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蠆盆少女はくじけない

作者: 鏡花水月
掲載日:2025/11/01

「私、いじめられたんです!」


 全校集会の中、突然立ち上がって壇上に登った少女がそう叫んだ。衆目の反応は、応援する者、驚く者、そして面白がる者の三通りに分かれていた。


木村(きむら)さんっ、落ち着いて……!」

「落ち着いてなんかいられません!わ、私、いっぱい先生に相談したのに、全然変わんなくて……」


 ぐすぐすと鼻をすする少女に、教師が「……ごめんなさい」と言う。傍から見れば、まるでいじめが本当にあったかのようだ。


「でも、でも……っ!もう、我慢しません!私、今この場で、貴女にされてきたことを暴露します!」


 そういった少女は、壇上にずっと黙って立っていた黒髪の少女を指さした。


「覚悟はいいですね!?……牡丹(ぼたん)妲妃(だき)さん!」

「……あら。先ほどから何をおっしゃっているのかと思っていたのだけど、もしかして私のことでしたの?」

「とぼけないでください!」


 「とぼけるだなんて」と、妲妃と言われた少女は嗤う。肩甲骨辺りまである黒髪の毛先がそろった髪型に、そこに目がいくような飾り気のない紅のカチューシャ。吊り上がった猫目は、楽しそうに細められている。滑らかで上品な言葉遣いは、まるで気品ある淑女のようだ。


「……それでは、私が貴女にしてきたと言う、酷い事を話してください」

「……いいんですね!?」

「ええ、構いません」


 余裕綽々だというように微動だにしない妲妃に、糾弾する少女はいらいたがった顔をした。


「……それではみなさん、聞いてください!彼女が犯した、悪事の全てを!」


 もう、壇上の愚かな少女を止められる者はいなかった。





 牡丹妲妃という少女は優秀で、憐れな子供だった。そもそも妲妃という名前から察せられるように、親の頭のどこかが可笑しかった。まあそんな馬鹿親も賭博と酒にドバドバとハマり、挙句の果てには違法ドラッグに手を出し、警察の厄介になったのだが。父親は毒婦に騙されていただけだったが、現状を憂いるだけで何もしなかったので、結局あの女と同じだと妲妃は思う。


 そんな親に碌な世話をしてもらえるはずがないので、妲妃は近所の人達に愛想を振りまき、なんとか食料を調達していた。小学校に入り図書室に通い詰め、そこで得た知識で自分の周囲を固め、警察に親の所業を暴露したのも妲妃だ。表面上は親の悪事を食い止めるため努力した正義の少女となっていたが、実際はこの馬鹿共から離れたいという気持ちだけだった。妲妃は齢十にして成熟した精神の持ち主だったのだ。


 さて、そんな妲妃の預かり先が深見(ふかみ)一家だ。放置子の妲妃を殊に気にかけ、時にはあの馬鹿親達に説教をかました、信じるに値する人達である。養子縁組はなく、保護責任者とその対象という関係だったが、仲は良好だった。


 そして深見家には、妲妃と同い年の紂弥(ちゅうや)がいた。


 紂弥は深見家の血のつながった本当の息子であったが、突然湧いて出た妲妃に意地悪をすることはなかったし、大きくなっても変な名前だとからかってくることはなかった。黒よりの漆色の髪に、砂色の瞳。顔だちも申し分ないほど整った子供だ。幼い妲妃は綺麗なものが好きだったので、紂弥の髪を結ったり、自分の服を着せたり、おままごとでお姫様役をさせみたり、色々した。だが、紂弥は嫌な顔をせずニコニコと妲妃の遊びに付き合ってくれ、時々刺激的な遊びを教えてくれた。妲妃にとっては特別な遊び相手だったのだ。


 ある日の昼下がり。黙って本を読んでいた妲妃が、隣にいる紂弥の肩にもたれがかりつぶやいた。


「ねえ紂弥。私、この家に何か恩返しできること、あるかしら?」


 紂弥はすこし考えるそぶりを見せた後、こう言った。


「勉強を頑張っていい大学に入るといいんじゃない?そうしたら、大手企業に勤めることができるし。そこで貰ったお給金を仕送りとして渡せば、少しは母さん達の役に立つんじゃないか?」

「素敵ね。世間の方々は学歴を重視なさるし、頭の良い大学に入ればお義母様達の評判も上がるわ。できれば、奨学金を狙いたいわね」

「妲妃は頭がいいから、頑張れば大丈夫だろうよ」

「その時は紂弥も一緒ね。私、心配だもの」

「俺はそこそこ頑張るよ」


 その日から妲妃は勉学に精を出すようになる。もともと良かった成績表は全てよくできましたになったし、運動も芸術も音楽も、なんでもこなすようになった。全ては、愛情を注いでくれた深見夫婦の恩に報いるため。言葉遣いが不自然にならないように所作にも気を付けた結果、妲妃は近所では名高い淑女になった。一緒に深見夫婦の評判も上がるため、妲妃にとっては喜ばしいことだった。


 そして小学生から中学生になった時。妲妃は大いにモテた。それはもう、男から女まで入れ食い状態だ。ファンクラブの会員は全校生徒の三分の二を超えるほど。


 生来の顔の良さと、美形でも不細工でも、男でも女でも、爺でも婆でも、誰に対しても変わらない態度だったためだ。勿論そんな妲妃をよく思わない、又は苦手な者もいたが、わざわざ妲妃はそんな人達に関わらなかったため、衝突が起きることはなかった。


 さて、そんなファンクラブで誠しやかに囁かれているのがずばり、〈牡丹妲妃と深見紂弥は、果たして恋人どうしなのか〉、ということである。妲妃と紂弥が同じ屋根の下で共に過ごしているのは周知の事実で、年頃の美男美女が近くにいるのだから、何かあるだろうと思っていた。


 そして本人達に、「付き合っているんですか?」と勇気ある一人が聞いた。ちょうど妲妃と紂弥が話している時で、二人は顔を見合わせた後、妲妃は可笑しいというように笑ってこう言った。


「紂弥とはそのような仲ではないですよ。ただ、仲良しではありますが……。ねえ、紂弥?」


 そう言って笑いかける妲妃に紂弥は、「……妲妃が言うならそうだと思う」と言った。この質問自体が不快と言わんばかりに眉を顰めている紂弥の顔を見て、妲妃がくすくすと笑う。傍から見れば、紂弥の片思いに見えたのだろう。その日から、紂弥への告白はめっきりと減った。


 その後、妲妃と紂弥は偏差値の高い同じ高校に入学した。勤勉の甲斐あって、妲妃は新入生代表として挨拶をして、周囲からの注目を集める。一年生では紂弥と同じクラスになり、高嶺の花として急速に生徒たちからの羨望と嫉妬を集めた。部活動は華道部に入り、その腕前は素人にしてはなかなかのもの。成績も良く、教師からの覚えもめでたい。


 もう妲妃には誰にも敵わないと全校生徒が思っていた矢先、転入生が現れる。


 木村愛衣(めい)。二年生になり、生徒が一人転校した後にやってきたのだ。この時、妲妃は紂弥と別のクラスだった。


 ふわふわとした色素の薄い金髪に、白茶色の瞳。特段美少女というわけではない、小柄で素朴な少女。中学生になって成長期を迎え、並の男子より背が高くなった気品ある妲妃とは、系統が随分と違っていた。


「慣れないこともありますがっ、仲良くしてください!」


 そう言ってお辞儀をした愛衣はぐるりと教室を見渡して、妲妃と目が合い固まった。ニッコリ微笑んでやると、慌てて別方向に顔を向ける様子に、妲妃はあらあらと思った。


 しばらくの質疑応答の後、愛衣は担任に案内され、妲妃の斜め後ろに急遽置かれていた席に座る。


「じゃあ木村さん。先生がいないとき、何かあったらこの人……。牡丹さんに聞いてください。面倒見の良い人です」

「こんにちは、木村さん。私、牡丹妲妃と言うの。仲良くしてくださいね」

「……こんにちは。ダキ、さん」


 少しの間沈黙していた愛衣が、次の瞬間にっこり笑って「ダキって、なんか変な名前ですね」と言った。その言葉に、クラス内の空気が凍る。まだ近くにいた担任が咎めるように、「木村さんっ」と愛衣の名前を呼んだ。


