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終世の犬  作者: 露隠とかず


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第14話 八十禍津日神

『貴様…っ!!』

 梅鹿の神が憎々しげに隼人を睨め付ける。梅鹿の神はその手に握られたままの刀を握り直すと、炎の鎖を振り払って隼人に斬りかかった。

 刀と(つるぎ)がぶつかり合い、重い金属の音が響く。刀を弾くと、隼人は一歩下がり低く剣を構えた。


「そんな刀がオレに届くわけないでしょぉ?峰打ちにしてやるからぁ安心してねぇ!」

「お前の剣、両刃じゃなかったか!?」

『こいつを斬る気か!?やらせんぞ!!』

 思わず突っ込む筑紫をちらりと笑いながら見ると、隼人は振り下ろされた健の刀を紙一重で避ける。勢いを殺しきれずに刀は地面にめり込んだ。

 地面を叩き割ったわけではないため、梅鹿の神は刀が抜けずに引き抜こうと苦心する。


「今回の件が落ち着いたら、地図の読み方叩き込んでやるから覚悟しろよぉ!」

「ウソ、隼人っち!?」

 隼人は両手で剣の柄を強く握り直すと、下から振り上げるように健の体を叩き切る。

 驚いた豊国は思わず口を両手で覆うが、斬られた筈の体は服が切れることも血が吹き出すこともない。


『な、なんだ?直前で躊躇ったのか』

「んなわけないでしょぉ?旧き神よ、()く滅べ」

 右手の人差し指を立て降魔印を結ぶと、隼人はその指で地面に触れる。途端に斬りつけた剣筋から、ぶわりと黒い靄が漏れ出た。隼人の剣は健の体を一切傷つけることなく、その中に巣食う梅鹿の神のみを斬り裂いていたのだ。


