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「綺麗な方、でしたよね」

 比奈子は夕食後のお茶を見詰めながらぽつりと溢した。颯真達と別れる頃、ユキから帰りが遅くなりそうだと連絡があった為、ユキが帰宅するまで色羽が一緒にいてくれることになった。一緒に長居商店で買った弁当とデザートのプリンを食べ、今は緑茶を飲んでいる。

「ああ、夏音ちゃん?」

 色羽が茶を旨そうに啜った後にその名を呼んだ。

 ──夏音。

 颯真はその名を普通に呼んでいた。比奈子の名を呼ぶことなどほとんどないというのに。そう考えると比奈子の胸はちくりと痛んだ。

「大人っぽいし、綺麗な方でした」

 夏音は恐らく颯真より幾つか歳上だろう。その分、自分とは全く違っていた。それだけでなく、性格も正反対だ。明るく、天真爛漫な雰囲気を持っている女性。颯真がああいった女性がタイプであるならば自分など見向きされなくとも当然なのかもしれない。

「だねぇ」

 色羽が湯飲みを置きながら返してきた。

「……比奈ちゃん、気になるの?」

「あ、え? いえ、そんな、気になるなんて……」

 比奈子はそこで言葉を途切れさせたが、直ぐにまた口を開いた。

「……はい、気になります」

 それが正直な気持ちだ。

 颯真に元カノがいた。それはごく当たり前のことに思える。しかし、その可能性を考えたことはなかった。考えないようにしていたわけではなく、自分にそういった存在がいたことがない為、そこまで思考が及ばなかっただけだ。

 最初、まだ色羽が男だと知る前は颯真と彼は恋人関係にあるのかと勘違いしていた。そのときも気にはなったが、今の気持ちとは大分違う。

 ──気になる存在から、本当に好きになっているのだ。

 比奈子は猫柄のあしらわれた湯飲みを見詰めて実感した。

 どことなく兄と似ていた。知り合った頃の颯真の見方はそれだった。だからこそ、対人恐怖症でも彼に対して安心感を得られ、側にいられた。そして、彼なりに比奈子を気遣ってくれているのが伝わってきた。

 幽霊屋敷の事件のとき、拙い自分の言葉を真剣に聞き、それを受け止めてくれた。

 ──きっと、あの辺りから本当に惹かれて始めたんだ。

 笑顔を向けられると、心臓が痛くなり、頭を撫でられるとそこに熱が集まり、名前を呼ばれるだけで嬉しくなった。

 いつしか、顔が見れない日が続くと会いたくなった。それでもとの距離を感じるだけで泣きたくなった。

 比奈子自身、颯真に敢えて距離を置かれていることには気付いていた。

「颯真さんは、私が必要以上に踏み込まないように、私が、あまり颯真さんを好きにならないようにしているんだと思います」

 それは、颯真と接していて思うことだった。一歩近付いたと思えば、直ぐにそれまで以上の距離を開けられる。そしてそれは、然り気無くではなく、敢えて比奈子が気付くようにされているのだ。

「うん、それは僕も気付いてた」

 比奈子が気付くようなことを付き合いの長い色羽が気付かぬわけはない。

「でも、理由はわからないんだ。ごめんね?」

「色羽さんが謝らないで下さい」

 頭を軽く下げてくる色羽に比奈子は焦ってそう言った。

「たんに、私みたいなこどもは好みでないだけだと思います」

 夏音に会ってしまえばそれは直ぐに納得出来た。自分とは正反対の女性。綺麗で、明るくて、そしてこどもではない。

「多分だけどね、それは違うと思うんだ。颯ちゃんなりに、何か理由があるんだと思う」

 色羽の言葉は嬉しくも悲しかった。その言葉通りだとするならば、あの夏音は颯真に好きになることを許してもらった女性で、颯真が自ら好きになった女性ということなのだ。そして、自分はそういった存在にはなれないということ。

