1-1 茶赤色の魔女、貴族魔法学院へ帰る
1-1 茶赤色の魔女、貴族魔法学院へ帰る
音楽が優雅に響き渡る夜。
新たなる大賢者――わずか十四歳でその座に上り詰めた少女を祝う、盛大で豪奢な晩餐会。
アーニャ・ヴァレリアーナ・オレリア、ヴェレリアーナ公爵の娘は、朝霧が消えるように忽然と姿を消した。
アーニャの家柄は高貴だったが、その名は汚名と嘲笑にまみれ、誰もが軽んじる標的でしかなかった。
だからこそ、誰も彼女の失踪を探ろうともせず、疑問すら抱こうとしなかった。
それが貴族社会の結論だったのだろう。
婚約者であるルシアン皇太子でさえ、平然とした態度でこの事態をやり過ごし、何事もなかったかのように振る舞っていた。
彼女の美しい歌声すら、誰の記憶にも残らなかった。
ただ一人を除いて――大賢者アルティシア。
アーニャを友人として認めた、唯一の少女。
だがアルティシアは、皇族の血筋ゆえに受け継いだ『大賢者の加護』を持つが故に、金の杖を握らされただけの、不運な少女に過ぎなかった。
表向きは魔術師たちの頂点に立つ存在。
しかし心の奥底は、灼熱の砂漠に晒されたように乾ききっていた。
アルティシアの孤独で陰鬱な日々は、ゆっくりと、果てしなく続いた。
そしてついに、彼女はアーニャの失踪を諦めざるを得なくなった……。
それから四年が経過し。
ようやく大賢者は椅子から立ち上がった。
金の杖を床に叩きつけ、彼女は『アンダーアイゼン』と呼ばれる場所へと駆け出した。
今まさに『境界の橋』を止めるために。
その瞬間、学院の主柱は空位となった。
貴族たちの熾烈な争奪戦が、今、始まろうとしていた。
そして、静寂の狭間に――彼女は帰ってきた。
『お前は六金貨の価値しかないことを、忘れるな』
紅茶色の髪をした少女は、自分自身に小さく囁きながら、真っ白な大理石の回廊を歩いていく。
一人の女性が彼女を出迎えに待っていた。
だがその女性の視線は、はっきりと侮蔑に満ちていた。
「ようこそ、ランタナからの冒険者様」
「はい」
冒険者『アーニャ』は、膝まで覆う緑のスカートを両手で軽く摘まんだ。
白いシャツの上に着た緑のブレザーは、金糸で刺繍された模様が美しく輝き、ボタンをきちんと留め、緑のリボンで締められている。
彼女は丁寧に膝を折り、紅茶色の髪を綺麗に三つ編みにした頭を下げた。
礼儀正しく、ランドール王立魔法学院の教師に敬意を示す。
このランドール王立魔法学院は、三百年前に境界の橋を封じた初代賢者――ランドール皇太子の名を冠して建てられた。
ここは、女神女王ルセリアの封印が弱まる災厄に備え、昔から続く魔法をさらに発展させるために作られた場所だった。
だが今では、高貴な少年少女たちの優雅なお茶会のための庭園と化している。
(ふん……予算を湯水のように注ぎ込んで、草の根の民の苦しみなど見向きもしないのね)
アーニャは心の中で呟いた。
彼女は控えめに教師の後について、校長室へと入っていった。
「ようこそ、最高得点で奨学金を得た冒険者さん」
彼は友好的な声で言ったが、その奥底にははっきりと冷淡さと軽蔑が感じ取れた。
(相変わらずこの校長ジジイ、人を見下すのが大好きなんだから)
アーニャは冷ややかな視線を彼に投げかけたが、老人は気づかず、彼女は目を伏せて謙虚に頭を下げたふりをした。
彼女の姿勢は揺るがず、目の前の権威に怯む様子など微塵も見せなかった。
そして、敬礼の姿勢のまま、言葉を紡いだ。
「平民の冒険者、アーニャと申します。
謙虚に振る舞い、アリアアルデル王国とランドール学院のため、精一杯努めさせていただきます」
校長はその様子を見て満足げに髭を撫で、言った。
「君は実に自分の立場をわきまえた良い子だね。
我が王国に恥じない立派な功績を上げてくれよ」
紹介が終わると教師は彼女を校長室から連れ出し、扉が閉まった。
校長は一人残され、手元の書類を静かに睨みつけた。
「冒険者か……実に下賤な存在だな」
彼はそれを無造作に投げ捨て、他の仕事に目を移した。
「せいぜい三ヶ月持てばいい方だろうな」
「ここが君の教室だよ、冒険者さん」
