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 小折の部屋は広いワンルームマンションだった。十畳以上はありそうな広さの部屋がひとつ。キッチンは別に小さなものがあり、トイレ風呂は別れているらしい。

 立地を考えても、家賃はそんなに安くはないだろう。これが公務員という立場なのか、それとも実家が裕福だからなのか。

 部屋の中は小折らしいものだった。

 シンプルなベッドにローテーブルとソファ、そして箪笥類。どれもシンプルながらも洒落たものだ。低めの箪笥の上には細々とした置物があり、テレビは小さめのサイズ。こまめに掃除されているようで、部屋もキッチンも綺麗だった。

「適当に座って下さいね」

 小折はキッチン部分に向かうと大きめの声で言った。颯真はそれに頷きながら、窓の横にある本棚に視線を向けた。そこには漫画本は一冊もなく、小説の文庫本がずらりと並んでいる。それらは小説を全く読まない颯真には知りもしないタイトルばかりだ。

「あ、なんか読みますか? お貸ししますよ?」

 いつの間にか近くにいた小折に訊かれた。手にはコーヒーカップを二つ、持っている。

「いやー、俺、小説って読んだことないんすよねぇ」

 颯真はそれを少し恥ずかしく思いながら頭を掻いた。漫画なら沢山読むが、文字だけ、というのはどうも敬遠してしまう。

「読みやすいのもありますよ。これを機に、どうですか?」

 小折はローテーブルにコーヒーカップを置いて言った。そして、颯真の隣に立つ。小折は背が高いので颯真はその横顔を見上げた。

「颯真君、ファンタジーや戦記ものは漫画で読みますか?」

「あー、そうっすね。戦記ものは結構好きっす」

「じゃあ、これとかどうですかね? ちょっと長いシリーズなんですけど、ハマるとあっという間に読めちゃいますよ」

 小折はそう言って、一冊の本を手に取った。二つの言葉が連なったタイトルはどこか印象的だった。颯真はそれを受け取り、裏表紙にあるあらすじに視線を落とした。

 どうやら小折が勧めてくれたのは異世界を舞台とした戦記ものらしい。

「へぇ。面白そうっすね」

「アニメ化やコミック化もしているものなので、読みやすいと思います」

「じゃあ、取り敢えず一冊だけ借りてみます」

 小難しい内容ではなさそうで読めそうな気がした。

「ゆっくりでいいですからね。あ、でもこれ、上下巻なんです」

 小折はそう言い、下巻を颯真に渡してから微笑んだ。颯真はそれに礼を言い、二冊の文庫本を確りと持った。

「じゃ、事件の話、聞きます」

 ローテーブルに置かれたコーヒーカップからは良い香りが漂ってくる。速さからしてインスタントなのだろうが、美味しそうな匂いだ。

「あ、はい。そうでした」

 小折はそれを今思い出したらしく、慌てて鞄に手を伸ばした。

 歳は少し離れているが、小折はいつの間にか颯真にとって友人と呼べる存在になっていた。今までつるんできた仲間とは違う関係性だが、颯真にはそれが心地好かった。

「えぇとですね、殺された方は山賀さんが 羊子ようこさんという、三十三歳の女性です」

 小折は言いながらその被害者らしき女性の資料を颯真の前に置いた。そこには彼女のプロフィールが全て載っている。本来ならば、こういったものは一般市民である颯真には見せてはいけないのだろう。しかし、小折は平然とそれらを見せてくる。

 信頼されているというのは嬉しくもあるが、これらのことが露見してしまったときの小折の立場が心配にもなる。

「絞殺された後に、腹部を一部切り取られていました」

「腹部を?」

 颯真は小折の言葉にぞっとした。

「はい。縦十センチ、横十センチ程度の正方形状に」

 上手く想像出来ないのは当たり前のことだ。そんな光景を目にしたことはあるわけない。

「……写真、見ますか?」

 颯真の反応を察してか、小折が遠慮がちに訊いてきた。イメージする為にも見た方がいいのだろう。しかし、即答は出来なかった。凄惨なものを見ることで、思い出すことがあるのを知っているからだ。

