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終世の犬  作者: 露隠とかず


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第10話 豊饒祭

 筑紫が部屋で勉強をしていると、開いたままの引き戸が軽くノックされた。振り返ると作務衣を着た父・鞍橋が部屋を覗いていた。


「筑紫、お風呂出た後少し話したいんだけど〜いいかな?」

「分かった、後で父さんの部屋に行くよ」

 一旦ペンを置くと、筑紫は風呂の支度を始める。最近お互い忙しかった為、話す時間がなかったなとぼんやり考えながら、筑紫は部屋を後にした。


「父さん、筑紫です」

「ああ、入って入って〜」

 風呂を上がり鞍橋の書斎を訪ねる。書斎は中央に小さなちゃぶ台が一つある和室だ。壁は全て本棚になっている。奥は大きな窓があり、その先に口無しの木が一本だけ植っている小さな庭がある。落ち着いた雰囲気のその部屋で、筑紫は今もたまに本を借りて読むことがあった。

 手招きされて入ると、お茶と酒蒸し饅頭が準備されている。勿論酒蒸し饅頭はあんこも含め筑紫の手作りだ。鞍橋の好みで砂糖の代わりに黒糖でできているため皮が薄茶色になっている。二人で手に取りつつ世間話が始まった。


「勉強どう〜?都督府学園はレベルたっかいから大変だろ〜?」

「うん…大分苦戦してるけど、隼人もいるし何とかなってるよ」

「ああ、阿多ちゃんの子か。あの子やたら優秀だもんね〜」

「父さんも都督府学園卒業してるよね?俺の親族はどうかしてる…」

 憮然とした表情で呟く筑紫に、鞍橋はからからと笑った。


「大丈夫だよ〜筑紫はがんばってるから。俺の自慢の息子だよ」

 ぽんぽんと頭を撫でながら鞍橋は微笑む。180センチを超える筑紫と変わらない身長の鞍橋は、高校生になった今も筑紫の頭をよく撫でる。

 くすぐったいような嬉しいような気持ちで、筑紫はされるに任せた。


「そう言えば〜学校で話す友達はできた?」

「…隼人だけ。そんなに俺怖いかなぁ」

 しょんぼりとしながら項垂れる筑紫に、鞍橋は苦笑を浮かべる。身長や威圧感もあり鞍橋以外にはどうしても固い話し方になってしまう筑紫は、同年代には受け入れられにくいだろう。


