美しき人形1
【Fascination】
【美しき人形】
貴方だけの人形が欲しいとは思いませんか? 世にも美しく、それでいて、貴方だけのもの。如何ですか?
作り方はとっても簡単。好意を寄せる相手を魂だけの存在にしましょう。そして、こちらのカタログからお好きな人形をお選び下さい。恋い焦がれる魂をその人形に入れてしまえば、それで完成です。どうです? 簡単でしょう?
何方でもいとも簡単に貴方だけの人形が出来るのです。カタログにあるのはどれも美しく、この世に一体だけのもの。そこに、貴方が愛するあの人が宿るのです。こんなに素晴らしいことはないのではないでしょうか。
さあ、興味も持った貴方は下記までご連絡下さい。人形を受け取る方法をお教え致しましょう。
「お久し振りですね」
独特の響きを持った声に颯真は振り向いた。ふと漏れる息が白くなり始めている。昼間であれば気付かないのだろうが、夜の闇の中でそれは存在を主張する。
「お前か」
颯真が振り向いた先には冠城 エメルが天使のような微笑みを浮かべて立っていた。すらりとした長身と長く伸びた手足は冬の厚着でもよくわかる。小さ過ぎる顔とそれを乗せた首は人並みより少し長い。
「はい」
エメルは微笑んだまま頷いた。ふわふわとした猫っ毛は淡い栗色をしている。いつもは青いカラコンなのに今日は碧色のものだ。それは純粋な日本人では有り得ない透明度の高い白い肌によく映えている。しかし、知り合った頃のエメルはまだカラコンを常用していることはなく、ハーフ独特の美しい瞳の色を晒していた。
「お前、今何してんだ」
「何、とは」
エメルは微笑みを僅かに消して首を傾げた。長い首が傾く様は昔に教育テレビでやっていた人形劇のマリオネットを思い出させた。
「まだ学生の歳だろ」
計算が間違っていなければエメルは十八歳で世間で言えば高校生のはずだ。しかし、颯真が知り合った頃からエメルは学校に通っている様子はなかった。
──彼が何をしているのかはわからない。けれど、何をしても平気なのは知っていた。
自分に不意に絡んできただけの若者を半殺しまで殴り倒そうが、首を絞めようが、血で真っ赤に染まるほどに蹴りあげようが。それでも彼はのうのうと生きていける。
彼の祖父が警察庁の偉い人間で、父親はなんとか省の官僚。それはエメル本人の口から聞いたことだった。だから、何をしても平気なのだと。
「特には何もしていないですよ。ふらふらとしています」
家庭環境を考えれば、エメルの口調がやけに丁寧な理由もわかる。エメルは動作や仕草ひとつ取っても、とてつもなく上品なのだ。
「あ、そ」
颯真は単調にそれだけを返した。
「颯真さんから聞いたわりには随分な返しですね」
エメルがくすりと笑う。質問しながらもはっきりとした答えが返ってこないことはわかっていたので、颯真としてはそういった返し以外ないのだ。
「颯真さんは何をしているんですか?」
「……どうせ、知ってんだろ」
エメルのことだ。知らないわけはないと思った。確実に知っているはずだ。その理由はわからない。いや、それだけじゃない。エメルのことなど、何ひとつとしてわからないのだ。
「そんなことないです。教えてくれないとわからないことだらけです」
エメルは微笑みを浮かべたままそんなことを言って退ける。彼は、どんなときでも基本的に微笑んだままなのだ。時折それを小さくすることはあるが、ほとんどが「微笑み」という面を貼り付けている。
人を殴るときも、蹴るときも。血塗れになっているときも。
残虐の天使だ。
いや、その表現は些か温い気がする。しかし、「悪魔」という呼称もいまいちしっくり来ないのだ。天使のような悪魔とか、そんな在り来たりな表現でエメルを指すことは出来なかった。
「どうせ用なんてないんだろ。行くぞ」
颯真はそれだけ言い、踵を返した。今日はバイク便のバイトが入っていて疲れている。ここのところ、退職者が数人重なってしまい、荷物の届け先が普段の倍はあったのだ。
「ええ、さようなら」
エメルはまだ微笑みの面を付けている。
恐らく、颯真を待ち伏せしていたのだとわかる。しかし、何の為にかはわからないし、知りたくない。知らない方がいい気がするのだ。