『アアア!!』

「もう令和なんだよぉ?いい加減諦めな。オレたちの時代はもう終わってるんだよ」

 糸目を薄く開いて、隼人は静かに呟いた。体から黒い靄が一気に噴き出し、健はがくりと力を失い立ち竦んだ。

 今回だけで相当の力を使った隼人は、さすがに息を切らせながら座り込む。


「隼人っち!!」

「頼むねぇ豊国、オレちょっと動けないよぉ」

 黒い靄が体から抜け、そのまま倒れ込む健の体を飛び出した豊国が抱える。ぐったりしているが気絶しているだけの様子を確認し、豊国はほっと息を吐いた。


「はぁ、寿命縮むかと思ったー…」

「やっと終わったねぇ、ざまあみろ神め!」

 その時真後ろから何かを引き裂くような鈍い音と、崩れ落ちるような音が響き、豊国と隼人は慌てて振り返った。

 それは黒い靄の硬質化した鎌のような腕に、背後から腹を貫かれた筑紫が地に膝をついた音だった。


『ひひっ体を分けて潜ませていたのだ!油断したなああ白日別え!』

「っぐ…」

「筑紫!!くそ、ふざけるなよ!!」

 筑紫は目を眇めると震える手で鎌を引き抜くが、痛みに耐えきれずそのまま倒れ伏した。地面に血溜まりが拡がっていく。

 隼人は無理矢理立ち上がると、急いで筑紫の元へ駆けつけた。

 焦燥に駆られ青ざめた表情を浮かべながら、必死で筑紫の傷を押さえる。溢れる血は、あっという間に二人を真っ赤に染めていく。


「筑紫、くん…?」

 筑紫と隼人を愕然とした表情で見つめながら、犬童は絞り出すような声で呼びかける。小さすぎる声は混乱する場の喧騒に掻き消され、誰の耳にも届かない。


 隼人は似ていないと告げた筑紫と白日別だが、人間を外見ではなく魂で認識する犬童にとって、筑紫が白日別に見えることが何度かあった。別人だと頭では分かっていても。


 あと一手、届かなかったその距離が、永遠の別れになってしまった。今と同じように敵に背後から矛で貫かれて、犬童の目の前で白日別は命を落とした。


『犬童、大丈夫だ。また、会える、きっと』

『白日別様…嫌だ…こんなの嫌だ!』

『大丈夫だから、落ち着いてくれ。私の帰る、場所を無くす気か?』


 何が神だ。

 大切な人さえ救うこともできなかったのに。


「う、うぅ…!!」


 あの日の後悔が思いを黒く黒く塗り潰していく。

 犬童は心のどこかで、何かがぶつりと切れた気がした。



『うはははは!冥途の道連れにして…な、何ィ!!?』

「うううぅ、あっ、あああ…!!!し、しらひ、わけ様…また己れは…あんたを!!」

 犬童は血に塗れた眼帯を引き千切るように顔を掻き毟る。

 眼帯の外れた右目には虚のように真っ暗な眼孔があった。止めどなく流れ落ちる赤黒い血はまるで涙のように見えた。


 赤黒い血溜まりは五芒星を描き、漆黒の瘴気を生み出していく。その瘴気から無数の腕が伸び、縛り付けていた茨を引きちぎると、更に梅鹿の神を締め上げた。


『や、やめろ!我が消える、我々が、消えてしまううぅ』

 耳を劈くような断末魔を上げ、梅鹿の神は腕に取り込まれて消え果てた。

 それでも犬童の慟哭は止まらず、白い眼球は黒く染まり、青い瞳も真っ赤に変貌してゆく。その様を見て、筑紫は引き攣る喉からか細い声を上げた。


「軍毅、殿…駄、目だ」

 禍々しい瘴気が犬童を中心に更に溢れ出る。怒りと哀しみから八十禍津日神(やそまがつひのかみ)へと変貌しようとしている犬童を見て、筑紫は何とかしようと自身の痛みを無視して手を伸ばしかける。その手を隼人の手が強く掴んだ。


「筑紫!筑紫っ動くな!!血が止まらない!!」

「ゴホッ、はや、と…軍毅、殿を」

「っ分かったから少し黙ってろ!畏み!畏み白す!(あま)つ神は天の磐戸(いわと)を押し(ひら)らきて 天の八重雲を 伊頭(いつ)千別(ちわけ)に千別て 聞こし食せと白す!!」

 隼人は一旦手を離し柏手を打つと、叫ぶように祓詞(はらえことば)を奏上する。二人を覆うように真っ白な光が拡がっていく。


「朝の御霧(みぎり) 夕の御霧を 朝風夕風(あさかぜゆうかぜ)の吹き(はら)う事の如く 禍事(まがつごと)を祓い給え清め給え 守り給え幸え給え!」

 傷ついた筑紫の体を眩い光が包み込む。光の粒子は瞬きする間にその体を癒していく。

 光が収まった時には血の跡こそ残るものの、筑紫の体に傷一つ残っていなかった。


「う、流石に、死ぬかと思った…隼人、ありがとう」

「はぁっ、はぁ…っどういたしまし、てぇ…」

 尽きかけた力を振り絞り祓詞を奏上したためか、息を切らし汗を拭いながらも隼人はニヤリと笑った。攻撃より治癒に力を置いている一族、それが隼人の一族だった。

 隼人は独自に陰陽術も使役できるが、一番得意な事は怪我や病を癒す事だ。


「はぁ…さて、軍毅殿を何とかしなくちゃねぇ」

「…!黒い靄が軍毅殿を覆ってる?」

「あのまま放っておいたら軍毅殿、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)になっちゃうかもよぉ」

 くい、と親指で犬童を指差しながら隼人は呟く。苦悶と怨嗟の声を上げ続ける犬童の真っ赤な瞳は何も映していない。筑紫は悔しさからぎり、と拳を握る。


「俺が油断しなければ…どうにかならないのか!?」

「まだ何とかなるよぉ。と言うか筑紫だけにしかできない事だよ」

 隼人は糸目を薄ら開きながら筑紫の肩にポンと手を置くと、犬童に向けて祝詞を奏上し始めた。


「今の(うつつ)不思慮(ゆくり)なくも 犬童の神の御門辺(みかとべ)欲過(すぎなん)()て 慎み敬い(おろが)み奉る此状(このさま)(たいら)けく(やすら)けく」

