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小折に連れてこられたのは駅の近くにある学習塾だった。学習塾として有名なそこは、建物自体そのものが塾らしく、フロントも広々としている。
颯真は生まれてこの方、学習塾などという場所に足を踏み入れるのは初めてだった。辺りにはきっちりと模範的に制服を着た黒髪の学生ばかり。革靴の踵を履き潰していたり、制服を着崩したりしている者は誰一人としていない。
そんな中で金髪姿の颯真はよく目立つ。
学習塾といえど予備校も兼ねているようで、私腹姿の者もちらほらはいるが、颯真のように明るい髪色をした者はいない。比奈子と──今日は珍しく──落ち着いた格好をした色羽は特に目立ちはしない。スーツ姿の小折は講師に見えないこともなく、上手い具合に紛れている。
颯真だけが異様に浮き目立ち、先程から擦れ違う生徒に好奇の目を向けられていた。
予備校に来てまでいい大学を目指す者達だ。颯真のようないかにも勉強になどしてきませんでした、というタイプの人間が珍しいのだろう。そして、何故そんな人間がこんなところにいるのかということも彼らの興味を引く要因なのだろう。
颯真は居心地の悪さを感じながら、自動販売機で買った紙パックのコーヒー牛乳を飲んだ。
なんでも、被害者の恋人と友人達がこの塾に通っているとのことだ。そして、颯真達は彼らの授業が終わるのを待っているのだ。
ちらちらと視線を送られるというのは正直気分の良いものではない。しかも、彼らの視線には、好奇以外に侮蔑が含まれている。こんなところに通うような人種からしてみれば、颯真のような風貌は人生の負け組なのだろう。
それは嫌でも理解出来る。けれど、彼らの全てが正解だというわけでもない。勿論、自分の人生が正解だと思っているわけでもないが、他人から勝手に落ちこぼれの烙印を押されるほどでもないのだ。
「あ、来ました」
空になった紙パックを弄んでいると、小折が声を出した。どうやら授業が終わったらしく、大勢の学生が階段を降りてくる。誰も彼もが真面目な印象を受ける。
その中で、一際目を引く少女がいた。腰の辺りまで伸ばした長い黒髪を垂らし、セーラー服を身に纏った少女だ。色白で華奢。可憐な印象を見る者に与えている。しかし、人目を引く理由はそれだけではない。少女の顔はまるで人形のように整っていた。
第一印象としては比奈子に似ていると思った。二人の特徴を挙げるとすると、全く同じ言葉になる。けれど、比奈子との相違点は表情だった。
比奈子は外にいるときは大概おどおどした表情をしているが、少女は背筋をぴんと伸ばし、澄ました表情だ。
「平川さん」
小折がその、目立つ少女に声を掛けた。すると少女は静かに立ち止まる。
「あ、刑事さん」
口を開くと、彼女の印象はがらりと変わった。鼻にかかったような甘えた声に、少々滑舌が悪い。それだけで冷たげな印象から一気に愛らしい印象へと変わる。
「……大和君のこと、ですか?」
少女──事前に平川 友理奈という名前を聞いていた──が小さな声で小折に尋ねた。小折はそれに軽く頷く。友理奈は不安げな表情で今度は颯真達に目を向ける。
「大和君のお友達、ですか」
その問い掛けに違和を覚える。殺された結城 大和は所謂優等生だ。比奈子や色羽を見て言うならまだわかるが、友理奈は颯真を見てそう訊いてきたのだ。
「いえ、違います。詳しいことは言えないのですが、大和君を殺した犯人を捕まえる為に協力して頂いているんです」
小折は相手が年端のいかない少女でも丁寧な口調で説明をする。友理奈は小折の説明に、そうですか、と納得した素振りを見せた。相手が大人であればそうもいかなかっただろう。この年頃はまだ、世間の常識というのがまだ身に付いていない。なので本来ならば有り得ないようなことも飲み込めてしまうのだ。
「場所を変えたいのですが、お時間大丈夫ですか?」
小折はなるべく周りに聞こえないようにか、小さな声を出している。
