夢がない勇者
この世界では、人間にはとても敵わぬとされてきた魔物を倒したもののことを、勇者と呼ぶ。
敵わぬという定義がなんなのか、年月なのか、犠牲者の数なのか、魔力なのか、それが俺にはわからない。
だが、俺は教科書に載ってる化け物を倒した。それは理解している。
随分倒した。
村を焼き尽くすほどの炎を吐く龍も。
人を踏み潰すくらいの巨人も。
廃墟になった城に住む、あの黒々とした一つ目のでかい悪魔も。
俺はさっさと殺した。
倒そうと思って生きてきたわけじゃなく、成り行きだった。
元々、剣術は街で一番だったし、隣町の武術大会にでも出ようものなら必ず優勝した。
近所の人間は、将来は王都の騎士団に入る器だと囃し立てたが、父と母はそんな俺を見ても、勉強もしなさい、と冷静だった。
思春期になると、筋肉の発達以上に、体の中から不可思議なほど力が湧いてくるのを感じた。
友人に相談すると、ニヤニヤしながら自慰の話を始めたが、どうも違うことはわかっていた。
ある日、不安さえ抱くようになると、医者に行くべきかと親に話しかけた。母さんは心配するからと親父だけをつかまえた。
親父はどこか深刻そうに、そうか、と観念したように頷いて俺の肩に手を置いた。
「お前、将来、なりたいものあるか」
「別に。ないよ」
「お前は必ず世界で一番強くなれる、って言っても別にないか」
「別に。でも、なれるのに何もしないのはもったいないんじゃない」
とかそんなことを言った覚えがある。
病気の相談をしていることもそうだが、親父が真剣に話しかけてくるのが、思春期の俺には恥ずかしかった。
次の日は、親父に連れられて、町を出た。
今まで見たことのない都市まで馬車で移動して、仰々しい装備をした人間達に囲まれた。
剣を腰に下げた兵士や、見たこともない紋章のついたローブを着た人間が、親父と何度か書類をやり取りしていた。
「ここで待ってる。帰ったら母さんがご馳走作ってくれてる。頑張ってこい」
広い役所のような場所で、書類を書き終えた親父が、俺の頭をわしわしと撫でた。
何を頑張るのかよくわからなかったが、わかった、と答えた。
初めに、いかにも頭の良さそうな杖を持ったおじいさんが出てきた。
俺の手を握り、肩や背中に触れ、何か小さな呪文を唱えた。
途中から目を丸くしていた。
「剣など振らずともわかる」
そう言って握手を求めてきた。
何がわかったのか訊く前に、老人は周りの男達と何か話しながら出ていき、それきり顔を出さなかった。
その後、道場へ移された。
木刀を渡され、好きに振ってみろと言われた。
適当に何度か振った。
もっと強く、と言われたので、強く振った。
木刀が折れた。
別のものを渡された。
それも折れた。
三本目はずいぶん太いものだった。
それは折れなかったが、受け役をしていた男の木刀が飛んでいった。
周りの大人達が、静かに自分を見守っていた。
親父のところへ戻ると、知らない男とずっと話していたらしい。
俺を見ると会話を切り上げて立ち上がった。
「どうだった。疲れたか」
「いや、別に」
親父は少し笑った。
それから親父は、さっきまで話していた男から何か紙を渡された。
受け取った紙を一度だけ見て、丁寧に折り畳んで懐にしまった。
帰りの馬車では、親父はあまり喋らなかった。
俺も疲れていたので、途中から寝た。
「ただいま」
家へ帰るとご馳走が待っていた。
母は笑っていた。
肉を焼いて、いつもより白いパンを出して、俺の好きな甘い菓子まで用意していた。
ただ、あの母の表情はわかる。
泣くのを我慢している時の顔だった。
「ねえ、さっさと準備してくれない。今日は午後から会食でしょ」
鏡の前で支度をしながら、妻が俺を急かす。
「さっきからそればっかり。もしかして、会食前の伯爵との歓談、その格好で行くの」
妻は髪をまとめながら、鏡越しに俺を見る。
俺はまだ寝台に腰掛けていた。
「別に街着で問題ないよ。着飾ると畏まられて本音を聞けないんだよ」
