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「これで三体目か……」

 岐志が苦虫を潰したような顔でぼやいた。

 ──体内中の血液を抜かれ、干涸らびた遺体。

「また、若い女性ですかね」

 小折は整えた眉をさげ、横たわる遺体に目を向けた。淡いブルーのワンピースに、まるで傷んだ箒のようにぱさついた髪。手首にはシンプルなブレスレット。それは、彼女がまだうら若き女性だということを示している。

 この一週間で三人の被害者が出た。いや、この言い方は正確ではない。何せ、一番最初に発見された遺体は、死後半年が経過していたのだから。何故、白骨化していなかったかというと、被害者は死んだ後、冷凍保存されていたことが判明した。

「恐らく、そうだろうな」

 二番目の被害者は、死後五ヶ月。ならば、この被害者は死後四ヶ月が経過しているのだろうか。小折はそう考え、自分の思考回路が凡人から離れかけていることにぞっとした。六、五、四、とくだっていくのかなどと思うことではない。

 体内の血液を抜かれた遺体。マスコミは「現代の吸血鬼現る!?」などと騒いでいるし、捜査本部でも、捜査の重点は何故、犯人は身体中の血液を抜いたのか、というものだ。警視庁のプロファイリングチームまで出向き、この事件の捜査にあたっているほどだ。

 プロファイリングチームの見解を、勿論小折も捜査会議で聞いたが、正直なところ、何を言っているのかわからない、というのが本音だった。プロファイリングチームは、犯人像、何故、体内の血液を抜いたのか、ということを理論立てて並べていたが、全ては机上のもの。小折としても、プロファイリングがあてにならないとまでは言わないが、そればかりに頼って捜査を進めるのも如何なものか、という思いがあった。

 現に、今の捜査本部は、いつもは相手になどしないプロファイリングチームを捜査の重点に置いている。それぐらい捜査が難航している証なのだが、それだけでは、と思わずにいられないのだ。

「……岐志先輩、どう思いますか?」

 小折は自分の中で燻る何かを吐き出すように問い掛けた。けれど、肝心なことを抜いてしまっていることには気付いていない。

「難航しそうだな」

 岐志はそれだけ言うと、小折から離れ、鑑識の元へと寄っていった。



「わぁお。吸血鬼だってー」

 本日のお召し物は夏らしいデニムのオーバーオール。それはミニ丈で、すらりとした脚を惜し気もなく晒している。そしてピンヒールのサンダル。

 ──男のくせによくそんなので歩けるな。

 颯真は色羽の出で立ちを観察し、呆れを通り越して感心した。年々、色羽の女装はパワーアップしているように思えてならない。元々は女物の服を着るだけだった。それが洒落た服になり、ウィッグを被るようになり、化粧までするようになった。今ではもう、小柄なことと可愛いらしい顔立ちも相まって、本物の女子にしか見えない。

「何だよ、吸血鬼って」

 颯真は自室の為、寛いだ態勢で言う。今日は午後から色羽が比奈子を連れて訪問してきた。手土産に焼菓子を持って。それは色羽の手作りだというアーモンドフロランタンで、程好い甘味が美味い。颯真はフロランタンを立て続けに三個胃に収め、作りおきの麦茶を飲んだ。

「見て、これ」

 色羽は自身のスマホを颯真に見せてきた。最新のスマホ画面は颯真が持っているものと較べ、かなり大画面で、色彩も鮮やかだ。そして、そこに開かれているのはネットニュースだ。色羽はわりにニュースを見るらしく、よく世間のニュースを知っている。それにさんの反し、颯真は全くといっていいほどニュースを観ない。そもそも、この部屋にテレビがないというのもあるが、ニュースというもの自体に興味がなかった。

 正直なところ、観たくない、という想いもある。今のご時世、テレビを点ければ物騒なものばかりだ。ニュースにしても連日連夜殺人事件の報道をし、テレビドラマだってそういったものが多い。ずっとそんなものを目にしていると気が滅入るのも事実だ。とはいえ、そういった理由でこの部屋にテレビがないわけではない。ここに移り住むとき、たんにテレビを買うまでの余裕がなく、電子レンジと冷蔵庫を優先したのだ。テレビがなくても困らないが、電子レンジと冷蔵庫はないと困る。そして、そのまま、二年経った今も、なんとなしに購入していないだけだった。

