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有亜が勤める大学病院の直ぐ近くの公園に小折はいた。任意同行を求めるのは小折の仕事ではないらしく、小折は公園のベンチにぽつんと座っていた。端から見れば、休憩中のサラリーマンのようだろう。
「小折さん」
颯真と比奈子は小折のもとへと駆け寄った。小折はそれに振り向き、複雑そうな表情を作った。
「ほぼ、決定なんすか?」
警察の冤罪の仕立て方は嫌というほどに知っていた。怪しい、というだけで逮捕の手順を立てようとするのだ。いや、怪しくなくとも、だ。その近くにいる存在というだけで、警察は容疑者というのを生み出すのだ。颯真の父親がそうだったように。
「……はい、多分。神羅先生以外に、被害者達の共通点がないんですよ」
小折は項垂れるようにして言った。颯真と比奈子はそれに互いに顔を見合せた。
「急ぎでスポーツジムをあたってはみたんですが、他に被害者全員と言葉を交わすような人はいないらしくて」
「他には?」
「え?」
颯真の問い掛けに、小折は一瞬驚いたような顔をした。比奈子も同じような顔をしている。
「他には、何か聞けたことはあるんすか?」
怒りに似た感情が込み上げてくる。有亜は犯人ではないだろうという、確信めいたものが颯真の中にあった。
「あ、えっとですね、被害者の方は皆、花が好きだったようです。好きだった、と言っても神羅先生に憧れていて、同じように花を部屋に飾っていた、と」
「だったら、現場に落ちていた花が有亜さんのだっていう確証はないんすよね?」
颯真は詰問口調になっているのが自分でもわかった。小折を責めても仕方無い。しかし、颯真の生い立ちについて聞いている小折は、颯真の気持ちがわかるのか、悲しそうな表情をしている。
「そうなんです。そうなんですけど、捜査本部も、全く犯人が見えなくて焦っていると言いますか……」
小折が言いたいこともわかる。それでも、冤罪は生み出していいものではないのだ。
夕暮れが近付く公園は、こどもの姿が少なかった。砂場で遊ぶこどもが三人いるだけだ。昼間はきっと、こども達で溢れているのだろう。
颯真は何とも言えぬ想いを抱きながら、こども達を眺めた。
「僕、進言してみます。神羅先生を犯人とする物的証拠も、状況証拠もないですから」
小折はすくり、と立ち上がった。そのとき、視界の端に、とある人物の姿が入り込んだ。見間違えようのない細さ。
──谷村だ。
谷村はのそり、と気力のない動きをしている。緩慢で、細過ぎる体だというのに、重そうに足を運んでいる。そして、やっとというようにベンチに腰掛けた。だというのに、顔付きはやけに生き生きとしている。その差が、何処か恐ろしかった。
「痒……」
谷村から眼を話せずにいると、小折が呟いた。颯真はそれに、小折へと視線を動かした。
「どしたんすか?」
「あー、いや、蚊に刺されたみたいで……」
小折は自身の頬を掻きながら答える。
「お、もう腫れてきてますね」
近頃の蚊は個体として強いのか、刺されたところが以前の蚊に刺されるよりも腫れ上がるように思える。そして、漸く痒みが引いたと思っても、翌日にぶり返したりするのだ。
「もー、人間の血が食糧って、勘弁して欲しいですよね」
かちん、と何かが嵌まる音がした気がした。
「小折さんっ。今のも一回言ってくれっ 」
言葉の意味が理解出来なかったわけではない。今一度、自分の中で確認したかったのだ。
「え? 人間の血が食糧って……?」
小折は訳がわからないといった様子のなか、同じ言葉を繰り返した。
「それだ、それだよ、小折さんっ」
颯真の中で、物凄い勢いでパズルのピースが嵌まっていく。確証はない。しかし、確信はあった。
颯真はうんうんと一人で頷き、小折から離れた。小折はそれに、どうしたんですか、と困惑しながら颯真を追ってくる。颯真は完成したパズルを眺めるようにして、足を進める。辺りは夕刻だというのにまた明るい。
「あの……」
比奈子も小折と同様に颯真の後をついてきて声を掛けるが、颯真の耳には届かなかった。
青空が広がり、木々が揺れる音がする。さあ、と穏やかな風が凪ぎ、颯真の頬を撫でた。すう、と体の芯が冷静になっていくのを感じた。
颯真は目的の場所まで進むと、静かに口を開いた。
「谷村さん」
そして、その名を呼ぶ。
「犯人は、貴女っすよね」
自分でも驚くほどに静かな声。谷村はそれにのっそりと顔を動かす。落ち窪んだ瞳は幽霊のようだ。
「貴女は、人間の血液しか、口にしない──出来ないんすよね?」
完成したパズルが導き出した答えは、それだった────。
「今回も、颯真君のお陰で犯人が逮捕出来ました」
