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「颯真君っ」
小折の呼び掛けで颯真は我に返った。気付けばエメルの姿は何処にもない。
「中でまた、全身の血を抜かれた死体が……」
小折は周りの野次馬に聞こえないように、颯真にそう耳打ちをしてきた。つまり、これで四人目の犠牲者ということだ。
「おい、天田」
低いその声に、小折の肩が小さく揺れた。そして、そろそろと声の方を向く。そこには以前、比奈子の兄が殺された日に会った、大柄の刑事がいた。
「岐志さん……」
小折はしまった、というような表情を浮かべている。それもそうだろう。こんな場で一般市民と話しているのを見られてしまったのだから。
「まあまあ岐志君。そんな怖い声を出さなくてもいいだろう」 岐志の後ろから初老と思しき男性が姿を現した。真っ白になった髪を綺麗に撫で付けている。初老と思ったが、顔の張り艶はまだ彼が五十代前半くらいであろうことを示している。刑事という職業は気苦労が多いのか、それとも体質や遺伝的なものなのか。
「ああ、すみません」
「名田さんも、この捜査に?」
小折の声の調子がいつもとは違う。どこか怯えたような声色だ。
「ああ。捜査員を増員したとかで、声が掛かったんだ」
嗄れたような声には聞き覚えがあった。そして、その顔立ちにも。爬虫類を連想させるようなぎょろりとした目に、口角の上がった口許。まだ髪は真っ白ではなかったと記憶している。
「名田さん……ですか」
颯真はその名を呼んだ。すると、その男は、ん、と颯真の方に顔を向けてきた。
あの頃の感情が蘇る。憎しみ、哀しみ、懺悔、後悔、ごちゃ混ぜになって胸に押し上げてくる。
「君は?」
名田は颯真のことがわからないらしく、微かに首を傾げた。それもそうだろう。あれから八年。颯真は少年から青年へと成長し、顔付きも大分変わったはずだ。
「朝比奈 颯真です。覚えていますか?」
颯真はそう言ってから、名田に対してぺこりと頭を下げた。それは自然に出た行動だった。
「朝比奈──ああ、妹さんの、ね」
名田は即座に思い出したようで、何かを噛み締めるように目を閉じた。
「真子を殺した犯人は、いつ捕まえてくれるんですか?」
これも、自然と、だ。勝手に口から出た言葉。ぎり、と歯噛みするのが自分でもわかる。込み上げてくる怒りが相手にとって理不尽なものだというのは理解はしている。けれど、それと込み上げる感情はまるで別物のようだった。
「貴方は、あんたは、必ず捕まえると言ったっ。だから待ってろと言ったっ。だから……だから俺は待ってたっ」
それでも、真子を殺した犯人が捕まったという報せが颯真の元に届くことはなかった。もしかしたら、と思っていた。もしかしたら、真子を殺した犯人さえ捕まれば、家族はまた一緒になれるのではないかと思っていた。真子の死から立ち直り、やり直すことが出来るのではないか、と。
「あの事件は、まだ独自で捜査を続けている」
名田の静かな声が耳に流れてくる。
「──もう、いいっす。やっぱり、自分で探すべきだったんだ」
その言葉に、小折が驚いた顔をしたのが視界の端に入った。
颯真は事件の直後、捜査にあたっていた名田にそう言ったのだ。俺が絶対に捕まえてやる、と。父親の汚名を晴らしたいのは勿論のこと、真子を殺した犯人を野放しにするのが許せなかったのだ。
名田は当時、颯真の父親は犯人ではないとしてくる少ない中の一人だった。なので、颯真も話を聞きに来る名田を邪険に思うことはなかった。むしろ、自分にわかることなら、と積極的に話したほどだった。
そのなかで、まだこどもだった颯真は言ったのだ。
──真子を殺した犯人は、自分が捕まえる、と。