「見ます」

 それでも、と颯真は意を決した。

「説明するので、見なくても大丈夫ですよ?」

 小折が心配そうに言ってくれたが、颯真はそれに首を横に振った。そして大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。

「俺、この間向井のばあちゃんの孫を殺した奴を見付けるってなったときに、思ってたんすよ。こんな俺でも、役に立てることがあればな、必要とされることがあればな、て」

 だからといって、必ずしも今回の犯人も見付けられるとは限らないし、事実を言ってしまえば、これは颯真のするべきことではない。それでも、何故、被害者が殺されなくてはならなかったのかを知りたいとも思うのだ。そこにある答えが想像を絶することも、嫌な気分を味わうだけのこともあるだろう。

 ──それでも、知りたい。そして、受け止める強さを手に入れたい。

「颯真君は色んな人から必要とされてますよっ」

 何故か小折が力説するので颯真は思わず吹き出してしまった。

「え、僕、何か可笑しなこと言いましたか?」

 それに小折がきょとんとした顔をするので尚更笑いが込み上げる。

「いや、可笑しくないっす。嬉しいっす」

 颯真は一頻り笑ってからそう言った。

「じゃ、写真見せて下さい」

 颯真が言うと、小折は資料の束らしき中から数枚の写真を取り出した。こういったものは捜査員全員に配られているのだろう。

 ──想像以上だ。

 切り取られているというより、それは剥ぎ取られて、といった表現の方がしっくりとくるものだった。皮膚を厚めに、十センチ四方で剥ぎ取っている。写真のその部分はやけに生々しく見えた。

「犯行時刻は発見された日の十日程前ではないか、と」

「そんなに?」

「林の奥に遺棄されていましたので」

「発見者は?」

「林がある土地の持ち主です。不法投棄が多いらしく、月に一、二回程見回りをしているそうで」

 颯真は成る程、と頷いた。犯人はそれを知っていたのか。それとも知らずに、そこに遺棄したのか。下手すれば永遠に見付かることはないと思って。

「殺害現場はそこなんすか?」

「いえ、辺りに血痕はなく、別の場所で殺害、そして皮膚を切り取られてから移動したとみています」

 だとしたら、犯人は車を所有している可能性がある。レンタカーなどの可能性も捨てきれないが、そんな足が付くことはまずしないとみて間違いないだろう。

 少しずつ、推理をしているような形になってきた、と颯真自身勝手に思った。前は情報を与えられるだけ与えられ、偶々犯人がわかる、というようなものだった。しかし今はこうして、僅かながら可能性のことも考えられる。

 しかしながら、颯真が思い付くようなことは捜査員全員が思い付くような程度ではあるし、それを自覚もしている。

「この人が誰かから恨みを買ったり、てのは?」

 颯真は山賀 羊子の写真をとんとんと指で叩いた。写真の中の彼女は地味でも派手でもなく、普通の女性だった。それから受ける印象的としては殺されるほどの恨みを買うような人物には思えなかった。

「調べたところ、そういった話はこれといってありませんでした」

 小折が予想通りの返しをしてきた。

 だとすると、本当に猟奇殺人で、被害者が彼女である必要はなかったということなのか。でも、と思う。

 彼女である必要がないのに、わざわざ彼女を絞殺し、皮膚を切り取り、遺体を人目に付かないところへと運ぶ。そんなことがあるだろうか。

 猟奇殺人であるならば、遺体を発見されたいものではないのだろうか。それとも、たんにそうしてみたかっただけなのか。

「何か引っ掛かりますか?」

 被害者の写真と睨めっこをする颯真に小折が訊いてきた。

「引っ掛かるっていうか……あー、なんすかね。目的がわかんないんすよね」

 颯真は頭を掻きながら答える。

「目的、ですか?」

「そうっす。殺した目的とか理由っていうんすかね。あー、何て言うのかな、上手く言えないんすけど、何にも見えないんすよね」

 別に今まで関わった事件も、何かがはっきりと見えたわけではない。被害者が殺される理由も犯人の目的も見えたわけでもない。けれど、今回は特に真っ白なのだ。いや、真っ白というより透明だ。

