第15話 終世の犬
「お話しする前に確認したいことがあります」
「うん、何が聞きたいの?」
筑紫は少しだけ深呼吸すると、決意したように犬童に尋ねた。
「犬童さんは軍毅ではなく、軍毅・白日別に拾われその名を貰った防人だった。そうですよね?」
「…そうだよ。どこでそれを知ったの?」
最早隠蔽する気もない犬童は、否定することなく筑紫の意図を探る。
「それは…下駄箱の上に鞄を置いてきたんですが、ここに持って来れますか?」
「うん、ちょっと待ってね」
犬童は柏手を一つ打つと、筑紫の鞄を引き寄せた。それを受け取り、筑紫は中から白日別の日記を取り出す。
座り込んだままの犬童は、それを黙って見やった。
「白日別が遺した文書を図書室で見つけたんです。読むのは苦労しましたが、内容は私的な、日記でした」
「白日別様が日記を?しかも図書室にあったって?何百年も見てたのに全然気づかなかった」
「無理もないです。軍毅殿には読めないようになってましたから。恥ずかしかったんじゃないですかね?」
差し出された本を綴じる編み込まれた白い紐に、犬童は見覚えがあった。
「あ、これ僕の髪だ。そういえばいつだったか欲しいって言われた…このためだったのか」
五芒星の封印と同じく、犬童は自身に纏わるものは逆に検知できなくなる。白日別もそれを理解して、隠すために犬童の髪で日記を綴じたのだった。
「中身も読めないと思います。犬童さんについて書かれた部分だけですが、現代語訳したものを俺が読みますね。まあ俺は本人みたいなものなんで問題ないでしょう」
魂を同じとしつつも記憶は何も無い筑紫は、プライベート故に恥ずかしい内容のそれを淡々と読み上げる。
魂が羞恥で悶えている気がするがそこは無視して。
**
今日、道端で飯をあげた子どもを拾った。前の戦さで見かけた子どもだ。
唐の連中は退いていったが、この子どもは怪我をしていたようだし捨て置かれたんだろう。
名前は覚えていないと言うので、昔うちにいた犬とよく似た真っ白い髪の子どもだから、犬童と名付けた。空のような青い目がとても綺麗で、幼いが良い男になるだろう。
まだまだ警戒されているが早く慣れてもらいたい。
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犬童は一人で生き延びてきただけあって、地力がとても高い。聞けばやはり大陸の人間で、親とは死に別れ奴隷として連れてこられたのだという。
今では防人たちの訓練に少しずつ混ざっていたり、女衆と飯を作ったりしている。
唐もしばらくおとなしいし、朝廷も不気味なほど静かだ。このまま平和であればなあ。
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子どもの成長は早いもので、犬童も元服の歳になった。
子犬のようについてくるのは相変わらずだが、思った以上に強い防人になってくれた。
…渠帥者の影響か口が悪くなっているのは気になるところだが。
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朝廷の官吏が馬鹿な真似をやらかして、産土神が禍ツ神に変貌しようとしている。雨は降らず旱が続き、大地が不気味に鳴動し始めた。
しかも原因の官吏は早々に尻尾を巻いて逃げやがった。自分達の土地は自分達で何とかしろと捨て台詞を残して。
あの■■■■■が■■■(恐らく罵詈雑言。物騒な言葉?が続く)してやろうか。言っても仕方ないが。
元々朝廷にとって邪魔者だった軍毅の私に、禍ツ神を鎮める人身御供になれと白羽の矢が立った。
畏れはない。そう思えたら楽だったが、流石の私も人知を超えたものは恐ろしい。
それでも民が、国が滅ぶぐらいなら喜んで贄になろう。
クソ■■の■■■■(恐らく罵倒)共が。
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ああ。今日という日を生涯忘れない。
犬童は私を庇い、昼も夜も生も死もない神と成ってしまった。
