第29話「名誉回復への一歩」
朝靄が薄く立ち込める鷹見家の応接室。窓を覆う白い帳が、外からの光を柔らかく和らげていた。実優は部屋の隅で静かに手を握り締めながら、重厚な机の上に並べられた書類の束を見つめていた。薬害の原因を示す証拠と、これまでの研究成果。一枚一枚の紙面が、これから始まる対面の重要性を物語っているようだった。
応接室には既に医学界の重鎮たちが揃っていた。橘教授は分厚い資料に目を通しながら、時折メモを取る。成田教授は窓際で腕を組み、朝もやの向こうを見つめている。その姿からは、長年の経験が培った確かな落ち着きが感じられた。
「久遠様、椿家当主様は」
実優の小さな声に、久遠は穏やかに頷いた。
「間もなくかと存じます」
その時、廊下に足音が響いた。実優は思わず背筋を伸ばす。椅子に座っていた橘教授は資料を閉じ、成田教授も窓際から歩み寄った。扉が開かれ、椿家当主が姿を現す。その後ろには藤森の姿もあった。
椿家当主は、わずかに目を細めて部屋を見渡した。その表情には、かろうじて保たれたプライドと、押し隠せない焦りが混在していた。
「お待たせいたしました」
その声には、以前の威厳は感じられない。しかし、なおも気丈に振る舞おうとする様子が窺えた。
「早速ですが」
橘教授が静かに口を開いた。その手には分厚い報告書が握られている。
「薬害の原因について、詳細な検証結果が出ております」
実優は、自分の手が小刻みに震えているのを感じた。テーブルの上では、次々と資料が開かれていく。春樹との実験データ、慎一郎の協力による検証結果。そして、椿家の栽培記録。それらが、動かぬ事実を示していた。
「これは...」
椿家当主は、資料に目を落としながら眉を寄せた。
「採算を考慮した結果であり、法的にも問題のない範囲で」
「当主殿」
成田教授の声が、その言葉を遮った。
「栽培期間の短縮により、本来の効果が大きく損なわれています。これは鷹見家研究所の詳細な分析で明らかになりました」
藤森が一歩前に出て、反論しようとする。しかし橘教授は、新たな資料を示した。そこには、未熟な植物が持つ危険性を示す明確なデータが記されていた。
「治療法の研究も、着実に進展を見せております」
成田教授は、別の報告書を広げた。
「鷹見家研究所の尽力により、既に複数の快復例が確認されています」
「しかし、我が家の製品に問題があったとは」
椿家当主は、なおも強がろうとした。その態度には、家の名誉を守ろうとする必死さが滲んでいた。
「当主殿」
橘教授が、静かに新たな書類を取り出した。
「これは、帝国医科大学の検証結果です。原因は明白であり」
窓の外では、薬草園の花々が朝の光を受けて静かに揺れていた。実優はその光景を見つめながら、胸の内で祈るような気持ちを抱いていた。この場所で、全ての真実が明らかになろうとしている。それは、実優自身の人生の転換点でもあった。
応接室の空気は、次第に重みを増していく。実優は、父の表情の変化を見つめていた。まだ結論は出ていない。しかし、確実に何かが、大きく動き始めようとしていた。
応接室の窓から差し込む光が、次第に強さを増していく。机の上に広げられた資料の影が、はっきりとした輪郭を見せ始めていた。実優は静かに呼吸を整えながら、その光景を見つめていた。
「では次に、対応について具体的な説明をさせていただきます」
成田教授が、新たな書類を広げた。その手には、被害者への補償と治療に関する詳細な計画書が握られている。
「既に鷹見家研究所より、治療体制についての提案が」
橘教授は、分厚い報告書の該当ページを開いた。そこには、研究所での実験データと、それに基づく治療計画が記されていた。実優は、その文面に目を落とす。春樹との実験、慎一郎の協力、そして研究所の総力を挙げた取り組みの成果が、確かな形となっている。
藤森が、僅かに体を前に乗り出した。
「しかし、治療法の正当性については」
「ご覧ください」
成田教授は、即座に別の資料を示した。
「帝国医科大学の検証結果です。治療の有効性は、既に複数の症例で確認されています」
その言葉に、藤森の表情が強張る。椿家当主は黙したまま、窓の外を見つめていた。
「加えて」
橘教授が、静かに声を上げる。その手には、大志の署名入り指示書のコピーが握られていた。栽培期間の短縮を命じる文面が、はっきりと読み取れる。
椿家当主の横顔に、僅かな動揺が走った。しかし、その口は固く結ばれたまま。プライドが、まだ真実を認めることを許さないようだった。
その時、廊下から慌ただしい足音が響いた。
「失礼いたします」
春樹が、一束の書類を抱えて入室してきた。その表情には、抑えきれない興奮が浮かんでいる。
「最新の治療データが」
橘教授は、差し出された報告書に目を通した。そこには、新たな快復例の詳細な記録が記されていた。実優は、春樹の姿を見つめながら、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「これにより」
成田教授が、静かに声を上げた。
「鷹見家研究所の治療法の有効性は、もはや疑う余地がありません」
椿家当主は、実優の方に一瞬だけ目を向けた。その視線には、驚きと、何か複雑な感情が混ざっているように見えた。しかし、すぐに窓の外へと目を戻す。
「当主殿」
橘教授の声が、張り詰めた空気を切り裂いた。
「医学界として、この件に関する公式見解を発表させていただきます」
応接室の空気が、一層の重みを増す。実優は、自分の鼓動が少しずつ速くなっていくのを感じていた。窓の外では、朝もやが完全に晴れ、薬草園の花々がくっきりとした姿を見せ始めていた。全ての真実が、光の中で明らかになろうとしていた。