「屁理屈言って、懇談会のまま会食になるわよ。あなたは問題なくても、会食中私はあなたの横に座るのよ」
そう言って、今度は耳飾りを選び始めた。
「ねえ、今日の会食、嫌なの?」
「別に。そんなことないよ」
「嫌そうな顔してる」
「嫌いじゃない。苦手なんだ。知ってるだろ」
彼女は、毎日が楽しそうだ。
人と会うのが好きで、知らない土地へ行くのも好きで、食事に呼ばれれば料理の話をして、治癒を頼まれれば相手が貴族でも乞食でも同じように手を握った。
俺とは随分違う。
彼女と出会ったのは、俺がこの城の道場で、毎日剣の訓練を受けるようになって少しした頃だ。
訓練を終えて、疲れ果てて床に寝転がっていた。
視界の上から、白い服の女の子がひょっこりこちらを覗き込んだ。
「強いね。あなた」
ひんやりした手のひらが、擦り傷に触れると傷が塞がっていった。
薄荷に似た薬の匂いが、鼻に抜けた。
「私、薬も詳しいのよ」
真っ白な歯を光らせて、得意気に微笑む女の子。
年の近い女の子に話しかけられるだけで妙に緊張する年頃だった。
まして、白い服を着た、顔の綺麗な女の子が、自分の横に膝をついて治癒の呪文をかけてくれる。
その日の夜、興奮して眠れなかったことを覚えている。
「これとこれ、どっち」
妻が耳飾りを二つこちらへ向ける。
「どっちも似合ってる。綺麗だよ」
「じゃあこっちにする」
どこか不満げに右手の方を耳につけた。
「本当にその格好で行くのね」
「大丈夫だ。別にいいだろ」
「もういいわ。行きましょう」
妻が先に部屋を出た。
廊下には、迎えの者が待っていた。
俺を見ると姿勢を正して、深く頭を下げる。
「勇者様。伯爵がお待ちです」
妻が振り返って、ほら、と目で急かした。
城を出ると、馬車が待っていた。
俺たちはそのまま伯爵の屋敷へ向かった。
豪奢な門を通り、柔らかな絨毯の上を歩いて、部屋に入った。
ここの家にいる息子のことを覚えていた。
綺麗な鎧を着てこちらを憧れの目で見る男の子のことを。
「今日は息子さんは」
伯爵はちょっと嫌そうな顔をした。
「冒険者になるなどと置き手紙を残して、勝手に出ていきましてな」
「年頃ですね。いいじゃないですか」
無神経なこと言わないの、と妻が俺をひじでつく。
「どうかな。息子は貴方のように強くない」
「まだ見つかってないんですか」
「人は出しています。三日前に西の街でギルドを使ったところまではわかりました。そこから先がどうにも」
言いながら、伯爵は眉間を揉んだ。
「親元を離れよう。旅に出ようという意志は人を強くしてくれます」
まあ、弱い人間は冒険の最中にさっさと死ぬわけだが。
「ありがたいお言葉ですな」
褒められたが、首肯し辛いところなのだろう。
息子の行方がわかってないのが本当に悔しそうに見えた。
「ただ、帰ってきてくれれば、それでいいんです」
テーブルの下で妻に足を踏まれる。
「すみません。心配なのに、煽るようなことを言ってしまって」
「いや、謝られるようなことではありません。私はやはり、甘いのでしょうな」
「帰ってきたら、話も聞いてあげてください。私はそういうの、羨ましいですね」
伯爵が少し意外そうな顔をした。
「羨ましい?」
「別に。大した意味じゃないですよ」
妻まで意外そうにこちらの顔を見ていた。
伯爵との歓談が終わり、広間へ戻る途中で、妻に声をかけた。
「少し出てくるよ。今日、仕事で昔の仲間がここに来るって聞いたんだ」
「会食前には必ず帰ってきてね。二人で挨拶しないといけない人、たくさんいるんだから」
はいはいと返事して、ホールを後にした。
昼の酒場に懐かしい仲間が二人。
「よお勇者様」
鞘に収めたでかい剣を、角度を変えながら下から眺めている大男。
刃の具合を確かめているらしい。どうやら、さっきまで剣を振っていたらしい。グレンだ。
「元気かい。いくつになっても街着が似合うね。君は」
先端に水晶のついた鉄の杖を、相変わらず手遊びみたいに回している壮年の男。ハインツだ。