「これは…神域を開いたのか」

 南天の中庭に繋げる時とは別の鳥居之祓を奏上すると、犬童を包む靄の一部に亀裂が入り開いた。靄の奥には先の見えない暗闇が横たわっている。


「分かった。軍毅殿を起こしてくる」

「頑張ってねぇ。道は確保しておくから」

 立ち上がり軽く手を上げて応えると、筑紫は振り返らずに開いた闇の中に飛び込んだ。


「独りで泣いてる犬っころを慰めてやれ」

 暗闇に呑み込まれた筑紫を見送りながら、隼人はその場に座り込むと祈るように呟いた。



 暗闇が延々と続くそこは、天地の境も分からない。前に暴走した時以上の威圧感が畏れとなって筑紫を襲うが、今の筑紫に恐怖感はなかった。

 進んでいるのかもはっきりしない中、筑紫はひたすら前だけを見て走り続けた。


「軍毅殿!どこにいるんですか軍毅殿!!」

 暗闇に入る前までは見えていた姿を探しながら、筑紫は大声で叫ぶが返答はなかった。


『白日別様、白日別様…!己れは、あんたをまた喪うのか?!もう、己れは…』

 暗闇に犬童の慟哭が反響する。胸を締め付けるような獣じみた叫びに、筑紫の心が張り裂けんばかりに痛む。

 筑紫の存在を認識していないのか、梅鹿の神を消滅させた触腕が筑紫にも襲いかかる。何とか拳で叩き落としながら、筑紫はひたすら走り続ける。


 《犬童、犬童を…どうか》


「……!?」

 突然誰かの声が聞こえ、筑紫は驚いて立ち止まった。一人だけではない、複数人の声が響き筑紫は辺りを見回す。ぼんやりと見えたのは総髪(そうはつ)を結い、白装束を身につけた者たちだった。