私があと一歩早く喰われていれば、あの子をあんな目に遭わせずに済んだのに。
右目を失い封印の地から動けなくなってしまった犬童は、それでも微笑んで私の生還を喜んでくれた。本当に堪らない。
犬童が少しでも淋しくないように、封印の地に学び舎を建てることにした。
あの場にいた渠帥者も協力を約束してくれたが、何やら怪しい呪法に手を出し始めたようだ。大丈夫だろうかと思っていたら、案の定嫌な予感は的中した。
アイツは輪廻しても己のまま転生できるよう、自らに術を施したと言い出した。神となった犬童が一人にならないようにと、人の理を外してしまった。
完全に事後報告でもう手出しもできない。
どうして私の周りは一人で突っ走る奴ばかりなんだ。
…ああ、類が友を呼ぶということか。くそ。
**
朝廷の動きがまたきな臭なってきた。禍ツ神事変で少しは懲りたかと思ったら直ぐこれだ。
次の戦はこれまで以上に厳しそうだ。私の命運もいよいよ尽きる予感がある。
その覚悟はいつでも持っていたが、今の犬童を遺してしまうのは、死ぬ事より恐ろしく哀しい。
私の寿命など神の前では瞬きの如しではあるが、まだ神としては不安定な犬童がせめて落ち着くまでは…
子孫よ、幾星霜を経てなお、私に続く者どもよ。
もし次の戦で私が死ぬことになったら。
私にできなかった事を、どうか、どうか果たしてくれないだろうか。
私を庇い、孤独な神となってしまったあの子を。本当は淋しがりなあの子を。
人間に戻ることはできないとしても、どうか。
「…どうか救ってくれないだろうか。最後にそう書いてありました」
「ああ…白日別様」
犬童は両手で胸元を強く掴みながら、白日別の名を呼んだ。その姿から犬童がいかに白日別を慕い、千数百年経つ今も変わらず思い続けているのが伝わってくる。
それは自分の命など惜しくないほど、死ぬ事が出来なくなる事すら厭わないほどに。
「俺ができることは、犬童さんの望みは何ですか?」
「己れはあんたに終世仕え護り続ける。それだけが唯一つの望みなんだ」
一切の迷いなく犬童は即座に答えた。分かっていたものの、改めて言葉にされるとその重みに胸が痛くなる。
「…バカなことを。あなたの終世は永遠じゃないですか」
泣きそうな顔で笑みを浮かべる筑紫を見て、犬童はいつものように穏やかに微笑んだ。
「しょうがねえだろ。己れが受けた恩はそれ以上に重いんだ」
「はは、本当に口が悪いんですね。もう言葉なんかどうでもいいか」
渠帥者として答えた時の隼人の口調に近い犬童の口の悪さに、筑紫は小さく笑いを漏らした。
犬童は肩を竦めると、片膝を立てて座り直し頭を下げた。筑紫はその行動に驚きつつも、止めずにそのまま犬童の言葉を待つ。
「己れの忠義は何度生まれ変わられようと、あんたの魂とともに」
「俺は魂が同じかも知れないが、白日別じゃない。それでも?」
「終世を誓った犬の忠義を甘く見るなよ。そんなことで変わるもんか」
犬童は頭を上げると筑紫を真っ直ぐ見つめた。空と同じ青い瞳は、どこまでも澄んでいる。
微笑むと筑紫は犬童の手を取った。その手を犬童もしっかりと握り返す。
「俺は防人だ。三年間、いや終世よろしく頼む」
「ああ、今生こそは護ってみせる。己れは…僕は犬童の神だから」
筑紫は笑うと犬童の手を引き起こした。立ち上がると三人の元へ歩き始める。その足取りは軽かった。
「健っち!大丈夫!?」
「とよ、く、に?うう、体が動かない…」
豊国にもたれるように抱えられていた健は、何度目かの声掛けにようやく目を覚ました。自身の状況が掴めず、目線が彷徨っている。
取り憑かれた状態で強引な立ち回りをさせられたせいか、体が指一本動かせず健は呻き声を上げた。
「…う〜腹と顎がめちゃくちゃ痛い…」
「もう少ししたら治してやるよぉ。ちっとは痛い思いしろアホタレが」
ゆっくり歩いてきた隼人は、痛みで悶える健に苛ついたまま吐き捨てた。そもそも健が禁足地に迷い込まなければ、今回の六不思議も大した戦闘もなく終わったはずだ。
だが。
