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4

 板山から貰った古田 由香子の住所は小学校があるのと同じ市内だった。小学校から徒歩で三十分程度の場所。バスに乗ればもっと早く着くのだが、色羽達と話す時間が欲しいと思い、颯真は徒歩を選んだ。

「あの先生、どう思う?」

 最初に口を開いたのは色羽だった。

「うーん……どうって言われてもなぁ」

 颯真はそれに頭を掻きながらそう言った。どう、と言われてる言葉はあまり出てこない。なんというか、全体的に信用は出来ないと思ったくらいだ。

 最初の印象としては人当たりがよく、いい協力者を得られたと思った。しかし、市長賞の並びの中に幸太郎の名前を見付け、そこからは全面的に信用をすることは出来なくなったのだ。

 これ、といったものはない。

 幾ら幸太郎が市長賞を獲り、その後殺されたからといって、それが必ずしも記憶に残るとは限らないと言われてしまえばそれまでだ。先程は勢いに任せてそんなことはないだろうと言ったが、反対に殺されてしまったからこそ、市長賞を獲った記憶が薄れたとも言えるだろう。

「私には、いい人に見えましたが」

 比奈子がそんなことを言う。

「悪い奴かいい奴かって言われれば、後者に見えるけどさ」

 それはその二択しか存在しない場合の話だ。世の中にはその二つ以外の人間がこまんといる。自分だって、必ずしもどちらかに分類出来るわけではないだろう。

 嘘だって吐くし、知らぬ振りだってする。そんな程度のことは誰だってするだろうし、いい人イコール聖人君子というわけでない。しかし、板山の場合はどちらにも分類することは出来ないと感じるのだ。

 ──喰えない奴っていうのかな。

 敢えて言葉にするならば、それだ。

「颯ちゃんは板山先生が犯人だと思う?」

 色羽が颯真の隣に並びながら訊いてきた。

「いや、わかんねぇ。もし、犯人だと仮定した場合、あいつの発言って、どうとでも取れるよなぁ、とは思うけど」

「どういうことですか?」

「第一容疑者にされたって話だよ。あれさ、僕は疑われた可哀想な人だよ、て演出して、誤魔化してるとも思えるし、本当に疑われて参った、とも取れる」

 だからこそ、なんとも言えないのだ。

「そっかそっか」

 色羽がうんうんと頷く。

「幸太郎が市長賞獲ったっていうのも同じだな。犯人だと疑われたくないから、特に印象に残ってない、と言った。多分、理由はそれだと思うんだが、これもどっちの意味でも取れるだろ? 本当に犯人だからこそ、疑われないように言ったのか。それとも犯人じゃないからこそ、嘘を吐いたのか」

 そう。板山の発言はどちらとも取れるものが多いのだ。そして何故、彼は同じ学校に居続けるのか。

 公務員ともなれば移動はある。確か、教師の移動は新任で三年、その後は五年毎にあるというのを聞いたことがある。それが必ずしも、というわけではないのだろうが、板山は十年同じ学校にいるのだ。彼の担当が特殊科目だからなのか。それとも他に理由があるのか。

 だとしても、自分に置き換えてみれば、生徒が殺され、挙げ句自分が犯人だと疑われた場所にずっといたいものだろうか、と思う。望んでの移動が可能なのかはわからないが、状況が状況であれば出来ないこともないように思える。なのに、彼はそのままあの学校にいるのだ。

 考えれば考えるほど、わからないことばかりになる。

「はぁ……わかんねぇ」

 今の段階で板山が犯人だと決め付けるのは早計だし、なによりも決定的なものはないのだ。直感だとしても、板山が犯人だと言い切れない部分がある。それでも彼がなにやら怪しいのも事実なので困ってしまうもいうものだ。

「なにかお悩みみたいです」

 不意に背後から声を掛けられ、颯真はびくりと肩を揺らした。その声は高くもあり、どこか低くもある不思議なもので、聞き覚えはあった。

「……お前か」

 颯真は振り返り、声の主を確信してから口を開いた。立っているのは長身の美形──冠城 エメルだ。

「お久し振りですね。以前は……そうだ、あの血を抜かれる事件のときにお会いしましたよね」

 確かに、そのとき彼に会った。──いや、会ってなどいない。颯真かエメルを見掛けただけだ。ということは、エメルもあのとき颯真の存在を認識していたということだ。それでも、会った、という表現は違和感を否めなかった。

