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 沈黙が漂う。

 あの後、颯真達は何かを言いたそうにしていた岐志達を残し、颯真の部屋へと戻ってきた。それから、幾らか時間は過ぎたものの、誰一人として、口を開こうとはしない。三人共、黙ったまま、自身の手元へと視線を落としたままだ。

 颯真はちらり、と顔を上げ、比奈子を見た。こうして、あの場を離れなくてはいけなくなったのは自分のせいだ。場違いに怒鳴り声をあげ、聞けたかも知れない話を逃した。ちくり、と罪悪感が芽生える。

 ──協力するつもりが、ぶち壊してどうすんだ。

 颯真は大きく息を吐いた。

「俺さ」

 静かな部屋に颯真の声が響く。それに、比奈子と色羽が顔を上げた。

「俺の妹は、八年前に殺されてんだ。俺が十二歳で、妹──真子はまだ五歳だった」

「颯ちゃん」

 色羽の気遣う声がしたが、颯真はそれには答えなかった。

「少し歳が離れた妹でさ、泣き虫で、甘ったれで、いつもの俺の後をついてきてた。……可愛かったな」

 颯真とよく似た目をして、まだふにふにとした頬っぺたをよくつついていた。颯真自身、その柔らかな頬に触れるのが好きだったし、それを真子も喜んでいた。いつもいつも、「お兄ちゃん」と漸く言えるようになった、拙い口調で何度も呼んできた。

 いつもいつも、颯真に張り付き、小さな虫や雷を怖がった。その度に、颯真は言った。

 ──大丈夫だ。絶対に俺が守ってやる。ずっとずっと、守ってやるからな。

 小さな頭を撫で、そう言った。すると、真子はいつも嬉しそうに笑った。本気でそう思っていた。可愛い妹。それは、自分が守るべき存在なのだと、そう思っていた。けれど、それはあまりに一瞬にして、崩れた。

 あの夏の日──やけに暑かったことを、今もはっきりと覚えている。空には雲ひとつなくて、高い位置で太陽が照り付けていた。立っているだけでも汗が額から、背中から伝うほどの気温だった。じわりじわりと、タンクトップから出た颯真の肌を焼いていく。辺りでは蝉の鳴き声が五月蝿かった。だというのに、体の芯から冷えるような感覚だった。

 ひんやりと、手先から何までもが体温を失っていった。まるで、肉などを詰めておく巨大冷蔵庫にでも突然閉じ込められたようだった。体から伝う汗すらも、全て乾いていった。

 公園のど真ん中に棄てられたようにされた、それ。

 真っ赤に染まり、胴体はぐちゃぐちゃだった。ぐちゃぐちゃ、というのは正しい表現ではないが、少なくとも、当時の颯真にはそう思えた。隣では、色羽が泣きじゃくっていた。

 颯真の妹の真子は、胸から腹にかけてを何十回も刺されて殺されたのだ。まだ幼い体に、無数の傷を刻まれ、大量の血を流し、死んだのだった。

 そして、その、真子を殺した犯人は、未だに逮捕されていない。

 颯真はそれを、簡潔に話して聞かせた。詳細を話す必要まではない、と微かに震える色羽を視界の端に入れながら思ったのだ。己を責めているのは自分だけではない。

 とはいえ、それは軽減されるわけも、分配されるわけでもない。ただひたすら、颯真へと重くのし掛かるだけなのだ。

「……私は、ずっと、虐待、されてたんです」

 颯真が黙ると、今度は比奈子が口を開いた。その声は、掠れている。

「それで、歳の離れた兄が、私を家から連れ出して……何度も守ってあげる、て言ってくれました」

 守るから。果たせない約束。それは、颯真の心と同じ気がした。

「だから、私は、兄を殺した犯人を見付けて、私は大丈夫、安心して、て言ってあげたい」

 比奈子はそう言うと、真っ直ぐに颯真を見詰めた。それは、まるで、真子の言葉のように思えた。

「……必ず、お前の兄貴を殺した犯人を捕まえよう」

 颯真は拳を強く握り締めて、まるで、真子に誓うように言った。幼い自分が出来なかったこと。それを果たしたいと思ったのだ。

「はい」

 比奈子がしっかりと頷き、それに色羽も少しばかり顔色が悪いなりに頷いた。

「よし、やるぞっ」

 颯真の気合い入れの大声に、二人が頷いた。



「先程の話、どう思いますか?」

 小折が尋ねると、岐志は紙コップを口から離した。自動販売機が建ち並ぶ周囲にはコーヒーの匂いが充満している。所轄内の休息所。会議を終えたばかりの刑事達がたむろしている。

