので気になって部屋の前で止まった。
よくやったという妃の声。殺し屋の私の手にかかればこれくらい造作もないこと、と答えるのは男の声。
殺し屋という言葉に少年は驚いた。その声の主が王を殺したというのはすぐわかった。
その後の妃の言葉に少年は更に驚いた。
姫の方は私自ら手を下す。だからお前はもういいぞ、と言ったのだ。如何様にと殺し屋が尋ねると、妃はすらすらと答えた。
「姫は今臥せっている。そこに見舞いとして林檎をくれてやるのだ。私の魔法で作った毒林檎をな」
扉の隙間から垣間見えた妃は赤々とした林檎に愛しげに口づけをしていた。
何故、妃は姫まで殺そうとするのだろう?
少年は考えた。
そして思い出す。──この国は王が死んだ時、玉座は妃でなく、子供に譲られるのだ。
以前から目障りと思っていた姫が、ここにきて野望の為の大きな障害となった。それをこの妃が生かしておく訳がない。ならば……
少年は姫の頭に手拭いを乗せると、元来た道を戻り、妃の部屋の前に来た。そこには見慣れぬ男がいた。
妃の客人かと尋ねると、男は頷いた。妃が客人を招くとは珍しい、と少年がいうと、男は何か言いたいことでも? と聞き返した。いいえと続けた。
「王がお亡くなりになられたというのはご存知でしたか?」
少年が尋ねると、男はきょとんとし、それから笑った。
「なんだ、聡い奴もいたもんだ。どうしてわかった?」
「先程のお話、筒抜けでしたので」
「はは、いい趣味してるぜ。のさばらせておくのもお妃様に申し訳ないからな。ここで消えて貰おう」
そう言って、男は少年に襲い掛かった。その牙が届く寸前、少年は待ってください、と男を止めた。人気のないところの方がいいでしょう、と言って場所を移した。
舞台は庭木に手の入っていない外に移った。そこで少年は男と戦った。
──雌雄はすぐ決した。
少年は男の攻撃を草木に紛れて器用に避け、男の首に庭木の蔦を巻き付け殺した。庭師だった少年ならではの戦い方だった。
少年はそれから姫の側にいた。妃がきてもいいように。
そう日を置かず、その時は来た。妃は側近達を連れて姫の見舞いにやって来た。真っ赤な林檎を手に、姫に偽りの励ましを口にする。
「さあ、この林檎をお食べ。すぐ元気になるから」
妃がそう言ったところで少年は前に出た。
「お妃様、その林檎には毒が入っていますね」
言い切った。妃は顔を赤くし、少年に怒鳴った。
「何を根も葉もないことを言うのです!私が何故可愛い娘にそんなことを?」
しらばっくれる妃に少年は容赦なく言い返す。
「お妃様は姫様を疎んでらっしゃいますから。動機などいくらでもあるでしょう?」
「ぶ、無礼者!ならば林檎に本当に毒が入っているか、自分で確かめるがいい!」
できはしないと踏んで言った妃だったが、少年は解りましたとあっさり頷いた。一同が目を丸くするのをよそに、少年は躊躇いなく林檎をかじった。
姫が少年の名を呼ぶ。
少年は姫に微笑み──直後に倒れた。
その事実に誰より妃が驚いた。
「何故だ。私が仕掛けたのは遅効性の毒の筈。何故こうもすぐ──」
そこまで言ったところで妃ははたと気づいた。語るに落ちている。
妃はその場で拘束され、刑に処されることが決まった。
姫は倒れた少年に声をかける。ありがとう、と。──しかし、少年に反応はない。倒れたまま、指先すら動く気配はない。
姫は何度も名を呼んだ。けれど少年は目覚めない。
「嘘、嘘でしょう? まさか、毒で死んでしまったの?」
動揺する姫に呼ばれた医者が少年を診て優しく言った。眠っているだけだ、と。
少年は林檎をかじる時、口に入れていた強力な眠り薬を飲んだのだ。その薬も一歩間違えばあの世に行きかねないほどの代物だったが、彼に少しばかり協力した後ろめたさもあり、医者は敢えてその説明はしなかった。
今度は姫が少年の側にいた。
数日して、少年は目覚めた。
目覚めた少年に尋ねた。
何故あんな無茶をしたのか、と。
少年は答えた。
「王を殺した賊を僕は殺しました。……人を殺めたその瞬間から、毒を飲む覚悟はできていました。姫様がご無事で良かった」
「どうして、どうして貴方は自分の命すら顧みず、私を救ってくれるのですか?」
「それは簡単なことです」
──そこで少年が何を言ったか、知る者はいない。