「颯ちゃん、誰?」

 色羽が颯真に近寄り、訊いてきた。そうだ、色羽はエメルの存在を知らないのだ。

「……ちょっとした知り合いだよ」

 颯真がそれだけ答えると、エメルは何がおかしいのか、くすりと笑った。

 ──本当に喰えない奴というのは、こういう奴のことだ。

 颯真は先程板山に対して抱いた感想を自ら消した。エメルと較べれば、板山の底などまだ浅く、たかが知れたものだろう。

「で、何をお悩みなんですか?」

 エメルは美しい色の瞳を細めて言った。

「僕などで良ければ、お力になりますよ」

 確かに、彼に今回のことを相談すれば必ず有力な情報が得られることだろう。それはわかっている。けれど、颯真はそれをしたくらなかった。自分の力で犯人を見付け出すなどという意地ではない。エメルに貸しを作りたくはないのだ。

「いいよ、大丈夫だ。帰れ」

 エメルが神出鬼没なのは今に始まったことではない。知り合った頃からだ。それでも、こうして普段颯真が立ち寄らない場所で会うというのは気味が悪い。

「颯ちゃん、駄目だよ? 友達にそんな言い方したら」

 隣で色羽がたしなめてくるが、颯真はそれに聞く耳を貸さなかった。比奈子はというと、対人恐怖症を発揮させてか、遠くからこちらを見ている。

「ほら、行くぞ」

 颯真はエメルに背を向け、色羽に言う。

「相変わらずつれないですね」

 背中にエメルの独特の声が降りかかるも、颯真はそれを無視した。相手をしたくない、と強く思ったのだ。元々、エメルのことは苦手だ。自分から接触したい相手ではない。

「颯ちゃん、いいの?」

「いいんだよ」

 色羽の心配そうな声にそれだけ答えた。

「お話、終わりましたか?」

 比奈子のもとへと近寄ると、比奈子がおずおずと訊いてきた。

「おお、終わった」

 色羽と比奈子は顔を見合わせている。恐らく、エメルの存在について聞きたいのだろう。

「……あいつは、大分前に知り合ったんだよ」

 颯真はぽつりと言った。それはまだ、颯真がヤンキーを卒業する前のことだった。日夜、仲間達と過ごし、騒いでいた頃だ。

「そんなとき、俺らのシマにあいつが顔を出すようになった」 そのときエメルはまだ中学に入ったばかりのように見えた。背は今よりずっと小さく、整った目鼻立ちとハーフなことも相まって、その容姿はまるで天使のようだった。

 しかし、彼の風貌と中身は食い違っていたのだ。天使の中には悪魔の魂が埋め込まれていて、それはまるで神様の悪戯のようだった。

 真っ白の服を着て、栗色の柔らかな髪を揺らし、形容し難いほどに美しい瞳を爛々と輝かせ、まだ幼さを残した顔立ちのエメルは人を痛め付けていった。真っ白な服が真っ赤になるほどに返り血を浴び、それでもなお笑いながらも相手を殴っていたのだ。

 颯真や仲間達はそれを全力で止めた。それでもエメルは殴り続けようとした。

 突如現れた悪魔を、颯真達は扱いに困った。遠ざけるのが一番のはずなのだが、どんなに突き放しても、エメルは気付けば颯真の近くにいた。そんななかで色羽と顔を合わせることがなかったのは偶然なのだろうし、実際、彼が颯真の近くにいたのは短い期間だった。

 エメルは不意に、姿を現さなくなったのだ。しかしそれは颯真が仲間達と一緒にいるときだけで、颯真が一人のときは先程のようにして時折姿を見せた。その真意がわからず、颯真はエメルが苦手なのだ。

「ま、要は危ない奴ってことだ。見掛けても近寄んな。声掛けられたら全力で逃げろ」

 颯真はエメルの説明を簡単にした後、そう付け加えた。

「颯ちゃんに懐いてるのかな?」

 色羽が首を傾げる。

「そんな感じはしねぇけどな」

 懐かれている、という気は全くしなかった。たんに、何故か寄ってきていただけだ。構ってやった記憶もないし、これといった話を長くしたこともない。それでもエメルは颯真の側に来たのだ。そこにはきっと、何か理由があるのだろうが、それは颯真にはわからないことだった。

