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「……はい、はい。うん、ですよねー。あー、はい……うん、わかりました。ありがとうございます。……え? ああ、はい、お願いしまーす」

 颯真がスマホを耳から外すのを、色羽と比奈子がじっと見ていた。色羽のウィッグが少しずれていて気になるが、今はそれを突っ込んでいる場合ではない。

「どうだった?」

 色羽が大きな目でじっと颯真を見上げてきた。くりくりと動く目は感情がわかりやすい。

「いやー、関わったことないからわかんねぇって」

 今しがた颯真が電話をしていた相手は以前世話になったことのある生活安全課の刑事だった。ふらふらとする颯真を根気よく説得しようとしてくれた人で、颯真としてもその人のことは気に入っていた。グループを卒業するときも連絡をしたし、今でも向こうからどうしてるか、と連絡をくれたりもする。その刑事に電話をし、真柴 秋彦という刑事を知っているか訊いてみたのだ。

 警察内部でも、現職の刑事が殺害されたとあって大騒ぎにはなっているらしいが、彼は真柴という刑事のことを直接は知らないということだった。

「そっかー」

 色羽が残念そうに肩を落とし、その隣では比奈子も残念そうにしている。しょんぼりというか、明らかに落胆している比奈子を見ると、颯真の胸はちくりと痛んだ。出来るだけのことをする、と言ったが、出来ればどうにかしてやりたい、という想いも芽生え始めていた。

「よし、中宮さんに訊くぞっ」

 颯真はスマホを握り締めて言った。

「中宮さんって、そこの駐在さん?」

 色羽がウィッグの毛を揺らしながら言う。精巧に出来ているウィッグは髪質がよく、金髪に染め上げた颯真の地毛より綺麗だ。

「そう。だってさ、まあ、ほら、あのさ……」

「何。歯切れ悪いよー。はっきり言うっ」

「あの……兄貴が殺されたのって、この商店街なんだろ? あー、いや、殺されて運ばれたのかもだけど、まあ、見付かったのはここだろ」

 比奈子の前で殺された、という言葉を連発するのは気が引けたが、そんなことを言っていては話が進まない。とはいえ、どうしてもその言葉を発するのは躊躇ってしまう。

「そうだねぇ」

 色羽が頷き、比奈子の顔色が変化ないことを確認してから颯真は話を続けた。

「だったらさ、中宮さんなら詳しく知ってんじゃねぇかと思ってさ」

 颯真の提案に、色羽は成る程、と頷いた。

「中宮さん……」

 その名前を、比奈子が呟く。形のいい唇が小さく動いている。

「中宮さん、知ってるのか?」

 颯真が訊くと、比奈子がこくんと頷いた。長い髪がさらりと揺れ、それはやはり、どんなに精巧に出来ているとはいえ、色羽の被ったウィッグとは揺れが違う。

「兄の……同僚だったと記憶してます。兄と同期で、何度か兄の話にも出てきました。あ、あの、それと同じ方かはわかりませんが……」

 比奈子の口調は丁寧で、それは颯真の周囲にはあまりいないタイプだった。

「会ったことは?」

「ないです」

「なら、やっぱり中宮さんに訊いてみるか」

 颯真はそう言ってから出掛ける支度を始めた。出掛ける支度といえど、することは部屋の火の元の確認だけだ。特に着替えをする必要もないし、鍵とスマホを掴めばそれで終わりだ。

「お前も一緒に行くか?」

 台所部分の元栓を閉じてから颯真が訊くと、比奈子は何とも言えぬ、不思議そうな表情を作った。きょとん、としたような、不可思議なものでも見たかのようなその表情はあどけなくて、まるで幼子のようだ。

