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2

 パトカーの音というのは、何度聞いても胸をざわつかせる。過去の出来事を想起させ、それは決して忘れてはいけないことだと突き付けられるかのようだ。実際、決して忘れてはいけないことなのだ。そんなことはわかっている。わかっているというのに、確認をさせられるのだ。

「大丈夫ですか?」

 颯真はその声で我に返った。額から幾筋もの汗が流れ、顎を伝っている。

「……小折さん」

 颯真は声の主をそっと呼んだ。小折はそれに歪んだ笑みを見せ、そっとハンカチを差し出してくれた。タオル生地のそれは綺麗なブルーだ。

「ありがと」

 颯真はハンカチを受け取り、流れ落ちる汗を拭いた。暑いからではない。その証拠に、指先は恐ろしく冷えていた。隣では色羽が項垂れている。

「ごめんね、颯ちゃん」

 色羽はしゅん、と呟き、颯真の手を握ってくれた。じんわりと温もりが伝わる。

「気にすんな。大丈夫だ」

 颯真は言い、ぎこちないながらも笑顔を見せた。

「さて、そろそろ話を訊いてもいいか?」

 頭上に影が落ちる。洋館の庭の石垣。本来は花壇であったのだろうそこには、花など一輪もない。あるのは渇いた土と雑草だけ。颯真と色羽は並んでそこに腰掛けていた。

「岐志先輩。今少し、待ってもらえませんか?」

 影の主に、小折は控えめな声ながらも意思の強い口調で言った。

「いや、大丈夫っす。もう、平気っすから」

 颯真は小折の気遣いに感謝しつつも立ち上がった。暑いなか、下を向いて座っていたせいか、一瞬立ち眩みがしたが、どうにか堪える。刹那暗くなった視界は、直ぐに開けた。

「本人が大丈夫と言うなら、大丈夫だろう」

 岐志はどこか高圧的に感じる。しかし、そこに悪意は感じられない。大柄な体と鋭い目付きのせいだろう。

「じゃあ、まず、何でここにいた?」

「肝試しを、しようと思いました」

 色羽がしたがったから、というのは口にしなかった。そんな、責任の押し付けを颯真は好まない。自分もここにいる時点で同罪のようなものだ。実際、ここが人の所有地であるならば不法侵入という行為に問われる。

「肝試しね、成る程」

 岐志はそれに対して叱るような素振りは見せなかった。颯真達が既にこどもと呼べる年齢ではないからか。それとも、ここで肝試しをする人間が多いということか。どちらかはわからない。

「扉を開ける前に何か異変は?」

「特に。これといって気付くことはありませんでした。尤も、この庭じゃ、異変があっても気付かないっす」

 淡々と答えていく颯真の様子に、岐志が眉を僅かに動かした。凛々しい眉がぴくり、と動く。颯真の手慣れたかのような返答を疑問に思ったのだろう。

「警察の事情聴取は慣れてるんすよ」

 颯真は問われる前に言った。確か、初対面のときにちらりと真子のことを言ってしまった気がするが、小折にしたように詳しい話をしたわけではない。ならば、これで通る気がした。颯真の見た目は好青年ではない。警察の世話になったことがあるのは明白だ。なので、そう濁したのだ。

