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第23話「虚飾の終焉」

式場の大広間に集まった面々の表情が、一斉に変化した。契約書への最後の署名を終えた椿家当主の手が、わずかに震えている。宮中への納入権、大陸市場での独占販売権、そしてそれに伴う莫大な利益。その全てが、彼の目の前に約束されていた。


加藤次官が、冷ややかな目で当主を見つめている。


「これにて、全ての手続きが完了いたしました」


西園寺参事官の声が、静かに響く。彼の表情にも、椿家当主への嫌悪が隠しきれていない。自分の娘を単なる駒としか見ない父親。その非情さは、政財界の荒波に揉まれた彼らの目にさえ、異様なものと映っていた。


「これだけの話を、なぜ今まで」


山岡書記官が、意図的に言葉を投げかける。その問いには、当主の本質を暴く意図が込められていた。


「いえ、それは」


当主の言葉が、空虚に響く。その様子に、在席していた医学界の重鎮たちが、露骨な顔をしかめた。彼らは既に、実優の研究価値を十分に理解していた。その才能を単なる政略の道具として扱おうとしていた父親の姿勢に、純粋な研究者としての怒りを覚えていた。


「本日の一件は、椿家にとってより良い選択となることでしょう」


久遠の言葉には、これまでの経緯を総括するような響きがあった。しかし、その声には皮肉めいた冷たさも混じっていた。


「宮中への納入、そして大陸市場への進出。これは確かに、莫大な利益をもたらすはずです」


加藤の言葉に、椿家当主の目が欲望に濁り、隠しきれない笑みが浮かぶ。


「実優様の研究価値も、医学界として正式に」


橘教授が口を開きかけた時、当主は興味なさげに手を振った。


「そのような細かいことは、あとででも」


その言葉に、医学界の重鎮たちの表情が一層厳しさを増す。研究者としての実優の才能を、これほどまでに軽視する態度に、彼らの怒りは頂点に達していた。


「では、具体的な手続きに」


西園寺が新たな書類を取り出そうとした時、廊下に別の足音が聞こえた。春樹だった。その表情には、珍しく厳しいものがあった。


「実優様の意思が、確認できました」


その言葉に、当主は興味を示さない。


「これで全ての準備が整いましたね」


加藤の言葉には、深い意味が込められていた。準備とは、実優を救い出すための全ての段取りのこと。利益に目がくらんだ父親の同意も得られ、医学界からの正式な評価も示された。


式場の空気が、一瞬張り詰める。それは、新たな時代の幕開けを予感させるような緊張感だった。窓から差し込む光が、テーブルの上の書類を照らしている。その光の中で、全ての歯車が確実に噛み合っていく。


「実優嬢の研究は、医学界に新たな地平を」


橘教授の言葉を、当主は聞いていなかった。彼の目は、契約書の利益の欄に釘付けになっている。その姿に、在席者全員が密かな嘲りの目を向けていた。


「来月の皇族御成りまでに、全ての手続きを」


西園寺の言葉が、実務的に響く。


「では、これにて」


書類が次々と整理されていく。その一枚一枚が、実優の新たな人生への確かな保証となっている。利益に目がくらんだ父親は、その本質的な意味にさえ気付いていない。


窓の外では、薬草園の花々が風に揺れていた。白い花と紫の花。そして、その間で静かに育つ新しい種。その光景は、実優の未来を暗示しているかのようだった。


久遠は、最後の書類に目を通していた。その表情からは、もはや温和な老執事の仮面が完全に外れていた。そこにあるのは、実優を、そして研究所を守り抜くという、揺るぎない意志だけ。


「本日の件は、全て円満に解決したと」


加藤の言葉には、皮肉めいた響きがあった。円満という言葉の裏に、父親への容赦ない評価が込められている。


「これで椿家の面目も保たれます」


山岡の言葉にも、同様の皮肉が滲んでいた。面目とは、単なる表面的な体裁に過ぎない。実優を道具としか見ない父親の本質は、この場にいる全員の目に明らかだった。


「実優様の才能が、医学界に新たな光明をもたらすことを」


橘教授の言葉が、締めくくりとなった。その声には、研究者としての純粋な期待が込められていた。しかし当主は、そんな言葉の真意さえ理解していない。彼の目は、依然として利益の数字に釘付けになったままだった。


式場を後にする面々の背中には、それぞれの想いが込められていた。医学界の重鎮たちは、新たな研究の可能性への期待。政財界の面々は、非情な父親への軽蔑。そして久遠の背中には、実優を守り抜くという、静かな決意が刻まれていた。


朝日は更に高度を増し、大広間を明るく照らしている。その光の中で、実優の新しい人生への扉が、確実に開かれようとしていた。

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