「ひさしぶり。長旅だったみたいだね」
「ああ金持ちの知り合いの隊商でね。結構やられちゃったよ。野盗にもあたっちゃった」
「そうか。死人は出なかったか」
「ああ、場所を教える。三人置いてきた。埋めてやってくれ」
「わかった」
そう答えたところで、グレンの視線が俺の後ろへ動いた。
店に入ってきた男が、こちらへ軽く頭を下げた。
同い年くらいだろうか。首から革の小物入れを下げている。紐は不格好に結び直されていた。
グレンも顎を上げて返した。
男はそのまま俺たちの横を通り過ぎ、カウンターへ向かった。
ギルドで集められて同行した連中だろう。
「お前、飲まないのか」
グレンが、いつの間にか大剣から酒瓶に持ち替えている。
「夜は集まりがあるんだ。今飲むと妻に怒られる」
「会食か、大変だな。勇者つったら貴族の付き合いも大事だからな。実際、都の脅威といったら魔物よりも人間だ」
ハインツがしたり顔で俺を冷やかす。
「そんなにぴりぴりしてるわけでもないよ」
「どうかな、そう思ってるのは、お前だけなんじゃないか」
「まあ、慣れだよ」
グレンが笑い、ハインツは杖を止めてこちらを見た。
「はっはっは。それ、連日大物狩りに行く時も聞いたよな」
どこの話だったか、とグレンが聞き、ハインツから答えをもらってまたニヤリと笑う。
「普通は、見返りに金だの肉だの酒だの女だのって騒ぐのに。お前と言ったらな。無欲な僧侶のようだった」
「グレン。お前だって、そんなもんじゃないか」
「違うよ。グレンは決めた子が必ず宿屋に待機してたんだ。君とは違うよ」
いやにはっきりした調子でハインツが訂正する。
「今も無いのか、そういう欲望、いや野望は」
グレンが腕を組んで試すような口調で俺に問いかける。
「そんなん言われてもな。勇者ってやってるんだから。結構な野望なんじゃないのか」
「それは、お前がなりたかったもんなのか?」
「別に。嫌じゃないよ」
グレンが口に運ぼうとしていた酒瓶を止めた。ハインツは笑わなかった。
「昔からそれだ。何食いたいって聞いても別に。どこ行きたいって聞いても別に。女の好み聞いても別に」
「女はあっただろ」
ハインツが杖をくるりと回した。
「ああ。あの治癒師だけはわかりやすかったな」
「説教でもするつもりかよ」
「いいや、そんなことはないよ」
ハインツは杖の先を俺に向けた。
「君のいいところだ。勇者様。だからこの都は平和だ」
グレンが酒瓶を卓に置く。
「あの女とは仲良くやってるのか」
「ああ、まあ」
「なんだ。歯切れ悪いな」
「なんか怒られるんだよ。今のあんたらみたいなこと言ってる」
グレンが声を上げて笑った。ハインツは肩をすくめただけだった。
「そりゃお前、別に別に言ってりゃ怒られるだろ」
「そんな言ってるか俺。じゃあ何て言えばいいんだよ」
「知らねえよ。自分の女だろ」
「なんだよそれ」
年はあまり変わらないはずなのに、奴らは揃って保護者面をするのだ。
居心地の悪さを覚えて、二人の近況に話題を逸らした。
大きな仕事を受けたりして、最近金払いのいい貴族を捕まえたとのことで嬉しそうに仕事と冒険の話をしていた。
俺は、少し羨ましかった。何が羨ましいのかは、よくわからなかった。
会食と聞いていたが、実際は城内で開かれる立食のパーティーだった。
ダンスホールにはいくつもテーブルが並び、肉や魚を使った料理が所狭しと並べられている。
王がワインを手に短い挨拶を済ませると、貴族達は思い思いにグラスや皿を取り始めた。
「この子は、治癒師を目指してて、でも自分に治癒をかけるのが苦手なの。何かアドバイスくださらない」
ドレスを着た貴婦人が、娘と思しき女の子の背中を押す。
娘はおそらく妻に憧れているのか、照れくさそうにもじもじしている。
妻が腰をかがめ、目線を合わせる。
「好きな人、いる?」
できるだけ、彼女だけに聞こえる声で言う。
女の子はどきりと体を震わせてから、それでもはっきりとうなずいた。