「しかしな〜んで俺みたいなのから、武士みたいな子どもができたんだろ〜ね」

「父さんも口調こそ軽いけど、白日別の子孫らしく振る舞ってるよね?」

 神職の父は普段、白衣と袴姿で神社に勤めている。祀る神は勿論犬童だ。それもあって小さい頃から筑紫は犬童の事をよく聞いていた。


「…あ。そう言えば軍毅殿に初めて会った時久しぶりって言われたんだけど、初対面じゃないんだっけ俺?」

「ああ、一族の慣習でね。三歳になったら犬童様にお目通りするんだ。多分その時のことだろうね〜筑紫めっちゃ泣いてたし印象強かったんじゃない〜?」

「え、泣いた?なんで!?全然覚えてない…」

 記憶にない話を聞いて筑紫は驚愕する。お目通りするのは後の防人候補となりうるかを確認するためと聞いたが、どうにもその時のことを思い出せない。


「ま、ともあれ来週は豊饒祭だ。俺も気合い入れて禊ぎしてくるよ〜」

「うん、俺も見に行くから。あまり無理はしないでね」

 二人で微笑むと残りの酒蒸し饅頭を食べながら、暫し歓談した。

 夏にしては涼しかったため、開けている窓から見える上弦の月が辺りをぼんやりと照らしている。

 犬童も同じ月を見ているのだろうかと、筑紫は静かに思いを馳せた。



 筑紫はその夜、幼い頃の夢を見た。

 恐らく自宅の道場であろう場所で、狩衣姿の犬童が佇んで自分を見ている。他にも見知った大人たちや恐らく隼人らしき子どももいるが、夢のためか顔が不明瞭だった。

 鞍橋は筑紫の頭を撫でながら、犬童を見るようにそっと促す。


『筑紫、あの方が犬童の神様だよ。ご挨拶できる〜?』

『つ。つくし、です。はじめまして、いぬどう、さま』

 たどたどしい挨拶を大人たちに微笑ましく見守られる中、幼い筑紫は鞍橋の足にしがみつきながら、ちらりと犬童を見た。


『とうた、いぬどうさまぐるぐる、いたくないの?』

『えっぐるぐる?何が??』

『しろい、ひもが』

『白い紐…?』

 大人たちがざわつき、鞍橋も怪訝な表情を浮かべながら息を呑んだ。

 舌足らずな言葉を紡ぎながら、筑紫は両目いっぱいに涙を溜めている。今にこぼれ落ちそうなそれをみて、犬童が慌てていた。


『だ、大丈夫だよ、痛くないよ』

『ひっく、い、ぬど、さま…しろいぐるぐる、とれないの?』

『…うん、これは取れないんだ。でも大丈夫だからね。筑紫くんは優しい子だね』

 ゆっくりと筑紫に近づきながら、犬童は哀しげに微笑んだ。伸ばした手が筑紫のふわふわした髪を撫でる。


『僕が君たちを護るから。怖いのなんかやっつけちゃうよ』

『うえええん!いぬどうさまが、いたいのやだあ!!』

 筑紫は遂に大声で泣きながら鞍橋にしがみついた。オロオロしながらそれでも犬童は優しく微笑んでいた。

 その様子を少し引いた視点から眺める筑紫は、犬童の体を見て愕然としていた。


(――そうだ。思い出した)


 筑紫があの時視たのは、犬童を縛り付ける大量の注連縄(しめなわ)だった。

 体や衣服自体には何の影響も与えていないそれは、魂を縛り付けているように見えた。痛々しいそれに、幼かった筑紫は痛みを感じて泣いたのだ。


(あれは何だったんだ。まるで軍毅殿が封印されているような)


 薄明(はくめい)を迎えつつある中、筑紫は目を覚まして体を起こした。机の上に置いたままの見取り図をぼんやりと見る。

 注連縄に封ぜられた犬童の柔らかい笑みが脳裏を過ぎり、筑紫は頭を乱暴に掻き毟る。

 過去の記憶は怪異発生場所の最後の疑問を氷解させた。後は白日別の日記を読み終えれば、大体のことは分かるだろう。ページは残り半分を切っている。


「起きるか。修行した後に解読を始めよう」

 ベッドを降りると、筑紫は洗面台へと向かった。板間の廊下には少しづつ朝の光が入り始めていた。



 夢を見た日から一週間が過ぎ、筑紫は淡々と修行と解読を進めていた。

 いよいよ残るページは少なくなり、反比例して当時の状況についての理解が深まっていく。


「…想像できないぐらい辛いなこれは。これが史実なのか」

 今夜はいよいよ豊饒祭が行われる。鞍橋は早朝に家を出て最後の準備に取り掛かっていた。

 昼から古語辞典を傍らに置きつつ解読を進めていた筑紫は、最後のページを現代語訳し終えると深く溜息を吐いた。全体の三分の二ほどしか書かれていないのは、白日別が死去したためだろう。