 岐志は突っ込むべきではないと判断したのか、それとも颯真の思惑通りに捉えたのか、それについて何かを訊いてくることはなかった。

「なら、扉を開けてから、死体に気付いたということでいいか?」

 岐志の問いに、颯真は頷いた。

 ──そう、空き家であるはず洋館内には、死体があったのだ。

「扉の鍵は、最初から壊されてたんだよ」

 色羽が颯真に寄り添うようにしながら口添えをする。まだ少し恐怖が残っているのか、色羽は颯真の傍から離れない。

「他に肝試しをした連中ということか」

 岐志は顎に手を添えながら頷く。

「中を観察した理由は?」

「観察つーか、開けた途端臭いが酷くて、一瞬だけ、塊が幾つか見えたんです。だから、もしかしたら、と思って」

「もしかしたら、人が死んでいる、と」

「血の臭いだと思ったし、動物にしてはでかい塊だと思ったんすよ」

 颯真の冷静さが不思議なのだろう、岐志は怪訝な顔をする。

「それで、僕に連絡をくれたんですよねっ」

 場の空気を破壊せんばかりの勢いで小折が声を出した。

「そうっす。100番するより早いと思って」

 要約すると、肝試しをしようとした館には、異臭を放つ幾つかの死体があり、それを見付けた颯真と色羽は慌てて小折に連絡をしたのだ。慌てて、というのは少し語弊があるが、平静で、というわけでもなかった。誰だって、無数の死体を目にすれば慌てはする。

 しかし、あの臭いはまだ生臭さを残していた。腐臭に混じって、血腥さがあった。ということは、まだ、殺されてそんなに時間は経っていないのかもしれない。

 ──いや、殺されたとも決まってないか。

 もしかしたら、集団自殺かもしれない。

「死体は全部で五つ。腐敗が進んではいるが、殺されてから数日程度との見方だ」

「岐志先輩っ?」

 岐志の言葉に、小折が驚いた表情を見せた。

「第一発見者である彼らには、状況を説明する必要があるだろう」

 しかし岐志は淡々とした口調で言った。

 颯真としても、中の様子は少しばかり気になっていた。しかし、聞いたところで一般市民には関係ないと一蹴されるとばかり思い込んでいたのだ。

「……ここで、殺されたんすよね?」

「何故そう思う?」

 岐志は律儀に颯真の相手をしてくれている。きっと、根はいい人なのだろう。颯真は岐志を見上げながらそんなことを思った。

「血が広がってたのと、人数っす。他所で殺されたなら、ここにあんなに血はないだろうし、運ぶのだって大変かと思って。まあ、運ぶのは複数人いれば可能でしょうが」

 小折が戸惑いながらも颯真の話を聞いているのが視界の端に写る。色羽はまだ颯真にぴったりと寄り添っていた。

「目の付け所がいいな。刑事になれるんじゃないか?」

 それは決して、馬鹿にしたような口調ではなかった。しかし、颯真の頭には生まれてこのかた、そんな選択肢が浮かんだことはない。それは、颯真の中での刑事という存在への憎しみが少なからずあるからだろう。

「こんなの、誰でもわかりますよ」

 颯真はそれだけ言って、岐志から視線を外した。恐らく、立て続けに殺人事件の犯人がわかってしまったから、つい口からそんな意見が漏れてしまったのだろう。

 ──俺には関係ないことだ。

 颯真は自分にそう言い聞かせた。

「あの、もう帰っても平気っすか?」

 颯真が訊くと、岐志はああ、と頷いた。そしてそのあとに、追って話を聞くこともあるかもしれない、と付け加えた。颯真と色羽は揃って岐志と小折に頭を下げた。辺りでは警察官が忙しなく動いている。指示を下す声に、シャッター音。

「野次馬……凄いね」

 庭から出ると、洋館を囲むようにして大勢の人が群がっていた。老若男女問わず、近所の人間が集まってきている。

「あ、ごめんね」

 その中を掻い潜って進んでいると、色羽がそんな声をあげた。

「どうした?」

「こどもにぶつかったの」

 色羽が答えながら、背後に視線を送る。そこには小学校高学年くらいのこどもがいた。ひょろりと痩せた、肌の色が褐色のこどもだ。地黒なのか、それとも夏休みに海にでも遊びに行ったのか。まるで棒切れのような手足が恐ろしく長く思えるこどもだった。

