悪役令嬢が睨んでくるので、理由を聞いてみた
僕は――この世界のモブだ。
自分を卑下しているとか、自暴自棄になっているとか、そういう後ろ向きな話じゃなくて。
未だに信じられないけど、どうやらこの世界は乙女ゲームなのだ。
僕は、メインキャラはおろか登場人物でもなんでない。名もなきその他大勢、つまり脇役。
これがモブと言わずに、なんと言えば良いのだろう。
前世では川で溺れている子供を助けたところで力尽き、その生涯を終えた……はずだった。
子供を助けた特典なのか分からないが、僕は運良く(?)転生することが出来た。
問題なのは、まったく馴染みのない乙女ゲームの世界に転生してしまったことだ。
広告を見て気になったから調べたことがあるだけで、ストーリーの内容なんて大まかなあらすじしか分からない。知識無双なんて夢のまた夢。僕が覚えているのは主要な登場人物くらい。人物たちの関係性も知らない。ゲームの名前に至っては、もう忘れてしまったくらいだ。
そんな馴染みのない恋愛至上主義の世界に転生してしまった。
だけど僕は……やっぱりモブなのだとわからされた。
待っていたのは恋愛とは無縁の生活を送る日々。
良かったのは、ストーリーに絡むこともないからゲームのことなんて分からなくても生活に困まらないこと。
「次は席替えか。やっぱり俺は窓際が良いな。日差しが暖かいから」
「ははは。ダリウスは相変わらずだね」
「トリスタンはどこの席がいいんだ?」
「僕は目立たない後ろのほうがいいな」
「なんだよ。トリスタンだって相変わらずじゃん」
王立学園の教室で、友人のダリウスといつもの様に何気ない会話をする。
それは僕にとって居心地がいいものだ。
だけど――今日は何かが起こりそうだった。
「なあトリスタン。セリスさんなんだけど……さっきからこっちを睨んでないか?」
「えっ?」
「待て、トリスタン。……凝視したら殺されるぞ」
「そんなわけ無いって、大袈裟な……」
「彼女……多分、トリスタンの方を見ている気がするんだよ」
「僕を……? そんなわけ無いって」
「いいから、こっそり見てみろって」
ダリウスに促されてセリスさんの方を見る。
侯爵令嬢、セリス・エリシュオン。
黒髪ロングのストレートヘアー。
身長は女子としては少し高い方。
ツリ目でシャープな瞳は、アメジストを思わせる輝きがある。
そんな彼女の評価は『怖い・恐ろしい』だった。
セリスさんは、切れ味の鋭い目を更に研ぎ澄まして僕を睨んでいた。
一瞬目が合ってしまい、気まずさから僕はあわてて視線を逸らす。
うろ覚えだけど、セリスさんは悪役令嬢のポジションだったと思う。
彼女はメインキャラなだけあって相当整った顔立ちをしている。
どう控えめに言っても、綺麗な人だ。
でも眉間には凶悪なシワが刻まれていて、世界を相手取って戦争をしかねない危ない目つきをしている。
悪役令嬢としての役割もあるだろうけど、その見た目もあって彼女は周りから恐れられていた……。
武闘派の上級生も彼女に逆らえないとか、背後に大物がいるとか……セリスさんには物騒な噂がついて回る。
だけど、僕が見てきた限り彼女は悪い人じゃない。
彼女は授業だって真面目に受けているし、悪いことをしているのは見たことがない。
ただ、眉間にシワを寄せていて、威圧的で、眼光鋭く睨んでいるだけ。
悪鬼の如く恐れられているが、彼女は怖い人じゃないというのが僕の結論だ。
「本当だね……僕、セリスさんに何か悪いことしたかな?」
「そんなわけ無いって。トリスタンみたいなお人好しが悪いことなんてするかよ」
「僕はそんなお人好しじゃないよ……」
「何いってんだ。充分お人好しだぞ。まあ、俺はお前のそういうとこが気に入ってるんだけどな」
「そ、そうかな。なんか恥ずかしいな」
「照れるなって!」
「照れさせたのはダリウスだろ?」
僕がお人好しかどうかはさておき――。
ダリウスと僕は、去年知り合ってから意気投合して以来ずっと仲が良い。
3年制であるこの学園で、去年に続き2年生でもダリウスと同じクラスになれたことは、とても幸運なことだ。
「でもさあ。セリスさんって……本当に怖いよな」
「パッと見ると……そう見えるかも知れない。でもセリスさんは悪い人じゃないと思ってるよ」
「えぇ!? そうか?」
「うん、みんなが誤解してるだけだと思うけどね」
「あの凶悪な顔を見てそんなこと言えるなんて。トリスタンはお人好しにもほどがあるぞ」
「本当に悪い人じゃないんだけどなあ……」
ダリウスを含めて学園のみんなは、セリスさんを恐れて声をかけようとしない。
セリスさんが、まるで悪魔やドラゴンであるかのように。
くどいかも知れないが、彼女は何も悪いことをしていない。
それなのになぜ、こんなにも恐れられているんだろう?
