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終世の犬  作者: 露隠とかず


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第6話 トイレの怪(ド定番)

 十三階段以降、怪談はすっかり形を潜めてしまった。噂話は一切囁かれる事なく、気づけば一ヶ月が過ぎていた。


「一気に二箇所やったからね、あっちも警戒してるんだ」

「そうですか。出来れば四人居るうちに退治したいですね」

 久しぶりに犬童に呼ばれた四人は、社会科準備室でお茶を啜る。筑紫と隼人はちょくちょく来ていたが、健と豊国はほぼ一ヶ月ぶりだ。

 前日に連絡があったため、筑紫は腕を振るっておはぎを大量に作ってきた。犬童がお茶を淹れ、みんなで囲むのは最早定番になっている。


「健くん、受験勉強大丈夫?そろそろ夏休みだけど、佳境だよね」

「はい、実は推薦いただけているので進学は決まってるんですよ。西都の大学なので寮に入る予定です」

「さすが健さん、そつがないですね」

 ジト目で隼人が健と筑紫のやり取りを見やるが、いつもの事なので筑紫は見ないフリをする。


「西都かー色々楽しそうだね」

「去年友人と旅行がてら行ってきたんですが、こことはまた違った古都で自分に合いそうでした」

「へえ、それは重畳だね!あ、禁足地にはくれぐれも気をつけてね」

 古都には必ず禁足地がある。特に産土神―犬童―との結びつきが強い防人は、古い神々から目を付けられやすい。それがかつて争った朝廷があった西都なら尚更だ。


「はい、場所は伺っているので、避けるようにします」

「うん、でも楽しんでね。四年ぐらいなら僕の加護も及ぶし、引き寄せることはないと思うから」

「は、い?四年ぐらい?加護とは??」

 突然の発言に健は思わず固まる。いずれ東都に行きたいと思っていた筑紫や豊国も同様に。


「ああ、あのね。君たち防人はこの地からあまり離れられないというか、ここに戻されると言うか」

「え?」

「土地と魂の結びつきが強すぎてね。他では生きていけないんだ」

 さらりと告げられる知らなかった衝撃の事実に、遂に全員が固まった。


「まあその分、この地にいれば僕の加護はバッチリだからね!大船に乗ったつもりで―」

「ちょ、ちょっと待ってください!生きていけないとはどういう意味ですか!?」

「あれ?みんな知らなかった?それぐらい強いんだよ僕の神力って。そして神に愛される君たちの魂を狙う神々や異形の執着もね」

 子どものように微笑みながら言い放つ犬童に、隼人だけが呆れた視線を送る。寂しがりの神は自分たちを手離す気はないのだ。

 本人は守っていると言う認識だが、神である時点でそれは半分呪いのように防人たちを縛る。

 少し、いや大分神らしくなってしまったなと内心苦々しく思いつつも、隼人は話題を強引に変えるべく咳払いした。


「ンンッ、まあ考えても仕方ないじゃん?それより新しい怪談の噂を聞いたんだよねぇ」

「そ、そういえばそんな事言ってたな。二ヶ月ぶりだな」

 まだ動揺が抜けぬまま、筑紫もとりあえず新たな話題に乗る事にした。



 ――曰く。

 放課後、学園のどこかの女子トイレで三番目の個室の前に立ち、ドアを三回ノックして「花子さん、遊びましょ」と呼びかける。

「はぁい」という返事と同時に、個室が勢いよく開き女生徒が飛び出してきて首を締めてくる。


「って感じぃ。ド定番だよねぇ。小学生がよくやるヤツ」

「どこの女子トイレなんだ。というか女子トイレに入るのか?」

「ヤダぁー結構恥ずかしーよねそれ。なんでそんなとこに怪談発生するかなー」

「今回の防人、男しかいないのにね」

 頭を切り替え、しかし場所が場所なだけに四人ともげんなりした顔で不満を漏らした。犬童も苦笑しつつおはぎを口に入れた。


「怪異を発見したら即、場を整えるからね。流石に女子トイレに長くいたくはないしね」

