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6

 事件はあっさりと解決した。

 まず、車から見付かった被害者の身辺を洗ったところ、その友人の一人である男が被疑者として浮上した。友人といえど、あまり仲は良くなく、そしてその男は被害者の婚約者に好意を寄せていたという話が出たのだ。

 捜査員が彼に話を聞くと、男は観念したように罪を認めたという。そのとき「赦されなかった」と一言溢したそうだった。男を殺害した理由は婚約破棄をすると騒いでいることが許せなかった。それだけだそうだ。

 その件で身柄を確保された男に、今度は山賀 羊子の事件を捜査している小折達が事情聴取を行ったところ、そのことについてもあっさりと認めたという。

 やはり、男はあの【fascination】の項目であった【贖罪の山羊】を見て、事件を起こしたとのことだった。被害者である山賀 羊子とは特別知り合いでもなく、彼女が働いているカフェで付けていた名札を見て選んだらしい。

 二つの事件の犯人は一人だったのだ。

「サイト、管理人わかったんすか?」

 事件の顛末を聞き終えた颯真が訊くと、小折は首を緩く振った。落胆している様子が窺える。

「海外のサーバーを使っているのか、サイバー捜査の方に回してもわかりませんでした。僕、そういったものには詳しくないのでよくわからないんですが、消すことも出来ないそうで……」

 颯真は話を聞きながら【fascination】を開いた。

 魅惑、という意味の英単語。

 罪を赦される為の方法。そんなものがあるはずがない。ましてや殺人などという罪は、何をもってしても贖うことなど不可能なのだ。

 しかし、罪を犯した人間達は、如何にすれば己の罪が赦されるのか考えるのだろう。

 颯真は苦いものが込み上げてくるのを感じた。

「今回も颯真君のお陰ですね」

「いや、俺、本当に今回は何もしてないっす」

 最後の閃きにしても、小折も同時に思い付いていたに違いない。そうなると、颯真は今回に関しては全くの役立たずだ。

「だよねぇ。颯ちゃん、何もしてないよね?」

 それに色羽が乗っかってくるが、本当のことなので特に反論はしなかった。

「いえいえ。僕としては颯真君に話を聞いてもらうだけで、自分の中でも整理することが出来るので、本当に有難いです」

 小折はそう言うと馬鹿丁寧に頭を下げてきた。

「そんなことないっすからね? やめて下さいよ、そういうの」

 小折の動作に颯真が慌てたとき、こんこん、と扉をノックする音がした。

「颯真? ちょっと出てきてー」

 夏音の声だ。小折が来るということで、夏音には一時的にユキの家に移動してもらっていたのだ。

「おお」

 夕べの言い合いから、これといった会話はしていなかった。小折と別れた後、颯真はネットカフェに泊まり、明け方部屋へと帰った。そのとき、夏音は「おかえり」以外何も言わなかったのだ。

 颯真は小折と色羽に断ってから扉を開けた。

「私、いい加減帰るね。実家に帰るって嘘吐いてるから、そろそろ戻んないとまずいし」

 誰に、と訊こうとしてやめた。自分には関係のないことだから。

「私ね、来月結婚するの。少し年上の人でね。で、結婚を機に関西の方に行くことになった」

 唐突な話だ。先の話は、旦那になる人に、ということなのだろうと想像がつく。好きな仕事を辞めたというのもそれが理由なのだろう。

「で、そっちに行っちゃったら、そうそう戻ってこないし、それに結婚したら元カレに会うなんて無理だから、こうして最後に颯真に会いに来たの。心配だったんだよ、ずっと。あんなふうに、独りになる為に別れて、ずっと独りで幸せになることを拒否して生きていくのかなって。ずっと心配だった」

 夏音はそう言って、軽く目を伏せた。今更だが、付き合っていたときよりずっと、落ち着いた格好になっている。髪の色も、化粧も。そういうふうでいたい相手を見付けたのだろう。

「でもね、安心した」

「え?」

 夕べの言い合いを思い出し、何故そういう結論に至ったのかがわからない。夏音は優しい微笑みを浮かべた。それはかつて、まだ真子が生きていたときの母親も連想させる。

「颯真はね、颯真の周りにはどうしても人が集まってくるの。昔も、今も。それって、颯真の持つ優しさがあるから。だからどんなに独りになりたいと願っても、颯真が独りになることはないよ。結局、今だって颯真の周りには人がいて、颯真を好きだと言ってくれる子もいるじゃない」

 何故、夏音が比奈子のことを知っているのだろうと疑問に思ったが、直ぐに答えは出た。恐らく、先程ユキの家にいたときにでも聞き出したのだろう。そう考えると対人恐怖症の比奈子のことが心配になった。