僕には……それが不思議で仕方なかった。
もしかして、僕だけがおかしいのだろうか?
彼女が怖くないのは……。
僕がゲームの外から来た存在だから?
席替えの結果、僕の席は窓側の真ん中より少し後ろくらいだった。そしてセリスさんの隣。
隣の席となれば、しばらく彼女と関わることになるだろうと思い、セリスさんに挨拶をした。
「これからよろしくね、セリスさん」
「……っ」
「あれ、セリスさん……?」
セリスさんは一瞬目を見開いて僕を睨んだ後、下を向いて顔を隠してしまった。
僕は、おかしなことを言っただろうか。
もう一度声を掛けてみる。
「あの……セリスさん、よろしくね」
「…………よろしく……」
よかった。
声は小さかったけど、セリスさんは返事をしてくれた。
授業が終わり休憩時間になると、いつものようにダリウスが僕のところへやってきた。
「トリスタン。ちょっとこっちに来てくれよ」
「いいよ。でも急にどうしたの?」
「ま、いいから。な、頼むよ。ほら」
あまりに真剣に頼むので、僕は大人しくダリウスについて行くことにした。
ダリウスの席の近くまで移動すると、彼は心配そうな顔をして言った。
「なあ、トリスタン大丈夫だったか?」
「えっ? なにが?」
「セリスさんだよ。お前のこと睨んでただろ? 彼女、お前を殺そうとしてるんじゃないかと思って心配だったんだ」
「ああ、そのことか。殺すなんてオーバーだよ。ぜんぜん大丈夫だし。さっきもよろしくって挨拶したところさ」
「まじかよ。あんな悪魔みたいなセリスさんにそんなこと言えるなんて……やっぱりお前はすごい奴だな」
「大げさだなダリウスは。隣の席なんだから、挨拶くらいしたっていいじゃないか」
「まあ、そうだけど……本当に大丈夫なのか?」
「だから気にしすぎだって……彼女はそんな人じゃないと思うよ」
「そうか……でも注意しておけよ」
セリスさんはそんな人じゃないのに。
ダリウスは友人思いを通り越して、もはや心配性なんじゃなかろうかとさえ思えてくる。
「じゃあ、話変わるけど。トリスタンの好きな女子のタイプってどんな感じ?」
「おお! いきなり変わったね!」
「そう! 今から恋バナをします」
こういうダリウスの突拍子も無いところは、彼の面白い魅力だ。
「うーん、タイプって言われても難しいね……」
「おっと、トリスタンはBL派か? 言っとくけど俺はノーマルだからな!」
「そうじゃなくて。僕……今まで人を好きになったことがないんだ」
「ほー。ウブですなあ」
「じゃあ、ダリウスは恋愛したことあるの?」
「そりゃ、あるよ! お付き合いしたことは無いけどな」
ダリウスが恋バナをしたがるの仕方のないことなのだ。
この世界が乙女ゲームだからだと思うが、この学園は『生徒は等しく平等である』という謎ルールがある。そのおかげで生徒同士は身分にかかわらず、フランクに話すことが出来る。おそらく、身分差のある男女でも気兼ねなく恋愛出来るためのシステムだろう。その規則は別名『恋愛奨励制度』なんて言われている。
そんな恋愛至上主義な学園だからか、両思いコンビが爆誕するのはよくあることだ。相性が良ければ、そのまま婚約関係に発展するそうだ。
でも、そんな学園でも僕たちは……やっぱりモブだった。
ダリウスの心配を余所に、それから何事もなく日々が過ぎていった。
そんな中で気になるのは、セリスさんが時々僕を睨んでいることだ。
でも、僕と目が合うとセリスさんはすぐに顔を逸らしてしまう。
そんな日が続く内に、何で睨まれているのかという疑問が大きくなってきていて……。