 ずっと同じ姿勢だった体を伸ばし、小さく息を吐く。

 豊饒祭に一緒に行く約束をした隼人が来るまで、まだ一時間以上ある。


「…おはぎ、作ってくか」

 最後のページを読んだせいか、無性に犬童を労いたい。

 筑紫は立ち上がると台所へ向かった。



「お邪魔してますぅ。筑紫!準備できたぁ?」

「ああ、ちょうど包み終わったところだ」

 隼人は勝手知ったる筑紫の家に出迎えを待つことなく入ると、そのまま台所へ直行した。案の定筑紫が何かを作っているのを見て、隼人はにやりと笑う。


「先に社会科準備室の冷蔵庫借りるぅ?腐ったら嫌だもんねぇ」

「そうだな、軍毅殿に会えなかったら手紙を残しておけばいいだろうし」

 筑紫は割烹着を脱いで畳むと、鞄を手に取り台所を出た。隼人と話しながら家を出る。

 都督府学園は筑紫の家の側にあり、玄関を出た先はすでに浴衣を着た親子や友人同士で連れ立つ人が多くいた。

 地域一の祭りは出店も多く、都督府学園は人で溢れかえっていた。


「毎年の事だけどぉ、人多いねぇ」

「ああ、しかし祭りに行くのは久しぶりだ」

 真っ直ぐ校舎に向かうと、社会科準備室のドアをノックした。


「こんばんは、筑紫と隼人です。犬童先生いらっしゃいますか?」

「いますよ〜二人とも、ここ来るなんてどうしたの?」

 ドアを開けながら声を掛けると、犬童はいつものように書類の山をかき分けながら出てきた。


「お久しぶりです。おはぎを作ってきました。神舞(かみまい)が終わったらぜひ」

「わぁ嬉しい!ありがとう!」

 ニコニコと微笑み受け取る犬童を見て、筑紫は胸が苦しくなった。白日別の日記は当時の状況を書き記しているとは言え、全てが分かるわけではない。

 特に犬童が何を思い行動し、神になったのか。白日別がいなくなってからの千数百年を、どんな思いで過ごしているのか。


「筑紫くん?どうしたの?」

「え、いえ、何でもないです。神舞は二十時からでしたっけ。二人で行きますね」

 顔に出てしまっていたのか、犬童が不思議そうに尋ねてきた。筑紫は慌てて首を振ると、神舞へと話題を変えた。


「うん、頑張るね!二人ともお祭り楽しんでね」

「はい。では失礼します」

 筑紫はぺこりと頭を下げると、隼人と共に部屋を後にした。


 二人はしばらく目についた出店の焼きそばや、クレープなどを食べつつ祭りを楽しんでいた。

 校庭中央に建てられた板張りの舞台が、二十時になると同時に蝋燭が灯され少しずつ照らされていく。


「掛けまくも畏き犬童の神 畏み畏み白す」

 浄衣姿の鞍橋の祝詞奏上を受けて、壇上に狩衣姿の犬童が歩み出る。防人たちには見慣れた服装だったが、知る由もない生徒たちがざわつく声が聞こえる。


「あれ?犬童先生じゃない?社会科の」

「ホントだ、先生が神舞するんだねー」

 鼻先まで顔の無い黒い面を被り、右手に持った扇をひらひらと翳しながら、犬童は舞台の上で蝶のように舞う。

 見えている口元に薄ら笑みを浮かべながら、まるで神様のように。


(あやま)ち犯しけむ種種(くさぐさ)罪事(つみごと)を 祓い給へ 清め給う事を 犬童の神に聞こし食せと畏み畏み白す」

 鞍橋の祝詞に合わせ、犬童が裸足の足を踏み鳴らすたび、舞台上に草花が湧き上がっては消えていく。どうなっているのか分からないその現象に、観衆から驚嘆の声が上がった。


「見てる人の大半は、プロジェクションマッピングかなんかと思ってそうだねぇ」

「そりゃそうだろうな。前に観たアニメに、似た事をする神様がいたような」

 怪異退治の時のように場が少し変えられているのか、板張りの舞台は徐々に草花で覆われていく。


 犬童はずっと考えないようにしていた。

 神に成ったとて万能なわけではない。

 時間は戻せない。生死の理を覆す事はできない。勿論寿命を操る事も。

 輪廻を繰り返し生まれ変わろうと、喩え同じ御魂だとしても、白日別と筑紫は別人だ。


 あの日、目の前で救えなかった事への慚愧に堪えない思いは、永い時間を過ごしても消える事はない。

 自分ができる事は、白日別が守ろうとしたこの地を守り続けていく事だけだ。


「《この地が千代に八千代に 栄え実り豊かに在る事を》」

