135話 宣戦布告
◇◇◇
――結果、水族館を何周しただろうか?
3週目くらいまでは数えていて、食事を2回食べたのは覚えているのだが。
「楽しかったね」
さすがの天戸さんもご満悦だ。
「……つーか、水族館てこんな時間までやってんのな」
「夏休みだけじゃない?」
「かもな」
出口にはやはりお土産ショップがあるが、ここはお金持ち専用ゾーンなので本来俺の様な小市民は素通りをするしかない。
「あ、トイレ行っとくから適当に見てて」
「ん、私も」
ショップに入る手前にトイレがあり、俺と天戸はトイレへと向かう。
◇◇◇
「ほれ、これ。やる」
トイレから出てハンカチで手を拭いていると、杜居くんが水族館のビニール袋を私に差し出してきた。
「え?」
予期せぬ彼の行動に目が丸くなる。
「菓子はまぁ天戸ママと食ってくれ。チケット提供どうせ天戸ママだろ?流石に悪いから」
あ、ママか。そうだよね。
一瞬ガッカリしてしまってから、顔に出てないか我に返る。
「ん、ありがと。渡しておく」
袋を受け取ると中に小さい包がもう1つ入っている事に気付く。
私の視線に気付いてか杜居くんは言い辛そうに口を開く。
「……さすがに目ざといな。家で気付けよ」
「何それ。どういう意味……」
と、言いかけて気が付いた。
――もしかして、私に?
そう聞いて『違う』って言われたらちょっと立ち直るのに時間が掛かりそう。ハルにあげてとか言われたらもっとだ。
「だ……、誰にあげればいいの?」
何と言う情けない予防線だろうか。
杜居くんの顔が見られないので、全方位視界をオフにする。
心臓の鼓動が無駄に高鳴り、審判の言葉を待つ様な心境だ。
審判の言葉は呆れ声だった。
「天戸だろ。いらねーなら返せよ」
勢いよく顔を上げると杜居くんは驚いた。
「わたしに?」
「……何で何度も聞くんだよ。新手の嫌がらせか?」
杜居くんは少し照れ臭そうにそう言った。
「ありがとう……、でも何でくれるの?」
「……何でって、天戸ママだけに買うってのも……何か、なぁ」
「開けていい?」
「店出てからな」
急ぎ足でお店を出て、出来る限り綺麗に袋を開ける。
包みは小さく、薄い。
封を開けてみると、中にはお魚の栞が入っていた。
「わぁ」
「念の為言っておくけど、深い意味は無いからな。天戸ママにだけ買うのも何か気が引けたのと、お前がよく本を読んでいるのと、俺の予算の範囲内だったからだ」
まるで何かへの言い訳のように杜居くんはそう言った。
「ありがとう。一生大事にするわ」
「だからその一生とかやめろって、重すぎんぞ。お前の方こそ俺の事好きなんだろ」
冗談や軽口の類なのはわかっている。
でも、その言葉を聞いた瞬間に顔は火が点いたように熱くなり、呼吸の仕方を忘れたように息が詰まった。
何かを言わないと不自然すぎるのはわかっているが、声の出し方も忘れてしまったようだ。
そして、前に私が同じ事を言ったときに杜居くんは全く普通に返事をした事を思い出して少し悲しくなった。
何て答えればいいんだろう?
『そんな事ない』『そんなはずない』『はぁ?』
そんなごまかす言葉ばかりが瞬時に頭に浮かんできた。
人間の頭ってすごいな。その一瞬の内にうずめちゃんの顔が浮かんだ。
私はうずめちゃんに『きちんとハルと戦えるように』と願った。
私はずっと、戦いの土俵に上がる覚悟もなかった癖に。
言おう。
あなたが好きだと。
負けるかも知れない。でも、負けてもいいとも思った。
不戦敗なんかより、ずっとずっといい。
私だってハルが大好きだ。
なら、杜居くんがハルのことを大好きだって別にいいじゃないか。
負けたっていい。
『私は杜居くんが好きだ』と伝えよう。
恐らく今日水族館で見たどの生き物よりも赤い顔で、私はキッと杜居くんを見る。
「わっ……」
言葉に詰まる。そして、長い間……実際には1秒開くかどうかの時間の間、そのままジッと杜居くんを見る。
「……悪い?」
精一杯、出せる限りの勇気を振り絞ってもその程度の言葉しか絞り出せない自分に嫌になる。
杜居くんは少し困った顔で、私を見ている。
◇◇◇
今天戸は何て言ったっけ?
