1-6 銀髪騎士、休日を奪われて
「お…おはよう…ございます。アーニャ様…毎日ここに来てくださるんですね……」
冒険者のギルドの扉をくぐった瞬間、いつもの受付嬢が慌てて駆け寄ってきた。
彼女はぎこちなく頭を下げ、なんだか落ち着かない様子だ。
(昨日、あの二人と揉めたせいで、変な目で見られてるのかな……?)
アーニャは首を傾げて不思議そうにしたが、特に深く考えず、昨日と同じ優雅な仕草で会釈しながら挨拶を返した。
「今日はまだ二日目ですよ。『毎日来てる』って言うのは、まだちょっと早いんじゃないでしょうか」
柔らかい声でそう言って、できる限り友好的な笑顔を浮かべた。
けれど、受付嬢は逆にますます緊張した様子で、体が小刻みに震えているのが伝わってくる。
「き、今日は何かギルドにお手伝いできること、ありますか……?」
アーニャは苦笑いするしかなかった。彼女に「普通の人」として見てもらうには、まだ少し時間がかかりそうだな……。
「それなら、一日で終わる雑務の依頼をいくつかお願いします」
「は、はいっ!!」
大きな紙の束が、ドサッとアーニャの前に置かれた。
「わあ~」
彼女は目を丸くして感嘆の声を上げた。
でも、それは悪い意味じゃない。むしろ逆だ。
(ここもランタナと同じね。雑務が溜まりまくってる……よーし、全部引き受けちゃおうかな!!)
幸せそうに息を吐きながら、アーニャは依頼書を吟味し始めた。
三枚の依頼書を選び出し、受付嬢に差し出して登録してもらう。
「手続き、完了しました……アーニャ様……」
受付嬢が震える手で依頼書を返してくる。アーニャはもう一度優しく微笑みながら、それを受け取った。
ところが、踵を返して歩き出した瞬間、後ろから声がかかった。アーニャは振り返る。
「アーニャ様が……雑務を……」
質問のような言葉が途中で止まり、受付嬢は慌てて首を振って、その言葉を飲み込んだ。
アーニャはその様子を見て、彼女が何を言おうとしたのかすぐにわかった。
「ええ、これをやるつもりじゃなかったら、選んだりしませんよね?」
そう言い終えると、アーニャはくるりと背を向け、冒険者のギルドを後にした。
「……なんで貴族様が、報酬の安い雑務なんか引き受けるんだろう……?」
受付嬢は、むっとしたようにため息をついた。
王立騎士養成所は、若き精鋭たちが集う場所だった。
卒業すれば、王国の騎士団に所属するか、あるいは貴族の私兵として仕えることになる。
現在の騎士団長、 エドガー・レイヴンハート公爵は、それまでの「貴族の子息のみ」という採用方針を改め、試験に合格した者であれば身分を問わず受け入れるという政策に変えた。
それ以来、王立騎士養成所は平民が身を立てるための希望の象徴となったのだ。
だが、十年以上が経過した今でも、貴族の血筋を持つ者と、平民出身の優れた才能との間の溝は埋まらないままだった。
(いつか、身分など気にせず実力だけを見てくれるような、優れた貴族が現れてくれるのを待つしかないのか……)
エドガー公爵はただ待ち続け、執務机の上に山積みされた書類の束を、疲れた目で見つめていた。
彼は四十歳前半の男性。
銀青色の髪をもち、元々厳つい顔立ちに、凛とした眉が貴族らしい威厳を添えている。
ついに彼は椅子を窓の方へ向け、左手の煙草パイプを口にくわえて火をつけた。
深く吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出す。
その表情には、深い疲労がにじんでいた。
煙草は、この厳格な男の心を癒してくれる、数少ないもののひとつだった。
煙草パイプの煙に浸って心を落ち着かせてから、それほど時間が経たないうちに、
執務室の重厚な扉がゆっくりと開いた。
入ってきたのは、フルアーマーの騎士ではなく、白い粗布のシャツと革のズボンだけを身に着けた少年だった。
だが、二人の髪の色は同じだった。
なんという悲しい偶然だろう。
「遅れてしまい申し訳ありません、団長閣下」
「構わないよ、カイル。休みの日に呼び出したのは俺の方だ」
高貴なる公爵はゆっくりと視線を、名を呼ばれたばかりの少年へと向けた。
だが、カイルは片膝をついたまま頭を垂れ、決して顔を上げようとしない。
その姿を見ていると、エドガー公爵の胸がまるでナイフで切り裂かれるように痛んだ。
「立て」
「はい」
結局、エドガー公爵はカイルの頑なで強硬な態度に負けた。
彼は立ち上がるよう命令を下したのだ。
だが、立ち上がった後もカイルはやはり団長の顔を見ようとはしなかった。
団長は小さく首を振り、一枚の書類を手に取った。
もう一方の手で持っていた煙草パイプを、専用の美しい台座の上にそっと置く。
「さっき報告が入った。城門の前で、炎の熊を二頭も仕留めたそうだな」
「はい、自分一人で倒しました」
「やはり、俺が期待するだけのことはあるな」
エドガー公爵は髭の下に隠した微笑みを浮かべながら、カイルを見つめた。