「そんなことを言ってはいけないでしょう!」

「え、ご、ごめんなさい……。だって、ダキって、妲己ですよね?悪いイメージしかないんですっ、そんなつもりじゃ……」

「ふふっ、確かにそうね。妲妃って、ちょっと珍しい名前よね」


 謝罪とは思えないことを言っている愛衣達の会話を、妲妃が笑い声で遮った。そのことに愛衣は内心苛立つ。妲妃は今、自分の名前を変な名前から珍しい名前と、呼称をするりと変えたのだ。


 こいつ、見てくれのわりにけっこう強かだな、と愛衣は思った。


 そう思っている愛衣の目の前で、妲妃は朗らかに笑う。そして、「妲己は、世界三大美女の一人なんですよ。知りませんでしたか?」と言った。


「……あ!そうですね、その妲己さんでもありますね!」

「うふふ。それにね、教養もあった方なのよ。私の親は、気品ある素敵な淑女になってほしくてこの名前にしたらしいわ。……それにしても、もうちょっとなぁとは思うのだけどね?」

「……そんなに素敵な名前だったんですね。変な名前だなんて、ごめんなさい」

「いいのよ、別に。私、謝ってくれれば基本許すから」

「……ごめんなさい」


 もう一度謝罪した愛衣に対し妲妃は、「誰にでも間違いはあるもの。そんなに怒っていないわ」と言う。謝罪を受け取ったように聞こえるが、許すと一言も言っていないことに愛衣は気が付いていた。


「……許さない」


 自分に頭を下げさせ、謝らせた。お門違いな怒りに身を焼かれ、そうボソリと呟いた愛衣の言葉を、妲妃はしっかりと聞いていた。


 


 愛衣が転校してきて、一か月が経った。その間愛衣は色々な人に話しかけ、友達を作った。しかし、よくよく考えるとその友達は、妲妃のことをあまりよく思っていない者達ばかりだった。だが、愛衣はそうでない者も友達だと称しているので、誰にも気づかれぬまま、学校をじわじわと蝕んでいった。ある程度の浸食が終わった後、愛衣は行動を起こす。


「きゃっ」


 可愛らしい悲鳴をあげて、愛衣がその場に倒れこむ。バサバサと腕に抱えていた教科書が落ち、床の上を滑っていく。


「いったぁ……」

「大丈夫ですか、木村さん」


 そう言って、たまたま近くにいた妲妃が愛衣に手を差し伸べる。愛衣は「だ、妲妃、さん……!?」と過剰にビクつき、おずおずと妲妃の手を握り、その場を立つ。


「……大丈夫、ですか?急におこけになったので、ビックリしましたよ」

「あ……。だって、だって、急に、足が……」

「……足が、何ですか?」

「……っなんでもありません!」


 そのまま教科書を拾って、パタパタと愛衣は廊下を駆けていく。教科書で、歪んだ口元を隠しながら。


 そしてそういうことが、二日に一回は起きるようになる。


「……ねえ。いくらなんでも、こけすぎじゃない?可笑しいでしょ、あんなん」

「あ、そういえばさあ……。愛衣ちゃん、妲妃さんが近くにいる時にこけてない?」

「え、それって……」

「愛衣ちゃん、なんか妲妃さんに怯えてるし。一回聞いてみよ」


 そして、そのことを聞かれた愛衣は泣きそうな顔で、震えながらこう答えた。


「ち、違うよ。私、全然、そんなこと……。そ、そのこと、妲妃さんに言わないで……」


 次の日から、妲妃が愛衣をいじめているという噂が流れるようになる。


 そして、また別日。


「おい、これって……」

「うわ、なにこれ!」


 ある人物の靴に、大量の大きな石が入れられていた。尖った物も多く、履く前に気づくだろうが、もし急いでいたとすると……、と考えると血まみれの未来しか思い浮かばない。


 ある人物の名は、木村愛衣と言った。


 そして、また別日。


「ひっく……。ひっ、ぐす……」

「め、愛衣ちゃん……」

「ひ、ひどい……。ひど、ひっ……」


 愛衣の机には、何か別の物を連想させる木工ボンドが塗りたくられていた。ご丁寧にも、机の周りには千切れた輪ゴムが散乱している。極めつけに、机の上には彼岸花。


 そして、また別日。


「木村さん!大丈夫!?」

「けほ、コホ……。う、はあ……」


 泥水で顔をベチャベチャに汚した愛衣の近くには、背中をさすっている妲妃がいた。介抱しているように見えるが、駆けつけてきた生徒達には、妲妃が愛衣をそうさせたように見えた。


「酷すぎ……」

「性格わっる……」

「化けの皮分厚すぎっしょ……」

「マジもんの悪女じゃん……」


 昨日は、階段から落としたらしい。その前は、プールで足を引っ張ったとか。勝手にパパ活のサイトに愛衣ちゃん名義で登録して、売春させようとしたって。課題もなくなっちゃったらしいよ。物もよくなくなるんだって。そういえば、事件現場には妲妃さんの私物が落ちてたって……。


「なんだ!妲妃確定じゃん!」


「うわー。マジ怖い。学校来んなよ、もー。」


「あいつ、性格ブスだよねー。」


「テストも先生を誑かして答え教えてもらってんだって!」


「愛衣さんも、ほんと可哀想……。守ってあげないと!」


 妲妃は今や、学校の悪女として君臨した。才女として慕われていたのははるか昔。教室ではいつも独りで寂しく読書。愛衣は嗤い転げそうで大変だった。


 だって、愛衣が全部そう仕向けたのだから!


 


 昔から、愛衣はお姫様に憧れていた。ふわふわのドレスに、キラキラの宝石がついたティアラ。リボンやレース、小鳥達とのお話し。そして、素敵な王子様からの献身的な愛。


 だけど、それをすべて手に入れるのは、愛衣のような女ではない。


 心までピカピカした、星の様な女の子がそれを手に入れるのだ。大事に大事に、守らないといけない子。だって、その子は悪い人にも優しくしてしまうから。


 ……そう、まるで従妹のような。


 真っすぐに愛を伝える従妹が、愛衣は大嫌いだった。死ぬほど大っ嫌いだった。そして、遊びに行った時に大人にたくさん可愛がられるのは、いつも従妹の方が上手だった。しかも、ちゃっかりカッコイイ彼氏まで手に入れて。なんとか興味を愛衣に向けよう画策としたが、バレて失敗した。ゴミ虫を見るような目で見られたので、今はその男が嫌いである。


 そして、そんなことを考える女が、お姫様になれるはずがない。


 じゃあ、どうすればいいのか。嘘をつくのは得意だが、いつかはバレてしまうかもしれない。


 考えて考えて考えて、愛衣は思いついた。


 そうだ!愛されるためにしたこと全部、他人に押し付ければいいんだ!


 初めて実行に移したのは、小学五年生の時。愛衣が気になっていた男子の一人と付き合った女を、盗人に仕立て上げた。初めは、どこに行ったんだろうと騒ぎ立てた限定品の消しゴムが、遠くの席のその女の近くに置いておくところから。次は、みんなで順番待ちしていた図書室の本を、その女の机の上に。徐々に周りの不信感を上げて、最後には愛衣が誕生日プレゼントにクラスメイトからもらった綺麗な髪飾りを、ランドセルの中に入れた。


 周りの信頼をどんどん失っていく女の顔は愉快だった。代わりに、物を盗られた愛衣はみんなから慰められる。先生からもたしなめられたのに、全く反省しない盗人(ガキ)。その女の評判はことごとく落ち、彼氏には手酷く捨てられたらしい。噂によると、「人の物盗んで何が楽しいの?なんで反省しねえの?いい子だと思ってたけど、そんな奴だったんだ」と言われたそうだ。女はずっと、「私はやってない」と泣きながら弁明していた。


 おっかしい!ソイツ、 ほんとに何にもやってないのに!みーんな騙されてる!頭わっる~!