「あ、ごめんっ。逆に落ち込ませちゃった?」

 比奈子の沈んだ表情に気付いた色羽が申し訳なさそうに眉を下げる。

「大丈夫です」

 比奈子はそれに首を横に振った。色羽が謝ることなど、何一つもない。

「僕は、実は颯ちゃんのことなんて何も知らないんだ。知っているように振る舞ってるけど、何もわかってない」

 色羽の口調がいつもと少し違っていて、声も少し低くなっている。

「え?」

「颯ちゃんは僕には何も言わないからさ。言えないとか、言いたくないとか、そんな判断も出来ない。言って欲しいと思うけど、それを僕からは言えない。実はそんな関係なんだ」

 色羽の哀しい告白だった。比奈子からしたら、二人はとても仲が良く、なんでも話せる親友というのはこういった関係をいうのだろうかと常に思っていた。だというのに、色羽はそうでないと言う。

「きっかけは、真子ちゃんのこと。それはわかると思うんだけど。あれから、僕らの関係は変わった。颯ちゃんは僕を避けて、それでも僕は颯ちゃんにしがみついて。颯ちゃんは僕を突き放せないのはわかってたから、付きまとってた。狡いんだ、僕は。多分、颯ちゃんの為には僕は離れたほうがいいんだと思う。わかってる。でも、僕は颯ちゃんとまだ離れたくない。颯ちゃんがいなくても大丈夫って思えるまでは離れたくない」

 そこに色羽の心の闇を感じた。きっとそれは、比奈子には理解出来ない部分なのだろう。

「ごめん、こんな話して。最近、外に出せてなかったから鬱々したみたいだ」

 そういって苦笑いする色羽は、女の子の姿をしているのに男の人に見えた。

「いえ。気の利いたことを言えなくてすみません」

 人と接することを避け続けたせいだ。比奈子はそう、自分の生い立ちを悔やんだ。こんなときに、大切な人に、自分を大切に買うと扱ってくれる人に何の言葉も掛けてやれない。そして、颯真に対してもそうなのだと思う。

 颯真が自分に弱音を吐く姿など想像も出来ないし、そんな日は永遠に来ないのだとも思うが、もし奇跡的にそんなことがあったとしても、きっと自分は彼に何の言葉も掛けてあげられないのだ。自分は颯真や色羽から沢山の気持ちを貰っているというのに。

 そう考えると不意に泣きたくなり、しかしそれでまた色羽に心配を掛けるわけにもいかないと、比奈子は懸命に涙を堪えた。


 夏音が当たり前のようにソファを占領している。颯真はそれを見て、溜め息を吐いた。

「ねぇ、なんでベッドないの? 不便じゃない?」

 夏音はソファの上に寝転がり、ご丁寧に颯真のブランケットまで奪ってからそんな発言をした。

「必要ないからだ」

 成人男子としては小柄な方の颯真には大きめのソファで寝るには十分事足りていた。

「え、だって、比奈子ちゃんが来たときどうすんの?」

 夏音の発言に颯真は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。

「なんでそうなんだよっ。殺すぞ」

「久し振りだね、その口癖」

 夏音はけらけらと笑い、楽しそうにしている。本当に一体、何の為に颯真のもとを訪れたというのだろう。

「だって、あの子のこと好きなんじゃないの?」

「……違うわ」

 好きになってはいない。好きにならないようにしている。颯真は答えながら心の中で呟いた。

「いやいや、見てたらわかるって。颯真は比奈子ちゃんのこと好きだよ?」

 ──他人に言われなくとも気付いている。

 セーブを掛けている時点でもう惹かれているのだ。だから、違うと何度も自分に言い聞かせ、挙げ句、相手が万が一自分を好きになったりしないようにしているのだ。

 ──まあ、大概失敗しているが。

 一歩踏み出しては下がる、の繰り返し。本当なら一歩踏み出さなければいいのだが、それはいつも無意識でやってしまう。そして気付いてから下がるのだ。しかしそれならそれで、比奈子の方もわかりやすいだろうとは思う。