名田はそんな怒りと殺気で全身を染めようとしていた颯真を諌めてくれた。
──それは、警察の仕事だ。警察でない人がやったなら、個人的な制裁になってしまう。それは、正義ではない、と。
颯真はでも、と反論した。真子を殺した人間を許すなど出来ない。同じ目に遭わせてやりたい。絶対に野放しになんてしたくない、と。
すると、名田はそれまではあまり見せなかった穏やかな笑みで言ってくれたのだ。
──必ず、必ず自分が捕まえる。約束しよう。
けれど、犯人が捕まることは一向になかったのだ。
「何も言わないで下さい。もう、警察なんて信用してませんから」
颯真はそれだけ言うと、踵を返した。呼び止める小折の声がしたが、今は足を止めたくなかった。一時たりとも、名田の近くにいたくなかったのだ。
「知り合いか」
名田に訊かれ、小折は裏返った声ではい、と返事をした。颯真の言葉から、二人の関係は何となく読み取れた。つい先程まで颯真の生い立ちや考えについて聞いていたが、それが全てではなかったことを知った。
それについて寂しさというものはない。まだ知り合って日は浅いし、自分は重大なことを打ち明けられるほどよく出来た人間だとも思わない。それでも、いつかは聞いてみたいと思う自分もいる。
「お前、何をしていた」
今度は岐志に声を掛けられる。
「あ、いえ、何も……」
そんな嘘が通用しないことは知っている。前回、比奈子の兄を殺した犯人──中宮を拘束したのは颯真で、それは岐志も知っていることだった。それは上にも伝わり、小折は数日間の謹慎という形で処分を受けた。小折が警察庁の人間の息子であるから、その程度で済んだのだ。
「また、捜査内容を漏らしていたのか」
岐志に睨まれる。
「──お言葉ですが、今の捜査本部では手詰まりです。なので、違った側面から事件を見る為にも……」
「そんなのは必要ない」
ぴしゃり、と言いはねられた。岐志の声は低いわりによく通り、辺りにいる野次馬達が何事かと小折達を見る。
「まあまあ岐志君、穏便に。どうせ、何も出来ないんだ。放っておきなさい」
「名田さんっ。その言い種は……」
名田は小折の言葉など聞く耳持たないといった様子で、死体発見現場である空き家へと入っていってしまった。
──あんな言い方しなくても。
小折は珍しく怒りが沸くのを感じた。小折は元来穏やかな性格の為、自分が馬鹿にされたりしても怒りを感じることはなかった。それでも、親しくしている相手があのように言われるのを黙っていられるほど穏やかではない。
小折は震える拳を握り締め、唇を噛んだ。
颯真と名田の間にながあったのかはわからない。本人達に聞く以外、知る術も持たない。それでも、自分は颯真の味方だと思った。元々名田が苦手ではあるが、それが理由ではない。名田の言葉が許せなかったからだ。
小折は決意を固め、空き家の中へと再び足を踏み入れた。
「花があった?」
颯真はぽかんと口を開けた。目の前には小折がいて、手土産にとプリンを持ってきている。有名な店のプリンなのか、箱も瓶も立派だ。
「そうなんです。死体──ああ、まだ身元は判明していませんが、その近くにですね、花が落ちていたんですよ」
小折はいそいそとプリンを二つ、テーブルの上に置いた。寝起きの颯真は、小折が何故ここにいるのか理解出来なかった。いや、寝起きでなくとも理解出来ないだろう。
昨日、小折は颯真と名田のやり取りを聞いている。感情を顕した颯真の姿を見ているし、あの、小折の先輩らしい刑事の態度を見る限り、颯真に事件のことを話したのはばれているだろう。叱られるなり、責められるなりしたはずだ。
だというのに、小折は朝早くからこうして颯真のもとを訪れ、事件の話をしているのだ。理解しろというほうが難しい。