 その女は最終的に親友にも愛想をつかれたそうだ。決定的となったのは、親友とおそろいで付けていた人形のストラップを、通学路にある(ドブ)に捨てていたのを発見されたから。


 その親友は知らないだろうが、ストラップが無くなったと気づいた女は、日が暮れるまで必死になって探していた。溝の中で見つけたそれを、泣きながら家に持って帰ったのを、愛衣は陰からほくそえんで見ていた。その時、女の前に出てこう言ったのだ。


「それ、あんたには似合わないから、私が可愛くしてあげたんだよ」


 怒り狂って涙をドバドバ流す女の顔はとても醜かった。よくそんな顔を人に見せられるな、と思うほど。正直、見られるような顔じゃなかったと愛衣は思う。


 そして女は、誰からも信じてもらえないまま転校していった。風の噂で、本当は遺書もないまま自殺しただとか聞いたが、そんなものどうだっていい。味を占めた愛衣は、それから度々、様々な気に食わない女達を奈落に堕としていった。それは、愛衣にとっては、どんなに美味しいスイーツよりも、甘美で酔いしれるものだった。人の不幸は蜜の味。本当にその通りだと、愛衣は思った。


 だが、高校生になり、愛衣は今までで一番嫌いな女に出会うことになる。


「ふふっ、確かにそうね。妲妃って、ちょっと珍しい名前よね」


 クルリと毛先を巻いた髪型に、牡丹色のカチューシャ。狐の様な意志の強いヘーゼル色の瞳。すっきりとした輪郭の中には、整ったパーツが順よく並んでいる。椅子に座っているが、スラリとスカートから伸びた脚で背が高いことがわかった。しかも、どうやらかなりいい性格をしているらしい。その後の対応も、いちいち愛衣の癇に触る。


 ……コイツ、一回痛い目見せないといけないなあ。


 昔から清廉潔白で頭がお花畑な女が大嫌いだった。大事にされて、守られているのに腹が立つ。安全圏から、何の悪意もなく愛衣に正義(ゴミ)を投げて押し付けてくる。ほっとけばいいのに、そうしない。相容れないのにつっかかってきて、心底悍ましい。


 ……だけど。


 私、自分と同じで裏表が激しい女も、死ぬっほど大っ嫌いなんだよね~。


 世間には、自分と同じような性質の者と仲良くできる人もいるらしいが、愛衣はその逆。自分の様な性悪は周囲にただ一人、愛衣だけでいい。何故、わざわざ性悪を自分の近くに侍らせればいけないのか。本性がわかったら、何かされる前に蹴落とす方がいい。いわゆる、同族嫌悪だ。

 

 ……しかもアイツ、イケメンと一緒にいるし。


 深見紂弥。気怠そうな雰囲気を出しているのに、それが顔の良さに拍車をかけている。成績も上々。愛衣の隣に並ぶ男としては、文句の言いようがなかった。


 しかし、紂弥の隣には妲妃がいた。他の者から聞いたところによると、妲妃は紂弥の家で一緒に生活しているらしい。理由は、昔妲妃が親から虐待を受けていたからだそう。


 愛衣はそれも気に入らなかった。子供の頃の不幸エピソードだなんて、伝家の宝刀。それをチラつかせれば、普通の感性の人達からは少なからず同情を誘える。弱い奴が、弱いまま、強い者に守られる。ああ、なんて浅ましい。あの女は、それを理解して、その上で利用している。愛衣は妲妃の魂胆に、虫唾が走った。


 学園の高根の花で、イケメンを独占し、あまつさえ愛衣の上から見てくる。


 愛衣が排除対象として見るのは、当たり前のことだった。



「紂弥くん、可哀想だよね……。家族でもない、血も繋がってない人が、お家にいるって……」


 まずは、妲妃のことが嫌いな生徒達に声をかけた。


「優しいんだろうね。すっごく。でも、ちょっと可笑しいよね。親から虐待されてたのが事実だとしても、それでなんで紂弥くんの家に上がりこむんだろう」


 あくまで、疑問として口に出す。決定的な悪口は、自分の口から出さない。


「養子縁組してないんでしょ?だったら、施設に入らなかったのってなんでだろうね?紂弥くんと、家族になるのが嫌だったとかかなぁ。でも、二人は仲いいし、付き合ってるっていう噂もあるし……」


 愛衣はただ、気になったことを口にしただけ。それを聞いた人が、「もしかしてら、妲妃は紂弥に気があるのかも。だから養子縁組をせず、深見家に居座っているのかも」と思っても、それは自己解釈の結果。愛衣は何も悪くない。


「それに、妲妃さんって、紂弥くんにだけタメ口で名前呼び捨てだし……。ちょっと、女子に厳しくない?」


 小一時間ほど談笑したら、その人達は愛衣の仲間だった。



「妲妃さんって、素敵だよね。私に良くしてくれるんだあ」


 次は、中立派の人達に声をかける。最初は妲妃を褒める言葉から。そこから徐々に、不穏な話題にすり替える。


「そういえば……。妲妃さんって、同じクラスの小澤くんからの告白、拒否したらしいよ」


 話自体は事実だったが、小澤は今話しているグループのリーダー的存在である女子と付き合っている男だった。


「この前ね、告白現場見ちゃったの。確か小澤くん、付き合ってた子いるよねって思って……。立ち聞きなんだけど、妲妃さんが小澤さんに、色目……?使ってたって……」


 小澤の彼女の瞳が、ギラリと鈍く光る。嫉妬、憎悪、嫌悪、その他諸々。色んな感情がないまぜになった女に、愛衣は囁く。


「……妲妃さんが色目とか使わなかったら、小澤くんもこんな愚行、しなかったかもね」


 次の日から、そのグループが妲妃に嫌がらせをするようになるが、それは愛衣には関係ないことである。その辺りから出始めた妲妃の黒い噂だって、表向き愛衣は何もしていないのだから。


 ……じゃ、そろそろラストスパートだ。



 妲妃の近くでだけ、愛衣はわざと転ぶ。何回も何回も何回も。これで誰の手も借りず、いつもすぐに立って走り去れば、男に媚びていると判断されない。不自然だ、いじめられているのかと問われたら、泣いて震えながら否定した。


 そのあとも、妲妃が新しい筆記用具を使えば、「あれ、私がこの前無くしたと思ってたのと似てる……」と言ってみたり。妲妃の掃除場所がグラウンド近くの時に、自分の靴に石を詰めたり。机を汚したり、妲妃の目の前で泥水にダイブしたり。他にも、ちまちまちまちま自傷を繰り返す。傍から見れば、他傷に見えるように。


 愛衣は妲妃にいじめれているだなんて一言も言っていない。周りの人が勝手に勘違いして言っているだけ。曖昧に泣いて否定すれば、それだけで騙されてくれる。簡単なことだ。


 妲妃の周りに人がいなくなっても、愛衣の攻撃は止まらない。少しは顔を歪めればいいのに、いつも飄々と過ごしている。学校に来なければいいのに、と愛衣は思った。見るだけで不快だったからだ。


 ……もう、いっか。


 妲妃をいたぶるのにも飽きてきた。そろそろ妲妃を破滅の谷に突き落とそう。いつがいいかと考えていたら、ちょうどいい日を見つけた。その日は朝礼で、妲妃は何かの賞をとったので全校生徒の前で表彰されるらしい。


 当日。妲妃がステージの真ん中に到着した時、愛衣はおもむろにその場から立った。痛いくらい視線が突き刺さる中、愛衣は堂々と歩き、ステージの上に上がる。司会役の教師からマイクを優しく奪ったあと、愛衣は口を開いた。


「私、いじめられたんです!」


 全校生徒の前での、いじめの暴露。追いつめられて焦るかと思ったのに、妲妃は微笑んで一部始終を見ていた。それが、全部全部愛衣の琴線に触れる。


「……それでは、私が貴女にしてきたと言う、酷いことを教えてください」


 やっと話したかと思えば、そんなことを言ってくる始末。ヒクリと口が動きそうになったが、愛衣は我慢した。


「私が、妲妃さんにされてきたことは……!」


 愛衣はそれから嘘を語った。目撃者がいると言えば、軍配は愛衣の方に傾く。涙ながらに、時々しゃくりあげ、息を整える時間を挟んだら、悲劇のヒロインの完成だ。息切れしそうになりながら最後まで話した後、愛衣は妲妃と向き合う。


「……みんな、知ってるんです。妲妃さん。だから、だからっ、認めて、ください……」


 ほろほろと涙を流して妲妃にそう乞う。認めるも何も、妲妃は何もしていないのだが。


 妲妃に刺すような鋭い目線が集中する。黙ったまま妲妃が俯いた時、愛衣は勝ったと思った。


「……ふふっ」

「……え?」

「あら、ごめんなさい。だって、あまりにも可笑しくって……」


 クスクスと笑う妲妃に、愛衣がポカンとしていると、「だって……」と妲妃が口を開いた。


「どうして私が、貴女如きにそんな手間暇をかけなければいけないの?」


 妲妃による、反逆の幕開けが始まった。





 困ったものね、と妲妃は思った。視線の先には、性根が腐った女が一匹。決して人間と呼びたくはない、頭のネジがはずれた猿だ。


 ……私がこの女をいじめたですって?