「なになに。現代に吸血鬼現る……なんだそれ」

 颯真は色羽に見せられたネットニュースを見て、呆れの声を出した。

「被害者は全身の血を抜かれて死んでたらしいよ」

 色羽は言いながら眉をしかめた。最初は物珍しいものと思って読んでみたが、実際内容を知り、気分を害したのだろう。

 ──何の為に。

 普通ならばこういった言葉が出てくるだろうが、颯真の部屋に集う三人は誰一人としてこの疑問を口にしなかったからだ。それは、理由などない殺人を知っているから。

「そんな事件もあんだな」

 颯真はそう言い、スマホから目を離した。この世には、殺人事件が横行している。そして、犯人も横行している。

 ──一体全体、どうなってんだ。

 颯真はそう思い、ソファーに身を投げ出した。今日はバイトもなく、穏やかな午後が過ごせそうだ──と思ったその矢先。こんこん、と鉄の扉が叩かれた。控えめだが、何処か主張するようなノック。颯真は面倒臭い気配を感じながら、色羽に出てくれ、と頼んだ。

「はいはーい」

 色羽は茶色のウィッグを揺らしながら扉を開ける。

「あれ、小折さんだ」

 そして、意外な人物の名を口にした。

「お久し振りです」

 戸口の方から明るい声が聞こえる。

「入って入ってー」

 色羽は颯真に断りもなく小折を部屋の中に招き入れたが、それを咎める気は全く起きない。颯真自身が戸を開けていたとしても同じことだからだ。

「颯真君も比奈子さんも、お久し振りです」

 小折は颯真達を見ると、相変わらずの礼儀正しさで頭を下げた。グレーのスーツは夏仕様なのか薄手だ。

「おー、久し振りっす」

 颯真は体をきちんと起き上がらせて挨拶を返した。それに続いて比奈子も、お久し振りです、と頭を下げる。

「どうしたんすか? また謹慎でも食らいました?」

 颯真は立ち上がり、冷蔵庫へと向かった。冷蔵庫には作り置きの麦茶がいつも入っている。

「あ、いえ、違うんです」

 小折は色羽に勧められるまま、椅子に腰を下ろした。ぴし、と背筋の伸びた座り方は見ていて気持ちがいい。

「ん、じゃあ、遊びに来ました?」

 麦茶をグラスへと注ぎながら訊く。小折は刑事という職業だが、好める人種だった。それは彼の人の好さのお陰だろう。

「いや、それも違うんですが……」

 小折は歯切れ悪く、少しだけ俯いた。小折が颯真の元を訪れる理由は特に思い浮かばない。遊びに来た、というのも多少なりとも不自然ではあるが、それがまだ一番考えられることだったのだ。

「どうしたのー?」

 色羽は少々浮かない顔をした小折の顔を覗き込んでいる。颯真は小折の返答を待ちながらも、麦茶を入れたグラスを彼の前に置いた。小折は律儀にそれに礼を言い、姿勢を正した。

「えーとですね、今、とある事件の捜査をしているのですが、これがまた難航しておりまして……」

「ああ。それで気晴らしにでも来たんすか?」

 颯真は先程まで転がっていたソファへと戻り、続きを促す。

「いえ……そうでなくて。あのー、出来れば颯真君達の意見を聞きたいなー、なんてー……」

 小折はそう言ってから、てへ、と笑った。その仕草は女装男子がやるよりも、童顔刑事がやる方が可愛らしいのだということを、颯真はこのとき初めて知った。


「意見を、て言われてもなー」

 颯真は金髪をがしがしと掻きながら首を捻る。前回の、比奈子の兄を殺した犯人に気付いたのは本当に偶然なのだ。犯人──中宮と話しているうちに矛盾点に気付き、そこから一気に結論を見出だした。しかしそれは、本当に偶然の産物だ。

