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 時既に遅し。

 小学校の門はきっちりと閉められていた。スマホを確認してみれば、時間は五時半。古田のアパートと小学校は往復一時間。そして途中でエメルに出会したり、アパートで古田や三枝木と会話をした。そう考えればそんな時刻にもなるだろう。

 門は閉まっているが、校内には教師陣が残っているようで、所々灯りが点いている。図工室の辺りを確認してみると、図工室自体は暗くなっているが、隣の準備室はまだ灯りが点いていた。

 ──まだ、板山は残っている。

 颯真は確信を得て、門の近くにしゃがんだ。こうして待っている他ないだろう。別に、門に鍵がかかっているわけではないので、入ることは出来る。しかしそれだと、また他の人間に幸太郎の件の経緯を話さなくてはいけなくなるのだ。そこから、板山へと取り次いでもらう。それは酷く面倒なことだ。

 急いでいるわけではない。間に合えば、とここまでの道程は急いだが、実際は今すぐに板山と話をしなければならないわけではない。

 のんびりとしている暇まではないが、ここで板山が出てくるのを待つ程度の猶予はある。

「颯ちゃん、なんかわかったの?」

 しゃがみこむ颯真の隣に、色羽が同様にしてきた。比奈子は同じ真似はせずに立っている。しかし、ロングスカートを穿いているとはいえ、女子の足が隣にあるというのは些か落ち着かない。

「うーん、まあな」

 颯真は比奈子の足から意識を逸らして答えた。

「えー、教えてよ」

 色羽がまるで駄々っ子のように颯真の腕を引いたり押したりするので、それに合わせて体が揺れる。

「まだ確実じゃないからな」

 漸くパズルのピース達は行き場を見付け始めた。それでもまだ、完成はしていない。しかし、それは目前だ。

「狡いよ、颯ちゃんばっかり。比奈ちゃんも思うでしょ?」

 答えない颯真に諦めてか、色羽はその矛先を比奈子へと向けた。

「あ、私は、いつもついていってるだけですから」

 そう言う比奈子の声は少ししょんぼりとしているように聞こえたが、表情が見えないので定かではない。

「大人しくしてないなら帰すぞ」

 颯真は所謂ヤンキー座りのまま色羽に言う。色羽は男子だというに、きちんと膝を揃えていた。

「……はーい」

 帰されたくはないのか、色羽は渋々といったように大人しくなった。

 勿論、学校から出ていく生徒はいない。全員帰路に付いているのだろう。

 真子が殺される前は、よく色羽や他の友達と寄り道をした。公園、駄菓子屋、色んなところに言った。それでも、真子が一緒に遊べるくらいの年齢になる頃には寄り道もそこそこに帰宅し、今度は真子と色羽と遊んでいた。

 真子に付き合っておままごとをしたり、颯真達に合わせて公園でサッカー紛いのことをしたり。

 ──この街には思い出が多過ぎる。

 色羽は一体どんな想いでこの街で暮らしているだろう。

「あ、板山センセ」

 職員通用口から出てくる板山の姿を見付け、颯真は立ち上がった。

「あれ、古田さんの居場所、わからなかった?」

 颯真の呼び掛けに板山は笑顔を見せた。柔らかな笑顔だ。

「いえ、会えたっす。住所、ありがとうございました」

 颯真はぺこりと頭を下げた。

「そう、よかった。それで、僕にまだ何か?」

 板山は小さく首を傾げる。その表情は何を考えているのかわからない。

「板山センセ、幸太郎を殺した犯人、知ってるんすよね」

 颯真が出した言葉に、烏の鳴き声が重なった。二羽の烏が上空を飛んでいる。

「……なんで、僕が?」

 板山は静かな声で質問を返してきた。また、烏が一際大きな声で鳴いた。

「まだ、確証はないっす。いや、いつもないんすけど」

「その前に、ひとつ、いいかな?」

 板山は颯真の言葉を遮るようにして口を開いた。

「なんすか?」

 颯真は板山を睨むようにして見上げた。板山が長身なせいで、かなり見上げなくてはならない。

「まず、君達の嘘から釈明してもらってもいいかな?」

 ──やはり、見抜かれてたか。

 これといったことはないが、なんとなくそんな気がしていたのだ。板山はきっと最初から、颯真達が幸太郎の幼馴染みではないと気付いていた。実際、それを確かめる為か、数度かまをかけられている。