もちろん、僕の自意識過剰かもしれないけど、思い切って本人に聞いてみることにした。
「セリスさん。あの、僕セリスさんに何か悪いことしたかな?」
「っ……わ、悪いこと? 別にあなたは何もしてないでしょ」
「そっか。でも、なんか睨まれてる気がしちゃって」
「に、睨んでなんかない…………」
どうして睨んでるわけじゃないのに、そんなに眉間にシワを寄せるているのだろうか。目にだって相当力が入っているように見える。まるで般若かヤンキーのようだ。
「もしかして……セリスさんって」
「な、なによ」
「僕の勘違いかもしれないけど、聞いていいかな?」
「い、言ってみて……」
セリスさんの顔が若干紅潮している気がするが、僕の気の所為だろう。
「セリスさんって…………」
「…………うん」
「もしかして……」
「…………っ」
何故かセリスさんはゴクリとツバを飲む。
そんなに緊張しなくてもいいと思うけど。
「目が悪いんじゃないかな?」
「はあ!? …………め? 目が悪い?」
「セリスさんっていつも目に力入れてるよね」
「そうなの……? 言われれば、そうかも知れないわね」
「でしょ? そんなに目に力を入れてるってことは、そうしなきゃいけない理由があるんじゃないかって思ったんだ」
セリスさんが少し考えるような仕草をする。
「……続けて」
「目に力を入れると眼球が圧迫されるんだけどね……」
「それが何の関係があるの?」
「目が圧迫されるとと、ピントが合いやすい人もいるんだって」
「へぇ……そんなことよく知ってるわね」
詳しくは知らないけど、この辺は前世の知識だ。
目の筋肉が固まっているからピントが合いにくくなっているのが関係してるとか……。
「でも、そうやってずっと力を入れてると、目が疲れるんじゃないかなって」
「ええ……そうね。少し疲れるかもしれないわ」
「やっぱりそうだよね」
セリスさんは休み時間になると寝ていることが多い。それはきっと、不真面目だからとかじゃなくて、目が疲れているからなんじゃないかと思っている。
「それなら、眼鏡をかけたらどうかな」
「眼鏡……?」
「そう。もしかして眼鏡かけるの嫌かな? セリスさんは綺麗だから眼鏡をかけても似合うと思うけど」
「なっ……トリスタン。あなた何をっ!」
「あれ、僕おかしなこと言った?」
「あなた……誰にでもそんなこと言ってるんじゃないでしょうね?」
「誰にでもは言わないよ。でもセリスさんは綺麗だと思ったから」
「くっ…………」
セリスさんは気分を害したのかそっぽを向いてしまった。耳が少し赤くなっているから、相当怒らせてしまったのかもしれない。
「ご、ごめんねセリスさん」
「……謝らなくていい」
「でも……」
「そのかわりに……眼鏡を買いに、一緒に行ってくれるかしら?」
「僕が?」
「そうよ。あなたが眼鏡を勧めてきたというものあるけど。なんか詳しそうだから……トリスタンにお願いしたい」
セリスさんの言うことは納得がいく内容だった。僕も彼女のためになるのなら、手伝うことに賛成だ。
「そうだねセリスさん。付き合うよ」
「……つ…………付き合うっ!?」
「うん、一緒に行くよ」
「あ……そ、そう。一緒に……来てくれるのね。じゃあ、今日とかどうかしら?」
「もちろん、いいよ」
その日の放課後、僕たちはさっそく眼鏡を買いに行くことになった。でもセリスさんは準備をしたいから家に帰りたいというので、僕たちは待ち合わせをすることにした。
お金の問題もあるだろうし、準備は必要だ。