「死体は死後三ヶ月が経過しているらしいです。やっぱり、全身の血液を抜かれていて、死んだ後に冷凍保存されていました。その死体の近くにですね、一輪の小さな向日葵が落ちていたんです」
小折の話をはぁ、と聞いた。この人は、一体どういう神経をしているのだろうか、と思う。昨日は、もう小折が捜査を依頼してくることはないだろうと思いながら眠りについたのだ。けれど、小折はそれが当たり前のように話してくる。
「颯真君、これ、どう思います?」
プリンとスプーンを目の前に置かれる。
──いや、どう思いますとか言われても。
颯真は戸惑いながら小折の顔を見た。視線が交わる。すると、小折は真面目な表情を作った。
「颯真君。僕は犯人を捕まえたいんです。今は、捜査一課で殺人事件を担当しているので、殺人を犯す犯人を捕まえたいんです。関わった事件は、一人残らず」
真っ直ぐに小折の視線が向かってくる。それは颯真の胸の内を見透かすような視線だ。
真子を殺した犯人を捕まえたかった自分を見られている。今でも、捕まえたいと思っている自分を見られている。
「だから、協力してもらえませんか」
代わりになるわけではない。贖罪になるわけではない。だってこれは、真子を殺した人間を捕まえるものではないのだから。それでも、と思う。それが叶わないならば、せめて──。
大きな感情が揺れ動く。
「──俺でよければ」
颯真は、ふ、と笑って承諾した。理由なんて、ない。こんなふうに真っ直ぐに向かってくる人間を拒めるわけがない。それだけだ。
「あ、ありがとうございますっ」
小折はそれに嬉しそうに頭を下げた。あまりに勢いよく頭を下げたので、額をテーブルに思い切りぶつけた。
「大丈夫っすか?」
「ああ、はい。大丈夫です……。僕、石頭なんで」
と言いながらも、小折は痛そうに額を撫でている。
「ふ……あはははははは。あー、おかしい」
颯真は小折の行動と言葉に思い切り笑った。
「え、なんで? どうしたんですか?」
小折は何故自分が笑われているのかわからないようで、困ったように眉毛を下げている。それでも颯真は笑い続けた。颯真の大きな笑い声が部屋に響いていると、ばたん、といきなり扉が開いた。
「颯ちゃーん」
甲高い声は、色羽のものだ。しかし、いつもより少し弱々しい気がしないでもない。
「うるせぇっ。殺すぞ、こら」
颯真はいつも通りの怒鳴り声を返した。
「殺してもいいから病院連れてってー」
そう言って泣き付く色羽を見て、颯真は驚いた。なんと、色羽が女装をしていないのだ。Tシャツにハーフパン。こんな姿の色羽を見るのはいつ振りだろう。しかも、いつもなら颯真の口癖に突っ込むのに、今日に限ってそれをしない。
「え、なんだ、どした?」
抱き付き、胸に頭を押し当ててくる色羽に、颯真は訊いた。
「熱が高いー。下がらなくて、吐くし、頭も重いー」
色羽は本気で泣きながら颯真に訴えてくる。
「おじさんとおばさんは?」
「昨日から夫婦で旅行……」
色羽は昔から見た目によらず体は強い。なので体調を崩すことが極端に少なかった。それは成長するにつれ増していき、十代後半になってから色羽が具合が悪いといってきたのは今日を除いて二度しかない。そんな色羽だから、極稀に訪れる体調不良に対する精神的抗体が全く以てないのだ。
「わかった、わかったから。病院連れてってやるから、な?」
ぎゅう、と力強く抱き付き色羽をなんとか剥がし、額を触る。すると、かなり熱かった。
「颯ちゃーん……」
色羽は小さく嗚咽を漏らしながら、ありがとう、と呟いた。いつも元気よく騒いでいる色羽がこうも大人しいと、長子が狂う以上に心配になる。幼い頃から色羽は体調を崩すと、こうして泣き、颯真に側にいて欲しがった。