今回の事があったからこそ、犬童が白日別の心を知る事ができたとも言える。通常通りなら恐らく防人は隼人一人が選ばれ、昔話に花が咲く程度で終わってしまっただろう。
それも分かっている隼人は、複雑な表情を浮かべながら健の額を小突いた。
「いたっ」
「今回のヘマはこれで勘弁してあげるよぉ。でも地図は読めるようになるまでみっちり教えてやるから覚悟してねぇ?」
「あ、ありがと?」
「あれー?隼人っち優しー」
ニヤリと笑うと隼人は柏手を打ち、健の体を癒した。服こそボロボロなものの、痛みが消えた健はようやくホッと息をついた。
犬童と筑紫も合流し、いつものように場が生徒通用口に戻る。窓から見える空には既に朝日が昇り始め、雲一つない青い空が広がっていた。
「しかしこのシャツ…いくら近所とは言え目立つよな。仕方ない脱ぐか」
「オレのベスト着るぅ?いや、その方が悪目立ちしそうだねぇ」
「俺も脱ごうかな…ズボンはまあいいか」
「みんなボロボロだねー早くシャワー浴びたーい!」
怪我は隼人が治したが服はさすがにどうにもならない。血まみれのシャツを脱ぎつつ、タオルで汗だけは拭った。
健と筑紫は鍛えているとは言え、上裸のまま歩くことに抵抗を覚えるも、血まみれのままよりはマシかと諦めた。
「さて、改めてみんなお疲れ!落ち着いたら打ち上げやろうね。しばらくゆっくり休んでね」
「分かりました。犬童さんもゆっくりして下さいね。またおはぎ作ってきますから」
筑紫はもう犬童を《軍毅》とは呼ばない。犬童もそれが嬉しく破顔した。
「あれ?軍毅殿って呼ばないの?」
「ふーん?まあ犬童さんの方がーいいんじゃなーい?」
「そうだねぇ。犬童サン?」
豊国と健は不思議そうに二人を見たが、事情を察した隼人は微笑んだ。
全員がそれぞれ犬童と握手を交わす。
ここ数十年で一番荒れた六不思議の怪異退治は、静かに幕を閉じたのだった。
八月も後半に差し掛かりつつあるが、まだまだ残暑が厳しい。そんな中、防人たち四人は筑紫の家に集まっていた。
二十畳を超える広い座敷で、黒檀の座卓の上に広げた地図をじっと見ながら思案していた健は、何とも言えない表情でそれを見つめる隼人に自信有りげに叫んだ。
「分かった!!ここ、左に行けば向日神社でしょ!」
「……タケルさぁ。ここまでどうやって歩いてきたのぉ?真逆だよぉ!右だよ右ぃ!!」
向日神社は筑紫の父・鞍橋が神主を勤めており、今いる筑紫の家の前にある。ここまで来たはずなのに、健の頭の中では地図で見ると途端に分からなくなるらしい。
「あれ?え、だってここの角は都督府学園の奥で??」
「………」
宣言通り隼人は健に地図の読み方を教えていたが、そろそろ心が折れそうだった。教え方が分かりやすいと定評のある隼人の説明すら健はどうやっても逆、もしくは見当違いな方向へ向かう。
これ以上どう噛み砕けば伝わるのかと、隼人は頭を抱える。
「ここまで伝わらないなんてねぇ。もう常時GPS付けて誰かに電話で確認しながら歩いた方がいいんじゃないのぉ!?」
「きゃははは!隼人っちの説明分かりやすいのにー健っち本当に地図ダメなのねー」
「うーーーん…おかしいな。何で逆?」
「おかしいのはぁ!タケルの頭だよぉ!!」
隼人の絶叫に近い叫びが部屋に響く。筑紫はその声を聞きながら、盆に飲み物を乗せて呆れ顔で廊下を歩いていた。
一旦休憩を入れないと、いよいよ隼人の忍耐力も限界になりそうだ。
「落ち着け隼人。一旦昼餉だ、ちょっと休め」
「うえーん筑紫ぃ!タケル駄目だよぉもう無理ぃ!!」
筑紫の姿を見た途端泣きつく隼人に、苦笑を浮かべつつ筑紫は盆を座卓の上に下ろした。コップとお茶、そして取り分け用のガラスの器を机に置いた。
今日は大分暑いため、筑紫は素麺を作った。筑紫の素麺の具は細く切った胡瓜と薄焼き卵、そして塩胡椒で炒めた大きめの鶏もも肉をメインにしつつ、最後に刻みネギを乗せて山葵と共に食べる、食べ盛りな高校生も十分満足できる肉マシマシな素麺だ。
「分かった分かった。とりあえず素麺食え」
「あああ〜癒されるぅ〜」
「扱い方わかってるねー筑紫っち」