肌寒いを越えてきた夜道を颯真は家路を急いだ。
温かい紅茶は体が温まる。颯真は甘い香りのするそれを一口啜ってから息を吐いた。
夏に色羽の父親からもらったエアコンがあるが、暖房というのは恐ろしいほどに電気代が嵩む為、ほとんど使用していない。夏場は冷房機能をそれなりに使わせてもらったが、冷え込み始めた最近でもまだ暖房機能は一度も使っていなかった。
取り敢えず着込み、毛布を被ってじっとしている。後は足元に電気ヒーターを当てればどうにか寒さには耐えられた。
──暑さより寒さの方が我慢出来る。
颯真はカップに手を添え、指先を温めながらそう思った。しかし、我慢出来ようがどうしようが、寒いものは寒いのだ。
「温まりますねぇ」
颯真と同じように紅茶を啜った小折が頬を緩ませて言った。
「だよねぇ」
それに色羽が頷く。
紅茶は比奈子が買ってきて淹れてくれたもの。比奈子は颯真の紹介で先月から「さいこ」でアルバイトを始めたのだ。まだ週に三回、三時間程度だが頑張って働いているらしく、初給料でこうしてお茶とお菓子を振る舞ってくれているのだ。
さいこの店長である麦沢には颯真が事情を説明し、雇ってくれるようお願いをした。ランタンかさいこか迷ったのだが、さいこの方が家から近いのでそちらを選んだ。
麦沢は快く比奈子を受け入れてくれ、最初は週に二回、三時間ずつ。慣れてきた今月からは週に三回三時間ずつ、と配慮をしてくれた。比奈子の対人恐怖症は少しは改善しているようだし、接客という、親しく話すというわけでもないことからどうにかなっているらしい。
しかし、本人は決して口にしなかった為、麦沢から聞いたのだが、最初の接客は全身が震えてしまい、どうにもならなかったらしい。緊張からではなく、対人恐怖症によるものだというのが麦沢の見方だった。
麦沢のことは頻繁にさいこに買い物に行っているという経緯から大丈夫だったらしいのだが、客は見ず知らずの他人だ。怖くないわけがない。
それでも比奈子は彼女なりに頑張って、慣れないながらも接客を出来るようにしたようだ。最初は涙を浮かべながら出来ない自分を責めているようだったが、麦沢の裏方でもいい、という言葉に首を振って頑張った、と麦沢は比奈子に内緒で色々と経過を教えてくれていた。
颯真としては何か応援してやりたいという気持ちは勿論あるが、比奈子が頑張っている姿を隠している以上、どうしようもない。さいこにも、比奈子がシフトに入っているときは絶対に来ないで欲しいと、本人から強くお願いされているのだ。
いじらしいその姿は本当に可愛いとは思う。けれど、何をしてやれないのももどかしい。
比奈子からの告白の一件以降、颯真は比奈子と無理に距離を置こうとするのをやめた。まだ、何の覚悟もないし、勇気を持てるわけでも、今まで抱いてきた考えを払拭出来るようになったわけではない。それでも、自然にそうしようと思えたのだ。
──少しだけだが、前を向けているのかもしれない。
かといえ、積極的に関わっていこうとまではしていないので関係は今までとさして変わらない。強いて言えば、比奈子が颯真への好意を隠そうとしなくなり、それに慌てるくらいなものだ。
今の関係は少しもどかしくもあり、複雑でもあり、それでいて心地好いものだった。
そんな穏やかな午後を過ごしていると、部屋の扉が控えめにノックされた。そのノックの仕方が誰であるか知っている颯真は立ち上がって扉を開ける。
「小折さん」
今日のお茶会には小折も招いていた。比奈子が是非に、と彼も誘ったのだ。
颯真に色羽に小折。比奈子の親しい相手は今のところ男しかいない。たまにランタンで以前知り合った女医の有亜と多少の会話をすることはあるようだが、歳が離れている為、友人とは呼べないようだ。
親しい男が自分だけでないというのは、正直複雑だ。
比奈子の生い立ちを聞き、対人恐怖症の理由も知った今、男女問わず比奈子に親しい人間が一人でも多いのはいいことだとも思う。けれど、それとこれとは別、という男心もあるのだ。
自分が答えを先伸ばしにしている以上、比奈子が別の男を選んでしまう可能性だって勿論あるし、それを颯真がとやかく言う権利などないことも理解している。