「……俺は誰とも付き合わない」

 それは夏音と別れるときに決めたことだった。

「今までは何人か彼女いたのに?」

 夏音が別に初めての女というわけではなかった。その前にも二人程、颯真が付き合った女はいた。しかし、二人共長続きはせず、向こうから別れを告げられたのだ。

 原因は颯真の方にあった。

 無論、相手のことをきちんと好きだと思って付き合い始めた。颯真はそういった感情抜きで女と関係を持てるタイプの男ではないからだ。しかし、それが原因なのだ。

 好きになることで、弱味を見せられなくなる。辛いときなど、一緒にいてもらうどころか、反対に相手を遠ざけるような真似をしてしまうのだ。すると、相手は颯真が自分を然程好きではないのだと勘違いし、別れを切り出す。そんなふうに、過去に交際した女との関係は終わった。

 けれど、夏音は違った。持ち前の屈託のなさと、颯真自身、それまでに好きになった誰よりも彼女を好きだと思う気持ちが重なり、夏音には素直に甘えられた。弱い部分を晒け出すことは悪いことではない。そう思えた。

 色々な話をして、色々な悩みを打ち明けて、共に時間を過ごした。夏音とは一年程一緒にいた。それでも色羽が夏音の存在を知らなかったのは敢えて知らなかったからだ。

 夏音にもそう頼んでいた。夏音は理由も聞かずに頷いた。言わなくとも理解してくれる間柄だったのだ。

「颯真はさ、まだ怖いんだね」

 夏音がもそりと起き上がった。胸元が大きく開いた服を着ているせいで、前屈みになると魅惑的な谷間が視界に入る。

「怖い?」

 しかし颯真は夏音の谷間には目もくれずに返す。もう、彼女を好きだという感情は残っていない。あんなに、好きだったというのに。嫌いで別れたわけではなく、むしろ好きだから別れたというのに。

「私と別れたのも、怖かったんでしょ? 言わなくても理解してくれることに甘えて、弱くなるのが怖かった。いつか相手の重荷になるのが怖かった。……自分だけが幸せになるのが怖かった」

 あまりに的確な科白に颯真は言葉を失った。どうして、こんなにもわかられてしまうのか。

 ──それも、怖かったのだ。

 言葉にしなくとも、颯真を理解してくれる夏音。そんな夏音と一緒にいるのが怖かった。

 別れを決めたときは、自分の都合のいいように解釈していた。夏音の重荷になりたくない。甘えてばかりじゃ駄目だ。そう、色々言い訳を並べた。

「そんなに、幸せになっちゃいけないの?」

 でも、一番の理由はそれだったのだ。

「……夏音にはわかんねぇよ」

 颯真はそれだけ言い、部屋を後にした。

 あのときも、夏音から逃げた。好き過ぎて、正面から向き合うことが怖くて、本当の自分を見せたくなくて、逃げた。そしてまた、こうして逃げるのだ。

 ──二年前から何にも変わっちゃいねぇ。

 颯真は響く雪駄の音を噛み締めるようにして、階段を降りた。


「颯真君っ」

 全ての店がシャッターを下ろした商店街。秋も深まってきたせいか、作務衣だけでは肌寒かった。そんなとき、聞き慣れた声に颯真は呼び止められた。

「小折さん」

 その声に振り返ると、そこには背広姿の小折がいた。そういえば、背広姿しか見たことないな、と颯真はそんなことを思いながら小折が近寄ってくるのを待った。

「こんな時間にどうしたんですか?」

「それはこっちの科白っすよ」

 スマホ画面を見てみれば、そろそろ日付が変わろうとしている。まさか、こんな時間まで仕事をしたいたのだろうか。

「聴き込みをしていたら、つい遅くなってしまいまして」

 案の定、小折は仕事帰り、もしくはその途中らしい。

「遅くまでご苦労様です」

 颯真はそんな小折に頭を下げた。そして、小折が忙しくしているということは、また何らかの殺人事件が起きたのだと察した。

「また、何かあったんすか?」

 この世から殺人事件がなくなることなどないのだろう。罰せられるとわかっていて、何故人は罪を犯すのか。

 ──わからないわけではない。

 颯真はそう自問自答した。

 無論、何故殺さなくてはならなかったのか、と思うこともある。けれど、殺意というものに全く理解がないわけでもないのだ。憎しみや復讐心というものが殺意に繋がることを颯真はよく知っていた。