「……こどもが見るものじゃないよね」

 色羽がぽつりと呟く。確かに、そうだ。かといえ、一般市民が中の様子を見ることはないだろう。

「殺された人達、なんなんだろうね」

 颯真は色羽の言葉に黙って耳を傾けた。確かに、集団で殺されるというのは一体何なのか。その理由など、考えたってわかるものではない。

「ほら、帰るぞ」

 颯真は色羽の手を引き、野次馬の中を進んでいった。遠ざかる野次馬の周囲にマスコミが集まり始めてきたのを背後に感じた。


「その節は有難うございました」

 小折が丁寧に頭を下げた。切り揃えられた髪型は清潔さを感じさせる。

「いやいや、電話しただけだから」

 颯真はそれに手を振って苦笑いを浮かべた。礼を言われることなど何もしていない。

「なんのことですか?」

 それに、比奈子が茶を淹れる支度をしながら首を傾げる。颯真の部屋に来客があると、最近では比奈子が率先して茶の支度をしてくれる。元々気が利く性格なのだろう。

「あれ、颯ちゃん、言ってなかったの?」

「言ってなかったも何も、会ってねぇもん」

 この間、複数の死体を発見してから、三日の時が経過していた。その間、比奈子とは特に顔を合わせていない。色羽が大学のゼミの合宿で姿を現していなかったせいもある。自分からわざわざ比奈子に会いに行く用事は颯真にはない。

「え、目の前に住んでるのに?」

 色羽がそれに驚いたような声をあげる。

「いやいや、目の前に住んでても、たまたま会わなきゃ会わねぇだろ」

「……それ、颯ちゃん、僕にも言ったことあるよね」

 色羽がぽつりと溢す。

 ──確かに、言った。

 でもそのときは、意識的に色羽と会うことを避けていただけだ。だというのに、色羽はいつも何処からともなく現れ、颯真の隣にいた。

「そうだったか?」

 しかし、颯真はそれを濁した。

「で、何があったんですか?」

 それでも何か言おうとする色羽を遮るように比奈子が口を開いた。颯真はそれに内心感謝しつつも、この間の説明を簡潔にした。長々と話すことではない。

「そんなことがあったんですか。颯真さんて、そういうの呼び寄せる方ですか?」

「おぉい、それは聞き捨てならねぇな。なんだその、人が不幸体質みたいな言い方は」

「そのままですけど、何か?」

 ここにいる若者三人。それぞれ抱えるものはある。しかし、それをいちいち気にしていたら、会話が成り立たない。それを知ってか、各々際どい発言を普通にするようになっていた。

「その事件なんですが、相も変わらずというか、いつも通りと言いますか、恥ずかしながら、何の進展もありませんで……」

 小折がしょんぼりとした声を出す。刑事としては不甲斐なさを感じているのだろう。

「まあ、幽霊屋敷とか言われるくらいの場所なら、人が近付くことも少ないだろうから、目撃情報もないんじゃないすかね」

 だから、あの場所を選んだのかもしれない。前回の吸血鬼事件も、死体の放置場所は空き家が選ばれていた。

「そうなんですよね。庭もあの通り、伸びた草で覆われてしまっているので、見通しも悪いんです」

 陽が落ちてしまえば何も見えないだろう。颯真は現場となった洋館を思い出してみた。

「そうなんですよ……」

 小折はあからさまに肩を落としている。

「よし、颯ちゃん。これは協力するしかないよ」

 比奈子が注いでくれた麦茶を一気に飲み干した色羽が大きな声をあげた。

「おい、馬鹿。あまり馬鹿なこと言ってると殺すぞ」

「馬鹿に馬鹿って言われるのが一番嫌なんですけど?」

 色羽が言いながら颯真の頭を掴んだ。

 ──こいつ、徐々に逞しくなってないか。

 颯真は細腕からは想像出来ない力で鷲掴みにされた頭でそんなことを思った。

「だってお前、考えてもみろ。俺らに何が出来るってんだよ」

「協力しましょう、颯真さん」

 何故か、比奈子までもが色羽の提案に乗った。何が起きているのか理解が追い付いていないらしい小折が目玉をきょろきょろと動かしている。

「あの、協力して頂けるなら有難いのですが、皆様にも都合が……」

 何を言ったらいいのかわからないのだろう小折がしどろもどろ言う。

「大丈夫。颯ちゃん、暇だから」

「私も、暇ですから」

 ──厄介な奴等が徒党を組みやがった。

 颯真はわざとらしく、大きな溜め息を吐いた。


 三人で辿り着いたのは、例の洋館だった。立ち入り禁止のテープは撤去されている。もうここで捜査は一通り終わったのだろう。もう、事件を発見する前の様子と何も変わらない。