「協力を得られやすいようにしただけっすよ」

 ここで嘘を吐き通すことに意味はない。颯真はそう考えて本当のことを言った。

「俺らは幸太郎本人とは面識はない。でも、幸太郎のばあちゃんとは知り合いだ。それで、ばあちゃんから幸太郎の話を聞いて、犯人を見付けたいと思ったんすよ」

「知り合い、というだけで?」

「その理由は個人情報なんで」

 よく知りもしない相手に真子のことを話す気にはなれない。それにここには色羽もいる。だからそうやって言葉を濁した。

「以上。他に質問は?」

 颯真が言うと、板山は首を横に振った。

「では、君らの話を聞こうか」

 とはいえ、ここは学校の前だ。いくら裏門とらいえ、人目につく。人通りはほとんどないが、他の教師達が出てくる可能性もある。

「移動しますか?」

「いや、ここでいいよ。そんなにかからないでしょ?」

 まあ、一時間も二時間も、というわけではない。手っ取り早く話してしまえばそれで終わることだ。

「それで、僕が犯人を知っている、ということについてだけど」

「回りくどい言い方とか出来ないんで、率直に言わせてもらいますね。幸太郎を殺した犯人は、古田って女っすよね」

 隣で驚く色羽の様子が視界の端に入った。その後ろにいる比奈子も同じような反応をしていることだろう。

「古田が犯人だっていう確証はないっす。動機も、どうやって殺したのかも、そもそもどうやって拐ったのかも不明だ。けど、古田は犯人で、あんたはそれを知っていた」

 颯真は板山の目を真っ直ぐに見ながら告げた。

「理由は?」

「それについても確証は、ない。けど、あんたは十年も前に辞めた古田の現住所を知っていて、それに今でもコンタクトを取り続けている」

 三枝木の言っていた、古田のところを訪ねて来ている男というのは板山で間違いないだろう。

「なのにあんたは、古田が逮捕されることを望んでいない」

「どうしてそう思うの?」

「撹乱、しようとしてたよな?」

 颯真は丁寧語を使うことを忘れ、板山への言葉を並べていった。

「あんたはわざと、俺達があんたを疑うように仕向けた。幸太郎ことについてや、自分が疑われた話を織り交ぜて」

「なら、古田さんの住所は教えないはずじゃない? だって、君の話通り、自分を疑うように仕向けている場合、犯人である彼女を君らに合わせる必要がない」

「それは、俺らが馬鹿にされてたって話なだけだよ」

 颯真が言うと、色羽が横から、どういうこと、と訊いてきた。

「俺らが古田に会ったところで、彼女が犯人だとは気付けないと思われただけだ」

「じゃ、理由を説明して。何故、僕が古田さんの逮捕を望まないのか、て理由をね」

 秋間近。陽の傾きが早くなってきた。それでもまだ十分な明るさは保っている。仄かにオレンジがかった空には、無数の雲が浮いていて、板山の顔に僅かに陰影を作った。

「……これは、完全に俺の憶測だ。あんたは、古田が幸太郎を殺したことによって、自分の人生を狂わされたことを恨んでいる。執拗なまでの警察の取り調べに、婚約破棄。もしかしたら、ずっとこの学校にいるのもそのせいなんじゃないか?」

 冤罪が産む悲劇を、颯真は嫌というほどに知っていた。それは、颯真の身に起こったことではないが、颯真自身巻き込まれたことに変わりはない。

 父親が娘殺しの罪を着せられそうになり、執拗なまでに警察に取り調べを受け、マスコミに騒がれ、釈放された後もその傷痕は残った。

 真犯人が逮捕されれば、少しは状況は明るくなるのかもしれない。しかしそれがない以上、一度抱かれた疑惑が人々の記憶から消えることはそうそうないのだ。

 板山の件にしてもそうだ。教え子殺害の罪を着せられそうになり、マスコミにも騒がれただろうし、周囲の彼を見る目も変わったことだろう。そして、警察は真犯人に辿り着くことはなかったのだ。だとしたら、彼に着せられた汚名を払拭するのは容易いことではない。

「……受け入れ先が、なかったんだよね。どこの学校も、そんな容疑を掛けられた教師を受け入れたくはなかったみたいで。でも、救いだったのが、この学校の校長だけは僕のことを信じてくれて、ずっとここに置いてくれているんだ」

 教師を辞めたところで結果は同じだ。再就職先を見付けることは厳しいだろう。だから、板山は十年間この学校に居続けるのだ。

「だったら、警察に古田さんが犯人です、て言ったらよかったんじゃないんですか? そうすれば自分への疑いは完全に晴れるんだし」

 色羽の問いに板山はふう、と息を吐いた。

「古田が捕まったからって、全部元通りになるわけじゃない。一度抱かれた疑惑というのは、簡単にはなくならない。疑われるだけの何かがあるのだと他人は思うでしょ。去っていった婚約者が戻るわけでもなし。それに何より、苦痛を感じたこの気持ちがなかったことにはならないんだよ」

 板山の中で、精神的苦痛が一番堪えたようだ。それもそうだろう。全てのことが重なる精神的苦痛というのは、何より重く、辛いものだったのか。

「だからね、野放しにした。警察には通報せず、そのままに。ずっと、怯え続けて暮らせばいいと思っているんだ。古田さんにはね、僕が彼女が犯人であると気付いていることは伝えてある」

 板山はそう言って、にっこりと笑った。それは、美しいが背筋が凍るような笑い顔だ。

「それを告げておけば、彼女は更に怯えるだろうからね。いつ、僕が警察に彼女のことを言ってしまうか、と。だから、定期的に彼女のもとにも行っているんだ。僕を見る度に恐怖に震える彼女を見る為に、ね」