待ち合わせ場所に行くと、先にセリスさんが待っていた。
「もしかして、遅れちゃったかな? 少し早く来たつもりだったんだけど……」
「いいえ、大丈夫。あなたは遅れてなんてないわ。私が早く来すぎただけだから気にしないで」
「でも、セリスさんを待たせちゃったよね。待ってくれて、ありがとう」
「……………………」
あれ? どうしたんだろう。
セリスさんが真っ赤になって俯いてしまった。
もしかしたら具合が悪いのかも知れない。
「セリスさん、もし具合が悪いなら別の日でもいいよ」
「う、ううん。……大丈夫……」
「そう? もし、体調が悪いときはすぐに言ってね」
「その時は……頼むわね。じゃあ、行きましょう」
「うん、そうしようか」
僕たちは店が軒を連ねる商業街を目指して歩き出した。
午前中は雨が降っていたせいもあって、路面がところどころ濡れている。だけど歩くのに支障はない。大きな水たまり以外はだいたい乾いているし。
彼女と歩いていて分かったことがある。
通行人ですらセリスさんに怯えているのだ。
確かに眼力は強いと思うけど、怯える程だろうか?
「ねえ、トリスタン。あなた、よく私と一緒に来る気になったわね」
「え? だってセリスさんと約束したでしょ」
「まあ、そうだけど……」
「約束したら、普通は守るものじゃないかな?」
僕の疑問に対し、言いにくそうな表情でセリスさんは口を開いた。
「ほら、みんな……私を怖がっているでしょ?」
「ああ、そのこと……」
セリスさんの表情がみるみる曇っていく。
「あなたも私のことが……怖いから仕方なく――」
「僕はセリスさんのことを怖いだなんて思ってないよ!」
「…………!?」
セリスさんが大きく目を見開いていた。
突然、僕が声を張ったせいで驚かせてしまったのだ。でも僕は、セリスさんを恐れていないことを分かってもらいたかった。
僕はセリスさんの目をまっすぐに見つめ、落ち着いたトーンを心がけて言葉を続けた。
「僕はね……見た目だけで人を判断するなんてダメだと思う。セリスさんは真面目だし、気遣いだってできる優しい人だよ」
「トリスタン……」
「ごめん、さっきはちょっと強く言い過ぎちゃって……。でも、セリスさんに僕の気持ちを分かって欲しかったんだ」
「……………………」
「みんなもセリスさんの内面を分かってくれたらいいのに、って思うよ……」
「……分かってくれるのは…………あなただけで、充分……」
「え? 今、なにか言った?」
「……なんでもない」
「う、うん。そっか……」
セリスさんの声が途中で小さくなって聞こえなかったけど、なんでもないなら……大丈夫だろう。
どういうわけか、セリスさんはそのまま無言になってしまったので、僕たちは会話をすることも無く静かに歩いていた。
そのせいか、通りを走る馬車の音がやけに大きく聞こえてしまう。
ん? 馬車? ……まずい!
普段なら馬車なんて気にしないが、今日は大きな水たまりができているのだ。
このままだとセリスさんが泥水で濡れてしまう。
「セリスさん、危ない!」
僕はとっさに彼女の腕を取り、思いっきり引き寄せた。
「……きゃん」
懸念した通り、馬車は水たまりの水を跳ね飛ばしながら去っていった。
でも間一髪、セリスさんを泥水から守れた。
「危なく濡れちゃうところだったね……大丈夫、セリスさん?」
「は……はうう」
「いきなり引き寄せちゃってごめんね。もしかして、どこか痛むの?」
「も、もう少し……そ……そのままで」
「え?」
どういうことだろう?