 犬童が人で在った時代の者たちだろうか、彼らの声は一様に悲哀に満ちていた。


 《何故我々は止められなかったのだ》

 《あの子に惨い犠牲を強いてしまった》


 あの日、白日別も渠帥者も、その場に居た大人たち全員が強く後悔したのだ。

 どうして己の立場などに気取られてしまったのか。

 どうして白日別を母以上に慕う、あの子どもを止める事ができなかったのか。

 白日別が生贄になろうという事を、そのまま黙って見ているわけなどないのに。


 筑紫の心に彼らの声が何度も強く響く。悲痛な叫びに近いその声に、涙が溢れて視界を塞ごうとするのを筑紫は強引に拭う。

 暗闇の先に犬童の姿がぼんやりと浮かび上がってきた。犬童は慟哭を上げながらも涙の代わりに血を流し、両手で顔を掻きむしっていた。

 筑紫は堪らず走りはじめると、犬童に向かって手を伸ばす。


 《犬童を、どうか犬童を》

 《あの子は優しい。あの子の涙を止めてくれまいか》

 《我らができなかった事を。白日別の子孫よ、白日別の魂を持つ者よ!》


 《どうか、どうか今度こそ犬童を助けてくれ!!》


「軍毅…犬童先生、犬童ーー!!!」


 伸ばした手が、ついに犬童の肩を強く掴んだ。



「禍ツ神になど成るな犬童!俺は無事だ!!」

「っうぁ、あ…し、白日別、さ、ま…?」

「俺は筑紫です!俺は大丈夫です、しっかりしてください!」

 力強く大きな手に両肩を掴まれて、犬童は首がもげるかと思うほど揺さぶられる。

 色を喪っていた筑紫の顔には血色が戻り、貫かれたはずの腹にも傷痕一つ残っていない。筑紫の腹をまさぐりながら確認すると、犬童はへなへなと崩折れた。


 真っ赤だった瞳は青に、眼球も白く戻っていく様子を見て、筑紫はほっと息を吐き微笑んだ。


「あなたは空のような青い目がいい」

『お前の青い目はまるで空のようでいいな』

「…っ」

 いつか言われたその言葉が、犬童の心に沁み込んでいく。

 犬童の体を筑紫の大きな体が包み込むようにそっと抱きしめた。自分より二周りは小さく、力を入れたら折れてしまいそうだった。怖々と犬童の両手が筑紫の胸元を掴む。


「生きてる、生きてるんだね、筑紫くん…!」

「生きてます。もう何ともありません!ああ、よかった。間に合ったぞ、白日別」

 魂の奥底で微笑む白日別の存在を感じ、筑紫は言い聞かせるように呟いた。双眸から流れ落ちる涙は、しばらく止まりそうにない。

 しがみつく犬童は小さく震えていた。

 今ここにいるのは、神などではなく、自分と歳の頃の変わらない一人の少年・犬童だった。


「ははは。さすが筑紫」

 おどろおどろしかった暗闇が徐々に晴れていく。

 犬童を抱きしめる筑紫の姿が見えた隼人は、ほっと息を吐き立ち上がると、そのまま二人の方へ歩き始めた。



「しら…つ、筑紫くん、どうなってるの?貫かれた怪我は…」

「隼人が治してくれました。隼人は一族随一の治癒師なんです」

「そうなんだ…良かった、本当に良かった…!」

 穏やかに微笑む筑紫の顔を見て、泣きそうな犬童は何度も頷いた。筑紫の血がついた手を拭いながら、やってきた隼人はニヤリと笑う。


「オレのとっておきの祓詞だからねぇ。かすり傷も残さないよぉ?」

「隼人くん…さっきの祓詞は」

 頭をかきながら隼人はしゃがみ込むと、犬童の胸元を掴んで引き寄せた。驚いて見開いた青い目を、薄っすら開いた隼人の目が強く睨みつける。


「早とちりしやがってこの痴れ者が。八十禍津日神になる前にやることがあるだろうが!!」

「…うん。ごめん…なさい」

「お、おい隼人!」

 激高する隼人は、慌てて止めようとする筑紫の言葉を手を翳して遮る。肩を落としてしょぼくれながら謝罪する犬童の耳元に顔を寄せて、隼人は呆れたように告げた。


「オレは伊達に輪廻を繰り返してるわけじゃないんだ。即死でなければ何とかできる」

「そ、そんなとんでもない事も、できるようになったの?」

「また取り零すのはゴメンだからな。死に水を取ることさえできなかったんだぞオレは」

 こそりと犬童だけに耳打ちするように小声で告げられる隼人の言葉に、犬童はくしゃりと顔を歪める。


「だから心配するな。オレの目の黒い内は、何が起ころうと筑紫は死なせたりしないから」

「いさ…隼人くん」

 優しく微笑む隼人の瞳の奥に、哀しい色が滲んでいる。それは眼の前で喪った自分の辛さとは違っていた。

 隼人が訪れた時には白日別は既に埋葬された後だったのだ。手を出すこともできなかった辛さを、隼人はずっと抱え続けていたのだと、犬童は今更ながら気づいた。


「は、隼人?」

「はーー言いたいこと言ってスッキリしたぁ!さっさとタケル起こして来るねぇ」

 こちらも珍しく狼狽している筑紫だったが、いつも通りの糸目でニヤリと笑みを向けると、隼人は構わず健と豊国の方へ行ってしまった。


「ちょっ、お前そんな勝手な」

「いいんだ筑紫くん。ごめんね痛い思いさせて」

 血に染まった筑紫を見ながら謝罪する犬童の声は、申し訳無さからか今にも消え入りそうだった。人間を護るどころか守られて、誰よりも先に暴走して筑紫たちやこの地を危険に晒してしまったのだから。


「俺はそんなに白日別に似てますか?」

「…うん。魂が同じだから多少はね。でも同一人物だと思った事はないよ」

 似たような考え方、仕草、そして自分への対応も含め、懐かしさを覚えることは多々あった。それでも違う人間だと、犬童は認識している。


「君は筑紫くんだよ。他の何者でもない。魂は輪廻する。でもその人は一度きりで、魂が同じであろうと同一人物なんて事はないんだ」

 隼人という例外中の例外については口を噤みつつ、犬童は淋しげに微笑んだ。

 一度しかないからこそ命は愛おしく、喪えば哀しいものなのだから。


「…なら良かったです。俺は俺ですから」

「うん、そうだね筑紫くん」

 筑紫は犬童の手を掴むと、真っ直ぐその顔を見る。


「軍毅殿に、いや犬童さんに白日別のことで話があります」

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