「そうなんだ」

 出来れば、あんな危険人物は比奈子や颯真に近付かせたくない。何が起きるかわからないからだ。

「ほら、早くしないと夜になるぞ」

 歩みが遅くなった比奈子と色羽に颯真は言う。少し、陽が傾き始めている。


 空がうっすらと暗さを帯び始めた頃、漸く目的地に辿り着いた。板山に書いてもらったアパートは目の前にある。そのアパートは外から見るに、ワンルーム造りでかなり狭そうだ。唯一の部屋も六畳あるかないかだろう。

 古田には教師を辞めた今、十分な収入はないことが窺える。

「203か」

 三階建てのそれは、各階に四つ部屋がある。外壁は所々朽ちていて、ペンキが剥げているし、手摺の錆も酷い。長らく手入れされていないのだろう。

「……電話番号も聞けばよかったな」

 颯真は古いアパートを見上げながら呟いた。電話番号を聞いておけば、こうして訪ねることを事前に伝えられたし、留守の可能性も回避出来た。突然、若者三人が押し寄せたら古田は驚くだろう。

「ま、仕方無いよ。行こう」

 色羽が言い、三人は二階へと続く階段に足を掛けた。それぞれの部屋の前には洗濯機やら自転車が置いてあり、生活感が漂っている。階段を上がってすぐの部屋の前には小さな植木鉢が置いてあったが、その中の草はしんなりと枯れていた。

 かんかん、と鉄板で出来た廊下は音が響く。もう十年も経てば朽ちてしまいそうなほどに傷んでいるのがわかる。

「ここだね」

 色羽が203の部屋の前で立ち止まった。備え付けらしい金属のポストには「古田」と書かれた小さな紙が挟まっている。

 呼鈴はない。

 颯真は拳を握り、扉を軽く叩いた。それだけでどんどん、と響く気がする。

「古田さーん、いますかー? 突然すみません、朝比奈という者なんですが」

 少しだけ大きな声を出しながら扉を叩く。すると、中から人が歩く気配がした。颯真はそれに気付き、扉を叩く手を止めた。

「……どちら様ですか?」

 扉がぎぃ、という音を立てて少しだけ開けられた。その隙間から、四十を過ぎたくらいの女がそろりと顔を覗かせる。化粧っけは一切なく、雑に結ばれた髪は白髪混じりだった。

「あの、僕達、貴女が以前担任をされていた向井 幸太郎君の幼馴染みで」

「向井君が何?」

 古田と思しき女は目玉をぎょろりと動かした。瞼が落ち窪んだその目元はまるでホラー映画の幽霊のようで、血色の悪さもそれを助長させている。

「幸太郎君の、事件当時のことを少し聞かせて欲しくて」

 颯真はそう言ってから、今更だが古田先生ですか、と確認をした。すると女はそれに小さく頷いたが、その前の颯真の質問には答えなかった。

「え、と、幸太郎君については」

「話すことなんてないわ」

 古田は冷ややかに返してきた。視線はどこか定まらず、瞳がずっと揺れているように見える。なんとか顔だけが見える扉の隙間から、少しだけ部屋の中が見えた。

 どうやら部屋の電気を点けていないうえに、カーテンまで閉められているようで、中の様子はよくわからない。しかし、何とも言えない臭いが微かに漂ってくる。生ゴミが腐ったような臭いだ。