 割り振られた担当はあるのもも、周辺を洗うも何も、被害者は刑事。ならば、彼の関係者も警察関係ということになる。かといって、警察としては、内部を洗え、とは言わない。それは、当然のことではあるが、小折としては納得しかねる部分があるのも確かだった。しかし、それと同時に、自分が身を置く組織を信じたいという気持ちもある。

「お前は、どう思う」

 会議を終えたばかりとはいえ、小折と岐志の会話の内容はそれについてではない。小折は甘いミルクティーの入った紙コップを弄んだ。温くなってきたそれは、口内に含むと、乳成分らしい独特の臭みがした。

「僕は以前、真柴先輩から妹さんがいるのは伺っていました。ご本人には会ったことありませんが、先程の子は、真柴先輩に似ているとは思います」

 小折は先程の少女を思い出した。艶やかな黒髪と、アーモンド型の瞳、そして透き通るように白い肌が真柴とよく似ている。

「俺も、歳が離れた妹がいるというのは、聞いたことはあるし、彼女が嘘を吐いている様子はないと思う」

 岐志は言ってから、紙コップを口につけた。辺りの騒がしさはいつの間にか引いている。皆、各々で出来ることをしに行くのだろう。

「かといえ、情報を流すというのは出来ない」

 それは小折にもわかっていることだった。捜査で得た情報や、事件のことは、例え家族にでも伝えてはいけないのだ。自分の家族にも、被害者の家族にも。

 けれど、と思う。

 彼女の瞳以上、彼の瞳が脳裏に焼き付いていた。警察を憎む、というほどに強いものではなかった。けれど、憤りは感じているような瞳。それでいて、諦めたような瞳。警察に怒りを覚えてはいるが、期待もしていない。そう語っているかのようだった。

「馬鹿な真似はするなよ」

 岐志は言い、空になったらしい紙コップをゴミ箱へと放った。そして、小折から離れていく。気付けば名田が近くに来ていたらしく、岐志は名田の元へと近寄っていった。

 ──馬鹿な真似。

 それは、何を意味するのか。小折は気付かぬ振りをしたくなった。気付かぬ振りをして、その馬鹿な真似をしたくなったのだ。

 でもそれは職務規定違反。ばれたならば、警視庁にいられないどころか、刑事ですらいられなくなるかもしれない。

 小折は渦巻く想いを胸に、とうに冷めたミルクティーを飲み干した。沈殿した乳成分が下に残り、少しだけ気持ち悪い。

 小折の担当は、被害者──真柴の身辺調査、だ。これは、プライベート的なもので、警察関係者を調べる必要はなく、謂わば、重要度の高い任務だ。そして、これは小折が優秀だからといって割り振られたものではない。小折はまだ刑事としては新米だし、格段エリート、というわけでもない。そこそこエリートの七光り。それが、小折が陰で呼ばれている異名だし、本人もそれは知っている。

 小折がこの担当になったのは、今回の捜査ではこの担当を務める刑事が一番多い、というだけのことだった。大人数いるなかの一人にしか過ぎないし、誰も小折の活躍を期待しているわけでもなければ、小折が成果を挙げるとも思っていない。

 ──なら、ちょうどいいじゃないか。

 小折はそう思い、空になった紙コップを、ゴミ箱目掛けて投げた。するとそれは綺麗な放物線を描き、ホールインワン。小折はそれで自信をつけ、立ち上がった。



 颯真ら三人は頭を付き合わせ、チラシ裏と睨めっこをしていた。そこに書かれているのは、比奈子が知っている秋彦の事柄だ。年齢や生い立ち、交遊関係。とはいえ、秋彦と比奈子は十歳以上歳が離れているので、細かなことまでは把握していなかった。

