5
色羽と比奈子を伴って例の幽霊屋敷を再び訪れた颯真は、見知った姿を見付けた。門扉の前にただずんでいるのは、あの、痩せ細った少年だ。
「少年、どうした?」
颯真は色羽達から離れ、彼に声を掛けた。すると、少年はやはり緩慢な動きで、颯真の顔に視線を向ける。
「……ここね、僕の家だったんだ」
彼は、ぽつりと衝撃的な言葉を告げてきた。この幽霊屋敷と呼ばれる、殺人事件のあったところが、彼の家。
「お前、名前は?」
颯真は少年の言葉に対しては何も言わずにそう訊いた。
「高岸 結斗」
彼は物静かな声で答えた。
「学年は」
「中学一年」
小学校高学年程度だと思っていたので、颯真は結斗の返しに少々驚いた。人のことは言えないが、結斗の背丈はその年にしては低い方だ。
「中学生も、まだ噂話すんだな」
二日前、学校で噂になっているのか、と尋ねたのは彼が小学生だと思っていたからだ。自分が中学生の頃を思い浮かべてみても、颯真は当時同級生とはほとんど関わっていなかったのでよくわからない。
「するよ。くだらない噂話を」
結斗は半ば吐き捨てるように言った。
「……嫌だろ」
颯真の問いに、結斗は何が、と返してきた。動きは緩慢な間まで、その瞳は虚ろだ。何を映しているのかわからない。もしかしたら、何も映していないのかもしれない。
「自分の家が、幽霊屋敷って呼ばれたり、殺人事件が起きるなんて」
颯真の生家は既にない。建物自体あるかどうかも怪しい。自分が幸せに暮らしていた場所がなくなっているというのは、結斗と似ていた。
「そうだね。嫌だね。何で、て思うよ。幽霊屋敷だから、何してもいいわけじゃないんだ」
結斗の口調に力がこもったように感じた。まだ彼は幼い。何年前までここに住んでいたのかは不明だが、この屋敷の様子から察するに、かなり前だろう。ならば、彼はここで暮らしていた頃の記憶はあまりないかもしれない。それでも、彼からしたら、ここは生家なのだろう。
これほどの屋敷。もしかしたら、父親が事業に失敗して、夜逃げなり、売却なりしたのかもしれない。それでも人手に渡ることはなく、こうして空き家のままなのだろう。
しかし、その経緯を結斗に直接訊くのは躊躇われた。颯真は小折にメッセージアプリで連絡を取り、この屋敷のかつての持ち主について尋ねた。警察ならば、既にそのことは調べているだろう。
それが事件に関係あるかはわからない。でも、無駄な情報ではないと、直感が訴えている。
「何で、見に来てるんだ?」
颯真は率直に思ったことを質問した。かつて、家族で暮らした場所。そこが荒れ果てている姿というのは、一体どんな気分なのだろう。自分は、姿を変えているだろうあの家を見たとしたら、どんなふうに思うのだろうか。
「思い出すんだ」
結斗は感情のこもらぬ声で言った。
「思い出す?」
「そう。昔のことを、思い出すんだ」
結斗の横顔は、何を想っているのか全くわからぬほどに虚ろだった。無表情とは、違う。
「皆が幸せだった頃のことを、思い出す。あんなに、幸せだった。そんな場所だった」
その言葉で、彼や、彼の家族が今は幸せでないことを知る。
かつて、幸せにくらした場所は、今や幽霊屋敷と呼ばれ、挙げ句、そのせいで殺人事件の舞台にまで、された。幽霊屋敷と呼ばれることがなければ、殺人までに使われなかったかもしれない。
……違和感。
颯真の中で、もぞもぞとパズルのピース達が動き出す。しかし、それは上手く填まらない。様々な形をしたピース達は犇めきあう。
幽霊屋敷。殺人事件。被害者は破落戸。彼等を誘き寄せる方法。
……違う。
──誘き寄せたんじゃない。
どちらが先か。どちらが、噂を流したのか。
パズルのピースがぐるぐると忙しなく動く。填まる場所を探し、右往左往。ここじゃない。そうじゃない。違う。
──後、少し。
全てのピースを填めるには、情報が必要だ。これだ、と確信を得る為の情報が。
颯真はスマホを取り出しながら、結斗から離れた。小折のメモリーを呼び出しながら、色羽と比奈子に、結斗をここに繋ぎ止めるように指示を出す。
『颯真君? ちょうど、先程の件で連絡しようと思ってたんですよ』
小折が決して明るくはない声で言った。
「ありがと」
颯真はそう答えてから、暫く、小折の話を聞いた。
小折の話では、この屋敷は八年ほど前までは確かに人が住んでいたとのことだ。主の名前は高岸 徳則。恐らく、結斗の父親だろう。徳則は外資系の会社を彼の父親から受け継いだらしいが、八年前に倒産。負債などを抱えた徳則は失踪。その後、妻は心労で死亡。残った息子──結斗は児童養護施設へと入所。
屋敷は抵当に入れられたが、買い手はつかず、今の状況になったということだった。
颯真は結斗の方へと視線を向けた。痩せ細った体。虚ろな目。それらは全て、彼の生い立ちが、彼をそうさせてしまったのだろう。
『あ、何か用事ですよね?』
電話の向こうで、小折が言う。彼はおっとしとしているのに、察しがいい。普段、小折に何かを尋ねるとき、颯真は時間帯に応じて連絡手段を変えている。とはいえ、なかなか颯真から連絡をするようなことも、実際は少ない。けれど、小折が職務中であろう時間帯は、颯真は必ずメッセージアプリを使用していた。