「でも、僕達、幸太郎君を殺した犯人を知りたくて……」

「誰から聞いたの」

 古田は颯真の言葉を遮って、低い声で訊いてきた。

「え?」

「誰から聞いたかって聞いてるのよ」

 古田は苛々とした様子で同じ言葉を繰り返す。ぎり、と歯軋りをする音が颯真の耳に届いた。

「それは、板山先生っていう図工の」

 がたん、と鈍い音が響いた。どうやら、古田が扉にぶつかったようだが、なにをどうやってぶつかったのかはわからない。

「大丈夫っすか?」

 颯真は言葉を発することをしない古田に訊いてから、彼女の様子がおかしいことに気付いた。古田は全身を震わしていたのだ。がたがたと、顎まで震えている。

「……帰って」

 古田は声まで震わして小さく言った。

「今すぐ帰れっ」

 急に怒声が響き、勢いよく扉が閉められた。颯真達は何が怒ったのかわからず、暫くその場で呆然とした。

「え、今の、何?」

 沈黙を破ったのは色羽だった。

「さ……さあ」

 それに比奈子が瞬きをしながら返す。

「俺ら、怒らすようなこと言ったか?」

 釈然としないまま、颯真は閉められた扉を見詰めた。それがもう一度開く気配はない。

  一体、なんだというのだ。

 颯真は扉を眺めたまま、今しがた古田と交わした会話の一連を思い出してみたが、帰れと怒鳴られる要因は見付からなかった。そして結局、幸太郎のことは聞けず仕舞いだ。

「……颯ちゃんの態度が悪かったから怒ったとか?」

「いやいや、それはねぇだろ」

 現にそうならないよう、出来るだけ言葉遣いは気を付けていた。だというのに、古田はあからさまに怒った様子を見せてきた。

「うーん……」

 颯真は腕を組み、首を捻った。どんなに考えても、古田が突然怒り出した原因がわからない。

「あの……」

 そのとき、比奈子が声を掛けてきた。

「おお、怖くなかったか? 大丈夫か?」

 颯真が訊くと比奈子は大丈夫です、と小さく笑顔を見せた。

「怯えている様子ではなかったですか?」

 比奈子は颯真から扉の方に視線を移した。そこにはただ、無機質な鉄製の扉がある。相変わらず開かれる気配はないし、ここにこのままいたとしても、この扉が開くことはないだろう。

「怯えた様子?」

 颯真が聞き返すと、比奈子は頷いた。

「先程、ここを誰に聞いたと知ったとき、彼女は怯えているよえに思えました」

「……」

 颯真はその会話をしたときの古田の様子を思い出してみた。言われてみれば確かに、怯えているように見える。板山の名前を聞いた途端にどこかを扉にぶつけ、全身が震えていた。そして、そのあと突然帰れ、と怒り出したのだ。

「それは、板山センセの名前に怯えたってことか?」

「……流れから考えられるには」

 どう考えても、あの流れではそれしかない。

 ──何故、板山の名前に。

 颯真は目を閉じてみた。無数のパズルのピースがの脳内でぐるぐると回り出す。隙間を見付けてはそこに入り込もうとするが、どうにも填まらない。

 もどかしい。

 そこじゃない。惜しい。似ている。ピース達は移動を繰り返すが、パズルが完成することはない。

「あー、駄目だっ。繋がらねぇっ」

 きっと、情報という名のピースは全て揃っている。しかし、それが填まる場所を見付けられないのだ。

「さっきからうるせぇぞっ」

 ばたん、と勢いよく隣の部屋の扉が開けられた。そこからは茶髪の男が、まるで般若のような顔で姿を現していた。

「あ、三枝木さん」

 颯真は隣の部屋から出てきた茶髪の男を見るなり、その名を呼んだ。大柄の男は、タンクトップ姿なのだが、肩まで刺青が入っている。その男を見るなり、比奈子が颯真の背後に隠れた。

「ん? おお、颯真じゃねぇか。なんだよ、ここの女に借金の取り立てか」

 颯真に三枝木と呼んだ男は先程までの恐ろしい形相をからりとした笑顔に変えた。大口を開けて笑うその姿は気持ちがいいほどだ。

「いえいえ。俺、もう堅気なんで」

「堅気って。お前、そんなに悪じゃなかったろ?」

 三枝木は颯真に近寄ると、その肩をばんばんと叩いた。颯真はそれに体を揺らしながらも懐かしさを感じた。

 三枝木は以前の颯真の仲間の一人だ。

「三枝木さん、ここに住んでんすか?」

「おお、そうだ。一年くらい前からだな」

 颯真はそう言われ、改めてアパートを眺めた。どう見ても独り暮らし用の簡素なアパート。それを確認してから颯真は口を開いた。

「……奥さんと、お子さんは?」

 颯真の知る限り、三枝木には妻とこどもが二人いたはずだ。所謂デキ婚というやつだったが、それなりに幸せそうには見えた。けれど、どう見ても三枝木は今、独りで暮らしているようだ。