妻は、グレンやハインツのように、俺と連れ立ってでかい獲物を狩りに行くような治癒師ではなかった。
それでも街の治癒師なんかよりずっと腕がよく、成人してからは、俺が遠出するときも街やダンジョンの入口で待機してもらうことが多かった。
年を重ねるごとに腕を上げ、今ではそこらでは名の知れた治癒師だ。
「治癒呪文のコツはね。愛する人を想って、唱えるのよ。これが大事なことなの」
彼女の大切な信条だ。
呪術と同時に、医療についても資格を持っているような勉強家で理論家の彼女の言葉だからこそ、その治癒のモットーは人の心を捉え、広まっていった。
「あの子伸びるわ。もう好きな男の子がいる」
妻のアドバイスをもらったあと、どこかぼうっとした表情で天井を眺めていた彼女は、こちらの視線に気づくと照れくさそうに微笑んでから、母の元へ早足で駆けて行った。
「なんか昔の君みたいだな」
「いつの話よ」
やり過ごそうと、近くで話しかけたそうにしていた壮年の紳士と目を合わせた。
「仲睦まじくて、話しかけて良いものかと」
その割には視界の中に躊躇わずに入ってくる男だ。唇の分厚さと厚かましさが比例している。
「エドガーと申します」
差し出された手を握る。
「何か困りごとでも」
エドガーは少し驚いた顔をした。
「あちら、あなたの息子さんでしょうか。こちらをじっと見ているので、何か大事な話があるのかなと」
会場の中には入ってこようとせず、扉の近くでこちらに殺気立った視線を送ってくる若い男がいた。
「ああ、申し訳ない。私の付き人でして、今日は勇者様に折り入って話があって特別にこの会場に入れてもらいました」
礼服が全く体に合っていないあたり、そうであろうことはわかっていた。
「いいんですよ。身近な人、誰でも連れてきてくださいね」
妻はそう言うが、うるさい人間もこういう会場にいる。
「ありがとうございます。おい、来るんだ。話をしよう」
エドガーが手招きすると、男がぎこちない動きでこちらにやってくる。
左腕を布で吊っている。近づいてくるにつれ、頬にもまだ新しい擦り傷が残っているのが見えた。
「先日、屋敷の近くに魔物が出たのです」
「ちょうど妻と娘が庭に出ておりましてな。使用人も何人か一緒でした。気づいた時には、塀を越えて庭まで入り込んでいたそうです。馬を一頭、その場で食っている間に、周りは気づき、娘が悲鳴をあげました」
エドガーが興奮した様子で、捲し立てる。
「黒い獣だったそうです。熊より一回りは大きくて、前脚が妙に太い。爪なんか、短剣ほどもあったとか。口も耳の近くまで裂けたように開くそうで」
俺はその姿を頭の中で思い浮かべた。
穴を掘る種類だろうか。
「彼がなんとか気を逸らして、逃がしてくれました。彼にはもちろん家庭内の人間を守る義務がありますが、相手は強大な魔物です。大した勇気です。恩賞を与えるつもりです」
大きく声を張って話をしている。自慢だろうし、ここに呼んだ理由を周りの貴族達にも納得してもらおうとも思っているのかもしれない。
「すごいわ。並大抵のことじゃないわ」
妻がまた一際大きな拍手をして彼を称える。周りもそれに呼応するかのように、彼に拍手を送った。
美しい女性と地位のある人間からのまっすぐな賞賛に、男は仏頂面に照れくささを隠しきれず、不細工に顔がひくついた。
やれやれ、弱い人間が背伸びしたらすぐ勇気だ。
「それで、その魔物はどうしたのですか」
拍手を自分のことのように受け止めて浮かれていたエドガーに、さっさと話の続きを聞かせてほしくて先を促す。
「えっとですな。それで、その化け物が逃げていった。その場所に、巣穴を見たというんですな」
隣で男がこくりと頷く。
「家のすぐ近くに、ですか。途端に大分危険な話に聞こえますが」
「いや、屋敷からは少し離れています。街道を外れた林の奥です。ただ、この都市の近くではありますな」
「巣穴には、まだいるんですか」
エドガーが付き人を見る。
「います」
初めて本人が口を開いた。