 例えば、恋人の有無。

「いたような感じもするし、いないような感じもする」

 比奈子は首を捻って、言った。

「どっちだよ」

「わからないんだから、仕方無いじゃないですか」

 颯真の文句に、比奈子が頬を膨らませ、それを色羽が宥める、という構図が先程からずっと続いていた。

「もうちょい何かないか?」

「……そう言われても、兄は家ではほとんど仕事の話はしませんでしたし」

 確かに、警察官や刑事という仕事は穏やかなものではない。悪戯に妹を怖がらせない為にも、秋彦は仕事の話を妹に聞かせることはなかったのだろう。そして、幼少期の虐待という経験からの対人恐怖症。それだと、自分の知人を比奈子に会わせることも少なかったのだろう。

 颯真はううん、と頭を捻った。

 情報が少な過ぎる。ただでさえ素人。これだけの事柄から犯人を導き出すのは至難の業だ。

「率直に訊いてもいい?」

 色羽が可愛らしいボールペンを器用にくるくると指で回しながら言った。

「何ですか?」

 比奈子の声音は、颯真に対してより、色羽に対しての方が柔らかいように思えた。颯真はそれに腑に落ちないような気持ちを抱きながらも、首を傾げる比奈子を見た。

「気分悪くなったら言ってね。あのね、お兄さんが殺された理由って、何だと思う?」

 比奈子は色羽の質問にも、顔色を変えることはなかった。互いの打ち明け話をし、心を開いてきているようにも思える。

「身内から見た感じだと、何も思い付きません。兄は、穏やかな性格ですし、知人から恨まれたり、憎まれたりするような人には見えませんでした」

 けれど殺されてしまうのが、今の日本という国なのだ。

「そうかー。だとすると、やっぱり赤の他人とか、仕事で恨みを買ったりとかなのかなー」

 色羽がボールペンを回す手を止めて呟いた。また、振り出しに戻った。

「もし、通り魔とかだったら、俺達で辿り着くのは難しくないか?」

 赤の他人、という言葉から発想したことを颯真は口にした。

「うーん、それもそうなんだよね。どんなふうに殺されたかもわからないから、それを特定するのも難しいしね」

 一向に推理は続かない。颯真達は揃って溜め息を吐いた。その瞬間、こんこん、と鉄の扉を控えめにノックする音が部屋の中に響いた。

「誰だ?」

 颯真は首を捻った。この部屋への来客は特に珍しいというわけででないが、かといって多いわけでもない。そしてその大半は昼ならば色羽だ。後は、夜の来客の方が多い。それは、颯真の知人の大半以上が夜型の人間だということを表している。

「はいはーい。新聞ならいらねぇよ」

 昼の訪問で色羽でないとなると、後は新聞などの勧誘しかない。よくこんなところまで来るものだと、いつも思ってはいるが、何でもかんでもネットで済ませる時代。紙面を一部契約するだけでも一苦労なのだろう。

「あ、いえ、新聞の勧誘ではありませんっ」

 まだ若い男の声がした。颯真は新聞でないないなら宗教か? と思いながらも扉を開けた。するとそこには、背広姿の、声と同様に若い男がぴしりと立っていて、その姿には見覚えがあった。

「あ、あんた」

 男は少しばかり緊張した面持ちで、ぺこりと頭を下げた。

「先程、お会いした、天田 小折と申します」

 彼は事件現場付近で会った、若い方の刑事だった。

 ──刑事が何だ? それに、頭を下げる前にすることがあるだろうが。

 颯真は思いながら、小折の後頭部を見詰めた。することとは、所謂あれだ。よくドラマや何やらで、背広の胸ポケットから警察手帳を出して掲示するれ、だ。けれど、小折はそれをせずに名乗って、頭を下げただけだ。

「刑事さんが、何の用すか?」

 恐らく、あの辺りにいた商店街の人に、颯真のことを尋ね、この場所を聞いたのだろう。この辺りの人達は本当にいい人ばかりで、人を疑うことをまずしない。こんなに優男風の男が聞けば、例え相手が刑事で、尋ねられているのが颯真だとしても教えるだろう。