「ん? どうかしたか?」

 颯真はそれに対して首を傾げた。一緒に行くか、と尋ねただけで、変なことを訊いたつもりはない。それとも、比奈子は自分も動くとは露程も思っていなかったのだろうか。

「……その格好で、出掛けるんですか?」

 比奈子は颯真のことを、頭から爪先まで、一通り眺めてから口を開いた。

 紺色の作務衣に雪駄。何かおかしなところがあるだろうか。

「あー、これね、颯ちゃんの普段着だから。ちょっとあれだけど、気にしないで。それとも、こんなのと並んで歩くの、嫌?」

 色羽が捲し立てるように、失礼なことを並べた。しかし、今日はいつに況してそんなことの連続なので、颯真としてもいちいち突っ込んだり文句を言う気も失っていた。

「嫌というか……」

 比奈子はそこで一旦口をつぐんだ。

「嫌というか?」

 色羽が続きを促す。比奈子は言いにくそうな顔をして、俯いた。長い髪が顔を隠してしまい、その先の表情はわからない。

「どした?」

 今度は颯真が続きを促すが、比奈子はまだ黙ったままだ。けれど、直ぐにおずおずと顔を持ち上げた。

「……外に出る格好としては、如何かと思わなくもないです」

「な……」

「うわー、比奈ちゃん、いいねぇ」

 颯真は絶句、色羽は楽しそうに笑った。

「お前……結構いい性格してんじゃねぇか」

 颯真は多少覚えた怒りを鎮めながら言うが、比奈子はそれに対して、特に悪いことを言ったつもりはないという顔をした。ここに来てからずっと、おどおどと、怯えたような表情をしていたが、今の比奈子は強気な少女にしか見えない。きっと、これが本来の彼女なのだろう。

 ──言いたいことはあるが、取り敢えず今はいいだろう。

 颯真は自分にそう言い聞かせた。きっと、こうして、兄の死という現実をゆっくりと受け入れているのだ。通常を取り戻しつつ、受け入れていく。それは、かつての颯真が出来なかったことだ。

「ああー、もう、いいや。行くぞ。俺はこのまま行くぞっ」

 颯真は半ば自棄やけになり、頭を掻いた。そして、部屋の出入口へと向かう。

「お前もついてくんだろ?」

「……当たり前じゃないですか」

「あはは。比奈ちゃん、サイコー」

 きゃっきゃっとはしゃぐ色羽に余計に苛つきながら、颯真は部屋を後にした。


 商店街はいつも違う気配しか漂わせていなかった。数台のパトカーがいて、警察官に、私服の刑事、恐らく鑑識やら何やらだと思われる者達が、ブルーシートで囲った向こうから忙しなく姿を現す。まだ、現場の調査が終わっていないのか。

 ──こんなに、長いか?

 颯真は過去の記憶を嫌々引っ張り出した。比奈子の兄の遺体が発見されたのは早朝。今は昼をとうに過ぎている。だとしたらもう、とっくに終わっていてもいい頃だ。警察のこういった仕事というのは、恐ろしく速いものだ。なのに、まだ終わっていないようだ。

「比奈ちゃん、平気?」

 色羽の声に我に返った。そうだ、あのブルーシートの向こうは、比奈子の兄の遺体があった場所なのだ。颯真はちらり、と比奈子を見た。比奈子は少しばかり青白い顔をし、目を閉じていたが、数度深呼吸をしていた。すう、はあ、と大きな深呼吸。そして、静かに目を開ける。

「大丈夫です。私は、今までずっと、兄に守られてきました。だから、今度は私が兄を守りたい。兄を殺した犯人を見付けて、もう大丈夫だよ、て言ってあげたい」

 ──もう大丈夫だ。

 遥か昔に口にした言葉を颯真は思い出した。

「よし、比奈ちゃん、その意気だ」

 色羽がぽん、と比奈子の細い肩を叩いた。

 ──どうしてそんなに強くいられるんだ?

 喉まで出掛けた言葉を、飲み込んだ。強くいられているわけではない。強い振りをして、必死に立っているんだ。強烈に見せ付けられた気がしてならなかった。自分が出来なかったことを。

 幼かったからだろうか。立場が違うからだろうか。いや、違う。弱かったんだ。受け入れられなかったんだ。受け止めきれなかったんだ。

「颯ちゃんも、ファイトっ。可愛い女の子のお願いだよ」

 色羽の声が掬い上げた。

「え……ああ、おう」

 妙な返事が口をついて出る。

「おー、颯ちゃんが比奈ちゃんを可愛い女の子って認めたねぇ」

「な……違うっ。今のは流れで──」

「どうせ、私は可愛くないです」

「え? や、あの、そういう意味じゃなくて」

「関係者以外は近付かないでくれ」

 何とも言えぬやり取りを三人で繰り返していると、低い声が頭上から降りかかってきた。芯の強さを感じさせるような声で、何処か安心感を与えてくれるような声でもあった。

「あ、あの、こいつが……」

 声の主を見上げると──相手はかなりの長身で、小柄な方の颯真は文字通り見上げる形になっていた──体格のいい、青年がいた。青年と言うには、もう少し年が言っているか、彼は三十代前半くらいに見えた。恐らく、刑事だろう。

「彼女がどうした」

 彼は比奈子を見下ろしたが、威圧感な雰囲気はなく、比奈子が怯える様子もない。見た目こそ、大きいが纏う雰囲気は柔らかいのだろう。

「岐志さーん」

 颯真が、比奈子は被害者の妹だ、と言おうとしたそのとき、何処と無く呑気な声が目の前の刑事を呼んだようで、彼は視線を比奈子から外した。

「天田」

 彼に近寄ってきたのは、背広姿なものの、大学生くらいにしか見えない男だった。栗色の瞳が特徴的な童顔で、爽やかな風貌をしているが、彼に近寄る姿は中型の犬を想像させる。ご主人に、入手した玩具を見せたくて走ってくる犬だ。