思っていたより若い声だった。
「中まで見たのか」
「少しだけ。あれは一匹じゃありません。小さいのが何頭かいました」
エドガーが困ったように眉を寄せた。
「妻と娘は、今は別の屋敷へ移しています。ただ、討伐が上手くいったとして、それで戻していいものなのかが私にはわからない。巣が一つとは限らないでしょうし、親が他にもいるのかもしれない。勇者様なら、この魔物の正体について、ご存知かと」
候補はいくつかある。人里離れた魔力の濃い山中で出会ったことがある獣が第一候補だ。
「討伐隊は。依頼はかけましたか」
「明日、ギルドへ正式に依頼を出す予定です。ただ、正体がわからないので、どれほどの人間を集めればいいのかも判断できないそうでして。下手に人数を揃えて送り込むわけにもいかないと」
「じゃあ、俺が行きますよ」
エドガーがやっと口を閉じた。
妻が横から俺を見る。
「いえ、まさか勇者様ご本人に出ていただこうなどとは。そこまでお願いするつもりでは……」
「近いんでしょう。明日なら空いてます」
「いや、しかし――」
エドガーがどこか怯えたように、妻の方を見る。
「よろしいのですか」
妻は何も答えなかった。
「大丈夫ですよ。俺ならすぐ終わります」
妻の視線を無視して、手近のワインを一杯飲み干した。
エドガーが何度も頭を下げていた。
付き人の男だけは、相変わらず仏頂面で俺を見ていた。
翌朝、服の下に鎖帷子を仕込む程度で出ようとしたところを妻に止められた。
埃を被っていた鎧を引っ張り出して身体を入れ終えると、妻は奪い取った鎖帷子を仕込み、背中に弓と矢、ナイフをしっかり身につけ終わっていた。
「私も行く」
有無を言わさぬ口調だった。
「行きたいから行くの。文句言わないで」
こちらの反論を待たずに言葉が続いた。こうなったら聞かない。
「城の正門の前で、昨日の者と衛兵が馬車で待っております。王には伝えてあります。お気をつけて」
頷いて、妻と二人で城を後にする。
正門前では、馬車の前で衛兵二人に挟まれて昨日の若者がいた。
中で座ってくれていればいいのに、衛兵の二人と張り合うように胸を張り、畏まって待機していた。
「ここから一時間もないくらいです。我々二人も同行します」
衛兵が馬車の戸を開けて、出発となった。
妻と並んで座った馬車の向かいに若者が座っている。
正直、外の衛兵の二人と代わりたかったが、着いてからのことに集中しようとした。
昨日の話から魔物の正体にはあたりをつけていた。
頭の中で火の呪文を唱えて、片方の手のひらでもう片方の指先を指すようにして、火を軽く出して確かめていると、前の若造が熱心にこちらを見ていた。
「すぐに出せるようにね。引き出しを手前にしていくイメージだ」
適当に答えて、また指先に注意を戻す。
「魔法は勉強した?」
妻が質問を投げる。
「いえ、していません」
「簡単な治癒魔法くらい、従者としても必要よ。エドガーさんに口を利いてあげる」
「あ、ありがとうございます」
男のお辞儀が風になって、火を揺らした。
鬱陶しかった。
妻はその後も嬉しそうに、男に質問を投げていた。
強くなりたいのだと、そんな言葉だけがいやに大きくうるさかった。
魔法を慣らすことが終わった後は、武具を磨くことに集中するふりをして、会話を上の空にやり過ごした。
しばらくして村に到着する。
全体的に畑や家畜の泥臭さがあるというよりは、路面も綺麗で、のどかで静かに整理されているような印象を受けた。
都市に住むものたちの第二の家屋があるらしい。
馬車が通ってきたように、物流も滑らかで、その分村で自給自足をする必要もなさそうだと印象付けられた。
「主人の家は、村でも一番奥にあるので、少し歩きます」
馬車の御者には帰るように伝える。
若者に連れられて歩いていく。
途中、何度も村人から歓声をもらう。
もう噂は広まっているようだ。
「もっとちゃんと応えてあげて。あなた勇者なんだから」
妻が自分の半歩後ろを歩きながら耳打ちをする。