 空を仰ぎ、犬童は柏手を一つ打った。ぶわりと風が起こり、周りの木々や山々が蛍の光を宿したように煌めいた。

 観衆から大きな拍手が起こり、犬童は一礼すると幕の向こうに姿を消していった。演技は大盛況のまま幕を閉じる。


「いやぁ凄かったねぇ。流石犬童の神」

「本当だな。豊穣の神らしい力の顕現だった」

 筑紫は惜しみない拍手を送りながら、感嘆したように応えた。

 この神舞はこれからの季節の豊饒を願い、犬童の神がそれを約束するためのもの。

 きっと今年も大きな災禍なく、この地に平穏をもたらし続けるのだろう。これまでの千数百年間と変わらずに。


 舞台を後にした二人は、また屋台をぶらぶらと散策し始める。神舞が終わると大きな催しはないが、祭り自体はもう少し続く。

 筑紫は拳を軽く握ると、隼人に話しかけた。


「そう言えば、白日別の日記解読し終わったぞ」

「…お疲れ!大変だったんじゃない?知りたい事は分かったぁ?」

「ああ。軍毅殿が軍毅となった理由も、この地でかつて何が起こったのかも大体のことは」

 振り返らず背中越しに言葉を返す隼人に、筑紫は深く息を吸うと静かに声をかけた。


「なあ渠帥者(いさお)

「何?……!?」

「…俺はそんなに白日別に似ているか?」

 ふと昔の名前を呼ばれ隼人は思わず返事を返してしまった。慌てて振り返ると筑紫は真剣な表情で真っ直ぐ隼人を見つめていた。


 白日別の日記に繰り返し出てきた渠帥者。彼は白日別の盟友であり、犬童にとっても兄のような存在だった。

 犬童と隼人の妙に親しげな、昔から知っているようなやり取りを見て、筑紫の中に確信に近い考えが浮かんでいた。


 渠帥者は犬童のために、怪しい呪法に手を出したとあった。神となった犬童が一人にならないようにと、この地限定で輪廻しても己のまま生まれ変われるように。

 神がいるぐらいだ。輪廻と言うものも本当にあるのかもしれない。


 もしかしたら隼人はその《渠帥者》なのではないか。

 そして自分は…


「……いや、全然似てないさ」

 考え始めて眉根を寄せていた筑紫に、隼人は両手を大仰に振り上げると、肩を竦めて笑いながら答えた。

 雰囲気と口調ががらりと変わった隼人の様子に、たまに見せたあの態度は元の性質だったのかと筑紫は腑に落ちた。


 隼人はいくらでも白を切ることはできたが、筑紫に嘘を吐きたくなかった。白日別の日記を読み終えて、様々な葛藤からの質問だと理解していたから。

 まさか犬童や白日別の話を差し置いて、自分の事に触れてくるとは思いもよらなかったが。


「芯が強いところは似てるかな?」

「なんだそれ、やっぱり似ているのか」

 隼人の嘯く言葉に、少しだけ肩の力が抜けたように眉尻を下げた筑紫は苦笑を浮かべる。

 その肩を軽く叩くと、隼人は糸目を少し開いて微笑んだ。見たことが無い、兄のような微笑みだった。


「気にするほどのことじゃないさ。忘れるな筑紫。喩え魂が同じであろうと、似ている部分があろうと、お前はお前。筑紫だよ」

「……そうか。真面目に答えてくれてありがとう隼人。お前も隼人、だよな」

「はは、どういたしましてぇ。もちろんオレは幼馴染で親戚の隼人だよぉ」

 隼人の雰囲気が筑紫のよく知るものに戻り、筑紫は微かに溜息を漏らした。柄にもなく緊張していたらしいと自覚する。


「ただねぇ、千年以上前の日記なんて、多分に潤色(じゅんしょく)を加えられた読み物みたいなもんだからさぁ。気になるなら、軍毅殿に聞いた方がいいと思うよぉ」

「そうだな。防人の任務が落ち着いたら、軍毅殿に直接聞いてみる」

「ま、過去は過去。もう変えることも出来ないし、あんま気にしない方がいいけどねぇ」

 隼人のその言葉に諦観はなく、ただ淡々と事実を告げていた。何度も生まれ変わっているからこそ余計に、隼人は生きている今その瞬間が大事だと知っている。


「んじゃ、軍毅殿に挨拶したらお祭り回ろうかぁ。まだ夜はこれからだよぉ」

「ああ、軍毅殿も誘ってみようか」

「いいんじゃない?きっと喜ぶよぉ」

 二人は笑うと、舞台袖に向かって歩き始めた。

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