「無理だよー。颯ちゃん、頭悪いもん」

「うるせぇ黙れ。殺すぞ」

「きゃー、怖ーい」

 色羽が棒読みで言う。しかし、色羽の科白は正しい。颯真は生まれてこの方、一度もテストで百点を取ったことはない。とはいえ、中学の途中までしかまともに通っていないので、それも含め、胸を張れることでもない。

「何でもいいんです。何か、少しでも気に留めるようなことがあれば、と……」

 小折は語尾の方をごにょごにょとさせた。自分で無理なことを言っていると理解しているのだろう。それでも何か、と思うことが彼なりにあるのだろう。颯真達三人は顔を見合わせてから小折の方を向いた。六つの目が一斉に小折に向けられる。

「すみませんっ」

 すると、小折はがば、と唐突に頭を下げた。

「事件の被害者遺族である貴方方あなたがたにこんなことを頼むのは失礼だとは理解しています。殺人事件の話を持ち出すことが、触らなくていい傷に触れることもわかっています。でも、それでも僕は、どんな事件でも必ず犯人を逮捕したいと願っていて、それで、捜査本部も行き詰まっていて、だから……」

「いいよ、小折さん」

 頭を下げたまま言葉を続ける小折に、颯真はそう言葉を掛けた。それに、小折はそっと顔を上げた。

「小折さんて、やっぱりイイ人なんだな」

 小折と視線を合わせてから、颯真はに、と笑った。

 本当にイイ人だ。それしか出てこない。自分の利益のみを優先するわけではない。相手の気持ちをきちんと汲もうとし、それにこころを痛める人。

 小折は颯真の発言を不思議そうな顔で聞いている。何故、自分がイイ人だと言われているのかわかっていないのだろう。そこがまた、小折のいいところだ。

「いいよ。俺らで力になれることなんてねぇと思うけど、話くらい聞ける」

 颯真はそう言って、もう一度笑った。すると小折は何故か柴犬を連想させる瞳をうるうると潤ませる。

「颯真君こそ、本当にイイ人です。ありがとうございます。すみません、こんな不甲斐ない奴が刑事とかやってて」

 小折の瞳は今にも涙が溢れそうな程に潤んでいる。

「いやいや、そんなことねぇって。小折さんみたいな人こそ、刑事をやるべきだ」

 それは紛れもない颯真の本心だった。過去の経験、過去の生活から、色んな刑事を見てきた。それは様々だった。どうしてもいけすかないのもいるし、憎みたい程の刑事だっていたし、いいと思える刑事もいた。そのなかでも、小折は本当に刑事になるべくしてなった人物だと思えた。

 過大評価なんかではない。心からそう思うのだ。

「それならそうと、早速話を聞かせて下さい」

 いつの間にかメモ帳とペンを用意した色羽が小折に笑顔を向ける。

「あ、そうだ。小折さん、こいつの性別なんだけど」

「え、はい。男の子ですよね?」

 颯真の言葉に被るように小折はさらりと言った。そのことに、颯真達三人は驚いて顔を見合せた。色羽の見た目は何処をどう見ても女子に見えるし、比奈子すら同性だと勘違いしていたほどだ。なのに、小折は当然のように色羽の性別を知っていた。

「お前、覚えてないだけで言ってたのか?」

「ううんー。言った覚えないよー」

 色羽がふるふると首を横に振る。

「あ、見たらわかりました。女の子格好してるけど、男の子だな、て」

 小折は当たり前のように言う。しかし、それは当たり前ではない。色羽が繁華街を一人で歩けば、必ずと言っていいほどに男からナンパされるのだ。ナンパをするような男ですら気付けないほどの女装ということ。それを小折は見抜いていたのだ。

「いや、小折さん、すげーわ」

 颯真は感心しながら小折の顔を見た。観察力なのか洞察力なのかは颯真にはわからないところだが、小折にはそういったものが備わっているのだろう。

「うん、小折さんは刑事向いてるよ」

 性別を見抜かれた色羽本人も顔を見合せたしているようだった。小折は何故褒められているのか理解出来ないようで、きょとんとした顔をしている。

「よし、じゃ、それは置いといて、話を聞くか」

 颯真は言いながら、小折の向かいに座る。隣には比奈子が座っていて、少し動くと腕が比奈子の腕に当たる。さらり、とした滑らかな肌だった。颯真はそれを全く気にしなかったが、比奈子は嫌なのか然り気無く椅子をずらし、颯真から少し距離を取った。