 男性よりは女性の方が幾らか平気そうだが、それでも二人きりで、しかも根掘り葉掘り訊かれた可能性がある。

「心配しなくても平気よ。しつこく絡んだりはしてないから」

 颯真の表情だけで比奈子への心配を読み取ったらしい夏音が笑いながら言う。

「でも、いつまでも放置してたら他の男に持っていかれるよ? 比奈子ちゃん、あんなに可愛いんだし」

「けど俺は」

「でももだっても聞きません。どうせ颯真は幸せになるよ。うん、絶対になる。私が保証する」

 夏音に保証されたところでどうにもならない。颯真はそう思い怪訝な顔をした。それに夏音がおかしそうに笑う。

「私が颯真を変えてあげられなかったのは悔いが残る。でも、私は颯真を甘えさせてあげるだけだった。前を向かせる努力はしなかった。でも、今の颯真にはそれはしようとしてくれてる子達がいる。ちゃんと向き合わなきゃ駄目だよ」

 夏音はゆっくりとした口調でそう言い、颯真の両頬を掌で包んだ。温かい手だ。じんわりと熱が伝わってくる。

「絶対に幸せになるんだよ。ばいばい」

 言い終わると同時に手が離された。瞬間に熱が去っていく。夏音はそのまま、振り返ることもせずに階段を下りていった。かん、かん、とヒールが鳴る音が遠ざかっていく。遠ざかるにつれ、頬の熱が戻っていくような気がする。

「……じゃあな」

 颯真は小さな声で呟き、先程夏音が包んだ頬に触れた。

 ──ありがとう。

 その言葉は外には出ず、胸の中で反響した。

「あ、あの……」

 熱の余韻に浸ったまま部屋に戻らずにいると、突然比奈子が現れた。今日の服装はいつもと少し違い、胸元が僅かに開いている。

 ──夏音の服だ。

 夏音は最初から一、二泊するつもりだったようでバッグの中に幾枚かの洋服を詰め込んでいたのだ。そして今、比奈子が着ているのはそのうちの一着だ。恐らく、無理矢理着せられたのだろう。

 比奈子はいつも襟元がきちんとしまったブラウスやらワンピースを着ているので、こうして鎖骨が覗いていることは珍しい。そしてその肌は驚くほど白く、颯真は目のやり場に困った。

「夏音さん、もう帰られてしまいましたか?」

 比奈子自身、服装が落ち着かないようで緩い襟元を掴んでは離すというのを繰り返している。

「あー、今さっき帰った」

「え、じゃあ、この服、どうしましょう……。連絡先、わかりますか?」

 そんなものはわからない。二年前、スマホを変え、ほとんどのメモリーを消去したのだ。その中には夏音のものもあった。

「いいって。そのまま貰っとけ。どうせそのつもりなんだろうし」

 でも、と比奈子はやはり服を気にしている。似合わないと思っているのだろう。ここで、似合う、と声を掛けてやるべきなのか迷った。

 昨日の今日だが、取り敢えず今は普通に会話が出来ている。出来ることならば、このままの関係を続けたい。

 比奈子に好意を抱いていることは確かだが、比奈子の好意を受け入れる勇気はない。狡いとは思う。しかし今はまだ、このままでいたいと思った。

 いつか、前を向ける日が来るまでは。

 ──いつか、比奈子に幸せにしてもらいたいと思えるその日までは。

「似合ってるから貰っとけ」

 颯真が笑って言うと、比奈子は頬をうっすらと紅色に染めた。そして、何かを言おうと口を開こうとする。

「夕べの話は、まだ待ってくれ。言わなかったことにしろとか、聞かなかったことにするとか、そんなことは言わねぇ。ただ、保留にして欲しい。酷いのも、狡いのもわかる。けど、俺がちゃんと色々整理つけられるまで待って欲しい」

 自分でも意外なほどに優しい声が出たことに驚いた。比奈子はそれに一瞬目を見開いてから、唇をぱくぱくとさせる。それはまるで餌を欲しがる雛のように可愛らしい。

「ま、前向きに待っててもいいですか?」

 そして、そんな可愛いことを言うものだから、颯真は頭を抱え込みたくなった。

「ま、まだわかんねぇからなっ。お前みたいなお子様」

 そして照れ隠しか、妙な発言をしてしまった。

「な、お子様って何ですかっ? 私、もう十七ですっ」

「まだお子様だろ」

「違います」

「ねー、いちゃついてるのもいいけど、中に入んない? お茶淹れたいんだけどー」

 扉が開き、隙間から色羽か顔だけを出して言った。

「いちゃついてねぇよ」

「いちゃついてませんっ」

 それに颯真と比奈子は同時に否定の言葉を口にした。

「はいはい。いちゃついてるだけですねー。いいから中に入ってー」

 色羽はほぼ棒読みでそう言い、それに二人はぶつぶつと文句を言いながら部屋の中へと入った。

 今はまだ、前を向く勇気も覚悟もない。でも、一年後、二年後はわからない。少しだけ、そう思えるようになっていた。

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