その前に俺は何て言ったんだっけ?
天戸はまるで怒っているかのように真っ赤な顔で、涙目で俺を睨んでいる。
だが、怒っているわけでは無いと思う。
怒らせる理由は特に無い。
俺の記憶が改ざんされていなければ、『お前の方こそ俺の事好きなんだろ』と言う俺の軽口に対して、『悪い?』と天戸は答えた。
と言う事は、天戸は俺の事が好きだと言う事か?
マジで?
いや、まさか。
きっとあれだよ。いつもの何が面白いかよくわからない冗談シリーズだ。
だな、うん。
つーか、元々が軽口だから。
危なく鵜呑みにしてしまうところだった。
「……はは、アレだろ?いつもの『冗談よ』ってやつだろ?」
動揺を知られまいと苦笑いを浮かべてしまった俺を見て天戸は首を横に振る。
無言で。
まさか、本当に?
俺は天戸を見る。
天戸はじっと目を逸らさずに俺を見ていた。
「念の為、もう一度聞くけど冗談だよな?」
天戸はまた首を横に振る。
「あなたが冗談にしたければしたらいいわ」
そう言った後で思い直したように天戸は俺の前に手を出し制止して、自戒するように首を横に振る。
「あ、ごめん。ダメ。少し待って」
棒立ちの俺をよそに、天戸は一度深呼吸をしてキッと俺を見る。
「杜居くん、もう逃げないわ。私、あなたが好き。子供の頃からずっと」
天戸が俺を好き。
言っている事は分かったが、いまいち現実味に欠ける言葉だ。
何だか足元もフワフワする。
これって、もしかして告白か?
本当に?
「あ……あー、……はは、悪い。何て言ったらいいかわかんねぇ」
天戸はまた首を横に振る。
「何も言わなくて良いよ。ただの宣戦布告だから」
告白にそぐわない物騒なワードが飛び出してきた。
「宣戦布告って、何と戦うんだよ……」
天戸はニコリと笑うと、俺を指さした。
「あなたの中のハルとよ」
俺を指すその指は、少し震えていた。
◇◇◇
――それからどうやって家に帰ったのかは覚えていない。
当然天戸と電車で帰ってきたと思うんだけど、全く思い出せない。
そして、その夜は眠れなかった。
天戸を1人で異世界に行かせるわけにはいかない、と何度も眠ろうとしたが、胸の鼓動がうるさすぎて眠ることが出来なかった。
もう1人では帰れないと前に天戸は言った。
もし、あいつが戻ってこなかったら?
天戸が起きるのは朝6時。
それまでに一瞬でも眠る事が出来れば、平気なはずだ。
時計を見ると時刻は2時。
勿論深夜の。
出来るだけ音を立てないように家を出る。
夏休みはもうすぐ終わるけれど、夏が終わる訳では無い。まだ外は蒸し暑いし、虫も沢山いる。
雲は少し出ているが、それ以上に月が明るいのが印象的だった。
満月には少し足りないが大きな月。
もう何日か経つと満月になるだろう。
天戸の家の前に着く。
こんな時間に人の家の前に行くなんてまるでストーカーだな、と思う。少なくとも他の人がやっていたらそう思う。
「眠れないの?」
上から声がした。
少し笑ってしまった。
「お前のせいでな」
見ると屋根の上に天戸がいた。
部屋からかと思ったので2度びっくりだ。
天戸は月明かりに照らされて、まるで天女のようにヒラリと舞い降りてきた。
「ふふ、月が綺麗ね」
「ベタな事いいやがって」
「何の事?」
やはり元国語2の天戸には通じなかった。
「少し歩かない?」
「ハルの墓には行かないぞ」
「うん、知ってるわ」
何を話すでもなく、30分ほど歩く。
本当に、何を話すでもなく。
そうするうちに、どちらとも無く欠伸をしたので部屋に戻ることにした。
「おやすみ」
「またあとでな」
そう言うと天戸は珍しく嬉しさを隠さずに笑った。