目の前には古びた小さな教室が広がっていた。
階段状に並んだ古い木製の机は、美しい彫刻が施され、淡く魔力を放つ光を纏っている。
まるで新入生を迎え入れるかのように、静かに囁きかけているようだった。
今は平民のための教室として使われているものの、それでもなお、魅惑的な神秘の力が満ち溢れていた。
教室の中には、白い制服を着た生徒たちがずらりと並び、その中に緑の制服がぽつぽつと混じっている。
制服の刺繍は質素な糸で施されており、階級の差がはっきりと見て取れた。
「みなさん、聞いてください」
女性教師がパチンと大きく手を叩き、皆の注意を引いた。
彼女はアーニャを連れて教壇の大きな机の中央まで歩き、紹介を始めた。
「みなさん、こちらが新入生です」
「はじめまして、アーニャと申します。
冒険者として、さらに知識を深めたいと思い、ここで学ぶことにしました」
彼女は右手を胸に当て、左手でスカートの裾を軽く摘まみ、軽く前かがみになって頭を下げた。
同等の者に対する礼儀正しい挨拶の仕方だった。
「君の席はあそこだよ」
女性教師は一番後ろの机を指差した。
黒板から遠すぎて、教師が何を書いているのかほとんど見えない位置だ。
同級生たちはよくわかっていた。
これは歓迎などではなく、ただの嫌がらせに過ぎない。
この教師は、テストで落とすか、意地悪をして長く持たせないつもりなのだろう。
貴族の血を引かぬ者は、ランドールに相応しくない――女性はそう思っている。
だがアーニャはそんなことなど気にも留めなかった。
彼女は静かに歩み寄り、孤立した席に腰を下ろした。
一番近い生徒ですら、三列も離れている。
(一人で座れるなんて、最高じゃない)
彼女は心の中で呟きながら、鞄に隠していた黒い表紙の本に手を置いた。
銀色の背表紙には古い彫刻が施され、彼女の手が触れるたびに淡い緑色の光が優しく輝いた。
彼女がここに来たのは、魔術師や賢者になるための試験の道を探すためなんかじゃない。
ただ、この本に記された、彼女がほんの少ししか読み解けていない秘密を解き明かすためだけだ。
リース……私、ようやくランドールに辿り着いたよ……
彼女は静かに呟いた。
この本をくれた少年のことを思い浮かべながら。
鐘が鳴り、時間を告げる。教師は自分の本をまとめると、そのまま教室を出ていった。
退屈極まりない平民向けの授業がようやく終わり、生徒たちは次々と教室を出ていく。
アーニャは一番後ろの席に座っていたため、誰の注意も引かなかった。
嫌われているわけではない。
ただ、クラスの他の生徒たちは皆、どうせ彼女も三ヶ月も持たずにいなくなるだろうと信じているだけだった。
それでも、彼女はまったく気にしていない。
なにせ彼女は冒険者なのだから。こんな程度の障害でどうにかなるはずがない。
アーニャは目を覆っていた魔法を解く。
すると、淡い緑色の光がすっと消えていった。
(黒板が見えないのか? 探知魔法で見ればいいだろう)
それは冒険者たちの間で昔から使われてきたやり方だ。禁じられていない以上、やっても問題はない。
教室が空になると、彼女は本を鞄にしまい、食堂へ向かって教室を出ていった。
四年前に一度ここで学んでいたことがあるため、アーニャは食堂へ向かう道をよく知っていた。
上流階級のための大食堂と、一般の平民向けの食堂、その両方の場所を。
学生たちが列を作って料理を受け取るための厨房がある。
アーニャも列に並び、ほどなくして自分の順番が回ってきた。
「パンを二つ、ハムとスープをお願いします」
アーニャは慣れた様子で注文する。
この場所では、彼女には少しだけ他の生徒よりも特権があった。
奨学生である彼女は、食事代を免除されているのだ。
もっとも、もともと安いものではあるのだが。
彼女はのんびりと空いている席へ歩いていき、トレーを置くと、行儀よく腰を下ろした。
パンをちぎって口元へ運び、ほのかなバターの香りを軽く吸い込む。
それから、ゆっくりと丁寧に噛みしめた。
パンをスープに浸すことはせず、スプーンでそのスープを慎重にすくって口に運ぶ。
