大国での生活
結果を簡潔に述べると、修練場に行くことは叶わなかった。
何故ならば、その途中で皇帝の側近に会ったからだ。
「おや。ユエル様このような所でいかがなさいましたか?お一人で」
邪気のない笑顔で近づいてくる側近にユエルは息をのんだ。そして心が折れた。
「ごきげんようロッシェット様。お散歩をしていましたの」
折れた心の内を隠し、ユエルも微笑みドレスの裾をつまむと淑女然と挨拶をした。
「お一人とは危ない」
「あら、世界でも最高峰の守りを要するジャミースタ城の中ですもの平気ですわ。」
「聖域の守りには敵いませんが、お褒めに預かり光栄です。されど些か不用心ではありませんか?」
「そうかしら」
確かに、貴族の常識としては少々不用心かもしれない。一般的な婦女子であれば。
しかし、ユエルは元神殿騎士団一番隊副隊長『死神のユエル』。己の身くらい簡単に守りきれる力量を持っていた。
そのうえ、高位神官の家柄であったといっても所詮は平民であったため、供をつけて歩くといったような習慣が全くなかった。それで今までやってこれたのだ。
そんな彼女にとって護衛やお供は不要であり、窮屈なものでしかなかった。
「そうですよ、ユエル様。高貴なお方がお一人で歩くなど危険です。最高位神子様よりお預かりしている御身、大切にしてくださいませ」
その声にユエルはわずかに肩を震わせた。どこから声が聞こえるのかと思いきや、ヨハンの後ろからその声は正体を現した。
ヨハン一人だとすっかり思っていたが、ヨハンはリベルと一緒におり、リベルはヨハンの影に隠れてしまっていたようだ。
「リベル・・・・・」
ユエルは思わず顔をひきつらせた。
リベルの顔はものすごく笑顔なのだが、その顔から徒ならぬ怒気を孕んだ威圧感が放たれていた。
「いくら神のご加護があるからと言って、そればかりに頼ってはなりませんよ」
ヨハンはリベルの怒りに気づいていないようで、邪気なく笑いながらリベルの言葉に「その通り」と頷いていた。
1対2の劣勢だ。
「神殿でも市井でも私は一人で歩いていました。供を連れないで困ったことなどありません」
そりゃそうだろうな、とリベルは内心思った。ユエルは神殿騎士団最強の女だ。絡まれても瞬殺で片がつくだろう。
「ユエル様、市井や神殿では確かにそうでした。ですが、ここはジャミースタ城。貴女はジャミースタ皇帝の婚約者候補ですよ」
リベルは諭すように静かに語った。
ユエルは瞼を閉じるように視線を下げた。
「城という場所は不便だな」
ユエルは小さく呟いた。
リベルは何も言わずただ黙ってユエルを見つめた。
「身分の高い女性、まあ、私知っているのは大概貴族の婦女子なのですが、彼女たちは侍女などの供をつけて歩くことが常識だと思っていました。」
静かな空気の中、ヨハンが口を開いた。
「ですが、貴女には少々窮屈だったようですね」
邪気のない笑顔でニコリと笑い、ヨハンは言葉をつづけた。
「貴族の女性が供をつけるのはステータスであり、一人で何もできないから、という理由もあります。しかし、ユエル様には供などいなくとも十分なステータスをお持ちで、何でもご自分でされるので侍女もあまりお世話ができていないと聞いております。貴女様にはそういったものは必要ないのかもしれませんね」
それは肯定の言葉なのだろうか。ユエルは予想外の助け舟に数回目を瞬かせた。
「ですがヨハン様、それでは・・・・・」
リベルは言い募ろうとするがヨハンの邪気のない笑顔に言葉を遮られた。
「供をつけるのは貴族の常識。体裁も大切ですが、一番大切なことは一目で見て取れるものではありません。実際に今、私たちも一人で出歩いています。特に問題は起こっていません。供をつけることが本当に必要かと言われれば答えは“いいえ”なのでしょうね」
ニコリ。ヨハンは邪気なく笑い続け言い切った。
若くして皇帝の側近になったことだけはある、とユエルは思った。ヨハンという男は頭の回転が速く、とても柔軟な考え方を持っているようだった。
「皇帝には私の方から伝え申します。“貴族の婦女子の常識”など気になさらず、ユエル様のペースで過ごされて下さい」
「はあ、ありがとうございます」
親指を立ててしまいそうな勢いのヨハンに対し、ユエルは気のない返事を返すことで精いっぱいだった。
「いかがですか?リベル殿」
「は、はい。そうですね。そう言っていただけるのであれば」
「では、そうしましょう。それでは皇帝陛下に伝えて参りますね。部屋に戻られるのであれば護衛をつけましょうか?ユエル様」
「いえ、大丈夫です」
「そういえばそうでしたね。それでは私はこれで」
リベルですら生返事で肯定を表すしかできなかった。
話はとんとん拍子で進んでいき、風のようにヨハンは笑顔で去って行った。
口をはさむ隙など全くなかった。
思いの外、押し切られるようにことは進み終わったが、結果としては
「おーらい?」
「ユエル的にはそうですね」