やがて、巣穴に近づいてきたのか、人気がなくなってきた。
「あの魔物が現れたその日のうちには、近くの住人は皆、避難しました」
強大な魔物なのだということをアピールするかのように、若者が告げる。
「ここか」
村の終点で、林を背に一つ鎮座するかのような三階建ての家屋。
庭がおおいに荒れていてそれが不釣り合いで、只事でないことは伝わってくる。
荒れ跡は、庭に面した林へ続いており、何本か木が曲がって倒れてさえいた。
「自分も巣まで行きます」
「いらない。魔力を辿ればわけないよ」
戦えやしないのに食い下がる。愚か極まりない勇気だ。
「しかし、神出鬼没な化け物なので、人が多い方が」
「人を守りながら戦うことの大変さも知らないのか」
後ろの衛兵に合図して若者の隣に立たせる。
ぐっと若者が唇を噛んで押し黙る。
次に妻をと思ったが、こちらを見もせずに先に歩き出した。
もう一人の衛兵が、あっと声を上げるのを手で制してから、妻の後へ続いて林の中へ入って行った。
「今日、君まで来なくてよかったのに」
「行きたいから来たのよ。文句言わないで」
妻はどこか少し機嫌が悪そうだった。
「昨日から何なんだ。怒ってるのか」
「それはこっちの台詞」
「何が」
「あなた、あの子に何をそんなに腹立ててるの」
「腹なんか立ててないよ。そっちこそ彼に優しいじゃないか」
「あなたが辛くあたるからよ。妬いてるの?」
「そんなわけないだろ」
「知ってるわよ。そんなこと」
当然だろとでも言うような口調。振ったのは君だろうと答える間もなく、妻は続ける。
「じゃあ、なんで急に自分で行くなんて言ったの」
答えに困った。
「別に。近いし、俺が行った方が早いだろ」
「あっそう」
妻は納得していない。
「こういう時のあなたって、ろくなことないのよ。知ってる?」
こういう時ってどういう時だ。
そのまま妻がずんずん先へ進んでいった。
荒れ跡の先、崩れた土手に黒い穴が口を開けていた。妻が松明に火を入れる。
「匂うわ。ここいらで入れ替わりかしらね」
血の匂いが強くなるが、音は静かだ。狩りに慣れているようだ。
奥の魔力を探る。
「三匹と、一匹だな」
妻がうなずいた。
瞬間、飛び出してきた足元の殺気を蹴り上げた。
妻がその獣の飛ぶ方に松明を向けた。
一頭が甲高い声を上げて飛びかかってくる。
剣を振った。
斬れば血が飛ぶとみて、剣の腹で首の骨を折る。
気配の残り、残りの二頭も続いた。
特に変わったことはなかった。
妻は、矢を受けてまだ息のあった一頭にとどめを刺した。
それから新しい矢を取り出し、鏃の先に火を灯す。
洞窟の奥へ向けて放った。
火のついた矢が、暗闇の中を飛んでいった。
一瞬だけ全身が映った後、暗闇の中に赤い瞳が二つ残った。
獣の怒りを確かに感じる瞳だった。
「首落とすから、少し離れてくれ。血が飛ぶ」
妻を後ろにやって、剣を上段に構えてから全身に魔力を込めた。
下手な斬撃を飛ばすよりも、一刀で首を落とした方が良い、そう判断した。
獣は魔力に呼応するように、こちらへ全力で駆け出してくる。
一歩の間隔が、想定より速い。
久しく振っていなかった剣が、記憶より半拍遅れて上がる。
まずい。爪をもらうな、と人ごとのように思った。
飛びかかってきた前脚を、すんでのところで体を捻ってかわす。
同時に剣を振り抜き、首の筋をまとめて断った。
鈍い衝撃が左腕にあった。
爪の先だけが、肘当てと腕甲の隙間に引っかかったらしい。
獣の身体がずさりと地面へ落ちる。
裂けた首から血が流れ出した。
ちぎれかけた首に気づかないのか、前脚が一度だけ不気味に動く。
妻の矢がそれを貫き、地面に縫い止めた。
あっけない、この程度か。
妻が胸の前で十字を切って、死体に呪文を唱える。
「やっぱりか」
左腕を見る。
鎧の隙間から血が垂れていた。
腕を曲げると、妙に傷が開く。
治癒をかけて、とりあえず血だけ止めた。
「見せて」
「こんなの平気だよ」
「知ってる」
妻が腕甲を外し、鎖帷子を捲る。