小折は丁寧に頭を下げながら、菓子折を颯真の前に出した。
「いやいやいや、今回もって。二回目っすから」
しかも、何をしたわけでもない。たんに、わかってしまっただけだ。今回も、前回も。
「そうだよー。ただの偶然だよー」
すっかり元気になった色羽がいつもの調子で言う。
「いえいえ。颯真君のお陰です。谷村さん、あの後署で自供しました」
その解説を、小折は丁寧に聞かせてくれた。
犯人であった谷村は、自分の食糧として、若い女を拐っていたということ。昔、谷村の父母が精肉店を営んでいて、肉の解体作業などを見て育ったことから、肉を口に出来ないこどもに育ったらしい。そして、十代の頃からは植物に興味を持ち、そんな植物をも口にすることが出来なくなった。以前はそれでも無理矢理普通の食事をしていたらしいが、ある日、鋏で自分の指を不注意から切ってしまい、その血を舐めとったら、血液が非常に美味しく感じられたのだ。その後、父母が精肉店を閉めた跡地に生花店を出した。被害者となる女達は、全員店の客だったらしい。彼女らを拘束し、血液を抜いた。血液の抜き方など、ネットで検索すれば簡単にわかったし、必要なものもネットで揃えたということだった。そして、血液を抜かれ、死んだ体は、精肉店の名残であった冷凍庫に保管していたが、死体が溜まってきたので棄てた。
彼女は、心から血液だけを必要としていたらしい。
そういう病気もあるということだが、谷村の場合は精神的なものだというのが警察の見方だった。
「……なんとも言えないっすね」
話を聞き、颯真はそう洩らした。自分が生きる為ならば、他人を殺すこともいとわない。そういう人間はこの世に溢れているのだろう。
「神羅先生からも、颯真君にお礼を言って下さいとのことでした」
小折の言葉に、颯真は頷いた。冤罪が生まれなくてよかったが、気持ちとしては晴れない。殺人事件の後なのだから当たり前なのだろうが、どうしても、多少気分は落ち込む。
「よしっ。お好み焼きっ。お好み焼き食うぞっ」
颯真が大きな声を出すので、小折達は驚いた表情になった。
「となったら、お前、手伝え。女だろ」
比奈子に対して、普通でいい、という了承は本人からもらった。なので颯真は今までのように比奈子に気遣うような態度をやめることにしたのだ。
「だ、男女差別ですっ。女だからって」
比奈子が珍しく大きな声で反論してきた。
「ん? なんだ、お前、料理出来ねぇのか?」
「それくらい出来ますっ」
「ならいいじゃねぇか。ほら、手伝えよ」
颯真が台所スペースに行き手招きすると、比奈子は何故か顔を赤く染めた。
「比奈ちゃん、颯ちゃんと至近距離に行きたくないんだよ。察してあげて、それくらいー」
小折の横で頬杖をつく色羽が随分と心外な発言をした。
「な、そんなっ。色羽さんっ」
それに比奈子がそれが事実だと謂わんばかりに慌てふためく。颯真はそれに若干傷付きながらも、溜め息を吐いた。
「ああ、はい、そうですか。わかったよ。じゃ、小折さん、手伝ってくんねぇすか?」
「喜んでっ」
小折は仔犬が尻尾を振るかのような勢いで了承してくれた。それに、比奈子は何か言おうとしていたが、色羽に宥められ、落ち着いたように大人しくなった。
「今日は豪勢にベーコン入れるか」
「それは豪勢って言いませんー。豚肉と魚介類入れて下さいー」
すっかりいつもの調子を取り戻した色羽は相変わらずで、やはりこのほうが色羽らしい、と思えた。格好も、今日も完璧に女の子だ。
「んなこと言うんだったら、自分で買ってこい」
「えー、病み上がりなのにひどーい」
色羽は、ね、と隣にいる比奈子に同意を求める。それに比奈子は少し困った様子で頷いた。
「はいはい、わかったよ。魚肉ソーセージも奮発してやるよ」
颯真は言いながらストックしておいた魚肉ソーセージの束を取り出した。魚肉ソーセージは安いし、焼けばご飯のおかずとしてもつまみとしても十分なので常にストックしてあるのだ。
「ちょっと、もっと安っぽくなったんだけど?」
「うるせぇな。我儘言ってんと殺すぞ」
颯真の隣では小折が手際よくお好み焼きの準備をしていく。料理に慣れているのだろう。無駄な動きがない。
「はーい、その口癖やめようねー」
「ぎゃあぎゃあ言ってんなら、せめて鉄板くらい出せよ」
キャベツを千切りしながら言うと、色羽がホットプレートでしょ、と揚げ足を取ってくる。
──たまには大人しいほうがいいかもしれない。
いつも以上に容赦ない色羽の言動に、颯真は内心で溜め息を吐いた。しかし、揚げ足を取りながらも、色羽はホットプレートを準備し、比奈子がそれを手伝う。
何気ない日常。それが何よりなのかもしれない、と颯真は穏やかな光景を眺めながら思った。




