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0.タイトる

「やっ、久しぶり」

 多分、始まりはその一言だった気がする。

 それは、入学式やら履修申請やら、一通りのガイダンス的なものが終わり、世間の大半の人が幸せになる大型連休も終わった五月の上旬。

 リセットされた人間関係や新たな環境のせいで多少なりともそわそわしていた空気は、この頃になってようやく落ち着きを見せていた。

「いやー、ずっと話しかけるチャンスがなくてさ。とりあえず、隣いいかな」

「……ごめん、誰だっけ」

 彼女が話しかけている相手が自分であることを確認し、僕はそう呟いた。

 クラス語学の始まる少し前、そんな時間。僕が良いとも悪いとも答える前に、彼女は椅子を引き僕の隣に腰かけていた。

 大半の同級生――他の一年生と同じく、僕も大学に入るタイミングで人間関係が強制的にリセットされていた。地元からはそう遠くない大学、とはいえ実家から通うには難儀する距離。

 当然のように一人暮らしをはじめ、そして高校の時に多少なりとも喜怒哀楽をともにした連中とはそれっきり。

「えー、覚えてないの?」

 だから、そう言って小首をかしげる彼女の姿は、当然のように見覚えがない。

 いや、もちろん正確にはそれは正しくないが。

 クラス語学の教室にいる以上、僕と同じ語学のクラスだし、入学後のオリエンテーションやら新入生歓迎の旅行やらで一緒している。だから、ええと。

「沢井さん、だっけ。悪い、顔と名前を覚えるのが苦手でね」

「あはは。恭くんは昔からそうだもんね。あと呼び名、前みたいに沢井でいいよー。もしくは、伊吹ちゃん。私個人的には伊吹ちゃんおすすめ」

「そ。で、その沢井さんが、何の用?」

 相槌代わりの会話をしながら、その流れに違和感を覚える。

「って、ちょっと待って。今なんて?」

「ん? 伊吹ちゃんでいいよって。私も恭くんって呼んでるし」

「いや、その恭くんって」

 ちょっと待ってくれ。そんな展開は聞いてない。

 空から女の子が降ってきたところで多分あんまり驚かないけど、でもそのネタはもうありふれ過ぎている。手あかが付いたレベルどころではない。

「あれ、ほんとに忘れちゃってる?」

 少しの警戒心とともに、記憶を掘り起こす。

 ――とは言え、そう都合よくは思い出せるわけもなく。

 確かに、僕の名前は恭平で、恭くんという呼ばれ方は間違っていないが。

「卒業式。第二ボタン。罰ゲーム」

 三題噺のように呟かれたその言葉。

 卒業式なんて、僕の人生では三回しか経験していないし――。

「あ、」

「お? 思い出した?」

「沢井伊吹!」

 僕は思わず、そう叫んでいた。

「だから、そう言ってるじゃない」

 都合よく、講義開始のベルが鳴り響く。

「おっと、じゃあとりあえず講義の後でね」

 そのベルが鳴り終わったすぐ後に、クラス語学の担任が教室に入ってきた。気になるところで、その会話は打ち切りとなる。



 ――中学の卒業式の日に、第二ボタンを渡す。

 ちょっと気になる先輩や、少しの勇気がなくて告白できなかった相手に対して、制服の第二ボタンを貰いに行くことでその意思表示をするという、少女趣味満載のイベント。

 もちろん、現実にはそんなピュアピュアな女子中学生などこの世に存在するはずもないが、男どもはアホなことにそういうことを期待する。

 今までの仲間と離ればなれになる寂しさや、イベント時のテンションの高さに流されて、その時男子の間で行われたのが、『逆第二ボタン』だった。

 くじ引きで決まった相手、もちろんクラスの女子だが、に自分の第二ボタンを押しつけるという話。

 抜け駆けも防げるし、気になるあの子が別の男子に貰いに行く姿を見て凹むリスクも避けられるということで、みんなノリノリでくじを引いた。

「――いやでも、これ、罰ゲームだよな」

 お互い気になる同士の背中を押すことになれば、甘酸っぱい青春の一ページで済むが、大体そんなきれいに収まらない。男どもの都合でそんなことをやろうとすれば、微妙な空気になることは分かりきっていて。

 そんなことを呟いたら、僕はいつの間にか先頭打者にされていた。

「全く、勘弁してくれよ――」



 そう。確かその時渡した相手が、くだんの沢井嬢だった気がする。

 もちろん当時の印象は覚えているが、顔なんざ三年もたてば記憶から薄れてくる。

 隣に座って黒板を必死に写す彼女の横顔をちらりとは見てみるものの、懐かしいという感慨はまるで浮かんでこない。

『沢井伊吹って、覚えてるか?』

 そっと机の下でそう携帯をたたき、送信する。

 ほどなくして、ズボンのポケットが震える。

『中学のか?』

『うん。同じ大学にいて、話しかけられた』

 次の返信は、一瞬。

『ご愁傷』

「……なんだ、ご愁傷って」

 ぼそっと呟いた。そうか、どうやら記憶には間違いがないらしい。

 いまいち、実感がわかないけれども。

「えー、では次。その後ろ」

 ふっと講義に意識を戻せば、そろそろ僕の番が近づいていた。とりあえず、目先の講義に集中する。



 無機質なベルの音がなり、講義の終了が合図される。

 二、三連絡事項を告げ、講師は教室を後にした。

「恭くん、それで、今日は時間あるかな?」

 ゆるゆるとペンケースと教科書をかばんに突っ込んでいると、隣からそう声がした。

「とりあえず」

「うん?」

 かばんを閉め、彼女へと向き直る。

「その、恭くん、ってのはやめてくれないかな」

「え、そう?」

 不思議そうに、また小首をかしげる。

「昔は、そう呼んでたから」

 残念なことに、僕の記憶にはそんなことは刻まれていない。

 あるとしても、それはきっと別の世界線の僕だろう。青春たっぷりのガクセー生活。そんなもの望みもしないけれど、やってみるのも悪くはないかもしれない。

 ともあれ。

「高田にしてくれ。昔からなら、それが普通だ」

「そっか。まあいいけど。それで高田くん、今日は時間あるかな?」

 無いわけではない。

 だが正直なことを言えば。もう限りなく、面倒だった。

 相手は覚えているのに、自分はこれっぽっちも記憶の欠片も思い起こされない。これほど会話に気を使う相手も、そうそういないだろう。

「ごめん、今日はバイトでな。この後直行だ」

「うーん、そっか。じゃあまた日を改めて。空いてる日に、連絡ちょうだい」

 アドレスちょーだい、と携帯を振り回してくる。

 しかたなく、僕は個人情報を赤外線に乗せて送りつける。

「おっ、きたきた。じゃ、わたしの」

 流されるままにそれを受け取る。

 届いたアドレスを見ると、見覚え無いデータが追加されていた。

「届いたね! それじゃ、また今度。バイトがんばってねー!」

 そうして僕の生活をかき乱し始めた何かは、嵐のように現れ、嵐のように去って行った。


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