「僕、タクシー呼びますね」
「いや、歩いた方が早いかも。イロ、歩けるか?」
商店街を抜けた先に大学病院がある。そこに行くなら、タクシーの到着を待つより歩いた方が早いだろう。
色羽はこくりと頷き、颯真の腕にしっかりとしがみついた。
「掴まってていいから、歩くぞ」
颯真は色羽の頭を撫で、財布とスマホを掴んだ。
大学病院は酷く混雑していた。
待合室で呼ばれるのを待つ間、病院内にある薬局で小折が冷却シートとスポーツドリンクを買ってきてくれた。冷却シートを色羽の熱い額に貼ってやり、スポーツドリンクを飲ませる。少しすると色羽が吐き気がすると訴えてくるので、トイレに連れていってやり、吐かせた。しかし、食欲がなく何も食べていないのか、出てきたのは先程飲ませたスポーツドリンクだけだった。
「大丈夫だからな」
颯真はえずく色羽の背中を撫でてやり、優しく言った。
恐らく風邪の類いなのだろうが、普段健康に過ごしている色羽には相当きついのだろう。時折、ごめんね、と言いながら颯真に凭れてくる。その都度、颯真は大丈夫だ、と声を掛けてやった。
どれほど待ったか、色羽の顔色がかなり白くなってきた頃に漸く順番が回ってきた。颯真と小折で色羽を抱えるようにして診察室へと入った。
「あら」
すると、そこにいた医師は有亜だった。
「夏風邪と、疲れでしょうね」
有亜は色羽の診察を終え、一言。風邪だろうとは思ったが、疲れまであるとは驚きだった。
「疲れ、すか?」
「ええ、そうね。一応、点滴しましょう。脱水症状もあるし、解熱剤も入れるわ」
有亜はそう言って、側に控えていた看護師に指示を出した。色羽は座っているのも辛そうに、横に立っている颯真に寄り掛かっている。
「お願いします」
颯真は色羽を支えながら有亜に頭を下げた。
疲れ、と聞いて何も思わないわけはない。色羽はいつも颯真のところに来る。忘れがちだが、色羽はこれでも大学生で、将来は小学校の教師になる為に一生懸命勉強をしているのだ。そんな合間を縫って、颯真のところを訪れている。
──疲れないわけがない。
颯真はそう思いながら、奥へと連れていかれる色羽を目で追った。
「終わったら、呼ぶわね」
有亜の声に視線を移す。有亜は意外にも白衣がよく似合っている。パソコンやら資料やらを置いたデスクの上に、花瓶が置いてあり、言っていた通りにそこには花が活けてあった。ミニ向日葵を基調とした、小さな花達。こじんまりとはしているが、心が和む。
「ありがとうございます」
颯真は丁寧に頭を下げた。
「それにしても、お綺麗ですね」
小折が安堵の息を吐いた後、突然に言った。
「あら、ありがと。でも、私、君よりうんと年上だと思うけど?」
有亜は悪戯に微笑んで言った。白衣を纏っているせいが、私服のときよりも妖艶さは少ない。しかし、それでも十分な色気は醸し出している。
「えっ? そうなんですか?」
小折は驚いたように言い、それが社交辞令ではない証に目を丸くしている。
「そうよー。三十は裕に越えてるわ」
有亜の見た目は三十歳前後。若作りをしているわけでもないし、大幅に若く見えるわけではないが、驚くことは驚くだろう。
「お忙しいでしょうに、凄いですね」
小折はなんとも言えない返しをした。確かに大学病院勤務となれば忙しいだろう。なのに有亜は身綺麗にしているし、肌も手先も荒れている様子はない。
「ふふ。秘訣があるのよ。内緒だけどね」
シンプルな色の紅をさした唇が動く。艶やかなそれはこまめに手入れをしていないと保てなさそうな潤いを含んでいる。
「へぇー。女性って、大変なんですね」
やはり小折がなんとも言えない返しをする。
「じゃあ、外で待ってます」
「はい。そうして」
颯真の言葉に有亜はにっこりと頷いた。