言葉の意味が分からず、僕はとりあえず彼女から離れて、直立不動の姿勢を取った。
きっと僕に『動かないで』欲しいという意味なのかもしれない。
僕の服に泥が跳ねているのだろうか?
「こうかな?」
「………………もういい」
どうしてか、セリスさんは残念そうな表情をしていた。
なんだろう?
あ、そうか!
僕はなんて気が利かなかったんだ……紳士としてあるまじき行為だった。
そういえば、前世でも聞いたことがあるじゃないか。
紳士は自ら車道側を歩いて、危険から女性を守るものだって。
僕はうっかりしていた。なにも気にせずに彼女を道の中央寄りを歩かせていた。
「セリスさん、気が利かなくて申し訳ない。これからは僕が中央寄りを歩くよ」
「と……トリスてぁん……」
「今、噛んだ?」
突然セリスさんが僕の名前を噛んだ。
よく見るとセリスさんの顔がすごく赤い。
噛んだというより呂律が回っていないのだろうか。
ひょっとして……。
僕はセリスさんの容態を確認しようと顔を近寄せた。
「セリスさん。顔が真っ赤だし、もしかして熱があるんじゃないの?」
「だ、だ、大丈夫だから……それ以上は……」
「具合が悪いなら遠慮しないで言って欲しいんだ……」
僕はセリスさんの両肩を掴んで更に距離を詰める。
「ひゃぁ……」
「ちょっと……ごめんね」
熱を測るため、僕はセリスさんのおでこに手を当てみる。
熱い。明らかに発熱してる。
思い返せば、セリスさんは待ち合わせの時から顔が少し赤かった。
僕がちゃんと彼女を見ていれば、もっと早く異変に気づけていたのに……不甲斐ない。
「はわ! はわわわ…………」
「すごく熱い……セリスさん。今日はもう帰ったほうがいいよ。呼吸も荒いし……」
「げ、元気っ! 元気、だから……」
「本当に? 日を改めたほうがいいんじゃない?」
「い、いいの。すぐ落ち着くから……す、少し、離れて……」
離れて欲しいというのは、僕に病気が移るのを心配してくれているのだろう。
こんな具合が悪い時でも、僕のことを配慮してくれるなんて……。
やっぱり、セリスさんは……とても優しい人だ。
道の端で少し休憩していると、セリスさんの顔色も徐々に戻ってきた。彼女が大丈夫だと言いはるので、僕たちは再び目的の店に向かって歩き始めることにした。
それからセリスさんはまた無言になってしまったが、体調を崩すこともなく目的の店に着くことができた。
「私、眼鏡のことには詳しくないからトリスタンにお願いしたいんだけど、いい?」
「うん、分かったよ」
まず、やることは視力測定だ。
セリスさんに本当に眼鏡が必要なのか調べる必要がある。そして、眼鏡が必要だと診断されたらフレーム選んでいこう。
とはいえ僕ができることは少ない。ほとんどは店員さんがやってくれるからだ。
視力測定の結果、セリスさんは予想通り目が悪いらしい。
「じゃあ、どんなフレームがいいか選ぼうか」
「え? これで終わりじゃないの?」
「うん。眼鏡はレンズとフレームで構成されてるんだ。さっきは視力測定してセリスさんに合うレンズが分かったから、今度はレンズを入れるためのフレームが必要なんだよ」
「トリスタンって、よく知ってるのね」
「それほどでもないけど」
僕たちは眼鏡が陳列されている棚を見て回る。
前世での眼鏡店ほどじゃないが、僕の予想よりも様々な形・色のフレームが置かれている。
これならセリスさんが気にいるデザインも見つかるかも知れない。
「へえ、眼鏡って色んな種類があるのね」
「そうだね。セリスさんはどんなデザインが好きなの?」
セリスさんは棚をしばらく見ていたが、やがて1つの眼鏡を手に取った。
「そうね……この辺とかいいかも」
セリスさんが選んだのは、少し大きめの丸みのあるフレームだった。
それを装着すると、僕を見てセリスさんが言った。
「どう……かな……?」
「すごくいいよ。丸いフレームのかわいさの中で、セリスさんのシャープな目がより引き立っていて……うん、セリスさんの魅力が増幅されていると思う」
「…………ほ、褒めすぎ……よ」
「……え?」
セリスさんは俯きながらゴニョゴニョとなにかを言ったが、うまく聞き取れなかった。