 考えられる可能性は二つ。離縁か死別。どちらか判断しづらい為、颯真は静かに尋ねたのだ。

「出ていっちまったよ。ま、俺が悪いんだけどさ。その話はまた今度、酒でも呑みながら聞いてくれや」

 三枝木はそう言って、頭を掻きながら苦笑いをした。颯真はそれに、はい、と短く返事だけした。

「で、何してんだよ。そっちは色羽ちゃんだろ。でも、そっちのかわいこちゃんは知らねぇなぁ」

 三枝木が颯真の後ろに隠れたままでいる比奈子を見て訊いてきた。

「三枝木さん、僕は可愛くないのっ?」

 三枝木の言葉に色羽が抗議をする。

「ああ? 可愛くねぇわけじゃねぇけど、お前さん、男だしなぁ」

 色羽は颯真がヤンチャをしていたときも側にいることが多かった為、三枝木のことも知っていた。

「知り合いの子なんすよ。三枝木さん、見た目怖いっすから、あんま近付かないでやって下さいよ」

 颯真が笑いながら言うと、三枝木はそれに尤もだというように笑った。

「で、陰気女に何の用なんだ?」

 三枝木は鋭い目を古田の部屋の扉に向けた。そこで颯真は三枝木に事の顛末を簡単に説明した。すると三枝木は成る程、と真剣な顔で頷いた。別離しているとはいえ、三枝木も人の親だ。こどもが殺された事件というのは思うところがあるのだろう。

「こいつ、ほとんど外に出ねぇぞ。下のねぇちゃんから聞いた話だと、まだ三十ちょっとだっていうのに、えらい老けて見えるしな」

 三枝木の話に颯真は驚いた。三十ちょっとだということは、板山とさして変わらない年齢ということだ。しかし、古田は四十を過ぎているように見えた。

 落ち窪んだ瞼と白髪混じりの髪のせいだろうか。

「他に、何か知ってたりします?」

 颯真の質問に三枝木は太い首を捻った。

「いやぁ、元先公だっていうのも今知ったくれぇだしな。たまに顔を合わせても挨拶もしねぇような女だしな」

 三枝木は好みでない女にはとことん興味を持たない男なのだ。颯真はそれを思い出し、質問するだけ無駄かもしれないと思った。どう考えても、古田は三枝木の好みではない。三枝木の好みは、派手な女だ。出ていったという妻もまた、派手な女だった。

「あー……でも、一個あるわ」

 三枝木はまた古田の部屋の方に視線を向けた。

「なんすか?」

 なんでもいいから情報が欲しい。古田に関することが事件を解決する鍵になるとは限らないのだが、今はひとつでも多く情報が欲しいとこだ。

「たまになんだけどさ、男が訪ねて来てるぞ」

「男っすか?」

 意外な単語に颯真は驚いた。偏見かもしれないが、古田は男が訪ねてくるようなタイプには見えなかったのだ。

「そいつ意外にここに来る奴なんて見たことねぇし、物好きな奴もいるなってんで覚えてたんだけどよ」

「どんな男か覚えてたりします?」

 三枝木の口振りからするにそこは期待出来た。

「ああ、よく覚えてるわ。背が高くて、すらっとした、そこそこかっこいい兄ちゃんだったな。歳もここの女と変わらねぇくらいだと思うぞ?」

 大分抽象的ではあるが、颯真にはそれが誰かわかった。それに、彼はここの住所も知っているのだ。

「古田さんと話したりとかはしてたっすか?」

「いやぁ、そんなことはなかったな。ひたすら男が扉叩いててさ。呼び掛けてんだけど、出てこねぇの。出掛けてるわけはねぇから、居留守なんだろうな。借金取りにも見えねぇ男だし、痴情の縺れってやつか?」

 それは、違う。けどまあ、三枝木の頭の中を占めるのは女と酒が大半だ。だからそういった思考に落ち着いても不思議はない。

「ありがと、三枝木さん。今度、安くてもいいなら、酒、奢るっす」

 颯真は三枝木に礼を言い、戻ることを決めた。

 ──今からで間に合うだろうか。

 陽は大分落ちてきている。まだ明るいのは秋の手前だからで、時間的には既に夕方だ。

「急ぐぞ」

 颯真は比奈子と色羽に言い、古田の住むアパートを後にした。


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