 颯真は全身に鳥肌が立つのを感じた。

 この相手に理屈は通じないと直感が訴えてきた。実際、板山は古田が幸太郎を殺したことを法的に裁かれる必要はないと思っているのだろう。彼は殺人の罪を責めているのではない。古田が犯した罪によって、自分の人生が狂わされたことへの制裁を自ら与えているのだ。

「犯人秘匿、もしくは隠避の罪に問われますよ?」

 色羽が小さな声で抗議したが、板山はそれにくすりと笑った。

「秘匿も、隠避もしてないよ。日本語、わかるよね?」

 確かに板山の言う通りではある。匿ってもいないし、逃がしてもいない。けれど、通報する義務はある。しかし、そんな小さな穴をつついたところで何の意味もない。

「……警察には、俺が通報する」

 颯真はそれだけ言い、板山を睨み付けた。

 犯人が逮捕されたからといって、遺族の哀しみがなくなるわけではない。殺された家族が帰ってくるわけでもない。でも、知りたいという思いがあるのだ。

 何故、彼らが殺されなくてはならなかったか。

 それは、颯真も知りたいと思っていることだった。何故、真子が殺されなくてはならなかったのか、と。

「勝手にどうぞ。……何をしたって、味わった苦痛が癒えることはないってわかってるしね」

 板山は掠れるような声で言うと、颯真達の前から去っていった。残された颯真達は一度顔を見合わせてから、小折へと連絡をした。


「そう、あの子が悪かったわけではないのね」

 ユキは仏壇に飾られた幸太郎の遺影を眺めながらぽつりと口を開いた。

「殺された側に悪いことなんて、あるわけねぇよ」

 颯真がそう言葉を掛けると、ユキはそうね、と目を細める。

 あの後、小折ら警察の手によって古田は逮捕された。古田はすぐに幸太郎殺しの罪を認め、全てを語った最後に「これで漸く解放された」と泣いたらしい。

 板山は決して自首などしないように、と古田を脅し続けていたとのことだった。板山がどんな罪に問われるのかは法律に疎い颯真にはわからないことだが、きっと彼はもう、あの小学校で図工を教えることはないのだろう。

 そして、古田が幸太郎を殺した動機は予想だにしない理由だった。

 ──誰でもよかった。

 古田は何故幸太郎を殺害したのかを訊かれ、一言呟いたとのことだった。

 あの日、新任の古田はミスを先輩教師から叱られ、こども達に馬鹿にされむしゃくしゃしていた。家に帰ってやけ酒でも煽ろうかと考えていたとろこに、忘れ物を取りに来た幸太郎と出会した。

 最初は少し困らせてやるつもりだったらしい。用事を手伝って欲しいと幸太郎に声を掛け、自分の車へと誘い込み、誰にも見られていないことを確認してから彼をトランクへと押し込んだ。夜には解放するつもりだった、と古田は震える声で供述したとのことだった。

 しかし、一時間もしないうちにユキが幸太郎が戻らないと焦った様子で学校を訪れ、騒ぎへと発展した。古田はそのことで幸太郎を解放しづらくなり、知らぬ存ぜぬを押し通し、結果、その夜に幸太郎を殺害。その翌日の深夜に死体を遺棄、そして冷たくなった彼が発見されたのだ。

 ──偶然に偶然が重なった不幸。

 古田が見付けたのが幸太郎でなかったから。ユキが学校へと行かず、家で幸太郎を待っていたら。幸太郎が忘れ物をしなかったら。古田がミスを怒られなければ。

 言い出せばきりがない。

 やり場のない想いや感情だけが渦巻く。

「ありがとうね、颯真ちゃん」

 ユキは哀しい微笑みを浮かべた。それは、嬉しい礼ではなかった。勿論、ユキの何故幸太郎が殺されたのかを知りたいという願いは叶った。けれど、結末がこれだ。

 幸太郎に殺される理由があって欲しかったわけではない。そんなもの、なくていいし、あるわけがない。けれど、なんとも言えぬ結果だったのだ。

「……俺は、何も出来てねぇよ」

 颯真はそれだけ言い、同じように哀しい微笑みを返した。

「いいえ、本当にありがとう」

 ユキの言葉が颯真の胸に何かを詰まらせた。


「お好み焼き、しましょうっ」

 ユキが息子とその嫁に会いに行くというので、比奈子は颯真の部屋へと来て、開口一番にそう言った。

「へ?」

 颯真はそれに間抜けな声を出し、一緒にいる色羽も不思議そうな顔をした。

「あの、私、急にお好み焼きが食べたくなって……その……」

 比奈子は言いながら俯いていった。比奈子なりの気遣いなのだろう。颯真はそれに気付き、口元を緩めた。

「そうだな。お好み焼きやるか」

 颯真はわざと大きな声を出し、立ち上がった。それに色羽も大きな声でそうだね、と返してきた。

「しかし、まず買い物からだな」

 颯真は中身が空の冷蔵庫に視線を向けて言う。

「じゃ、皆で行こう」

 色羽が言い、颯真と比奈子は同時に頷いた。

「よし、行くか」

 颯真の掛け声に全員で出掛ける支度をし、外へと出た。秋間近の夕暮れ。陽の傾きが眩しいほどだった。

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