「……なんか、違和感」

 色羽がぽつりと溢す。

「違和感、ですか?」

 それに比奈子が答えた。それを少し後ろから眺める。端から見れば、完全に女子二人だろう。

「花とかがないんだよ」

 そんな二人の背中に颯真は声を投げ掛ける。

「花?」

 色羽か颯真の声に振り向いた。その顔は丹念に化粧が施されている。これを男だと言われて信じるやつはどのくらいいるのだろう。

「普通さ、殺人事件のあった場所とかって、花やらジュースやらが置いてあるだろ。慰霊の意味を込めてさ。ここには、それらがないんだよ」

 真子が殺された公園にも沢山の花やらお菓子やらジュース、おもちゃが置かれた。親戚だったり、近所の人だったり、幼稚園の先生から。しかし、ここにはそれらがない。ただの、一つもだ。

 小折の話では、死体の身許は全て判明したとのこと。それならば、親族にもその連絡はいっているはずだ。

 全員、三十歳前後の男だったということだ。

 もしかしたら、家族などは突然の不幸に寝込んでいたりするかもしれない。けれど、親戚や友人などはそうでない人もいるだろう。だというのに、ここには何もない。

 ──それらが意図することは。

 颯真は考えを巡らせようとして、止めた。

「なあ、訊いてもいいか?」

 颯真は比奈子に声を掛ける。色羽は恐らく慰霊の品がないかどうかを探しているようで、洋館の外周を見る為に動いていた。

「なんですか?」

 比奈子が首を傾げると、長い絹のような髪がはらりと揺れた。

「なんで、協力するとか、言い出した?」

「……迷惑でしたか?」

 比奈子の声が小さくなる。普段、あまりに普通に接しているし、比奈子も気の強い顔を見せることが多いので忘れがちになってしまうが、彼女は対人恐怖症の気があるのだった。それでも、本人から普通に接して欲しいとも言われている。しかし、ふと、強い口調になると比奈子は怯むような表情を見せることがある。

「いや、その……」

 そうなると、颯真も言葉を選ばざるを得なくなる。いくら、本人から普通に接して欲しいと言われても、怯えていることに気付きながら、更に怯えさせるような真似はしたくない。

「まあ、迷惑か迷惑じゃねぇかって訊かれたら、そりゃ迷惑だけどさ」

 しかし、本心を隠しても仕方無い。というより、嘘をつくことに意味はない。

「ごめんなさい……」

 普段、気が強い面を見せられることが多い為、しおらしい素振りをされると更に焦る。

「あ、いや、何もすげぇ迷惑ってわけでもねぇんだけど……。ただ、さ」

「ただ?」

 比奈子が恐る恐るといったふうに上目遣いをする。大きな黒色の瞳が颯真の姿を捉えている。

「なんでかな、てさ」

「なんで、ですか?」

「ああ。俺もそうだけど、お前も、家族を、その……殺されてるわけだろ。ならさ、こういった物騒なことには、自分から首を突っ込みたがらねぇんじゃないかと思ってさ。なにも、敢えて自分から、過去を思い出すような真似をしなくても、て思ったんだ」

 比奈子のそれは、まだ過去と呼ぶには新し過ぎる出来事だ。なのに、比奈子は今回、自ら協力すると申し出た。それが、颯真には不思議でならなかった。

「颯真さんの気持ちも考えずに、本当にすみません」

 比奈子は何かを勘違いしたらしく、深く頭を下げた。恐らく、颯真自身がそういった過去を呼び覚ます事柄に関わりたくないと思ったのだろう。それはあながち外れではないが、強く拒む、というほどのものでもない。颯真にとって、それは既に過去と呼べるほどに古い出来事なのだ。かといって、忘れてしまえるものでもない。非常に、微妙な線引きだ。

