【三題噺】優等生は紅茶がお好き。
聞き慣れた足音が近づいて、私は読みかけの文庫本にしおりを挟んだ。
腕時計を見遣れば、いつもどおりの時間で笑ってしまう。
ドアの前で、一呼吸だけ足を止める癖。
勢いよくドアが開けられる瞬間に、言葉を投げる。
「先生、紅茶が飲みたい」
「……お前な」
入って来た先生は、わざとらしく息をついた。
それなりに整った顔が、子供らしさを垣間見せる。
20代前半の童顔(制服を着れば高校生に見えなくもない)。
細身のスーツ。
そして、その上に無造作に羽織われた白衣。
先生いわく、若くても威厳を保て、すぐに理科の教師とわかる優れ物らしい。
と言っても、生徒の大半にはお兄さんぐらいに思われているけど。
「斉藤、少しぐらい俺をいたわってくれ」
「私は先生の紅茶が飲みたくて、36分42秒も待ってたのに?」
茶化す様に笑って見せると、肩を竦められた。
「少し待ってろ」
「うん、あと1分ね」
「ったく、最近の高校生は人使いが荒いことで」
「まぁね」
先生が紅茶を煎れる為に、奥の部屋に消える。
それを見計らって、私は小さくため息を零した。
きっと先生は覚えてない。
あの日の私のことなんて忘れている。
一年前、私はまだ中学3年だった。
特に行きたい高校もない私を、友達がある高校の文化祭に引っ張りだした。
けれど、校内の人混みで、私は友達の姿を見失ってしまった。
仕方なく人の波に逆らって歩いて行くと、人気のない教室にたどり着いた。
紅茶部、とだけ書かれた簡素な看板。
その主張がひどく控え目なところに、惹かれたんだと思う。
ドアを開けると、先生がいた。
と、言ってもその時はバーテンダーみたいな格好に白衣だったから、生徒だと勘違いしたけど。
「ちょうど、暇してたんだ。一緒に、紅茶でもどう?」
そう笑って先生は、2つのティーカップに紅茶を注いだ。
特に断る理由もなかったから、私はこくりと頷いた。
一口飲んで、驚いた。
紅茶なんて、おしとやかなものは生きてきた中でろくに飲んだことはなかったけど、
「こんなにも、美味しいもんなの……」
「褒めてもらえて光栄だな」
零れた感嘆のため息に少し得意そうに笑って、先生はおかわりを注いでくれる。
2杯目も飲み干し、私は一つの決意をした。
「私、来年はここに入学する」
先生はきょとんとする。
いきなりの告白に戸惑わない人なんていないだろう。
本人である私だって、驚いている。
「それで、この部に入部する」
先生の紅茶に惚れた。
それだけと言ったらそこまでだけれど、運命だと思った。
こんな紅茶を毎日飲めるだけで、素晴らしいと思った。
先生は困ったように頬をかく。
「んー。駄目、かな」
「は?」
「この部活、優等生しか入れないから」
さらりとそう言いのけられて絶句する。
私が優等生でないことは決定事項なのか。
それでも、食い下がる。
「な、なんで……?」
「だって弱小部だから、問題起こすとすぐ廃部なの」
平和が何より大事――――優雅に紅茶を飲んで、先生はそう言った。
「それなら、優等生になって出直して来るからっ。それなら、文句なしだろっ」
悔しさと苛立ちと何かが混ざる。
私は叫んで、その教室を飛び出した。
家に帰って、友達を置いてきたことに気づいて、力が抜けた。
馬鹿だと思った。
でも、あの紅茶の味が忘れられなくて、私は自分自身に革命を起こした。
「お待ち」
「うん」
「そこは感謝だろ」
「さんくす」
私の投げやりの反応に、先生は再度ため息を零した。
私は見た目も、口調も変えたから、気づかれなくてもしょうがない。
紅茶に口をつけつつ、先生の表情を伺う。
「何?」
視線に気づいた先生が眉を潜めた。
白衣が標準装備の理科教師。
長所は美味しい紅茶を煎れられること。
「なんでもなーい」
短所は鈍感で忘れっぽいこと。
いつか、私が美味しい紅茶を煎れられるようになったら打ち明けよう。
あの日のこと。
私が先生と紅茶に心奪われてしまったこと。
そう心に決めて、私は今日もエセ優等生を演じる。
三題噺として書きました。
紅茶、白衣、優等生。