 馬鹿馬鹿しい。そう思いながら、妲妃は言葉を発した。


「どうして私が、貴女如きにそんな手間暇をかけなければいけないの?」

「……なっ」

「ねえ、どうして?」


 妲妃は、嫌いな人に突っかかる者の気持ちがとんと理解できない。昔から好きでない者は歯牙にもかけないタイプなので、大半の人には同程度の好意しか持っていない。嫌いな者など片手で数える程度しかいない人間だ。ちなみにその人間は、母親と父親と、今目の前にいる猿である。本当は人間の分類に入れたくもない。


 だから、妲妃は不思議だった。わざわざ自分に絡んで陥れようとしてくる愛衣が。関わらないのがお互い一番の手なのに、何故そうしないのか。


 本気でそう聞くと、愛衣は言葉を詰まらせた。そんなことを聞かれるなぞ、思っていなかったのだ。


「貴女は、そんなに自分が魅力的に映っているの?靴に石をつめるとか、通り過ぎるたびにこけさせるとか、全部七面倒くさいことばかりじゃない。……そんなことしてる暇があるなら、帰って勉強でもしているわ」

「そ、そんな言い方……っ!」

「嘘をついてまで私を虚仮にしようとしている貴女に、魅力があるはずないでしょう?」


 ざわりと観衆がどよめく。妲妃が噂を真っ向から否定してきたのは、初めてだったのだ。


「私が貴女にいじめをする理由は?そんなことに時間を費やすことのメリットは?教えてくれないと困るのだけど」

「そ、そんなの!私、わかりません!」

「理由なくいじめをする人ってそんなにいないと思うの。仮に私が、己の快楽のために貴女をいじめていたとして、それまで一度も私が誰かをいじめているという噂は流れなかったのよ?隠していたとしても、今回だけ詰めが甘すぎると思わない?ねえ、どうして?」

「……わ、わかんないです……」


 愛衣はギリギリと心の中で歯噛みする。この女は、この期に及んで愛衣の嘘を暴こうとしているのだ。


 ……何か、何か、思いつけ!


 思わず体育館中を見た視線の先に、紂弥がいた。そういえば、妲妃と紂弥は仲が良かった。


 これだ!と思って、愛衣は声をあげる。 


「……わ、私が!紂弥くんと、お話してたから……」

「えっ?それがどうして、私が貴女をいじめる理由になるの?」


 キョトンとする妲妃に、愛衣はあれっ?と思った。何やら背中を正体不明の汗がつたう。


「え、だって……。妲妃さん、紂弥さんのこと、好きじゃ……」

「……え?何を言ってるの?私、紂弥のこと、恋愛対象として見ていないのだけど……」

「……は?」


 その言葉に、体育館中が震えた。


「付き合ってないってこと!?」

「あの距離で!?」

「いや、嘘かもだよ?」

「でもあの反応はさぁー……」


 ザワザワザワザワと五月蠅い声の中、ある男子が言葉を発した。


「俺達、付き合ってないけど」


 体育館に響く紂弥の声に、皆が口を閉ざす。紂弥はそのまま立ち上がってステージに上がり、妲妃の隣に立った。隣に来た紂弥に対し、妲妃はぷくっと頬を膨らまして声をかける。


「紂弥ったら。全然助けてくれないじゃない」

「ビックリしてたんだよ。妲妃がこの女をいじめてるとか信じてる奴が多くて。普通気づくだろ、馬鹿じゃねえの?」

「馬鹿だったから、騙されてたのよ」

「まあ、すぐに近くに行かなくてごめん」

「これからはちゃんと近くにいなきゃだめよ?もうっ」

「はいはい、わかったわかった」


 目の前で繰り広げられる夫婦談義に、愛衣と他の生徒達は放心する。堂々といちゃついているのに、何が付き合っていないのか。


「ていうか、俺コイツと話したことないし」

「あら、そうなの?貴女、嘘ついてたの?」

「……は!?いや、嘘ついてません!」

「さっきからずぅっと嘘ついてるから、信用できないわ」

「だから!嘘なんかついてませんって!」


 実際、愛衣は紂弥に話しかけはした。だが二言三言話しただけで、それ以降の交流は全くない。それでも、嘘はついていない。


「そ、そもそも!妲妃さんは、私のこといじめてるのは事実でしょう!?」

「だから、その理由はなんなの?」

「……じ、自分の胸に手を当てれば、わかるはずです!」

「そう。ならやってみるわ」


 妲妃は目を閉じて胸に手を当てた。そして暫くの後、ゆっくりと目を開いて愛衣に微笑む。


「ないわ。だって私、貴女になんの興味も持ってなかったもの」


 あっけらかんとそう言い放つ妲妃に、愛衣は内心いきり立つ。ここまで来て、反逆心をむき出してきたのがいやらしい。それなら、初めからそうすれば良かったのに。


「……っ私だって、なんで、自分がいじめられてるとか……、わかりません!だから聞いてるんです!」

「さっきから思っていたのだけど、いつまでこの問答を続ける気?同じことの繰り返しよね。少し退屈だわ」

「なら、ちゃんと私をいじめたって認めてください!」

「嘘をついたって私になんのメリットもないもの。だから、早くこの茶番を終わらせてくれないかしら?」

「ひ、ひどいっ!う、うえ……」

「あらあらまあまあ。泣き落とし?浅ましいわね、爪が甘すぎるわ。もうちょっと、証拠を捏造するとかできなかったの?」

「う、うぅ……っ。うあ、ひっぐ……」


 愛衣がボロボロ泣き崩れながら酷い酷いと喚いても、妲妃は少しも焦らない。むしろ、面倒くさいとう本音が顔から出ている。このままではまずいと思った愛衣は、「しょ、証拠が、ありますっ!」と叫んだ。


「証拠?」

「はい!も……」

「ああ、目撃者がいるとかやめて頂戴ね。証拠というからには、動画や録音を用意してるのよね?だって、そんなの買収すればいくらでもしてくれる人がいるもの。ね?」

「……っ」


 「今時、証拠固めくらい簡単にできるでしょう?」と笑って言い放つ妲妃に、愛衣は憎悪の瞳を向ける。いじめを証明するためには、目撃者がいるというのだけでは弱い。それは愛衣にもわかる。だが、いじめなんてそもそもされてないから証拠も何もないし、妲妃が愛衣の悪口を言ったことなどない。だから、わざわざ妲妃の私物を盗んで愛衣の私物の周りに落としたりしていたのだ。証拠と言えるものは、それぐらいしかない。


「目撃者がいるのに、しらばっくれるつもりですか……?」

「あら、証拠。ないのかしら?」

「あります!私の机が汚されていた時、妲妃さんのハンカチが近くに落ちていました!」


 「写真も撮りました!」と言うと、妲妃は「それはどんなハンカチかしら?」と愛衣に問うた。


「白の布地に、レースが付いたものです!」

「他に特徴は?」

「え、ない、です……」

「そんなありふれたハンカチ、よく私の物だってわかったわね。すごいわ」

「……」


 うふふ、と笑う妲妃が、愛衣を端に追いつめているのを感じる。どうしてなのか、愛衣が嘘を言っているという決定的な証拠など出ていないのに、観衆の視線や空気が変わるのが肌で感じる。


 ……こんな予定じゃなかったのに!