「岐志さん、恐らく真柴先輩は──」

「待て」

 岐志と呼ばれた大柄の男は、低い声で天田と呼んだ男を制した。すると天田はぴたり、と口だけでなく、動きをも止めた。まるで動画を一時停止したようだ。

無闇むやみに状況を喋るな」

「あ……すみません」

 天田は颯真達の存在に気付き、動き出した。颯真が天田を見ると、不意に目が合う。可愛らしい優等生。天田を表す言葉はそれだった。そしてそれは、颯真が今まで関わることのなかったタイプだ。

「いや、聞かせてもらえねぇか?」

 颯真は天田と岐志との間に立って言った。颯真の言葉に、直ぐ様岐志が反応を示した。

「野次馬なら、早々に立ち去ってくれないか?」

 ──そうだ。警察というのは、こういう奴等だ。

 岐志の反応に、颯真は苛立ちを覚えた。確かに岐志は何処か安心感を与えるタイプのようではあるが、こういったときは別のようだ。僅かに、侮蔑を含んだ視線を颯真に向けてきた。

 私服警察官。すなわち刑事。それが示すことは、彼らと颯真の歩んできた道が全く違うということ。きっと彼等は、颯真のように横道に逸れることなく、真っ直ぐ人生を歩んできたのだろう。だからこそ、こうした格好だけで判断されるのだ。

 きっと、これでもし颯真が普通の大学生のような格好をしていたとして、勿論情報を与えてくれることはないが、邪険にされることもなければ、侮蔑の眼差しを向けられることもないのだろう。

「野次馬なんかじゃねぇよ」

 颯真はぎ、と岐志を睨んだ。岐志の方が二十センチ程度背が高いので、その眼光が彼の目まで届いたかは怪しい。それでも、颯真は岐志をめ付けた。すると、岐志は凛々しい眉毛をぴくりと動かした。どうやら、颯真の睨みは届いたようだ。

 岐志はじろり、と漫画ならが書くであろう目付きで颯真を見下ろしてきた。しかし、その瞳に疑いの色はない。そこまで人を見た目で判断しない人間なのか、それとも颯真の声音に疑いの余地がなかったのか。

「じゃあ、何だ?」

 岐志の低い問いに、比奈子が色羽の後ろから出てきた。先程までは颯真と同じように岐志を睨む色羽の背後に隠れていたのだ。

「わ……私が」

 比奈子は颯真の隣に立ち、震える声を出す。緊張と恐怖。それらを抱えながらも、必死に岐志の問いに答えようとしている。そうだ、ここで答えるべきなのは、自分ではなく比奈子だ。颯真は大丈夫だ、頑張れ、と伝えるように比奈子の背中を軽く押した。それに比奈子は、ぎゅ、と手を胸の前で握ってから、一度深呼吸をし、口を開いた。

「私は、殺された真柴 秋彦の妹、です」

 しっかりとした声がその場に響く。その瞬間、比奈子が軽くよろけた。それを支えたのは颯真ではなく、岐志だった。反射神経がよいのだろう。

 比奈子は今の一言で、起きている現実を本当の意味で受け止めたらしく、小さく震えながらも、強い瞳を見せていた。

「……そうか、真柴の」

 颯真が何とか自力で立てそうな比奈子から手をはなしながら呟く。

「それなら、尚更だ。真柴を殺害した犯人は俺達警察が、必ず捕まえる。だから、それを信じて待っていてくれ。必ず、真柴の墓前に報告すると誓う」

「……信じられるか」

 岐志の強い言葉を、颯真が遮った。その昔、同じような台詞を聞いた。けれど、その報告が彼女の墓前にされることはなかった。そして、それは未だに、だ。

「何?」

 颯真の言葉に岐志が反応を示す。

「信じられるかって言ってんだよ。お前ら警察は、真子のときだってそう言った。なのに、真子を殺した犯人は今だってのうのうと生きてんだよっ。真子を殺した犯人を捕まえられなかったお前らの言うことなんて、信じられるかっ」

 颯真は胸の内を全て吐き出すかのような大声をあげた。

「颯ちゃん、一旦帰ろう」

 色羽がまだ叫びそうな颯真を抑え、冷静に言う。颯真はそれに我に返り、口を閉ざした。

「お騒がせしてすみませんでした」

 色羽はぺこりと、岐志と天田に向かって頭を下げて、颯真と比奈子を帰るようにと促した。

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