 ──改めて首を突っ込むなとでも言いに来たのか。

 そう考えてはみたが、小折の態度がそんなふうに見えないのも確かだ。

「僕、真柴先輩にはお世話になったんです。それで、少しでも真柴先輩の力になりたくて」

 何を言いたいのかわからない。小折は頭を下げたまま、口を開いていて、その姿勢は辛くないのかとつい訊きたくなってしまうほどだった。

「えぇと、取り敢えず、入んねぇか?」

 颯真は小折の後頭部を見詰めたまま、そう言って、小折にまずは頭を上げるようにお願いした。すると、小折はぱっ、と頭を上げ、真っ直ぐに伸びた背筋で、失礼します、と礼儀正しく言った。あまりにも周りにいないタイプなので、どう接したものか迷ってしまう。

「あれ、さっきの刑事さん」

 小折を見た色羽が開口一番に言う。

「はい。天田 小折と申します」

 小折はまたそこで名乗った。礼儀正しいのが彼の売りなのだろうか。それとも、育ちがよいのか。

 比奈子は突然の小折の登場に戸惑っているようだ。対人恐怖症のせいか、それとも小折が何の為にここを訪れたのかを考えてか。それは颯真には判断出来なかった。

「何か飲みますー?」

 色羽が暢気な声で訊いたが、小折は姿勢良く立ったまま、結構です、ありがとうございます、と丁寧に返した。

「えっと、で、何の御用件ですかね?」

 颯真は取り敢えず椅子に腰を下ろし、手だけで小折にも座るように促した。

「失礼します」

 小折は小さく頭を下げてから、椅子へと座った。周りにいないタイプ云々の前に、こんなふうに礼儀正しく颯真に接する人間がいない。こうした、きちんとしたタイプの人間は颯真のような人間を見下しているからだ。だから、こんなふうに、きちんとした態度を取ることはまずない。

「僕、真柴先輩にはお世話になったことがあるんです」

 小折は腰を下ろすなり、口を開いた。

「はあ……」

 だから? と思わず返しそうになるのを、颯真はどうにか呑み込んだ。だから、必ず犯人は捕まえます、とでもいちいち言いに来たのだろうか。颯真は大人しく、小折の次の言葉を待った。

「協力して下さいっ」

「は……?」

 がはりと頭を下げる小折に呆然とせずにはいられなかった。再び、小折の後頭部が颯真の視界に飛び込んでくる。

「既に、捜査は行き詰まってます。初動捜査でも有益な情報は得られず、これ以上に何があるのか、という状況なんです」

 小折は顔を上げると、うるうると潤んだ瞳で颯真を見てきた。それはまるで、捨てられた仔犬のようだ。

「行き詰まんの早くね?」

 颯真は思わず突っ込んでしまった。本来はそれよりも、最初に発せられた言葉の方に反応すべきなのだが、なんというか、それよりも、行き詰まった、という話の方が気になってしまったのだ。

「だって、真柴先輩、優秀でしたし、優しいし、穏やかだし、殺される理由なんて何処にもないんですよ。だから、何をどう捜査していいか、会議でも何の案もなくて……。取り敢えず、周囲の聴き込みを、てくらいしか」

 小折はそれだけ言うと、しょんぼりと肩を落とした。どうやら、先程までの礼儀正しさは緊張から来ていたもののようだ。とはいえ、彼の態度はいちいち好感が持てる。

「絵に描いたような人だな」

「そうなんですっ。真柴先輩、見た目もかっこよかったんですけど、本当に優しくて、面倒見もよくて、憧れだったんです」

 先程まで潤んでいた瞳を、今度はきらきらと輝かせる小折。忙しないタイプなのだろう。颯真は数分にして小折の性格がわかった気がした。

「僕は、真柴先輩のようになりたいと思っていました」

 小折の話を聞きながら、ちらり、と比奈子を見る。兄を手放しで褒められて、嬉しそうに微笑んでいた。その表情は颯真が初めて見るもので、胸の奥が少しだけ詰まるような感じを覚えた。