「はい。わからないところを聞いていたと言えば、少しくらいは大丈夫です」
友理奈がそれに頷く。
恋人が死んでまだ数日しか経たないというのに、こうして塾に通っている。それが親の意向なのか、それとも少女はその出来事にさして衝撃を受けていないのかは判断出来ない。少なくとも、少女はそれまでと変わらない日常を送り続けているのだけは確かだ。
移動した先は塾の近くにある公園だった。寒いから、と小折が自動販売機で人数分の温かい飲み物を買ってくれた。
夜も深まった公園は時折冷たい風が吹き抜ける。公園の中にいるのは颯真達だけだ。
「大和君は、自殺を仄めかすようなことは何も言ってなかったの?」
まず、色羽が質問をした。友理奈は色羽のことを女子だと思い込んでいるようで、特に警戒する様子は見せていない。
「はい……。来月、孝人君──あ、彼の弟さんの誕生日だからと、それをとても楽しみにしていました」
被害者は未来──といっても一月先なだけだが──を心待ちにしていた。けれど、それくらいでは自殺を否定する材料にはならない。しかし、被害者が弟を可愛がっていたことはわかる。
「大和君には、自殺する理由は、ないと思います。でも、はっきりとは言えません」
友理奈は言って、小折が買って渡したミルクティーのペットボトルを握り締めた。
「どういうことだ?」
今度は颯真が質問する。
「大和君と付き合い始めて、一年が過ぎていますが、彼のことがわからないと思うことは沢山あります」
友理奈の言葉で、彼女がまだ大和の死を受け入れられないないのとが窺える。友理奈は過去形ではなく、現在進行形の語尾を使っているのだ。彼女の中では、まだ大和との付き合いは続いているのだ。
「大和君は時々何を考えているのかわからないときがありました。悪い意味ではないんですが、たまに遠くを見たりするんです。でも、彼の家庭環境を思えば、一人になりたくなるときもあるのかなって」
──それは自殺の兆候ではないのだろうか。
「でも、大和君は生きていることをいつも感謝していたんです。生まれてきてよかった。色々なことがあったけど、それでこうして沢山の人と出逢えているんだって……」
それはきっと、彼の今の家族も含まれているのだろう。それが強がりなのか、彼の本心なのかは、彼が亡くなった今となってはわからない。
「だから、大和君が自ら死を選ぶなんて、信じられない……」
友理奈はそう言って、大粒の涙を流した。これが演技であれば別だが、そうでないなら彼女が大和を殺した犯人だとは思えなかった。
静かに泣く友理奈を小折と色羽が宥め、その夜は終わった。わかったことは何もない。
被害者の自殺説を肯定も否定も出来ないままだった。
残すところは、被害者の友人しかいないのだ。
大和の友人だと言う人物は三名いた。誰もが優等生といった風貌で、下手すれば見分けなどつかないほどに何の個性もない。
──なら何故、友理奈は颯真を大和の友人だと思ったのだろうか。
もしかしたら、と思ったのだ。もしかしたら、大和には派手な交遊関係があった。それを友理奈は知っていて、颯真のことを大和の友人だと思ったのだろうとあたりを付けていたのだが、どうやら外れらしい。
中学時代の友人、高校時代の友人とそれぞれ話を聞いたが、やはり大和に自殺の兆候らしきものは見えなかったというものだった。しかし、中学時代の友人から、ひとつだけ情報を得た。
それは、大和が気味の悪いサイトを見ていた、というものだ。普段の大和は物騒なものが例え創作物でも好まなかった為、異様に記憶に残ったと彼は話していた。
大和が見ていたサイトとは【fascination】だった──。
大和はそれを「友達に教えてもらった」と話していたようだが、他の友人は教えていないどころか、そんなサイトの存在すら知らないと口を揃えて言った。
では、一体誰が大和に【fascination】の存在を教えたのか。そして、その目的は一体何なのか。
「大和君、会うだけの友達がいるんです」
