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1.その気の向くままに

 大学からゆっくり歩いて二十分。

 学生街と住宅街が程よく入り混じったところに、僕の住んでいるアパートはある。外見、有り触れた昭和のぼろアパート。築年数は僕より断然年上で、内装もご想像通りの年季の入り方。

 不動産屋曰く三回は改装工事が入っているとのことだが、多分もうそういう問題ではないのだろう。

 おかげで家賃はこの立地にしてはお得な四万円プラスどこが共益なのか分からない共益費が五千円。

 自転車を使えば大学の門から五分もかからない距離だが、僕の所持品リストにはそんなものは入っていない。入学直後に買いそびれた結果、何となく生活に不要なアイテムに分類されてしまっていた。

 結局大学構内での移動がかなりあるのだから、持っていて全く損はないと先に教えてもらっていたら結果は違ったかもしれない。

 程よく錆びついた鉄骨の階段を鳴らしながら、二階の一番奥、二〇四号室の扉の前。鞄から鍵を取り出して時計回りに回転

 申し訳程度の玄関に、見慣れない女物が靴が一足。視線を向ければ、誰もいないはずの部屋の真ん中――炬燵とちゃぶ台を兼務する机だ、に一人の女性が座っていた。

 ブラウン管からだらだらと流れる午後のテレビ番組を、これまただらだらとした恰好で見ている。机の上には茶菓子と湯気の立つコップまで完備されていた。

「おかえり。おや、今日は随分と早かったじゃない」

「……めぐみさん、また勝手に人の部屋に」

「まあいつものことでしょ。自分の家なんだから、上がってきたら?」

 ため息をつきながら、僕も靴を脱いで室内に上り込んだ。

 もちろんのこと、僕には同居人もいなければ、こんなフレンドリーな家族などいない。

「なんでもいいですけど、食べた分のお菓子、そろそろストック買っておいてくださいよ」

「んー、ここのお菓子おいしいからついつい食べ過ぎちゃうんだよね」

「そりゃそうでしょう。おいしいところを選んで買ってるんですから」

 人にはあんまり言えない、僕の趣味の一つ。俗に言う、スイーツ系男子。

「ま、恭平君のセンスにはかなわないけど、これ」

 ひらひらと何かが指の間に挟まれていた。近づいてつまみ上げる。

 近所にあるインポート酒屋のレシート?

「なんですか、これ」

「多分好きでしょ? それ」

 そう言われて、レシートの品名を見る。洋酒、の文字。

 無言で指された方向を見ると、見覚えのあるモルトウイスキーのケースが鎮座していた。

「――なるほど、そういうことなら。ここ三か月分は手を打ちましょう」

「現金ね」

 くすくす笑いながら、彼女は座椅子にもたれかかった。

 子育てから解放された主婦の昼間みたいな過ごし方をしているこの人が、僕の愛すべき隣人、めぐみさんだった。

 今年で二十エックス歳。職業大学生。兼、水商売のおねーちゃん。

 それもあって、そのスタイルはそこそこ。いい感じにそそる美人さんでもある。

 水商売とは言っても、お金を持ってる男の人とお話しをしてお酒を飲むとお金をもらえる方である。

 そんな彼女の生きがいは善人をからかうこと。犠牲者、主に僕。趣味、他人の家でくつろぐこと。被害者、主に我が家。

 今や恒例となったこの光景も、初めて見たときは軽く引いた。

 人間、想像力の限界はあるということを思い知らされたのも、今となってはいい思い出だ。

 いや、慣れてきた今だから色々妄想もできるけどね? 最初は無理だって。

 ちなみに、都会育ちではないからと言っても、さすがに僕は外出時には家に鍵をかける人間である。どうやって彼女が我が物顔で我が家に入り浸っているのかは、軽い謎だ。

「仕事明けですか」

 かばんを投げ捨て、僕はめぐみさんの九〇度横、右側に腰を落ち着けた。

「んー、どちらかというとこれからかな?」

「同伴ですか」

「そ。だから起きたばかりのヒト」

「大学は……聞くだけ無駄ですね」

「聞くだけ無駄なら聞かないようにね」

 本職は大学生のはずだが、いったいこの人が本当は何年生なのかは聞けていない。

 僕の大学生活が一か月にしてあまりにも愉快なことになっているのは、主にこの人が原因ではないかと思うほど、愉快な人だ。

「そういえば恭平君」

「なんでしょう」

 インスタントコーヒーの粉を愛用のマグカップにぶちこみ、コンセントにつなぎっぱなしのポットのお湯を注ぐ。軽くかき混ぜ、角砂糖を二つ。

「昼間、誰か来てたみたいだよ?」

 窓の外には、まだ高いところに太陽が。

 まだ昼間だという脊髄反射的突っ込みを三秒ほどこらえてから、僕は口を開いた。

「何時ごろですか」

「んー、二時間くらい前だったかなー。ドア叩いてる音で起こされたからね。これだから、壁の薄いアパートは嫌よねえ。隣の部屋の音で起きちゃうから」

 僕にとっては壁どころかドアすらないんじゃないかという環境だが。

「まあ、それもあって君のところにお邪魔してるんだけどねー」

 それは置いておいて。

 僕に尋ね人?