「えーと、あの、通り魔とかの可能性はないんすか?」

 通り魔だとしたら、殺される理由などなくても当然だ。奴等は相手を選ばない場合が多い。

「……警察の見方としては、怨恨の線が有力、とのことでした」

 小折はそれだけ言ってから、比奈子の方に視線を向けた。秋彦の実妹ということで、この先を続けることを躊躇っているのだろう。その視線に気付いた比奈子は「続けて下さい」と頷きながら言い、それに小折がはい、と頷き返す。

「胸部から腹部に掛けて、数十ヶ所刺されていました。死因は失血性ショック死。けれど、刺される前に後頭部を拳で強打されています。真柴先輩の不意をつくためでしょう。それから、殺害されたのは──」

「ちょっと、ちょっと待て。いいから待て」

 颯真はそう言って小折にストップを掛けた。すると小折はきょとんとした顔で、口を半開きにしたまま止まった。仔犬が覚えたての「待て」をしているかのようだ。要するに、小折は仔犬っぽい、ということだ。

「いいのか? それ、捜査状況だろ? そんなの、一般市民の俺らに聞かせていいのかよ」

 颯真は小折が話してくれることに驚いていた。確かに、捜査状況は既に行き詰まっており、小折自身秋彦を殺した犯人をどうしても捕まえたいようで、それで颯真達に協力を依頼している、というのはわかる。それでも、小折の話の内容は思った以上に内部の話なのだ。協力といえど、颯真としては比奈子に話を聞き、軽く何かを教えてくれるくらいだろうと思っていた。

「だって、協力してくれるんですよね?」

 小折は何が問題なのかと言わんばかりの表情を作る。恐らく颯真より幾つも上のはずなのに、元の童顔と、少し惚けたような表情が相まって、年下にしか思えなくなってきた。

「いや、あの、それはするよ。するけどさ、大丈夫なのか?」

「お優しいんですね……えっと、お名前伺ってもいいですか?」

 そこで初めて、颯真は自分が名乗っていないことに気付いた。というか、小折が勝手に自己紹介をし、こちらには訊いてこなかっただけのことなのだが。

「え、ああ。朝比奈颯真」

 颯真は言ってから、先程まで使っていたチラシ裏に名前を殴り書いた。

「颯真君。颯真君は、優しいんですね」

「はい?」

「だって、僕の立場を心配してくれているんですよね? それは、お優しいです」

 小折はにこにこと笑顔を浮かべながら颯真を誉める。颯真はそれに何処と無く居心地の悪さを覚えた。優しい、と言われることは多くはない。そして、こんなふうに何度も繰り返してなど、あるはずもない。

「そ、そんなことねぇよ」

「あ、颯ちゃん照れてる」

 色羽が言わなくてもいいことを言い、比奈子もそれにくすりと笑う。颯真は顔が少し熱くなるのを感じながら、黙ってろ、と照れ隠しに吐いた。

「ご心配、ありがとうございます。でも、大丈夫です。僕の父は警察庁の人間ですので、多少のことは目を瞑ってもらえます」

「いやいや、多少じゃねぇだろ」

「職務規定違反くらい、多少のことです」

 何処がどう多少で大丈夫なのか知らないが、本人が大丈夫だと言うのなら、大丈夫なのだろう。颯真はそう思うことにした。

「あ、お二人にもお名前伺ってもいいですか?」

 小折が色羽と比奈子に訊いた。

「いいよー。水城 色羽だよ」

「真柴 比奈子、です」

 比奈子も小折に少しは慣れたのか、警戒している様子はない。慣れたというより、兄への想いを聞かされ、心を開いたのかもしれない。

「宜しくお願い致します」

 小折はまた丁寧な造作でぺこりと頭を下げた。父親が警察庁。ということは、彼は坊っちゃんなのだ。だから、礼儀正しく、丁寧な所作をするのだと納得出来た。とはいえ、警察庁の父親を持つならば、余計に颯真のような人種のことを見下してもよさそうなものなのだが、小折にそういった様子は微塵も見られなかった。それは、父親がどうというより、彼自身の人の好さなのだろう。