そういえば、夏音からもそういった忠告を受けた。
颯真はそろりと色羽と小折を交互に見た。色羽は今の見た目こそ女子だが、中身が違うことは颯真が一番よく知っている。意外と頼り甲斐があることも、見た目のわりにしっかりしていることも。そして何より、比奈子と色羽は仲が良い。時折二人でお茶をしていることも颯真は知っていた。
そうなると色羽といる居心地の好さから、比奈子が色羽を選んだとしても何の不思議もない。
次いで小折。
言わずもがな、エリートだ。しかも、エリート家系。アルバイト生活の颯真とは雲泥の差た。そして見た目も背が高く、かっこいい部類に入るだろう。少し気弱そうなところもあるが、芯は通っているので何の問題もないし、何より、優しい。
となれば、比奈子が颯真なんかより小折の方が良くなる可能性は高い。
──駄目だ。これ以上考えたら駄目だ。
二人と自分をどう較べてみても、自分の方が劣っている。それに自分は答えを先伸ばしにしているのだ。何を思う権利も資格もない。ないのだが、さすがに凹みはする。
「颯ちゃーん、どしたの?」
突然色羽に声を掛けられ、颯真は何でもない、とだけ返した。色羽はそれを素直に信じたようで、それ以上何かを言ってくることはなかった。
「最近は難しい事件、ないの?」
色羽が突拍子もなく、そんな質問を小折にした。
「そうですね。最近は直ぐに解決するものが多いですよ」
小折はそれににこやかに答える。本来、そういった事件の方が多いのだろう。しかし、とも思う。
例のサイトだ。
あれは、犯罪を助長するものではないか。
前回の事件が解決した後、小折と一緒に【fascination】を覗いた。いや、覗いたというより、全項目に目を通したのだ。あのなかには何十という項目があり、それらの幾つかは【贖罪の山羊】と同様、犯した罪に赦しを乞う術であった。
その他も殺人を助長するものしかなかった。全ての項目がそういったものであったのだ。
あれを目にしている人間はこの日本にどれだけいるだろうか。然程多くはないとは思う。しかし、目的などなくともネットサーフィンをしているついでに見付けてしまうこともあるだろう。そこから興味本意で殺人を犯す者もいるだろう。
サイトを消すことも出来ないままだ。そして消したとしても、同じようなサイトを立ち上げられればそれまで。消しては立てられ、と鼬ごっこが続くだけだ。
──収拾がつかない。
それが小折の溢した言葉だったし、颯真もそれに同意せざるを得なかった。
そしてこれが大事なのかそうでないのかの判断もつかないのだ。人目に触れやすいわけではない。アクセス解析を警察の方でなんとか調べたらしいが、大した数ではないとのことだった。なのでこのサイトを立ち上げた者は世間を騒がせたいわけではないだろう、との見方が強いらしい。
しかし、それはそれで厄介なように思える。
あくまでも「遊び」なのだ。だからこそ、厄介なのだ。本人には恐らく悪気はないのだろう。いや、悪意そのものがないのだ。悪戯に人々の潜在的な悪意なら好奇心を煽っている。
「ちょっと失礼します」
不意に空気が崩れた。小折がスマホを手にして、颯真達から少し離れた。着信を知らせているのだろう音が部屋に響き、それは直ぐに止められた。
「はい、天田です。……え、はい、はい。……わかりました、直ぐに向かいます」
小折はスマホを耳に当てながら、表情を変えた。先程までの穏やかな表情はどこにもなく、固い表情だ。
「お仕事?」
スマホを耳から離した小折に色羽が尋ねた。
「はい。折角お招き頂いたのに申し訳ありません……。この近くで変死体が発見されたようで」
変死体。即ち──必ずしもではないが──殺人事件だろう。颯真はそれに反応し、小折と視線を合わせた。
【Fascination】が絡んでいると限ったわけではないが、何故かそれを疑わずにはいられなかった。妙な胸騒ぎがするのだ。
「状況がわかり次第、連絡しますね」
颯真の表情から言いたいことを嗅ぎ取ったのか、小折はそう言ってから慌てて部屋を出ていった。
「大変そうだね」
それに色羽が同情を露にした声で呟いた。