「分かりました。今回は早めに終わらせたいですね…」

 大分嫌そうな表情を浮かべ、筑紫は犬童に返答した。


「あらぬ誤解を招きたくないし、今回は人払いしよう。ちょうど一週間後の金曜日が創立記念日にしようか」

「分かりました。人がいないのは本当にありがたいです」

「朝からちゃっちゃとやっちゃってぇ、午後はお茶したいねぇ」

「それはさすがに無理っしょー」

 すっかり呑気な空気に戻り、五人はしばらくおはぎを楽しんでから解散した。



 結局いつも通り夜からの探索となったが、夜の学園は薄暗く、それだけでも少し気分が下がる。更に女子トイレの捜索とあって四人の士気も低かった。

 一旦社会科準備室に集まった五人は、どこから探索するか学園の設計図を見ながら相談し始める。


「ああー本当に今回ばかりは早く終わらせたいねぇ」

「ホントねー!どこから行く?上から回った方がいいかなー?」

 ある意味いつもよりやる気を出している豊国は、さっさと移動したくてうずうずしている。


「うーん、とりあえず特別教室棟から行こうか。数も少ないしね」

「分かりました。確か社会科準備室の近くに一つありましたね」

「一番近いしぃ、そこからにしよっか」

 全員肯首すると、早速武具を取り出して部屋を出た。

 社会科準備室から二部屋挟んだ隣に入口に扉がついた職員用トイレがある。その女子トイレの前に立つと、溜息を一つ吐いて健が扉を開けた。

 左手に洗面台があり、向かい合う位置に個室が三つ並んでいる。手前から三番目の個室のドアが閉まっているのを見て、四人は思わずガッツポーズを取った。


「やったー!!いきなり当たりじゃん!」

「故障中みたいなオチはないよね!?」

「大丈夫、特に連絡きてないから!まさかうちの近場だったとはね!」

 三人は少しおかしなテンションで盛り上がるが、後輩二人がしんとなっていることに気付き、目を逸らしつつ無言になった。


「えーと。じゃ、じゃあ始めようか!」

「なーに盛り上がってんだかぁ」

「はい。では今回は俺が祓詞を奏上します」

 無理やり仕切り直す犬童に筑紫は告げつつ、柏手を一つ打った。澄んだ音が響き、犬童はにこりと微笑む。


「掛けまくも畏き犬童の神 畏み畏み白す」

「…どうぞ、聞きましょう」

 筑紫の落ち着いた声音に、犬童は心地良さげに目を眇める。空気は既に切り替わっていた。


彼方(おちかた)繁木(しげき)(もと)焼鎌(やきがま)敏鎌(とがま)(もち)て打ち(はら)う事の如く (のこ)(わざわい)は在らじと 祓え給い清め給う事を 聞こし食せと畏み畏み白す」

「……良いですよ。君の願いはしかと聞き遂げました」

 少し長い奏上を読み上げると、筑紫たちは目を瞑った。犬童は柏手を一つ打ち、場をいつもの青空の広がる草原に整える。


「《産土神》犬童の名に於いて穢れを祓う。防人達は怪異の足止めをよろしく!」

「承知いたしました」

 すでに狩衣姿となっている犬童は大刀を取り出し、そのまま大地に突き立てた。大刀を中心に真っ白な光が湧き上がり、草地に五芒星を描いていく。

 四人の視線の先には全身真っ黒ではあるが、完全に人型だった。子どもほどの背丈の怪異は、五人を睨めつける。


『ううう怨メしきィ怨めしき犬童ぉ。神殺しのォ…不届き者めがぁ』

「ウワ、シャベッタァ!面倒な相手だねぇ」

「やはり進化してるのかもな」

 ぐ、と拳を握りしめ、筑紫は気を引き締める。犬童も不快感も露わに怪異のいる方向を眺めた。


「視えないけど声は聞こえるよ。鬱陶しいやつだね」

『犬童ぉお!!』

 犬童の言葉に激昂した怪異が、一気に距離を縮めようと迫る。


「軍毅殿失礼しまーす!」

 犬童より少し後ろから飛び出した豊国は、つがえた矢を弾き放った。矢は空気を切り裂きながら怪異の右肩を貫いた。その衝撃で黒い体が傾ぐが、怪異は憎悪に満ちた怨嗟の声を上げると、方向を変えて豊国に突っ込んでくる。