 もっと、愛衣が楽しくなるような予定だった。証拠なんて、あいまいなもので良いと思っていたのに。それで、この女狐を蹴落として、その後は……。


 悶々と気持ち悪いことを考えている愛衣を見て、妲妃がはあ……と溜め息をついた。その音に、愛衣は素でビクつく。


「……もう、いいわ」


 「早く認めてくれれば、まだ良かったのに」と言いながら、妲妃は愛衣の、いやステージの中心に近づいていく。思わず後ろに数歩下がった愛衣に一瞥もくれることなく、妲妃はステージ上に置かれていた机の上に乗ってある機械を起動させた。


「愛衣さん、これね。プロジェクターというのだけど」

「……」

「先日ね、先生に許可をもらって。この動画、全校集会で流してもいいって」

「……っ!」


 まさか、と思い一歩踏み出そうとした愛衣に、「動かないで」と妲妃がピシャリと言い放つ。


「本データは他の所できちんと保管しているし、今貴女がしようとしていることは、なんの意味もないわ」

「……」

「そもそもね、これは保険だったのよ。それなのに、貴女があまりにも愚かだったせいで、こんなことになったの。わかるかしら?」

「……違う」

「何が違うのよ」


 パソコンを操作している妲妃が、[木村愛衣 証拠]というファイルをクリックした。モニターいっぱいに画面が映し出され、音が流れる。


「あ、見やすいように少し編集したわ。それは許してね」


 妲妃はそう言ったが、生徒達は動画に集中していたので聞いていなかった。映し出されたのは、妲妃と愛衣の教室。薄暗く、人もいない。時計の音が、カッチコッチと響いているだけ。


「……これが証拠?」

「この後に何かあるんじゃない?」


 生徒たちがそう囁きだした数秒後。教室の扉が音もなく開いた。


「……へ」

「妲妃……、じゃん」


 扉を閉めたらスタスタと流れるように歩いて、妲妃は自分の席に座る。そのまま読書を始めた妲妃に生徒達が疑問を抱いていると、またもや教室の扉が開いた。


〈……げ〉

〈あら、愛衣さん。こんな朝早くに、どうしたの?〉

〈……〉


 無言で教室の扉を閉めた愛衣が、ガチャンと鍵を施錠する。そのまま妲妃に無言で近づいたかと思えば、バチンと平手で妲妃の左頬を叩いた。


〈……きゃっ〉

〈何、その悲鳴。キモッ〉


 今度は叩かれた頬をおさえた妲妃の肩を強く押し、椅子から落とす。机の横に掛けられていた妲妃の鞄を開けてひっくり返した愛衣は、中から出てきたスマホを拾い上げた。


〈あ、録音してないね~。よかったよ~。撮られてたらめんどくさいもん〉

〈……返して〉

〈顔認証か、これ〉

〈ねえ〉

〈あ、五月蝿い〉


 妲妃の腹を強く蹴った後、蹲って咳き込む妲妃の髪を掴みあげ、無理矢理顔を上げる。


〈ほら、笑って〉

〈……〉

〈笑えってば〉


 愛衣が机をゴンッと蹴り上げると、妲妃はぎゅっと唇を噛みしめた。


〈……あー。何?虐待のトラウマフラッシュバック?こんなんで?ザッコいね、ほんとそういうとこ私嫌い。お涙頂戴は勘弁なんだよね。てかほんとだったんだ、虐待〉

〈……愛衣さん〉

〈気安く名前呼ぶなって。他人に媚びることでしか生きてけない女狐が〉


 妲妃が口を開こうとした瞬間、「あ、スマホ開いた」と愛衣が呟く。そのまま勝手に操作し、しばらくして妲妃に投げ返した。


〈それねっ、後で履歴見ればいいよ。アンインストールだし、面白い物見れるから〉

〈……何したの〉

〈私じゃなくて、あんたがしたんだよ。それを〉


 妲妃の散らばった教科書を拾いながら、愛衣はニコリと笑う。


〈これから私に何かあったら、全部あんたのせいになるの。だからさ、さっさと諦めてね〉

〈そんなこと、私しないわ。だって、お義母様達に迷惑がかかるもの〉

〈オカアサマって……。あんたの親じゃないじゃん〉


 瞬間、妲妃が〈私の家族よ!〉と声を荒げた。


〈血の繋がりはないけど、だけどもう何年も一緒で……っ!〉

〈でも結局は違うじゃん。養子縁組もさせてもらってないのに〉

〈それは、持ち掛けてもらったけど、私がお断りして!〉

〈じゃあ他人だね。ちょっと他より距離が近いだけの。紂弥君とかにお嫁さんできたら、多分あんた捨てられるんじゃない?〉


 〈だって、昔はただの近所のガキでしょ?〉と言う愛衣の顔を、妲妃が叩く。しばらく呆然とした後、愛衣は二ィ……と笑った。


〈へー。お高く止まってるって思ったけど、弱点は深見家かあ〉

〈変なことしたら、殺してやるわよ!〉

〈紂弥君と結婚しよっかなー。それでー、あんたを孤立させてぇー。家から追い出してー〉

〈お義母様もお義父様もっ、そんな嘘に騙されないわ!馬鹿にしないで!〉


 もう一度妲妃が愛衣の頬を叩くと、何故か愛衣はその場に崩れ落ちた。拾ったはずの妲妃の教科書を自分の周囲にばらまき、頭の前で腕をクロスさせる。


〈……きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!イタ、痛い!やめて!やめ、いやぁぁっ!〉

〈え……〉

〈助けて助けてっ!だ、妲妃さん!やめ、痛い!やだやだやだやだ!ごめんなさい!〉

〈何、して……〉

〈うえっ、やだ……!服、やめて!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!もうっ、やだあっ!〉


 自分で自分の体を叩いたり、服を乱暴に脱いだりしている愛衣に妲妃が困惑していると、教室の扉がダンダン叩かれた。


〈どうしたんだ!?誰かいるのか!?〉


 男教師の声だった。妲妃が返事をするより先に、愛衣が〈開けないで!〉と叫ぶ。


〈あ、開けないで!こ、こんな、こんな、姿……っ、ヤダ!〉

〈木村!?木村か!?〉

〈まって、まって……。ちょっと、まって……〉

〈あの……〉

〈ヤダ!まって妲妃さん!開けちゃ駄目!〉


 素早くその場から立ち上がり、所々よれさせた状態に服を直した後、愛衣は教室の扉を解錠して開けた。


〈木村!?その格好は!?〉

〈え、えへへっ!なんですかぁ?可笑しい所でもっ?〉

〈顔が腫れてるぞ!どうした!〉

〈あ、あっと……。その、こけちゃって〉

〈というか、さっきから牡丹の名前を……〉


 そう言って顔を上げた教師と妲妃の目がバチリと合った。教室には悲鳴がこだましていて、その時いたのは妲妃と愛衣だけ。しかも、愛衣は怪我をしている。


〈……あとで、話を聞く。牡丹、とりあえず今は、木村につく〉

〈……はい〉


 そのまま教師と愛衣は教室から出ていこうとした。が、愛衣は妲妃に顔を向け、嘲るように嗤った。


〈……ばぁーか〉


 そう愛衣の唇が動いた後、映像はプツリと切れた。


「……二回は確かに殴ったのだけど、それ以外は身に覚えがないのよね」


 パタリとパソコンを閉じてそういう妲妃に対して、誰も何も言わない。愛衣は、ずっと俯いていた。


「いちよう、許可はとったのよ?カメラをつけてもいいのかって。貴女に連絡とか取れないように、帰りも監視されて、スマホの中身もチェックされて。連絡手段がないことがわかって、ようやく信用されたのよ。その時にはもう、私が貴女をいじめてるっていうデマが、教師の耳にも届いてたし」