髪の間からちょこんと見える耳が少し赤くなっているから、また熱が上がっているのかも知れない。
彼女に無理をさせているみたいで、なんだか申し訳ない気持ちになる。
セリスさんが早く帰れるように協力してあげないと。
「後は、色を選んだほうがいいかもね」
「色も選べるの?」
「ここに色見本があるでしょ」
僕は棚に置いてあった、色見本のカードを指さした。
「ほんとね。気づかなかった……」
「この中から好きな色を選べるみたいだよ」
「へえ……すごいわね」
セリスさんは真剣な表情で考え始めた。
「じゃ……じゃあ、トリスタンに選んで欲しいわ」
「セリスさんの眼鏡なのに、僕が色を選んじゃって良いのかな」
「ええ、あなたに選んで欲しい……ダメかしら?」
「……分かった。少し、時間をもらえるかな?」
「もちろん……」
色か……難しいな。彼女の好みもあるし。
でも、僕を信じて任せてくたのは他ならぬセリスさんだ。
なら僕は、セリスさんに似合う色を選んであげたい……。
彼女にはどんな色が似合うだろうか……。
セリスさんの顔をまじまじと見る。
黒髪ロングのストレートヘアー。
少しツリ目がちの紫色の瞳。
形の良い鼻と口…………。
それらが絶妙なバランスで配置されている。
お世辞抜きで、彼女は綺麗だと思う。
セリスさんといえば、やっぱりこのクールな瞳が特徴的だと思う。
「ちょっと! ……そんなに見られると、恥ずかしい……んだけど……」
「ご、ごめん。つい集中しちゃって」
「それなら……い、いい……けど」
そんなに相手をジロジロと見たら、不快にさせてしまうのはもっともだ。
だけど、彼女に似合う色は分かったぞ。
「これなんか……どうかな?」
僕が選んだのはダークブラウンだった。
落ち着いた色合いが、彼女のクールな魅力を更に引き立ててくれるはずだ。
「うん、じゃあ……これにする」
「セリスさん、本当に僕が決めちゃっていいの?」
「眼鏡に詳しいトリスタンが選んだんだから、大丈夫……でしょ?」
「そう言われると……なんか緊張するね」
随分と僕を信頼してくれているけど、セリスさんは気に入ってくれるだろうか。
正直なところ、僕はドキドキしていた。
店員さんにさっき決めたフレームを伝えると、すぐに出来上がるから待っていて欲しいという。てっきり、細かい調整とかあって引き渡しは後日になる……のかと思っていたけど、専用の魔道具で簡単に出来るらしい。
異世界は変なところで便利だと感心してしまった。
数分後、セリスさんの眼鏡が完成した。
出来上がった眼鏡をかけたセリスさんは鏡を見ている。
「すごい……よく見える! それにこの色も気に入ったわ」
セリスさんはクリアに見える視界に感動しているようだった。見えるって大事だもんね。
僕は『色が気に入った』という言葉にホッと胸を撫で下ろした。
「セリスさんにそう言ってもらえて良かった……」
「ねえ、トリスタン。どう……かしら。眼鏡……変じゃない?」
こちらを振り向いたセリスさんを見て、僕はハッとした。
いつも鬼の形相だったセリスさんの表情が、先ほどと全然違う。
凶悪な眉間のシワも、凄まじい眼力も無くなっていて……。
とても自然体で穏やかで……目つきの鋭いクール系眼鏡女子がそこに居た。
「セリスさん、その眼鏡……すごい似合ってると思います!」
「そ、そう……」
「知的美人って感じだよ。それでいて、クールでありながらも親しみやすい感じもする。それに……セリスさんがもともと持っていた可愛さが更に強調されてて……すごく魅力的だ」
「くぅ…………」
「……セリスさん、大丈夫?」
「…………も……もう……やめ……」
セリスさんは苦しそうに明後日の方を向いてしまった。
時々忘れそうになるが、今日のセリスさんは具合が悪いのだった。
用事も済ませたことだし、セリスさんは家でゆっくり休んでもらったほうが良さそうだ。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「そう…………よね」
というわけで、僕たちは店をでて帰ることにした。
帰り道、セリスさんはどこか元気がなかった。
その姿は、思い悩んでいるようにも見えた。
セリスさんは時折、僕を見ては下を向いてしまう。