「あ、いや、俺の気持ちはいいんだ、別に。たんに、あんたの考えが気になるってだけで」

 気になる、という表現を使ったはいいものの、自身の中でそれが少し引っ掛かる。

 ──いやいや、考えが、て付けただろ。

 それを己で否定する。そういったものは、蓋をしておきたかった。

「私は……兄の意思を継ぎたいんです」

 比奈子がぎゅ、と拳を握るのが見えた。俯いたまま、慎重に言葉を重ねていっているようだ。

「兄貴の?」

「はい。刑事だった、兄の意思を、です。それに、私自身、兄を殺されて、辛い想いをしました。でも、颯真さんに犯人を見付けて頂いて、感謝しました。犯人が見付かればそれで終わりでもないし、憎しみをぶつける場所が出来たというのとは、勿論違います。それでも、見付からないままよりは、いいんだと思います。形としての、解決、します。全てが片付くわけでも、なくなるわけでもないです。それでも、上手く言えないんですが、何か、違うんです」

 真子を殺した犯人は未だ捕まっていない。そしていずれ、当時存在していた時効というものを迎えるのだろう。だから、颯真と比奈子の考え方は、違うのかもしれない。

「だから私は、こういった事件の犯人が、きちんと見付かることを望みます。兄も、そんな意思で刑事をしていたのだと思いますし。それなら、私なんかで協力出来ることはしたい、と思いました」

 一生懸命言葉を紡ぐ比奈子から伝わってくるものは、真剣さだった。比奈子の想いが、その一言一言に込められているのがわかる。

「そっか」

 颯真は話に一区切り終えたらしい比奈子に、そう言った。

「はい。けれど、それは、私の我が儘です。だから、颯真さんや、色羽さんを無理矢理巻き込むことは自重します。言葉は悪いですが、私の勝手で動きます」

 まだ少女と呼べるような子にそう言われ、はい、そうですか、と頷く男がいるだろうか。

「はぁ。お前の考えはよくわかった。言いたいこともわかった。俺も、出来る限りのことはする。でも、それとなんでもかんでも、てのはまた別だ。状況をよく見て、考えて、行動する」

 颯真の返しに、比奈子がきょとんとした顔をしている。颯真の言葉が意外だったのだろう。

「あのな、俺が、女一人に危ない真似をさせる奴に見えんのか?」

 もし見えたとしたなら、かなりショックだ。颯真はそう言って、比奈子の頭に手を伸ばした。さらさらの髪の毛は手触りがいい。颯真も決して背が高いほうではないが、比奈子はそれより小柄だった。頭を撫でることは難しくない。

「危ないと思ったら、俺が止める。守ってやる。だから、お前は気が済むように動けばいい」

 何を考えたわけでもない。ふいに、そう思えた。兄を亡くした比奈子に、自由にして欲しいと思ったのだ。その為ならば、自分がそれに手を貸すこともいとわない。自然にそう思えた。

 自ら過去を想起させるようなことに首を突っ込むということにに、抵抗がないわけではない。けれど、見て見ぬ振りを出来る性格でもない。ならば、目の前にいる少女に合わせてみるのも悪くないと、そう思えたのだ。

 何も、積極的にというわけではない。自分が関わってしまった事柄のみだ。それで、いいじゃないか。無理をするわけではない。颯真は比奈子の小さな頭を撫でながら微笑んだ。

 比奈子は最初、颯真の行動に驚いたような顔をしていたが、次第に表情を歪めた。いつもは白い頬が薄い朱色に染まっていく。

「せ……セクハラで訴えますよっ」

 比奈子は颯真の手を振り払うようにして身を捩った。

「おお、悪……て、セクハラってなんだ、おいっ。誰がセクハラだっ」

「セクハラというのは語弊がありました。強制猥褻罪で訴えますよ」

 比奈子は颯真が触った場所に自身の手を置いている。颯真の手にはまだ、ほんのりと比奈子の温もりが残っていた。

「お、ま、え、は、なぁっ。もう少し可愛げを持て」

「大きな声を出すのはやめて下さい。あと、お前と呼ぶのもやめて下さい」

 比奈子は早口で捲し立てるように言い、色羽のもとへも駆け寄っていった。颯真はその姿を見ながら、なんとも言えぬ気分をもて余した。

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