「……そうなんですよ。所謂、猟奇殺人というもので、全く犯人が絞れなくて」

 小折はかくりと肩を落として言う。いつもより声が小さいのは深夜の商店街だからだろう。

「颯真君はこんな時間に何を? コンビニですか?」

 颯真は小折の問いに少し迷ってから、素直に全てを話した。夏音の説明は成るべく簡潔にし、最後に自分の部屋に帰りたくないことも付け加えた。小折に対して、颯真は素直になることが出来た。それは、夏音が持つものとは違い、小折の持つ相手に与える安心感というものだろう。

「なら、僕の部屋に来ますか? 事件のことも聞いて欲しいですし」

「いいんすか?」

「狭くても良ければどうぞ」

 小折はそう言って笑ってくれた。その笑顔はやはり相手を安心させるものだ。

「颯真君は、本当にずっとお一人でいるつもりなんですか?」

 並んで歩き出したとき、小折に尋ねられた。静かな街は小声も響く。

「……わかんないっすね。そう思わなくなる日が来るのかもしんねぇし、一生来ないかもしんねぇ」

 颯真自身、わからないところだった。

「それでも、俺の周りにはいつも誰かいてくれるんすよ。こんななのに、色羽も、一時は夏音も。今は小折さんも、比奈子も。でも、俺はそれを素直に受け止めることが出来ないんすよね」

 怖い。様々なことが怖いのだ。結局、臆病なだけだ。威勢良くしていても、虚勢を張っていても、臆病なのが自分という人間なのだ。

「強くなりたいとは、思うっす。でも、色んな問題があってそう簡単にはいかねぇ。じゃあどうすれば、てのもわかんねぇし」

 ぽつりぽつりと繰り出される言葉。誰にも言ったことはなかったし、言えないと思っていた気持ち。

「颯真君は、比奈子さんのことがお好きなんですよね?」

「はは。誰から見てもわかるんすかね」

 小折に言われ、颯真はそれを素直に認めた。

 何が、とか、きっかけは、とかあるわけではない。最初の頃は成長した真子と重なり、守ってやりたい、守らなくては、という感情が湧いていた。そしてそれはいつしか自然に恋心へと変化していたのだ。

 それは、あまりに自然なことだった。落ち込んだ姿を見れば慰めてやりたいと思い、笑顔を見れば可愛いと思った。なんの変鉄もない、普通の恋心。しかし、颯真はそれを拒むことにしたのだ。

 比奈子が自分に好意を抱き始めていることにも気付いている。恐らく、兄以外で初めて親しく接した男が自分なのだろう。そして生理的に受け付けないタイプでもない。そうなれば、あの年頃ならば近くにいる男を好きなってもなんの不思議もない。

 しかし、比奈子を拒むのはそれが理由ではない。好きになる経緯や理由のせいではない。自分の感情の問題だ。

「小折さんといると、何でも話しちまうわ」

 そうやって、以前も家族のことを聞いてもらったのだった。

「そう思ってもらえるのは嬉しいです」

 小折は言葉と裏腹に少し寂しそうに笑った。人のいい小折のことだ、素直に話す相手が自分しかいないことを寂しく思ってくれているのだろう。

「よし、早く小折さんのところに行って、事件の話を聞きますか」

 沈んでいく空気を壊すように、颯真は少しだけ大きめの声を出した。

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