足にしがみつく隼人の頭をわしゃわしゃ撫でると、隼人は瞬く間に機嫌が上向く。
それを見た筑紫は一旦立ち上がると、改めて素麺と具材を取りに台所へ戻った。付いてきた隼人に軽く二十束近い素麺が入ったボウルを渡し、自身は具材の皿を器用に全て盆に並べた。
「筑紫の素麺具沢山で美味しいんだよねぇ!久々で楽しみぃ」
「お疲れ様。犬童さんもこれから合流できると連絡があったぞ」
「それは良かったねぇ。大分落ち着いてきたのかなぁ?」
そう言えば器が五つあったなと考えつつ、隼人はにぱりと笑う。
元々向日神社のある筑紫の家までは遠出できる犬童だが、今は結界が弱まっているため注連縄の縛りもあまりなく移動できるらしい。
午前と午後に一度、犬童の神力を土地に浸透させることで、結界は徐々に元に戻っていくと犬童は防人たちに説明していた。
封印を弱めることはできなくとも、このひと時だけでも自由に過ごしてほしい。そう考えた防人たちは、犬童を頻繁に筑紫宅に呼んで様々な話を聞いていた。
(そのせいで犬童の神の加護が強まり、防人たちはますます別の地には行けず、神々や異形から更に注目を浴びていると言うことを、隼人だけが気がついている)
「こんにちはー筑紫くん」
「いらっしゃい犬童さん。ちょうど昼餉ですよ、どうぞ上がってください」
廊下の先にある玄関から犬童の声が聞こえ、筑紫は家に上がるように促した。最初の頃はそんな常識も考えず、いきなり目の前に出現していた犬童だったが、隼人にこってり絞られてからは玄関から訪ねてくるようになった。
「あっ今日は素麺なんだね!いいねえ!僕お茶淹れるね」
「ありがとうございます。健さん、一旦地図片してもらえますか?」
わいわい話しながら食事の準備を進めていく。いつか学園で過ごした昼休みの事を思い出し、筑紫は自然と笑みが浮かんだ。
「普段の試験のほうが簡単だと思えるくらい、地図の読み方が難しすぎる…」
「何かもう、ここまでくるとセンスの問題かなぁ?もう知らない場所に行くときは、絶対誰かについてきてもらいなよぉ」
素麺を食べながら遂に匙を投げた隼人は、投げやりに健に告げた。健は項垂れつつも小さく頷き同意する。
「健さんにも、どうしようもない弱点があるんですね」
「まーしょうがないよねー向き不向きってことでー」
「ああ、そう言えば豊国くんと筑紫くんは東都の大学へ行きたいんだよね?この地に戻る日を待ってるよ」
話題を変えるように犬童が二人に話しかけた。まだ少し先の話だが、都督府学園のレベルについていければ、志望校の大学もそこまで難しくないだろう。
「一つ質問なんですが。犬童さん、いや犬童先生。高校の教員免許はどうすれば取れるのでしたっけ」
「えーと、四年制大学の教職課程で高等学校教諭一種取れるよ。筑紫くん教師になるの?」
筑紫の質問に意外そうに犬童は答えた。隼人も初めて聞いたのか糸目を丸くしている。
「ええ、あなたが淋しくないように、卒業後もこの学園に戻ってきます」
「…!そしたら僕の同僚になるね!僕推薦状準備しとくから、絶対採用試験受かってね!!」
「犬童さんだけずるいよぉ!だったらオレも東都の大学行って教師になろうかなぁ」
文句を言いつつさり気なく筑紫に付いていこうとする隼人に、筑紫はもういちいち突っ込まない。それも楽しいかもな、と本人が聞いたら天を仰ぎそうな事を考えていた。
「東都はちょっと遠いからね、よし。犬童の神としての加護、本気出しちゃおうかな」
「本気の神力は流石に怖いから止めろ」
真顔で筑紫と隼人に止められて、犬童は不満そうに唇を尖らせる。
健と豊国はそんな三人の様子を見て、面白そうに笑った。
この地には千数百年より昔から、元は人間だった犬童の神と呼ばれる産土神が在る。
そしてその地には都督府学園と言う、やはり千数百年前に建立された歴史を持つ高等学校があり、度々怪異による六不思議が生まれる。
だがその度に怪異を倒し土地を平定する防人と呼ばれる人間たちがいる。
少し寂しがりな犬童の神は防人と共にこれまでも、これからも人の世が続く限り、この地を護り続けていくのだ。