食事を楽しみ終えると、彼女はほとんど人のいなくなった食堂をぐるりと見渡した。
静まり返ったその空間の中で、彼女の瞳にはあるものが映っていた。
この場所の誰にも理解できない、そんな感情が。
平民の生徒は、あまりにも少ない。
教室にいたのも、せいぜい二十人ほど。しかも他にクラスがある様子もない。
悲しいことではあるが、それが現実だった。
この場所は、ただ金があれば入れるようなところではない。
平民が入るには、何かしらの縁が必要になる。
少なくとも、貴族に仕える使用人の子供でなければ、ここで学ぶ資格は与えられない。
普通の者には――夢見ることすら許されない場所だった。
奨学金試験について言えば、合格者が出るのは本当に稀だった。
その難易度は通常の試験とは比べものにならないほど高く、さらに、優秀な平民を簡単に排
除できる抜け道さえ用意されている。
アーニャは確かに最高得点を取った。
だが、それは試験を受けたのが彼女一人だけだったからに過ぎない。
(階級というものは、本当に残酷だ)
……アーニャはゆっくりと瞬きをしながら、心の中でそう呟いた。
その日の午後、平民の生徒には授業がなかった。
アーニャはその機会に、持ってきた荷物を寮へ運ぼうとした。
しかし彼女の足は、王族級の者たちが住む巨大な寮の前で止まってしまう。
(あれ……ここ……こんなはずじゃ……)
四年前の記憶では、この場所は貴族に付き従う使用人たちのための、小さな木造の寮だった。
だが今では、白い石で造られた巨大な寮へと変わり、豪華な彫刻が施されている。
(今の私は平民なんだから、ここが私の寮ってことはないはずよね……たとえ柔らかいベッドがあるとしても)
アーニャは困ったような表情で、柱の頂に刻まれた彫刻をぼんやりと見上げていた。
そのとき、開け放たれた扉の向こうから声がかかった。
「アーニャ様、でいらっしゃいますか?」
年配のメイドが出てきて出迎える。
彼女はスカートの裾をつまみ、丁寧に身を屈めて礼をした。
まるでアーニャが身分の高い人物であるかのような扱いに、アーニャは思わずびくりと肩を震わせる。
(まさか……私が捨てたはずの本当の身分が、学院に足を踏み入れた瞬間にもう知られているっていうの? そんなはずないわ!!)
驚きはしたものの、老メイドが顔を上げる前に、少女はすぐに表情を整えた。
(まだ……落ち着いて、アーニャ)
彼女は一度呼吸を整えると、年配のメイドに軽くお辞儀をする。
そして、柔らかく丁寧な声で答えた。
「わたくしがアーニャです」
「どうぞ、こちらへ」
メイドは親しげな声でそう言うと、アーニャを三階建ての大きく豪華な寮の中へ案内した。
廊下を歩きながら、アーニャは彼女に尋ねる。
「平民用の寮は、別の場所にあるのではありませんか?」
「ええ、その通りです。ただ――」
メイドは穏やかに答えた。
「アーニャ様のような奨学生は、滅多に現れません。
そんな方を、みすぼらしい木造の寮に泊めるのは、さすがに失礼でしょう」
そこまで言うと、年配のメイドは長いため息をついた。
まるで頭の痛い問題を抱えているかのようだった。
「それにもう一つ理由があります。ルシアン王子がここへ連れてきた平民の方がいらっしゃいましてね。その方にはまだ同室の相手がおりません。ですから、アーニャ様がご一緒にお住まいになるのに、ちょうどよいのです」
(ああ……あの面倒くさい王子……)
アーニャは長くため息をついた。
本当ならそう叫び出したいところだが、もちろんそんなことはできない。
ならば、計画を変えるしかない。
昼間はどこか別の場所で時間を潰し、夜になってからここへ戻って寝るだけにすればいい。
……変な規則がまた増えていなければいいのだけれど。
年配のメイドはアーニャを寮の一階、いちばん奥の部屋へ案内した。
扉が開くと、そこには整えられた室内が広がっている。
美しい彫刻が施された大きなベッド。
新しく磨き上げられた光沢のある書き机。
どれも、この部屋が特別な者のために用意されたものだと物語っていた。