「まあ、あんたが平気って言うならいいか」

 颯真が溜め息混じりに言うと、小折ははい、と頷いた。本当に犬のような男だ。

「あ、じゃあ、話を続けますね。真柴先輩が殺害されたのは、あの場所で間違いないようです。殺害推定時刻は、深夜一時から三時の間、ということでした」

「その時間じゃなぁ。この商店街じゃ、人っこ一人いないわ」

 この商店街は住む人間の平均年齢が高い。そんな時間では、誰しもが床の中だ。

「そうなんです。なので、周辺の聴き込みの結果も芳しくないようで……」

 そういえば、今朝、さいこでも中宮に質問をされた。そのとき、麦沢も不審な人物は見ていないと答えていた。颯真自身、夕べは遅くまで呑んでいたが、特に気にかかるようなことはなかった。それだと、本当に捜査は手詰まりなのだろう。

「その時間はまだ呑んでたけど、家から出てねぇからな」

 颯真はぽりぽりと頭を掻いた。

「真柴先輩が抵抗したような跡もなくて、もしかしたら、顔見知りの犯行なのでは、という見方もあります」

 でも、と小折はそこで言葉を詰まらせた。

「何?」

 それに色羽が続きを促す。

「真柴先輩のプライベートでの交流関係はさして広くなくて……」

「んー、それなら、警察関係の人間なんじゃないの?」

「それは……」

 色羽の問いに、小折の歯切れが悪くなる。

「認めたくないって、ことか」

 それに、颯真がずばりと言い放った。小折がこくりと頷く。

「僕自身は、きちんと警察関係者も洗うべきだと思うんです。なのに、捜査本部はそれを避けています。なので、非常に複雑な状況なんです。現職の刑事が殺された。それは由々しき事態です。捜査本部としても、何がなんでも警察の威信に懸けて犯人を逮捕したい。でも、真柴先輩のプライベートでの交流は薄い。となると……、と、警察は二者を秤にかけて、後者を選んだ。つまり、警察関係者から犯人を出すくらいなら、犯人未逮捕を選んだんです」

「な……」

 それに、色羽が反応を示した。怒りを表情に出している。颯真はそれに反して、だろうな、と息を吐いた。警察とは、そういうところなのだ。

「それさ、俺の妹のときも言われたんだ」

 颯真の言葉に、その場にいた全員が、え、と動きを止めた。

「真子が殺されて暫くしたときさ、犯人は警察関係者なんじゃないか、て噂が出たらしい。何でそんな話が出たのかは知らねぇ。ただ、そういった線も上がったらしい。その途端、既に規模は小さくはなっていたが、細々とでも続けられていた捜査が完全に打ち切られたんだと」

「颯ちゃん、その話、何処で……」

「詳しく話すのは後だ。だからさ、そういった話が出た以上、捜査は形だけのものになり、直ぐに捜査は打ち切られると思う」

 颯真は比奈子を真っ直ぐに見て言った。それを許していいのか、と問うように。

「……僕もそう思います。だから、ここに来たんです。一緒に、真柴先輩を殺した犯人を捕まえましょう」

 小折は勢いよく立ち上がった。警察自体はどうしようもないほどに腐敗している。けれど、そうでない人間がいることも知っていた。

「お願いするのは、私です」

 比奈子が小折につられるかのように立ち上がった。すくり、としっかりとした立ち方だ。

「天田さん。兄を殺した犯人を見付けることに、どうか協力して下さい。水城さんも、朝比奈さんも、お願いします」

 比奈子はそう言って、深く頭を下げた。絹のように綺麗な髪が揺れる。

「色羽、でいいよ」

「俺も、颯真でいい。それに、そんなお願い、しなくていい。俺達でやるんだ」

 颯真が言うと、比奈子は顔を上げ、涙ぐんだ瞳を見せた。

「僕も、頑張りますっ。あ、僕のことも小折でいいですよ」

 小折が言い、四人で真剣な顔を突き合わせた。

 ──必ず、必ず見付けてやる。

 颯真はその覚悟を決め、よし、と大きな声を出した。

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