「もう止まってるだろ」
「止まってるだけ」
傷を洗われ、薬を塗られる。
「沁みるな」
「平気なんでしょ。ほら、私がきたほうがよかったじゃない」
もう一度、妻が治癒をかけた。
妻のひんやりとした手が心地よい。
懐かしい、薄荷のような薬の匂いがした。
「そういえば」
「なに」
「最初に会った日、なんで道場に来たんだ」
妻が笑う。
「何よそれ。あなたに話しかけたかったからよ」
白く細い指先が、傷跡が塞がったことを確かめるように静かになぞる。
「怪我してたら、治癒を口実にできるでしょ」
「普通に話しかけてきたじゃないか」
「普通に見せてたのよ」
「緊張してたのか」
「当たり前でしょ」
はい、と一言いった後に妻が俺の腕から手を離す。
「でも、話したかったんだもの」
冷たく暗い穴ぐらの中で、妻が持つ松明の明かりと言葉だけがはっきりとあたりに広がっていくようだ。
「不純に聞こえた? 街一番の治癒師は、男の子をナンパするために魔法を覚えたって」
「別に。あいつだって似たようなもんだろ。強くなりたいから習うんだろうし」
「あの子ね」
妻が少し笑った。
「わかってるくせに、随分つっかかるのね」
返す言葉がなかった。
確かに、腹を立てていた。
「俺なんか、なりたいと思う前に強かったんだよ。みんな当然だと思ってる」
妻は何も言わず、包帯を巻く手を止めなかった。
「私はね、あなたが好きよ。初めてあなたを見た時から、ずっと」
「急だな」
「頼まれたらやるし、できることならちゃんとやる。自分がすごいからって、投げ出したりしないでしょう」
妻は包帯を片付けながら、なんでもないことのように続けた。
「憧れだったの。今だって、あなたのこと誇りに思ってる」
その言葉で、昔のことを思い出した。
親父の大きな手が頭に乗っていた。
帰ればご馳走だと言った声。
肉を焼いて、白いパンを出して、笑いながら泣くのを我慢していた母さんの顔。
あの二人も、たぶん同じような顔をしていた。
妻を見る。
彼女に気持ちを伝えた日のことを思い出した。
あの時は、どうしてあんなに緊張したんだろうと思う。
村を焼き尽くすほどの炎を吐く龍を前にした時より、よほど怖かった。
「帰るか」
「そうね」
妻の機嫌は良さそうだ。もう少し洞窟にいてもいいと思った。
林を抜けて、エドガー邸の領地まで来ると、衛兵と一緒に立っていた若者がびしっと体を硬直させる。
「倒したよ」
お疲れ様ですという衛兵に魔物の正体を答えた。
「強かったですか」
「そうだね。村で魔物の死体を始末できる人はいる?」
「自分が、やれます。屠殺は慣れています」
「そうか、じゃあ置いていこう。金になる」
「あの勇者に傷を負わせたものね」
妻が横槍を入れる。
あっと驚いたように衛兵と若者がこちらの体を見やるので、傷一つない腕を持ち上げてみせた。
「優秀な治癒師が同行してくれたからね、なんてことないよ」
妻が大げさにお辞儀して見せる。衛兵二人が拍手する。
「それじゃあ帰ろう。君は残るんだろ、この家に」
「はい。今家には誰もいないので自分が。今日はありがとうございました」
少し考えてから、
「魔法、習うならちゃんと続けな」
「はい。ありがとうございます」
隣で妻が声を立てず笑っている。
「ありがとうございました」
歩き出すと、再び大きな声でお辞儀をする若者の姿があった。
手を振って返答する。
村の入り口に着くと、周りは薄暗くなっていた。
衛兵が馬をこちらによこそうとしているのを止める。
きょとんとしている妻。
街灯がかろうじて、妻の輪郭を照らしている。
「今日は歩いて帰らないか」
「どうして」
「二人で歩きたいんだ。昔はよく歩いただろ」
笑ってうなずいてくれた。
「行ってくれ。大丈夫だ」
衛兵二人がありがたき、とだけ言って馬に跨り帰って行った。
「行こう」
彼女に手を伸ばす。
治癒の得意な女の子は昔と変わらず、少し恥ずかしそうに、それでもしっかり俺の手を握り返してくれた。