「テレビの集金とか、宗教ですかね。あとは新聞屋」

「うーん、そんな感じじゃなかったかも。結構どんどんやってたし」

「ふうん……?」

 ますます心当たりがない。

 こっちに来ている友人や知り合いはほとんどいないし、そして僕のアパートを知っているとなるとさらに限られる。

 大体、知り合いなら携帯に連絡でもあるはずだ。

「それ、一回だけでした?」

「うん、私の知る限りはね」

 さてと、と彼女は立ち上がった。

「恭平君も帰ってきたことだし、私も出かけようかしら」

 小さく伸びをして、テレビの電源を落とす。

「それ言うためだけに、僕を待ってたんですか?」

「私もそこまで暇じゃないわよ、少年」

 玄関で靴をつっかけながら、めぐみさんはこちらを振り返った。

「ま、気をつけなさい」

 一言、後を引く注意だけ残して、隣家に去って行った。




『アルテミス:あっはっはーwww』

『INTER:まあ、そいつは災難だったね』

『KYO:他人事だと思いやがって……』

『アルテミス:そりゃ、他人事だからね』


 挨拶代わりにする話ではなかったのかもしれない。

 僕は後悔の念と共に、キーボードに指を走らせた。


『KYO:一人暮らしなら分かるだろ? この悩みが』

『INTER:僕は実家暮らしだからねぇ』

『アルテミス:あたしは一人暮らしだけど、ちゃーんとオートロックとかついてるからね。そういう怪しい人はまず来ないのです』

『KYO:相談する相手を間違えたわ』


 数年前、この国では多人数同時参加型オンラインRPG――通称MMORPGが、空前絶後の流行を見せていた。

 家庭用PCの性能が飛躍的に向上し、本来はオフィス用品だったそれを娯楽用途にも使いうるという可能性を示したそれは、同時に多数の『廃人』なる人々を生み出した。

 中高生だった僕も例外なく軽度の廃人の一人となり、そしてあっさりと抜けて行った。まるでバブルがはじけるがごとく、その流行は去っていったのだ。

もっとも、流行り廃りの問題などではなく、みんな、気が付いていたのだ。

 やめた後に改めて気が付く虚無感と、その費やした時間やお金の無意味さに。

 得る物は何もなく、でも失ったものはたくさんあるってことを。


 そう、例えば一度しかない貴重な青春とか。

 そんなもの、元から無かったかも知れないけれど。


 でも、夢だけは誰にだって見る権利はある。難しいのはその享受だ。

 そんなこんなで僕も流されるがごとくMMOにかける時間を減らし、余った時間を学生の本分たる勉強に費やした。そして幸いにも大学に受かることができたから、ここにいる。

 ――とはいえ、その時に出来た人間関係はゲームと同じくリセットされるわけでもなく、ぐだぐだと引き時を見失って続いていく。

 僕がいまディスプレイ越しにコミュニケートしているこのチャットなんかが、まさにその一例。


『アルテミス:まあでも、その時はKYOくんがいなかったわけだし、』

『アルテミス:ほっといても問題ないんじゃない?』


 こいつは僕の一個上の女子大生。てっきりネカマ――ネット上だけ性別を偽るあれ、だと思っていたら、まさかの本当に女の子で驚かされた。高校生の時にオフ会のカラオケで実物を見て驚いた。

 まあ、オフ会の時だけ替え玉を雇った可能性が、ほんの少し残されてはいるが。


『INTER:君の住んでるアパートはかなりの年数なんだろう? その誰かさんは、まだ前の住人が住んでいると勘違いしてやってきたかもしれない』


 INTER。落ち着いたしゃべりと、それと同じく落ち着いた行動で、ゲーム内ではこれぞ大人という雰囲気を出していた。

 まあ、まさかニートとは全く思わず、当時かなり尊敬していた自分を殴りたい。大体昼間にMMOにログインしている大人なんぞ、ロクなものではない。 

 そんな単純なことが分かるようになったことだけでも、あのゲームは僕の人生においては有意義だったんだろう。


『KYO:うーん。何かのトラブルだったら、その類の手紙とかが先に来てる印象はあるんだけどね』

『INTER:と、いうと?』

『KYO:いきなり来たところで、本来の目的なんかまず達成できないだろ? だから、まずは意味のある脅しとして告知の文章を出しておく。ほら、架空請求とかと同じ手法』

『KYO:そんなの見た覚えはないし、その手のトラブルを抱えていた人が前に住んでたなら、大家から教えてもらえるとは思う』

『アルテミス:マジレスね』

『INTER:ああ、昔からこいつはまじめが取り柄だからな』

『KYO:うっせ』


 ふう、と一息ついて椅子にもたれかかる。実際、気にはなる。こんなぼろアパートにやってくるような暇な人間なんて、今のところ僕の愛すべき友人共か、ありがたくもないセールスマンのみだ。

 念のために、僕は携帯電話を手に取った。

「メールだけしてみるか」

 さっきも送ったな、と思いつつ、数少ない友人にメールを飛ばす。件名、空白。内容、今日のお昼ごろに、うちまで来たか。

 ほどなくして、マナーモードのそれが軽い振動音を立てた。

「まあ、そりゃ来てねえよなぁ……」

 愛すべき友人曰く、お前のぼろアパートなんて頼まれてもいかんとのこと。

 ふとディスプレイに視線を移すと、未読のログが何件か流れていた。

 いつの間にかたわいもない四方山話に花を咲かせている。

「全く、飽きないよなあ」

 毎日こんな日々を過ごしていながら、自分でも不思議に思う。起きる、学校に行く、そしてバイトをするか、気心のそれなりに知れた仲間と無駄話をする。まあ、でもそんなものなのかもしれない。

 ちょっと不思議な隣人と、ようやく慣れてきた大学の仲間やバイト先。

 僕のありふれた日常は、こんな感じだった。





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