彼女の体調が気になるものの、女子の扱いに慣れていないから、こんな時になんて声を掛けたらいいかわからない。
気の利く言葉でも掛けてあげられたらいいのに。
そう思っていると、セリスさんは意を決したように口を開いた。
「トリスタン。……あなたって、こういうことに慣れてるの?」
「こういうことって?」
「その……女の子と買い物に行ったり……ってことよ」
「うーん。女子とこういう風に出かけたことはないね。セリスさんとが初めてだよ」
「私とが……初めて……」
「うん」
前世と合わせて考えても、女子と買い物に行ったことは無いと断言できる。
妹はノーカンだろうし……。
「そう、なんだ……」
「僕こういう経験がないから、きっと……セリスさんを退屈にさせちゃったよね」
「た、退屈だなんて……してないっ!!」
セリスさんが急に大きな声を出したので、僕は驚いてしまった。
「……それなら良かったよ」
「……あなたがいてくれて……まあまあ、楽しかった……わ」
「僕も今日は楽しかったよ。ありがとう」
「うん、こちらこそ……………………ありがとう」
そう言うと、セリスさんは恥ずかしそうに微笑んだ。その表情には、以前のような威圧する感じはまったく無い。とても穏やかな優しい表情だった。
彼女を見た僕は、不思議と心が温かくなるのを感じていた。
だけど、その暖かさは。
僕が初めて経験するもので……。
どこから来る暖かさなのか、自分でも分からなかったけど、とても心地良いものだった。
次の日、教室の雰囲気は一変した。
悪鬼の如きオーラを放っていたセリスさんが、クール系の綺麗なメガネ女子になっていたからだ。
だけど、クラスメイトのみんなは遠巻きにひそひそ話をするくらいで、直接セリスさんに話しかけようという人はいなかった。
それでも、みんなのセリスさんに対する印象は変わっていくんじゃないかと思う。
ダリウスだって少し変わり始めていると思うから。
「なあ、トリスタン。セリスさん、大胆なイメチェンしたな」
「うん、似合ってるよね」
「でも、やっぱりまだ怖いな。あの鋭い目は変わってないもん」
「そうかな? セリスさんは話すと結構面白いんだけど」
僕はチラッとセリスさんを見る。
眼鏡……似合ってるな。
昨日のことを思い出してみても……結構楽しかった。
「トリスタンは怖い物知らずだな!」
「そんなに怖くないって……」
「まあでも彼女……お前とは普通に話してるみたいだよな」
「そうでしょ? セリスさんと話すと楽しいよ。ダリウスも話してみたらどう?」
「俺はまだ死にたく、いや、そんな勇気無いよ……」
その後は、普段のようにとりとめのない話が続いた。
ダリウスはセリスさんを極端に恐れることはなくなったけど、怖いのは変わらないらしい。
でも、以前よりはセリスさんを受け入れているような気がした。
その日のお昼休憩時間のことだった。
僕が1人で歩いていた時、思わぬ人から声がかかった。
「トリスタン君、少しいいかな?」
「はい?」
振り返るとそこにいたのは……この国の王太子。
メインキャラの1人である、ユージーン殿下だった。
彼はこの学園の3年生。
2年生の僕からすると上級生にあたる。
もっとも重要なのは、彼が王族ということだ。僕は失礼の無いよう、急いで敬礼のポーズを取った。
「殿下。何の御用でしょうか?」
「トリスタン君、そんなにかしこまらなくていいよ。」
「ですが、殿下」
「……身分の上下に関わらず、すべての生徒は等しくある。この学園の規則にあったはずだよ?」
まさか、ここで恋愛奨励制度を持ち出すとは……さすが王太子様だ。
「確かに……そうですが、よろしいのでしょうか?」
「もっと気軽に話してくれたほうが楽でいいかな」
「わかりました、殿下」
「ユージーンでいいよ」
殿下は気さくに言う。
そう言われても……。
さすがに王太子殿下を呼び捨ては不味い。
「……ユージーン様」
「もっとフランクに頼むよ」
「ゆ、ユージーンさんっ……」
「うん、そう呼んでくれると親近感が湧くね」
殿下……改めユージーンさんはにこやかに笑う。
メインキャラなだけあって造形美がすごい。ただ微笑んでいるだけなのに、絵になる。
ところで、僕みたいなモブになんの用があるのだろう?