改めて友理奈に話を聞きに行くと、友理奈はマフラーに隠れた口許でそう答えた。まだ冬の入口に差し掛かっていないというのに、今日は風が冷たい。道行く人は、例年のこの時季よりも着込んでいる。
「会うだけの友達?」
小折は初耳なようで、小首を傾げている。そんな人物は捜査上に出ていないのだろう。それもそうだ。彼らが調べられるのは、スマホやら手帳に記された者だけ。こうして何らかの情報がない限り、履歴に残らない人物は知りようがないのだ。
「そうです。少し前に知り合ったとかで、私も一度だけ会ったことがあります」
友理奈は小折がそれを知らなかったことに驚いたような素振りを見せた。友理奈としては、警察ならば何でも知っていると思っていたのだろう。
だからこの間のときも、聞かれてない以上、そのことには特に触れなかったのだろう。
「それって、どんな奴だ?」
その人物が【fascination】を大和に教えた可能性が高い。けれどあのサイトと今回の事件が関係あるかどうかは不明だ。
「なんというか、派手な人でした。歳は私達と同じくらいだと思うんですが、髪を明るく染めていて、アクセサリーを沢山付けていたのが印象的です。普段、大和君が仲良くなるようなタイプではないので、驚きましたが」
やはり。だから、友理奈は颯真を大和の友人だと思ったのだ。
「何処で知り合ったとか言っていた?」
小折が手帳を取り出し、話の内容を書き込みながら訊いていく。それはとても手慣れたものに見えた。
「……すみません、特には。偶然コンビニの前で会って、紹介されただけなので、名前も──あ、テツ、と呼んでました」
フルネームも大和との詳しい関係もわからない。そこからどうやってその人物を割り出すのか。颯真のような素人にはまず出来ないことだろう。
「学校に通っている風ではあった?」
「どうですかね……会ったのは夏前の定期考査が終わった頃だったけど、制服姿ではなかったです」
「この辺りに住んでいる感じは?」
「あ、それは多分。いつも、公園で話をする、と言っていたので近所なんだと思います」
「公園……」
小折が次々と質問し、友理奈がそれに記憶を辿りながら答えていく。
「その公園というのは……」
「……大和君が、見付かった公園、です」
友理奈は大きな瞳から大粒の涙をぽろりと落としてから答えた。恋人の死。彼女はまだその現実を上手く受け入れて、整理することが出来ていないのだろう。
それもそのはず、大和が殺されてからまだ一週間も経過していないのだ。
「恐らく、そのテツ君というのが犯人なんでしょうね」
小折の言葉に颯真は頷いた。
──しかし。
無数に浮かぶパズルのピースはひたすら漂っているだけだ。それが上手く仕上がることはない。ただただ、脳内を漂っているだけだ。
「その可能性は高いとは思うんすが、なんかしっくり来ないんすよね」
「どういうことですか?」
尋ねてきたのは比奈子だった。今日は長い髪をふたつに束ねていて、お嬢様らしい雰囲気が出ている。
「いや、結局さ、殺した方がわかんないから、どんな奴が挙がってきてもいまいち納得出来ねぇんだよな」
ずっと引っ掛かっていることだ。犯人さえ判明し、逮捕してしまえば殺害方法など自供させれば済むことだろう。とはいえ、殺害方法がわからないまま、犯人を特定することは憚られた。しかしそれは、颯真の仕事ではない。
そもそも、犯人の特定だって颯真のやるべきことではないのだ。だから、だろうか。だからこそ、不確定な状態で犯人を決め付けることはしたくないのかもしれない。
未だ、ピースは一ヶ所も填まる場所を見付けられずにいる。それが示すことは一体なんなのか。
「一応、この情報は持っていきます。暫く例の公園で張り込めばそれらしい人物が現れるかもしれないですし」
犯人が現場に戻る、というのは警察でよく使われる考えらしい。けれどそれは殺害して直ぐのことだろう。時間が経った場所に戻る犯人など存在するのだろうか。
颯真は小折の言葉に頷きながらも、取り敢えずの「テツ」という少年の身許が判明することを願った。ひとつでも多くの情報が、犯人を導くヒントになるだろう。