 そう、透明なのだ。そこには何も感じない。

「……多分、この犯人は彼女を殺す感情がないんだ」

 颯真はぽつりと呟いた。

「え、どういうことですか?」

 小折がそれにすかさず反応を示す。

「いや、勝手な俺の直感なんすけど、この殺人には、恨みとか憎しみとか、それこそ愉快さとか、そういうものがないんじゃないかって」

 即ち、それが示すものとは。そんな答えがあるはずもない。そんな殺人があるのだろうか。

「なにも、ない」

 小折が譫言のように口の中で発した。

「小折さん?」

 颯真は小折の整った横顔に視線を向けた。

「あ、いや、捜査員の誰もその意見は口にしていなかったなと思いまして」

 小折が颯真の方に顔を向けてくる。

「まあ、直感どころか、本当に何となく思っただけなんでそれが何ってわけでもないんすけど」

 颯真は捜査のプロではない。捜査員の誰もが口にしていないなら、それは見当外れなことの可能性が高い。

「いえいえ。新鮮というか、確かに、と思いました」

 小折は小さく頷くのを二回繰り返した。さらさらの前髪がそれに合わせて小さく揺れる。

「あの、このことを捜査会議で発言させて頂いても宜しいですか?」

「え、いちいち断んなくていいっすよ」

 思い付きのように発言したことのうえ、颯真が考えているだけでは捜査に活かしようがない。ならば小折の思うように使ってもらえたほうがいいに決まっている。

「ありがとうございます」

 小折はやけに嬉しそうに頭を下げてきた。今まで何度も思ってきたことだが、小折は本当に人がいい。

「小折さん、本当にいい人」

 颯真は笑いを堪えながら、何度目かわからない言葉を小折に向けた。何度でも言いたくなる程なのだ。

「急に変なこと言いますが、僕は、颯真君は幸せになるべきだと思います。でも、多分、颯真君はそうは思えないんですよね」

 小折に真剣な顔で言われ、颯真は僅かに顎を引いた。

 自分が目を離した隙に真子は拐われて、殺された。この考えを拭える日は永遠に訪れないだろう。そんな日が来るとするならば、それは颯真が記憶喪失にでもならない限り有り得ないことだ。

「……そういうふうに考えてくれる人がいるだけで十分です」

 それ以上を望むことはない。幸せになりたいとも思わないし、幸せになれるとも思わない。真子が殺されてからずっとそう思ってきたわけではない。以前はこんなことを考えたこともなかった。

「俺は、一人になる為に前にいたグループを抜けたんすよ」

 そのときは全うに生きようだとか、真子に顔向け出来ないことはしたくないだとか、色んなことを考えていた。けれどそれは全て口実に似たものだった。

 一人に、なろうと思った。仲間達から離れ、夏音とも別れ、一人で生きていこうと思ったのだ。

 誰かと毎日楽しく過ごしたり、誰かと幸せになるということに対して臆病になったのだ。そんなふうに過ごし続けたいと思う反面、そんな日々が続き始めた途端に怖くなった。

 ──俺だけが、幸せになっていいはずない。

 それは、真子に対してだけではなかった。色羽や自分の両親。皆、あの事件から変わってしまった。そして、誰もが幸せに過ごしているとは言えない気がした。

 だから、一人になることを選んだのだ。

 実際、二年前に離れた仲間達とは自分から積極的に関わることはないし、夏音とも別れた。それでも色羽だけは離れていかず、今も側にいてくれるのだ。

「すんません。暗くなるからやめましょう」

 颯真は自分でもわざとらしいとわかりながらも笑顔を作って話を切った。小折はそれに特に何を言うわけでもなく、わかりました、とだけ頷いてくれた。


「おかえり」

 朝陽が完全に昇りきってから部屋へと戻ると、夏音が眠そうな目をして颯真を出迎えた。恐らく、一睡もしていないのだろう。小折のところに行くと決まった時点で連絡をしれやればよかった、と颯真は夏音の少し腫れぼったい瞼を見て思った。