「それで用事というのは?」
「そうだった。実はトリスタン君にお礼を言いにいたんだ」
「僕にですか? ユージーンさんにお礼を言われるようなことは……心当たりがありませんけど……」
「私じゃなくて、セリスの件なんだ」
「セリスさんの……ですか?」
「そう、彼女はアイリス……私の婚約者の妹でね。つまり、私にとっては義理の妹になるってわけさ」
「セリスさんとユージーンさんに、そんな関係があったんですか……全く知りませんでした」
ユージーンさんは王太子で、姉であるアイリスさんが婚約者……。
そしてセリスさんが悪役令嬢なわけだから……。
もしかして、姉妹でユージーンさんを取り合ってるのだろうか?
だとしたら、この3人の関係性は思っている以上に複雑かも知れない。
「アイリスが喜んでいたよ。セリスの表情が全然違うってね。君のお陰だそうだね、トリスタン君」
「もしかして、眼鏡の件ですか?」
「そうさ、私も実際に見たけどセリスが本当に見違えて驚いたよ。アイリスを含めて私たちはセリスの目が悪いなんて分からなかったのに、君はすごいね」
「いえ……僕が気がついたのはたまたま偶然です」
たまたま隣の席になって、偶然セリスさんが睨んでいたから、理由を聞いてみただけで。
僕は全然すごくない……。
「それでも最後までセリスをサポートしてくれたんだろう。感謝しているよ」
「そんな……勿体ないお言葉です」
「はは、堅苦しいって。もっと気楽に接してくれ」
「すいません、つい……」
僕の予想に反して、ユージーンさんとアイリスさんはセリスさんを大切に思っているみたいだった。昼ドラみたいにドロドロな三角関係じゃなく、お互いを尊重し合っているようだ。
……僕の考えすぎだったらしい。
「セリスを助けてくれたのは、これで2度目だね」
「2度目……ですか?」
「あれ? 覚えていないのかい。ほら去年、セリスがトラブルに会っているところを助けてくれただろう?」
「去年……?」
「そう、その時、私に会っているよ」
「ユージーンさんと……?」
去年……。
ユージーンさんに会ったのは、校舎裏で女子を助けた時だ。
あの時は王太子であるユージーンさんの印象が強すぎた。
颯爽と現れたイケメン王子のインパクトが強烈で、揉めていた2人の顔をほとんど覚えていない。
あの時の女子がセリスさんだったと言われても、いまいち実感が無い。
「まあ、これからもセリスを頼むよ」
そう言って、ユージーンさんは爽やかに去っていった。
分かりました。と返事をしたものの……。
僕にできることは何なのだろう?
教室に戻り席に着くと、セリスさんと目が合った。相変わらず鋭い目つきだけど、睨まれてるわけじゃないことはもう分かる。
その違いはもしかしたら、この世界で僕だけが分かるのかも知れない。
セリスさんの瞳には、親しみが込められている。
なんとなくだけど、そんな気がした。
最後までお読み頂きありがとうございました。
面白い、続きが見てみたいと思って頂けたら
評価してもらえると嬉しいです。
※誤字報告ありがとうございました。
※※このお話を元に連載版を始めました → https://ncode.syosetu.com/n8951lf/