 「でもよかったわ。無実が証明されて」と微笑む妲妃に、愛衣が呟いた。


「違う、違う……。カメラを付ける前に、脅されて、だから……」

「貴女、いつも私から守るためとか言われて、取り巻きに囲まれてたじゃない。無理よ、それは」

「……違う、違うの。信じて……っ」

「脅されていたとすれば、随分底意地が悪い演技がお上手ね。今のそれも演技かしら?」


 うふふ、と笑う妲妃だが、それが仮初であることは誰の目にも明らかだった。紂弥はボソッと、「母さん達を貶すから……」と言った。


「あら、ようやく口を開いたと思ったらそれなの?ひどいわ、紂弥」

「助けが必要ならそうするけど、明らか要らなかったじゃん。逆に邪魔だろ」

「勿論よ。言ってみただけだから」

「めんどくさー……」


 愛衣と視線を合わせながら話していると、「紂弥君っ!」と愛衣が叫んだ。


「私、そんなことしてない!信じて!」

「無理無理。無理があるって」

「どうして信じてくれないの!?」

「だって、妲妃はちゃんと証拠用意してるし。お前はしてないし。付き合い長いし、断然妲妃」

「ちゃんと見ればどっちが嘘ついてるかわかるでしょ!?」

「いやお前だろ」


 冷静にそう返す紂弥に、「お願い気づいて!」と言い募る愛衣は実に滑稽だ。せめて言い訳をするなら、全く接点のなかった紂弥より、今まで騙して利用してきた友達等にだろう。もっとも、その友達等は洗脳から解き放たれ、今は愛衣に白けた眼差しを送っているが。


 ……なんで紂弥に話しかけるのかしら。男好きなのかもね。


 涙ながらに言い募る愛衣に妲妃は声をかける。


「それよりも、一体この場をどうしてくれるのかしら?……愛衣さん」

「……何が」

「謝罪、してくれるのよね?」

「……は?」


 「しないの?」と言う妲妃に、「するわけないじゃん」と愛衣が言い放つ。ゆらりと体を動かせ妲妃と目を合わせた時、愛衣の纏う雰囲気が変わった。


「私、何も悪いことしてないもん。勝手にあんた等がギャーギャー言ってるだけじゃん」

「化けの皮はがれるの、早すぎやしないかしら?」

「勘違いしてたの、そっちね。ていうか、それはテメェもだろ」

「嫌だわ、もう。早く謝りなさいよ、この醜女が」

「はあ?何言ってんの?醜女はそっちね?」


 ピシャンと背を真っすぐにして妲妃に向かって侮蔑の眼差しを向けながら、愛衣はふっと嗤う。転校してきた時に見せていた、人のいい顔はいったい何処の誰だったのかと思うほどの変貌だ。誰だよお前!と生徒達は震えた。


「最後まで足掻くのかと思っていたわ」

「そんなダサいことするわけないじゃん。ま、人生で初めてこの手の勝負に負けて、腹立ってるけど。ほんっと、お前死んでほしいわぁー」

「私は貴女に地獄に堕ちてほしいわね。まあ、これからの学校生活は悲惨だろうけど」

「あ、それはないない。私、もうすぐ引っ越しだし」

「あら、そうなの」


 今回ばかりは、愛衣も計画に若干の穴を感じていた。この女が、こんなに簡単に罠にかかるはずがないと思っていたので、引っ越しをする二週間前に事を起こしたのだ。失敗しても、二週間ぐらいなら学校に行かなくとも構わない。親はどうとでもはぐらかせるし、少し痛い思いするだけだと高を括っていた。まさか、コテンパンにされるとは思っていなかったが。


「賢いでしょ?」

「いいえ、全く。この学校に来るほどだから、頭はいいはずのだけど……。とんだ唐変木ね」

「木偶の坊だよね、お前。はあ……」

「あと、早く謝りなさいよ。さっきから延ばしに延ばして……。そんなに謝りたくないの?貴女が守りたい尊厳なんて、もう微塵も残ってないのに」

「私、貴女に叩かれたもん。五分五分じゃなーい?謝る理由、わっかんなーい」

「私じゃなくて、お義母様達によ」

「……は?」


 素っ頓狂な声をあげる愛衣に、妲妃が抑揚のない声で話す。


「貴女、この前散々私のお義母様とお義父様をこき下ろしたじゃない。万死に値するわ、償いなさい」

「……はぁー?意味わかんないんですけど?記憶にない」

「さっきの動画で馬鹿にしてたじゃない。あと、“可哀想な子供を保護した素敵な私、みたいな偽善者”とかもほざいてたわよね」

「ほざいてませーん」

「ほざいてたわよ。今ここにお義母様達はいないけど、謝って」

「無理、キモイ」

「そう」


 「残念よ」と言った妲妃が大きく一歩を踏み出し、愛衣の頬をズパァンッと気持ちい音をたててビンタした。


「……っイッタぁあ~!?」

「死ね」

「ぎゃっ!」

「この売女」

「ちょ、イタっ……」


 バチコンバチンドッタンバチンと、妲妃が往復ビンタと蹴りを愛衣に入れていると、後ろから紂弥が羽交い絞めにして止めた。


「紂弥」

「拳はやめろ。……道具を使え、ほら」

「あら、素敵な定規」


 紂弥が懐から三十センチ物差しを取り出したのを見て、なんで持ってるんだよ!と生徒たちが慄いた。


「……待って!今それあんたがやったら、不利にな……イッタぁ!」

「知らないわよ、そんなもの。ほら、謝りなさいよ」

「痛い!痛いって!」

「貴女が私にしたことと同じことをしてるのよ?黙らっしゃい」


 遠慮なく愛衣の頬を定規で叩く妲妃の目にはありありと殺意が籠っている。愛衣の胸ぐらを掴んだ手が、小刻みにブルブルと震えていた。


「私だけならまだしも、お義母様達の悪口まで言うなんて……。あんなに優しくて常識的な人は、この世の中で貴重なのに……。くたばりなさい」

「……っマザコンが!」

「それが何か?」


 ふんっと鼻で嗤う妲妃に、「猫被らなくていいのかよ!」と愛衣が叫ぶ。


「それこそ、そっちが勝手に勘違いしてるのよ。私は猫を被っていないけど、お義母様達のこととなったら手をつけれなくてね。自分でもわかってはいるのだけど……」

「あんたのオカーサマ達、失望するんじゃない!?」

「それは大丈夫よ、安心して。お義母様達、こんなこと如きで私のこと嫌いにならないから」


 「そろそろ手が疲れたわね」と言って、妲妃が愛衣を投げて開放する。悔しさと惨めさで愛衣が顔をグチャグチャにしていると、妲妃が「頑張ってね」と言った。


「……は?」

「転校した後も大変だろうけど、自業自得の末、貴女が選んだ未来だから。どん底から這い上がることができるのかは知らないけど」

「……はあっ!?なんの話!?」

「どうやらライブ配信されてるみたいよ」


 妲妃が指さした方へ眼を向けると、生徒達の頭よりも高い位置に掲げられた無数のスマホに固まった。背中から、滝の様な冷たい汗を感じる。


「……貴女がステージに立った時から、ずうっと撮影されてたのよ。もしかして、知らなかった?」


 「悲劇のヒロインである自分に酔いしれていたのかしらね?」と妲妃がそれとなく毒を吐く。愛衣はそれに反応することができなくなるくらい、さあ……と血の気が引いていた。


「なん、なんで……。ら、ライブ……?」

「貴女が今日、行動を起こすってお仲間さんに伝えてたんでしょう?そういうのは、ハイスピードでいろんな人が知ることになるから、教えたら駄目なのに……」


 「自滅してくれて、ありがとうございました」と笑顔で言う妲妃に対して、愛衣は青ざめている。自分が嘘をついて他人を陥れようとした女だという証拠が、全世界に広まるのだ。これからの生活が、どうなるのか全く予想がつかない。


「あん、あんたも……っ、道連れだよ!?私んこと、叩いたから!」

「確かに、その件に関してはとやかく言われそうね。でも、私は多分大丈夫よ」


 妲妃は熟れた林檎の様に頬を染めて、可笑し気に答える。


「私が手を出したのは、お義母様達を貴女が侮辱したからだもの。とっても健気な動機でしょう?しかも、私は昔虐待されていて、今は悪い人に酷い目にあわされた悲劇のヒロイン!」


 「まるで物語みたいね」と妲妃は語る。頭に血が上って愛衣を痛めつけたが、そのことに関してはこれっぽちも悪いと思っていない。逆に、やるならやるで人がいない場所で、思う存分馬乗りになって殴ればよかったと後悔している。妲妃の恨みは沼のごとく深いのだ。