「何処に行ってたの、とか訊いた方がいい?」

 夏音は眠そうに欠伸をしてから低い声で訊いてきた。

「知り合いの刑事さんのとこだ」

「それって、あの頃の知り合い?」

 あの頃とは、二年前までのことだろう。

「いや、違う。最近知り合った」

 颯真が答えると、夏音はふぅん、と小さく声を出した。しかしそれ以上は何も言わない。

 コーヒーでも飲もうかとキッチン部分へと足を運ぶと、直ぐ近くにある出入口の方が何やら騒がしかった。男女の声がして、それが色羽と比奈子のものであるのは一瞬でわかった。

「やめましょう、色羽さん」

「だーいじょうぶだって」

「でも……その、まだ時間も早いですし」

「比奈ちゃんが危惧してるようなことないって」

「そんなの、わからないじゃないですか」

「ないない。だって、颯ちゃん、ヘタレだもん」

「誰がヘタレだ、こら。殺すぞ」

 最初は賑やかな会話を大人しく聞いていたが、突っ込まずにはいられなくなり、颯真は勢いよく扉を開けた。

「颯ちゃん、危ないでしょ。ぶつかったらどうすんの?」

 それに色羽が頬を膨らまして抗議してくる。

「人の家の前で騒いでるやつが偉そうに文句言うな」

「あ、あの、おはようございます……」

 颯真と色羽の言い合いを止めるかのように比奈子が挨拶をしてきた。まだ午前中だというのに、きちんと身支度がされている。

「ああ、はよ」

 颯真は短く言い、取り敢えず二人を部屋の中へと招き入れた。

「二人とも、おはよ」

 ソファに座ったままの夏音が二人の姿を認めるなり、明るい挨拶をした。

「おはよう」

「……おはようございます」

 ソファで眠そうな顔をした夏音を見て何を勘繰っているのか、色羽と比奈子は一度顔を見合わせてから夏音へと挨拶をした。

「颯ちゃん、朝ご飯、食べた?」

 色羽に訊かれ、颯真は頷いた。

 夕べはあの後、小折と少しだけ事件について話し、そのまま二人して眠った。小折に懇願され、颯真が彼のベッドを使わせてもらい、小折は過ごせソファで寝たのだ。そして朝方、早めに起床し、所轄へと向かう小折と一緒に部屋を出た。そのとき、途中でカフェに寄り、小折の奢りで朝食を摂ったのだ。

「そっかそっか」

 色羽は一人で納得したように頷き、勝手に椅子へと腰を下ろした。

「あ、小折さんがまた事件が起きてるってよ」

 颯真はコーヒーを人数分淹れる準備をしながら告げた。

「連絡来たの?」

「いや、夕べ会った」

 細かい説明をするのは面倒だし、夏音とのいさかいを話す気にもなれず、それだけに留めた。

「颯ちゃん、協力するの?」

「なに? なんの話?」

 夏音はまた欠伸をしてから、誰にともなく訊いた。なので颯真は簡潔にだけ、ここ最近の出来事を話したが、比奈子の兄の事件についてだけは省いた。当人でもないのに、おいそれと話していいことではないからだ。

「へぇ、颯真、そんなことしてるんだ」

 夏音が驚いた表情で言い、しかしさして興味はないという素振りをした。

「夜にまた、小折さんと会う約束してるから」

「僕達も行ってもいい?」

「ご勝手に」

 颯真が答えると色羽と比奈子は揃って嬉しそうな顔をした。

 ──これでは、また繰り返しなのかもしれない。

 並んで笑顔を作っている色羽と比奈子を見ながら、颯真はそう思った。

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