「豊国!!ダメだ間に合わないっ!」

「キャァっ!あ、あれ痛くない?」

『ギぎィ!!?結界、だとぉ』

「軍毅殿のお守りか!」

 豊国の首元を掴もうとした手が、金色に光る壁に弾かれ火花を散らした。豊国には見えないであろう右耳のピアスが、薄っすらと金色に発光している。


「ヒヤッとしたよ。最初にお守り渡しといてよかった」

『犬童…犬童ォオ!!御方が白日別さえ喰らっていればぁあ!』

 場にふさわしくないほど穏やかな笑みを浮かべた犬童を見て、怪異が怒声を上げる。

 その言葉に犬童の額にびきりと青筋が浮かぶ。大刀から両手を離すと、犬童は改めて柏手を打った。晴天だった空が一気に漆黒に塗りつぶされ、視界が奪われていく。


「お 前 動 く な」

 聞いたこともない冷たい声音に全員の動きが止まる。

 何も見えない漆黒の暗闇に動きようもなかったが、それ以上に恐怖が身を襲い動けなかった。

 初日に感じた《犬童の神》の威圧感を易易と上回る恐怖に、ただ呼吸をすることさえ苦しい。


『ウウ、ぐぎぃいい…』

「お前が僕の結界に触れたお陰でよく視えるよ。防人たちに足止めしてもらうまでもない」

 見えない何かに押さえつけられているように、身動ぎ一つできない怪異は怨めしげに犬童を睨めつける。だが何の感情も湛えてない犬童の青い目に射抜かれてひゅ、と喉を引き攣らせた。

 ゆっくり怪異に向かって歩を進め眼の前に立つと、犬童は怪異の頭を両手で掴んだ。


「白日別様を侮辱したな?元産土神の末端の眷属如きが、この()れに弓引こうなど嗤わせる」

『ァあ、ア、縄瀬(のうぜ)の神ィい!!!』

 怪異にしか聞こえないほど小さな声で言い放つと、犬童は掴んでいた頭を砕いた。かつての主人の名を最期に叫びながら、怪異の体はざらりと崩れていく。

 崩れ落ちた黒い砂のような残骸の中心に骨片を認めると、犬童はそれを左足で踏みつけた。前回同様符を丁寧に巻くと、やはり火柱を上げて灰になっていく。


「ふー…場を戻すから目を瞑ってね」

 答えることはできなかったが、四人は言われるままに目を閉じる。柏手を一つ打つと、漆黒の闇は消え元の女子トイレに戻っていた。

 冷や水を浴びせられ、四人は顔色を失っていた。微かに震える指を握りしめるが、言葉を発する事ができない。


「いきなりごめんね、今夜はもう解散しよう。ゆっくり休んでね」

「…はい、分かりました」

 そのまま誰も言葉を交わす事なく武具をしまい、その場で解散となった。生徒通用口まで送ると、犬童はその場で一人佇む。

 校舎を出る直前、何か言いたげに振り返った筑紫の表情が忘れられなかった。


 千数百年前、白日別が生贄にされそうだった時、産土神を倒した後の彼女も、今日の筑紫と同じ哀しそうな表情を浮かべていた。


「白日別様…」

 犬童は両手で顔を覆い静かにその名を呟いた。右手が眼帯に触れ、益々眉根をよせる。犬童の眼帯の下の目は、産土神との戦いで抉られそのままになっている。神と成る前の傷で唯一治らなかった場所だ。