「……っあ」

「ごめんなさいね。私が、優秀で」

「うわあああああっ!」


 狂乱して殴りかかろうとしてきた愛衣から、紂弥はすぐに妲妃を庇った。拳を受け止め足を払い、愛衣はあっけなく転倒する。


「紂弥」

「……俺がステージに上がる必要、あった?」

「特になかったわね。でもありがとう」

「いーけども……」


 妲妃は床に這いつくばった愛衣を侮蔑の瞳で見下ろす。踏んだって構わない、誰にも顧みられることのないドアマットの様な女だと思っていたら、己の身を蝕む蠆盆だったのだ。自分の見る目のなさと無謀さに、さぞかし打ちひしがれていることだろう。


 ……まあ、私にはもうどうでもいいのだけど。


 足元に転がった虫けらの頭を、躊躇なく妲妃が踏んづけたことで、この騒動は幕を閉じた。





「紂弥、起きてるかしら?」

「ん、入っていいよ」

「ありがとう」


 夜、妲妃が紂弥の自室の扉をノックすると、返事が返ってきた。そのまま扉を開けて中に入ると、薄暗い部屋で、紂弥がベッドに座り愛蛇の世話をしていた。


「今日の晩ご飯は?」

「繁殖させてた鼠」

「そう。なら、デザートにこれはどう?」


 妲妃は背中に隠していたビニール袋を紂弥に手渡す。中を覗き込んだ紂弥が、「カナブンの幼虫じゃん」と言った。


「獲りたてほやほやよ」

「あんがと。ほら、アイビー。今日は特別だ、妲妃に感謝しな」


 ガツガツと蠢く幼虫を喰らうアイビーの様子を眺めながら、妲妃は紂弥にしな垂れかかる。ベッドに乗った時に、ギシリと音が鳴った。


「ねえ、紂弥。私、頑張ったと思わない?」

「何か月も良く耐えたな」

「見てて楽しかった?」

「まあ。面白かったよ」

「そう。なら……」


 妲妃は素早く立ち上がり、スピードを維持したまま紂弥の肩を掴み押し倒す。巻き込まれないようにアイビーは部屋中に張り巡らされた蔓に絡まって移動し、その様子を見物していた。天井から、妲妃に仄暗い光が降り注ぐ。妖艶に笑った妲妃が、左手で紂弥の輪郭をなぞった。


「そろそろ、私と結婚することに、腹を括ってくれないかしら?」

「……このままでも良くね?」

「嫌よ。私、早くお義母様達と本当の家族になりたいもの」

「もう本当の家族みたいなもんだろ……。だったら養子縁組すりゃあよかったじゃん」

「私、半年待ったわ」


 その言葉に紂弥は口を閉ざし、自分に覆いかぶさる妲妃の顔を見つめる。


「あの糞女と決着をつけてから、今日でちょうど半年よ」

「……そう」

「紂弥が言ったのよ。成人する前に、俺に面白いと言わせれば、結婚してもいいって。約束も守れないの?」


 「私はこのために死ぬ気で努力したのに……」と妲妃が吐き出す。紂弥は黙ったまま妲妃を見上げ続けた。


「私は、貴方のことを恋愛対象として見ているのではないし、これからもそういう気持ちは芽生えないわ。私が望むのは、お義母様やお義父様と家族になることだもの。その手段が紂弥、貴方に嫁ぐことよ」

「俺が他の誰かを好きになることは考えてねーの?」

「あるわけないでしょう、そんなこと。紂弥は、初恋の人に一途だもの。失恋してるくせに」

「そうだよ。俺、あの人以外恋愛対象として見れない」


 「なら私でいいじゃない」と言う妲妃に、「養子縁組すりゃあよかったじゃん」と紂弥が言い返した。


「何。失恋って言われたのに怒ってるの?事実じゃない」

「アレは失恋じゃないから。告白もしてないし」

「……もういいわ」


 紂弥を覆いかぶさっていた体制を解き、妲妃はベッドに腰かけた。のっそりと起き上がった紂弥が、妲妃に掴まれていた肩をさする。


「……どうして養子縁組をしないのか、言ってなかった?」

「うん。なんか事情はあるんだろうな、とは思ってたけど」

「……大した理由じゃないのよ」


 妲妃は、「私がこの血を受け継いでいる限り、幸せになれないそうなの」と言った。


「……どういうこと?」

「私の産みの親……。男の方の家系の血を引く人間はね、ずっと幸せになれることがないらしいの」

「呪いみたいなもんってこと?」

「そうらしいわ」


 碌に自分の子供の世話もしなかった男が、小さい頃から妲妃に言い聞かせていた。


「……“俺がこんなに頑張っても、どうにもならなかったから、それはお前も同じだ。一人だけ逃げられると思うなよ。存在してはいけない子”って言われたわ」

「妲妃の産みの親、どっちもクスリやってた?」

「男の方はしていなかったわ。見て見ぬふりはしてたけど」


 「頭可笑しいんじゃ?」と言う紂弥に、「でも、事実なのよ」と妲妃は言う。


「皮肉なものでね……。調べてみたら、牡丹家は漏れなく全員悲惨な目にあってるのよ。そこまでじゃない、というものから、事件性が高いものまで、沢山……」

「大体の家系はそんなもんだろ」

「そうね。常に平穏を享受できる人は少ないわ。でも実際、私もあの男も人生どん底だったのよ」


 産みの親達は、若い頃はどちらも裕福な家庭で育ったらしい。お互いの家が仲良しで、なし崩しに婚約を交わしたそうだ。相思相愛、傍から見たら幸福ルートまっしぐらだろう。


「まさか大学在学中に、両家の親がトラックの暴走事故に巻き込まれるだなんて、思っていなかったんじゃない?」


 そして、悲しいことにどちらも保険に入っていなかった。慰謝料は少額だけ貰えたが、それ以上の金は手に入らない。大学をやめ、土地代が高い家は早々に売り払われ、生活の足しにされた。思い出深い懐かしの品々も、次々と手放された。


「男の親の方が運転していたそうでね。女はお門違いな怒りを男にぶつけたそうよ。”あんたのせいで”って」

「……馬鹿だなぁ」

「そうよね。恨むなら、事故を起こした運転手を恨めばよかったのに」


 しかし、どういうことか男と女は結婚した。その頃には、お互いに愛情がなかったにも関わらず。人との営みに淡泊な妲妃には、到底理解できない感情が過程にはあったのだろう。


「それで生まれたのが私よ」

「性欲だけは一丁前にあったんだな……」

「人間の性ってものなんじゃない?」


 お互いの家の利益のためでも、愛情があったわけでもない。ただ誤って生まれてきた、嫌いな者との間にできた子供。大事にしてもらえるはずがなかった。


「死なないように食糧は与えられてたけど、それって必要最低限のことだもの。感謝の念はないわ」

「そりゃそうだ」


 妲妃が四歳になる頃には、女の方が賭博やクスリのの沼にドブドブ沈んでいった。男はそれを見て、俺はなんて可哀想なんだとメソメソ泣いていた。妲妃はそれを部屋の隅で小さくなって、黙って見ていた。


 逃げられないし、逃げ方も知らない。だが今の生活が可笑しいのだと思える程度の頭はある。どうすればいいのかずっと考えていたら、助けてくれる人達がいた。


「初めてね、あの糞共に対して怒ってくれたの」


 声が五月蠅い、子供が道にいて邪魔だ、生ゴミを回収二日前に出すな。男と女の行為に目くじらを立てて怒る人は沢山いたが、誰も妲妃の扱いに苦言を呈した者はいなかった。人前で殴られても、見て向ぬふりをする。妲妃はそんな人間が大嫌いだった。


 どうしてどうしてどうして。わたし、なにもわるくないのに。


 イビキをかいて寝ている男と女の首を、何度握りつぶしたくなったことか。腕力も体力も知識もなく、諦めていただけだった。このままずっと周りから助けてもらえず、自分は底辺で生きるんだろうな、と思っていた。そして助けてくれない人達を呪った。


 だが、深見夫婦は違った。


”ちょっと。子供相手に何してるんですか?大人が子供の見本にならなきゃ駄目なのに、当の本人を苦しませてどうなんです”