 ──ま、男が隣にいるのも落ち着かないか。

 とはいえ、この布陣では何処に座っても比奈子の隣は男になる。なので別に席替えはせずに小折の話を聞くことにした。


 全身の血を抜かれ、冷凍保存され、後に遺棄される。

 それが今回の事件のあらましだということだった。警察では犯人の目星どころか、犯行動機すら掴めていないということだ。まあ、それも無理らしからぬ話だろう。謂わば前代未聞の事件だ。

 実際、小折の話によると、世界的に見れば血液を抜かれて殺される、という事件はないことはないらしい。猟奇的な殺人事件として語り継がれるものにはなっているが、例は幾つかある。自分を吸血鬼だと思っていたり、血を飲むことにとりつかれていたり、と理由は様々だ。

「おおー、ああいうのあるよね、そういえば」

 色羽は突然、意味不明なことを言い出した。意味不明なこと、というか何を言いたいのかわからないこと、だ。肝心な部分が何もない。

「ちゃんと言え、ちゃんと」

 颯真は溜め息を吐いて、色羽に言った。

「なんだっけ、ほら、あれ。若い娘の生き血を飲んで、美しさを保つってやつ」

「あー、海外文学でしたっけ? 昔、漫画でそれを題材にしたのを読んだことあります」

 色羽と小折があるよね、と頷き合っているが、颯真にはなんのことかさっぱりわからなかった。比奈子の方を見てみると、彼女も同じらしく、首を傾げていた。そんな比奈子と目が合う。

「知ってるか?」

 颯真が訊くと、比奈子はいえ、と答えた。

「小説は日本のものしか読まないですし、漫画はほとんど読まないので」

 比奈子は少し言いづらそうにしていた。それは、颯真の部屋には漫画が積まれているからだろう。颯真の部屋には本棚はなく、床に漫画が積まれている状態なのだ。

「おー、じゃあ、何か読むか? 面白いのいっぱいあるぞ」

 颯真は漫画のタワーを指差す。あるのは少年漫画と青年漫画だが、女子が読んでも十分面白いものもあるはずだ。

「いいんですか?」

 比奈子はそれにぱっと表情を輝かせた。もしかしたら、この部屋を訪れる度に気になっていたのかもしれない。しかし、対人恐怖症のせいか、それともまだ颯真とさして親しくないせいかは不明だが、貸してくれ、とは癒えなかったのだろう。

「いいぞいいぞ。ちょっと待ってろ。読みやすくて面白いのがあるから──あ、どんなのは駄目とかあるか?」

「あ、いえ。本当にほとんど漫画は読んだことないので、いいも駄目もわからなくて」

 きっと、比奈子の兄も漫画を読まなかったのだろう。ならば、これからその面白さを知っていけばいい。

「オッケー。じゃあ、幾つか面白いの見繕ってやるよ」

「ありがとうございます」

 比奈子はそう言って、嬉しそうに笑う。その瞬間、颯真の胸は僅かに苦しくなる。胸の奥を小さく絞められたような感覚だ。敢えて擬音で表現することだけは避けたくなる感覚。

 ──これは、マズイ。

 かもしれない、と颯真は比奈子から目を逸らした。

「はいはーい。いちゃついてるやめてねー。話続けてるよー」

 そこに色羽が割り込んできた。ぐい、と顔をこちらに迫らせている。

「べ、別にいちゃついてねぇだろっ」

「そ、そうですよ」

 二人揃って否定の言葉を口にするが、色羽の口許はにやにやとしていた。わざとらしい、嫌な笑みだ。

「はいはい。わかりました。で、話続けていーい?」

 色羽はにやにやとしたまま、言う。それに颯真と比奈子は同じタイミングでお願いします、と答えた。

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