本来なら位置的に物置であってもおかしくない場所だが、見事に手を加えられ、立派な部屋へと作り替えられている。
アーニャは年配のメイドに軽く頭を下げる。
やがて彼女は、静かに扉を閉めて去っていった。
部屋へ足を踏み入れると、アーニャは白い薄布のカーテンに覆われた一つのベッドへと視線を向ける。
その中には、小柄な少女が眠っていた。
白い平民用の制服を身にまとったまま、静かに寝息を立てている。
まるで人間ではなく、精巧に作られた人形のようだった。
思わず見惚れてしまうほど愛らしい顔立ち。
背中の半ばまで流れる長く美しい髪。
その色は、午後の陽光から紡ぎ出された糸のように輝く黄金。
ただの金色ではない。
淡く光を帯び、まるで女神ルセリアの奇跡を讃える祈りの歌でも奏でているかのようだった。
だが――アーニャにとって、それは少しも心惹かれるものではない。
そんな特別な髪は、彼女が憎み、今すぐにでも殺してしまいたいほど嫌っている人物の頭にも生えているのだから。
だからこそ、彼女はほっとしていた。
ここでそれを見たということは、それがあの男だけの特別なものではないという証拠なのだから。
世界というものは、えてしてそういうものだ。
人を魅了するものが、よりにもよって嫌悪すべき相手のもとにあることもある。
アーニャの持ち物は少なく、一度で抱えて運べる程度だった。
そのため、荷物の整理はあっという間に終わった。
すべてを整えると、彼女は本を手に取り読み始める。
魔法に関する本――初級のものとはいえ、それでも一般の冒険者が触れる機会など滅多にない代物だ。
そうしているうちに、いつの間にか夕方になっていた。
「うぅん……ん……」
夕暮れ時に鳴く小鳥のような、甘く可愛らしい声が響く。
アーニャが振り向くと、隣のベッドの少女がちょうど起き上がったところだった。
片手で目元をこすりながら、まだぼんやりした様子で薄いカーテン越しにこちらを見ている。
「私が起こしてしまった?」
そう尋ねてみたものの、少女はまだはっきりと目が覚めていないようだった。
アーニャは近づき、カーテンをそっと開ける。
丸い眼鏡をかけたアーニャの顔を見た瞬間、少女はびくりと肩を震わせて慌てだした。
「え、え、えっと……す、すみません……」
「どうして謝るの?」
アーニャは柔らかな声で問いかける。
まるで迷子の子供を宥めるかのように。
目の前の少女の瞳は、ひどく動揺して揺れていた。
まるで何かを口にした瞬間、自分の世界が壊れてしまうのではないかと怯えているようだった。
「えっと……あの……」
「うん。私はアーニャ。冒険者なの。あなたは?」
「えっ……あなたは……冒険者なの?」
少女は半信半疑の、恐る恐るといった声でそう尋ねた。
その様子を見た瞬間、アーニャにはすぐに分かった。
この少女は――何も知らない。
礼儀作法も、話し方も、振る舞い方も。
会話にどう応じればいいのかさえ分からないのだ。
彼女は本物の平民で、無理やりここへ連れてこられた。
「そう。私は冒険者。それに、あなたと同じ平民よ。
さあ、大丈夫。怖がらなくていいわ。私たち、友達になりましょう」
それは危険を避けるために口にした言葉だった。
だがアーニャは知る由もない。
たった今口にしたその言葉が、彼女自身を逃れられない運命の糸で絡め取ってしまったことを。
「私はセリアです。セリアは薬師のおじいさんの孫です」
「よろしくね」
「こちらこそです」
『あとがき』
まず、この話を再度修正することになり、皆様にお詫び申し上げます。
書き始めや翻訳を始めた際、ツールの使い方が非常に不十分でした。
そのため、日本語の内容がかなり不自然になってしまいました。
そこで、できる限り正確に翻訳できるよう、タイ語の内容を修正し、独特な言い回しを減らし、一部の文型を変更する必要がありました。
しかし、どうして修正した結果、3,6xx文字から6,3xx文字に増えてしまったのでしょうか……。
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