 その言葉で、家での妲妃の扱いが変わったわけではない。でも、家にあげてくれ晩御飯を共にしたり、傷の手当てをしてくれるだけで、妲妃は二人を信用した。誰もが我関せずにいた妲妃を、微力ながらも精いっぱい助けてくれる。妲妃は深見夫婦が大好きになった。


「それで、こんな生活はもう嫌だし、お義母様達と一緒にいたいって思ったから、あいつ等を豚箱に投げ入れたんだけど」

「見事な手際だったよ。めっちゃ笑った」

「それはどうも」


 ちなみに妲妃は、深見夫婦には海より深い恩と愛情があるが、紂弥にはそれが微塵もない。家に上がり込んだ妲妃を拒んだりすることはなかったので恋情を含まない好意はあるが、妲妃をあの馬鹿共から守ったりするのに加わっていなかったので、特になんとも思っていないのだ。ただただ、一緒の家に住んでいる恩人達の息子である。それがなければ、結婚するために俺に面白いと言わせろとか言う面倒くさい男と関わらなかった。何この人、と思って遠ざかるだろう。


「で、あの家から逃げおおせることはできたんだけど……。男が言うには、私の家系の呪いって大切な人を不幸に合わせることがあるんですって。大切な人が傷つけば、自分も苦しむから」

「クソみてえだな」

「本当にね」


 妲妃はそれが嫌だった。自分のせいで深見夫婦が酷い目にあったら、とてもじゃないが正気でいられない。近くにいない方がいいのではないかと思った時、男が言っていたことを思い出した。


「呪いの血はもうだいぶ薄まっているから、逆境を乗り越えれば呪いは解けるそうなのよ」


 一つ目は、虐待する両親の支配から脱出。これは比較的容易だった。ある程度の年齢になれば証拠集めも苦労しなかったし、食べ物や着るものなどの生活必需品は深見夫婦が与えてくれていたから。


「厄介だったのはやっぱりあの糞女ね。本当に、いらない努力をコツコツコツコツ裏でやるものだから……」


 愛衣が転校してきた当初から「あ、この女私と同類だな」とは勘づいてはいたが、やることなすこと陰険すぎて、あまり妲妃の予想通りにいかなかったのだ。なにぶん、真正面から叩き潰す性格だったもので。


 一ヶ月程耐えてみれば、愛衣の思考回路が理解できたので、裏どりにかかった。今時イジメの証拠などたやすく残しておくことができる。愛衣もそれを危惧してか、妲妃に暴言を吐くことは録音していた時の一回だけだったし、その時も証拠が録られていないか確認していた。一発で証拠が録れて、運が良かったと妲妃は思った。


「挫けず、めげず、逆境に打ち勝ったのがこれで二回目。そろそろ、呪いが解けたと思わない?」

「知んない」

「あら。つれない人ね」


 話は終わったのかと天井から降りてきたアイビーを己の腕に絡みつかせながら、妲妃は陶然と微笑んだ。


「嬉しいわ。やっと、お義母様達と家族になれるのね。これが俗に言う幸せなのね。はあぁ~、あの糞女がいてくれて良かった……」

「俺、結局妲妃と結婚すんの?」

「これでやっぱり嫌だとか言い始めたら、食事に媚薬でも盛って既成事実を作るわよ。それをネタに脅すわ」

「こっわぁ……」


 「こんなんだったらちゃんと告白しとけばよかった……」と呟く紂弥に、「高嶺の花的な扱いだと思ってたわ」と妲妃が言った。


「初めて見た時びっくりしたわ。人形みたいな人だったわね。茶髪って少しのべったいイメージだったけど、あんなウイスキーみたいな透明な髪色もあるのね」

「……うん」

「ただ、紂弥が思っていたよりも面食いで、びっくりしたわ」


 中学三年生の冬、一つ間に市を挟んで隣にある神無月という街に行った。その時、白銀髪のイケメン男と紂弥の初恋の君が歩いているのを目撃した。妲妃自身はその少女を生で見たことはなかったが、ネットで名前を検索したら顔写真が普通に出てきた。なのでその場面を見た時、「あ、紂弥の初恋散ったわね」と思ったのだ。隣にいた紂弥の顔が死んでいたのは言うまでもない。


 その時のショックであまり初恋の君のことを話したがらなくなった紂弥の肩を優しく叩きながら、「どんまいね」と妲妃は言う。


「あんな美少女に叶わぬ恋心を抱いていた紂弥には悪いとは思うわ。でもね、もう紂弥は私と結婚するしかないのよ。わかる?」

「俺は好きな人と結婚できなかったのに……」

「何よ、もうっ。本当は私だってね、世界征服できるような逞しい殿方と添い遂げたいのよ?でも、そんな気概がある男も女も、そうそういないのよ……」

「大量にいたら困るだろ」

「私は嬉しいわ」

「世界滅びんぞ」

「困るわ。従わせる人がいなきゃ、頂点に君臨する意味がないじゃない」

「こっっっっわぁ……」


 妲妃の好む性格と能力を待ち合わせる男は残念ながらこの世に存在しない。いたならば、今頃妲妃は深見夫婦を守るためその男に立ち向かっているだろう。


「紂弥は私で妥協して、私は紂弥で妥協する。ほら、フェアな関係でしょう?」

「俺の旨みがまったくなくない?」

「お義母様からの”結婚しないの?”に一生困らないわ」

「よっしゃのってやらぁ」

「契約完了ね」


 これからもよろしく、と妲妃が手を差し出すと紂弥がその手を握り返した。これで妲妃の将来の幸せは確約された。後は結婚するまでの間、紂弥が他の女にうつつを抜かさせないようにすればいいだけだ。


「逃がさないわよ……」

「だから怖いって」


 蛇のように紂弥の腕に絡みついた妲妃が、心底嬉しそうにはにかんだ。






「紂弥見て。お義母様達の子孫よ」

「その前に俺達の子供な?」

「はぁ……。見て、この灰色の艶やかな髪。これはお義父様似ね」

「瞳の色は俺似だかんね?」

「ちょっと黙って。今感動を噛み締めているの」


 数時間前に産まれた我が子をベッドの上で抱きしめながら、妲妃が赤子の頰を優しく撫でる。それを見ながら、仕事場から急いでやってきた紂弥が大きなため息をついた。


「でもアレだな。俺あんまり他人に愛情ないほうだけど、この子は可愛い」

「お義母様達の血を引いているもの。当たり前よ」

「母さん達はもう見た?」

「見たわ。ずっとつきっきりだったから、数十分前くらいに休みに行ったわ」


 とんでもない痛みにのたうち回りながら、紂弥の母親の応援でやっとこさ産んだのだ。ちなみに父親の方は始終オロオロしていたので出産室から追い出されていた。紂弥が生まれた時は、ちょうどどうしても抜けられない会議に参加していたため、出産に立ち会えなかったらしい。


「この子が生まれて、たいそう喜んでいらっしゃったわ。あの人達は孫を望んでいたし、生まれてきてくれてよかった」

「急に襲われた時はビックリしたけどな」

「仕方ないじゃない。子供はいらないかしら、と思っていたらまさかお義母様からの“子供は産む予定はある?”だもの。私その時二十八よ?安全に産むためには早い方がいいじゃない」

「俺の身にもなって?」


 別に妲妃は子供が欲しいとは思わなかったが、深見夫婦が望むのなら話は別だ。話をされたその日のうちに、諸々の準備を整えて紂弥と交わった。一様同意はとり、何回かした結果妊娠した。


「名前、何にすんの?」

「そうねぇ……」


 腹を痛めて産んだ、愛しい人達の血を引く我が子。大切で、心の底から幸せになって欲しい。あうあうと喃語を発する子供を愛しげに見つめながら、妲妃は名前を呼んだ。


「貴方の名前は(みかど)よ。一緒に、幸せな家庭を作りましょうね」


 そう言って妲己が帝の額に口づけをすると、部屋の中に笑い声が響いた。

 



 



 

 


 

お互いに恋愛感情がないカップルを書きたいな、と思ったので。


ちなみに紂弥が妲妃に教えたいた刺激的な遊びは蠱毒です。色んな虫やヤモリなどを一つの箱に入れて、どれが生き残るのかを賭けていました。それで生き残った虫等をアイビーにあげています。

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