 特に気にしていなかったためそのままにしていたが、白日別が見る度に気を病むので布で覆うようになった。時が過ぎ、ただの布から眼帯に変えて久しい。


 犬童にとってこの傷は、彼女を産土神から守り切った証。そして同時にその後の戦さから守り切れなかった証でもあった。


「今生は必ず…白日別様…」

 この地ならどこまでも遠見できる犬童の左眼は、帰宅途中の筑紫たちの姿を捉える。

 傷付けなくて良かったと思う反面、怖がらせてしまった事に少し落ち込みながら目を瞑る。


「…さて、落ちこむのはお終い!次から気をつけよう」

 最後に大きな独り言を言うと、犬童は今夜は図書室で過ごすかとその場を後にした。




「おい犬童、ツラ貸せよ」

「……おはよう、今日土曜日だけど。どうしたの隼人くん」

 夜通し長編小説に没頭していた犬童は、出しぬけに隼人に声をかけられて目を丸くした。


「いいから。屋上に移動しろ。ここじゃ話しにくい」

「??わかったよ」

 言われるままに柏手を打つと、二人は屋上に移動した。空はまだ日が昇り出したところで、西の空には薄らと夜の気配が残っている。

 こんな早朝から何用かと隼人を見ると、呆れと怒りが入り混じった表情をしていた。


「お前煽り耐性なさすぎだろ。どうせ「ちょっと怖がらせたから次から気をつけよう!」ぐらいにしか考えてないだろ」

「え、そりゃ、まあ…大丈夫だよ、あんな怒り方もうしないから」

「そう言う話じゃないんだよ。言いたくはないが犬童、お前自分の力をもう少し自覚しろ」

 犬童を神として扱いたくない隼人は、苦虫を噛んだような顔で犬童を睨みつける。意味が分からず、犬童はきょとんとその顔を見上げる。


「はぁ〜…あのな、下手したらお前の神の力を畏れて、防人続けられない奴だっているかもしれないだろ!」

「あ…そ、そうか。考えもしなかった…」

 犬童にとっては少し怖がらせたかという感覚でも、人間からすれば神の怒りは死の恐怖に等しい。


「ごめん…すぐ怒らないように気をつけるよ」

「本当にそうしてくれ。まあ気持ちは分かる。オレも腹立ったしな」

 しょんぼりと俯く犬童の頭をわしゃわしゃと撫でながら、隼人は説教を終わらせた。


「ん?あいつらに感謝しろよ。オレが思ってるより、なかなかどうして肝が座っているらしい」

「あ…健くんと豊国くん」

 校門から二人が歩いてくるのが見えて、犬童は目を瞬かせる。風に乗って聞こえてくる会話は、それぞれ犬童を心配する内容だった。


「あいつらもお前の人間である部分を大事にしようとしているんだ。裏切るような真似はするな」

「うん、分かった…」

「さて、社会科準備室に行くぞ。お前がいなかったら余計に心配させるからな」

 こくりと頷くと、犬童は柏手を打ち場所を移動する。間を置かず二人が訪ねてきた。


「おはようございます。軍毅殿、朝から失礼します…って隼人?」

「おはよー、ちょっと用があってねぇ。二人ともどうしたのぉ?」

 素知らぬフリで嘯く隼人に、目を丸くした健と豊国だったが、二人して顔を合わせると即座に頭を下げた。


「昨夜は怖がってしまってすみません。軍毅殿は怪異を倒しただけなのに」

「もうビビったりしないからー!」

 謝りたいのは自分の方だと、犬童は唇を噛む。


「ううん、こっちこそごめんね。あんな言葉で怒っちゃって…」

「ほんとだよぉ。軍毅殿は煽り耐性つけないとぉ」

 呆れたように返す隼人に苦笑しながら、犬童はこの場にいない筑紫を思う。流石にショックが大きかったのかと思った矢先、がらりと扉が開いた。


「おはようございます、ああやはりみんな来てたか」

 若干息を切らせながら、大きな風呂敷包みを抱えて筑紫が現れた。


「お、おはよう筑紫くん。昨夜は」

「昨夜はすみません。哀しそうな顔をされていたのに、何も言えなくて」

 犬童の言葉を遮るように謝罪を述べると、筑紫はぴしりと頭を下げた。犬童は謝られた事より哀しそうな顔だと思われていた事に驚き目を見張る。


「確かに軍毅殿の怒りは恐ろしかったですが、それ以上に哀しそうだったのに何もできなかった事が申し訳なくて」

「…ううん、僕こそごめんね。もう怒ったりしないから。みんなも怖がらせて本当にごめん」

 犬童は改めて全員に頭を下げた。慌てて健が腕を振る。


「いえ!お怒りはごもっともです。俺たちももっと、軍毅殿を止められるように頑張ります」

「次があってもぉ、ちゃんと止めますからねぇ」

「うん…ありがとう」

 笑みを浮かべ告げられる言葉に、犬童は嬉しそうな泣き出しそうな顔で四人を見た。


「今回の件はこれで。朝ごはんにしませんか?たくさん作ってきたので」

「いいね!ここじゃ狭いから、学食に行こうか。今日は休みで今はまだ人もいないし」

「いいですねぇ。筑紫のご飯食べましょぉ」

 全員頷くと、社会科準備室を出て学食に向かう。

 暗かった空気はもうどこにもなかった。

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