これならば、相手の状況を気にすることはないからだ。しかし、今は電話という方法を取った。そこから、小折は颯真の用件が急ぎであることに気付いたのだろう。
「ああ、はい。実は、他にも調べて欲しいことがあるんすけど」
颯真は出来るだけ簡潔に用件を伝えた。調べて欲しい、とは言ったが、警察ならば既に気付いているだろうとは思っていた。けれど、此度の事件に関係しそうにないと思われれば、その情報は重要視されない。この屋敷の以前の持ち主のことのように。だとすれば、そのことが颯真の耳に入っていないのは当然のことだ。
『何故、そこに?』
颯真の用件を聞いた小折が驚いた声を出した。
「いや、どっちが先なのかな、てさ」
『どっちが?』
「そう。そこなんすよ。そこが、埋まらない。でも、今のでわかった。ありがと、小折さん」
颯真は感謝の言葉を述べてから、小折に屋敷の前に来るようにお願いした。すると小折は、静かな声で、直ぐに向かいます、と返し、失礼します、と律儀に断ってから電話を切った。
颯真は真っ暗になったスマホ画面に映る自分の顔を見下ろした。
──自分だって、そこに立っていたかもしれない。
自分はたまたま、仲間に恵まれたのだ。友人に、恵まれたのだ。彼等に、支えられたのだ。だから、こうして、笑っていられるのだ。
颯真はスマホを握り、結斗の近くへと戻った。
そこでは色羽が結斗に何やらにこやかに話し掛け、それを比奈子が眺めていた。結斗は相変わらずの虚ろさで、色羽の言葉にはあまり反応していないように見える。
「……許せなかったのか?」
颯真は結斗の背後に立ち、尋ねた。思っていたより低い声が出たことに、自分でも驚く。色羽や比奈子も、颯真の声色に驚いたように颯真に視線を向けてきた。
「そうだね。許せなかった」
結斗はそれに対し、虚ろなまま答え、緩慢な動作で颯真の方を向く。まるで、首だけがだらりとこちらを向いているかのようで、気味が悪い。
「颯ちゃん?」
当然、事情を理解出来てない色羽が首を傾げる。
「一緒に、警察に行こう。これから、優しい刑事さんが迎えに来る」
結斗は頷くことも、抵抗することもなく、ぼんやりと、颯真を見上げるだけだった。
「……まだ、子ども、だったよね?」
颯真の部屋はいつもの面子が揃っているにも関わらず、普段とは正反対に静まり返っていた。そんななかで、ふと、色羽が口を開いた。
「まだ、十二歳でした」
それに、小折が静かに答える。
今回、五人もの大人の男を殺した犯人は、まだ十二歳の少年──高岸 結斗だった。捜査本部も、今回の事件の犯人は男達に恨みを抱く、大人の犯行だとあたりを付けていたようで、犯人逮捕を受け、騒然としている様子だと、先程小折が教えてくれた。
それも、そうだろう。
かつての高岸邸の噂については、サイトのログを調べたところ、被害者である男達が故意に流したものだということが判明した。──理由は、あの場所で犯罪を行う為、との見識が強い。
実際、被害者達は、元高岸邸が幽霊屋敷だという噂を流した後から、あの屋敷に女性を監禁、暴行、というのを幾度か繰り返していたらしい。被害に遭った女性達は無論、被害届を出している者もいたが、意識を失った状態で拉致され、同じく意識を失った状態で離れた場所で解放されていた為、犯行現場があの屋敷だとは知らなかった。なので、あの屋敷での犯行が露見することはなかった。
颯真は小折に調べてもらおうとしたのは、そのことだった。あの屋敷に、今回の被害者達以外の血痕などの有無。そしてそれは、颯真の予想通り、被害者達以外の複数の血痕が発見されていた。
──あの屋敷が幽霊屋敷だから、殺人事件の舞台に選ばれたわけではなかった。
勘違いしていたのだ。被害者達は、幽霊屋敷であるあの屋敷に誘き寄せられ、殺されたのだ、と。
真実は、あの屋敷にいたからこそ、殺されたのだった。
「結斗君は、幼少期に住んでいたあの屋敷を、いつものこっそり見に行っていたということでした。昔を、思い出す為に。そして、幽霊屋敷だという噂も気になった。あの屋敷で誰かが死んだわけではないのに、何故だろう、と。だから、深夜に児童養護施設を抜け出しては、本当に幽霊が出るのか、確かめに行っていたらしいです」
そこで、被害者達の犯罪を目撃してしまったのだろう。女性を連れ込むところか、もしくは、女性を棄てに行くところか。そして、彼等が楽しげに噂に関して話すところまで聞いてしまった。
──あんな噂を流しただけで、誰も寄り付かないもんだ。
一人の男が、大声で笑っていた。頭にきた。許せなかった。僕らの家族が暮らしていた場所を、そんなことに使うなんて。そんな噂を流すなんて。
結斗は、虚ろな瞳のまま、淡々とそう語ったとのことだった。
「……何も、言葉がないですね」
比奈子がぽつりと溢した。それには、颯真も同感だった。
部屋の中の空気は重いまま、外の陽は、徐々に沈んでいく────。