厳つい瞳の中には、確かに優しさが宿っていた。
しかし、若い騎士はその視線を受け止めようとはしなかった。
身分を問わず門戸を開いてくれた上官とはいえ、やはり彼は貴族だ。
だからこそ、カイルは右手を胸に当て、深々と頭を下げた。
「とんでもありません、閣下。あの炎の熊たちはすでに弱っていた状態でした。倒すのは難しくありませんでした」
エドガー公爵の髭の下に隠れていた微笑みが消えた。
瞳は再び厳ついものに戻る。
「生きて戻ってきただけでも十分だ。いずれにせよ、任務報告書を書いて手当を申請しろ。今日中に仕上げろ」
「はい」
カイルは短く答え、再び頭を下げた。
そして踵を返し、部屋から出て行った。
「……俺はなんて不運な男なんだ……」
エドガー公爵は煙草パイプを口にくわえ、タバコを詰め、魔法で火をつけて、再び煙をくゆらせた。
カイルは執務室から石畳の廊下を歩き、宿舎棟へと向かった。
四階建ての石造りの建物は、彼の目には住居というより、ただの壁のように見えた。
優雅さとは無縁のその外観だが、苔むした表面や無数の傷跡は、長き戦場をくぐり抜けた老兵の傷のようにも思えた。
カイルは二階の突き当たりの部屋の前で立ち止まり、静かに扉を開けた。
慎重に、音を立てないように。
部屋の中では、白い毛並みの小さな犬が腹を出して無防備に眠っていた。
彼はそっと足を踏み入れ、扉を閉める。
音もなく。
そのまま机の前に腰を下ろし、引き出しからペン、インク壺、紙を取り出した。
そして、任務報告書の執筆を始めた。
長く報告書を書き続けた末、ようやくカイルの手が止まった。
彼は布でペン先を拭き、インク壺の横にそっと置いた。
(炎の熊と戦っていたとき……誰かが俺を助けてくれたんじゃないか……? でも、誰なんだ?)
カイルは記憶を細かく遡ろうと試みた。
あの瞬間、周囲を見回したはずなのに、自分と衛兵たち以外に戦えそうな人物の姿はどこにもなかった。
結局、彼は観念して背もたれに体を預け、眉を寄せて長く息を吐いた。
ベッドにいる存在のことをすっかり忘れて。
「ん……カイル……帰ってきたの?」
金色の大きな瞳がぱちりと開く。
「にゅううう~」
白くふわふわの小さな生き物が、甘えたような可愛い声を漏らしながら体をくねらせた。
そして素早くカイルの膝の上に登ってくる。
「起こしちゃってごめんな、ステラ」
若い騎士はそう謝りながら、そっとステラの頭を撫でた。
ところが、
「ん?」
ステラは鼻をくんくん動かし、カイルの体から何かを嗅ぎ取った。
そして前足で体を押し上げ、勢いよくベッドの上に飛び移る。
その反動でカイルは危うく仰向けに倒れそうになった。
「女の子の魔力の匂いがする」
「女の子の魔力?」
「そぉ~~」
ステラは尻尾をぴこぴこ振って、普通の犬には絶対できない仕草で人差し指を立てた。
「あの女の人、君に三つの魔法をかけてたよ。身体強化系の魔法が二つと、防御強化系の魔法が一つ」
それを聞いたカイルは口をぽかんと開け、高い声を出した。
「いつだよ……?」
そんな相棒の間抜けな様子を見て、ステラはベッドの上でゴロゴロ転がりながら大笑いした。
「ははははっ! 君ってほんと面白いね~。ところで今朝は、何と戦ってきたの?」
「炎の熊、二頭だけど……」
「じゃあ、きっと優しい誰かがそのときに魔法でサポートしてくれたんじゃない?」
「ん?」
ステラの言葉に、カイルは顎に手を当て、眉を寄せて真剣な顔になった。
彼が知っている身体強化系の魔法といえば、ルセリアの神殿に仕える司祭たちの奇跡系の魔法だけだ。
だが、あの女の人は彼の肩を叩いただけだった。
(まさか、あの嘘つきお嬢ちゃんがルセリアの司祭なのか……? いやいや、ルセリアの司祭たちは規律に厳しくて、あんな田舎娘みたいな服を着て出歩くなんて絶対にありえない。きっと別人だ)
「ねえ、カイル」
ステラが呼びかけながら、前足を片方上げてぱたぱた振った。
けれど相棒は反応しない。
「もう、君っていつもこうなんだから」
ステラはため息まじりに体を丸めてベッドの上に寝転がった。
昼近くになって、少しずつ温かくなってきた空気の中で。
『あとがき』
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。
ここ数話、文字数が非常に多かったため、今回の内容からA4用紙3.5枚分をカットし、次話に回すことにしました。
ですが、翻訳してみると、それでも3600文字という多さになってしまいました。
今回はリラックスした(?)回です。次話からはシリアスな展開に入ります。
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最後に、更新時間を日本時間の12:10(タイ時間の10:10)に変更させていただきます。
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