134話 周回者
◇◇◇
なんだかんだ天戸が泣き止んだのでやっとお待ちかねの水族館へとやってきた。まったく、やれやれだってやつだよ本当。
「終わらない地獄なんじゃなかったでしたっけね、天戸さん」
チクリと嫌味を言うが特に気にする様子もなく水槽を眺める天戸。
「あなたのせいよ」
「何でも人のせいにすんな」
しかも全く質問の答えになっていない。
入場してすぐに巨大な水槽が目の前に広がる。
「わぁ、こないだ見たみたい」
天戸は水槽に近づいてガラスに手を触れる。
こないだと言うのは天戸の2度目の7回目の世界、障壁で水中にもぐったときの事だ。
天戸はまるでうーちゃんのように無邪気に水槽に張り付いた。
「食う専かと思ったら見る趣味もお持ちなのな」
「食う専って?」
ん?前も言った気がする。
「食う専門」
「ふふ、食べるお魚と見るお魚は別でしょ?そういうのを不粋って言うのよ」
振り返ると天戸は嬉しそうに笑う。
「うお、何かムカつく」
まさか天戸に粋・不粋を説かれる日が来るとは。
「何の魚が好きなんだ?」
「ん、全部」
「うわー、質問のし甲斐が無ぇ」
なので俺は大人気なく更に踏み込んだ質問をする。
「全部ってことはハマクマノミもダンゴウオもウマヅラハギもネオンテトラもカダヤシも全部って事?」
天戸は首を傾げるとまた水槽を見る。
「名前は詳しくわからないわ。でも見てて楽しい気持ちになるから好き」
そういう天戸は実際に楽しそうで、野暮で意地悪な質問をした自分を少し恥じた。
「……水槽で飼えるやつもいるぞ。一番人気はやはりカクレクマノミだ」
「えっ、飼えるの!?海よ?」
「人工海水の素ってので海水を作るんだよ。比重計で濃度を調整とかしてさ」
「へぇ、お味噌汁の素みたいな?」
この『へぇ』は興味がある『へぇ』だな、表情でわかる。
だが、例えは少しアレだな。
「飼った事ないのに詳しいね」
「別に詳しくは無い。毎度おなじみの机上の空論だ。読んだ事あるだけ」
天戸は納得したように何度か頷いた。
「そっか」
暫くしてまた振り向く。
「飼おうとした事あるの?」
「ずーっと昔な。小3くらいだったと思うけど。犬猫飼いたいって言ってダメって言われて、魚ならいいよって言われたからその時に」
「あ、知ってるわ。もしかしてメダカ飼った時じゃない?」
「そう、よく覚えてんな。結局海水魚は金かかるから却下されてな」
「で、メダカは世話するのが面倒くさくなって学校にあげたんでしたっけ?」
「自分の出来る出来ないを知ることも教育だろ」
「ふふ、本当にああ言えばこう言うんだから」
『伊織、あんた全然世話しないなら学校に持っていきなよ。かわいそうだよ』
あまりの世話しなさを見かねたハルからの提案だったと思う。
その後いつの間にか水槽は無くなっていたから、いつの間にか死んでしまったんだろうと思う。
申し訳ないが全く記憶には無い。
多分校庭のどこかに埋まってるんだと思う。
蘇生術を使えばきっと蘇生はできるだろうけど、まぁしない。
死んでも生き返らせられるってのはやっぱり間違ってるよな。
少しその理屈を捩じると『生き返らせられるから殺していい』になりかねないし。
気が付くと天戸が俺の顔を覗き込んでいたので、シッシッと手で払う。
「水槽見てろって」
「何考えてたの?」
「別に大したことは何も。一応弁解しておくけど、メダカを蘇生しようとかそんな大それた事は考えていない」
それを聞いて天戸はクスクスと笑う。
こいつ今日はよく笑うな。
「あ、考えてたんだ。でも考えるだけなら自由だからいいんじゃない?実際にやると困るけど」
「使わねぇよ。杜居流の正統伝承者として、あの術は禁術とした」
「それがいいよ、きっと」
そう言って天戸はくらげの水槽に向かった。
くらげ。
漢字で書くと『海月』
決めた人は天才じゃないかと思う。
イルカを決めた人も見習って欲しいものだ。
ハルは言っていた。『嫌悪感や禁忌感があるとダメみたい』と。
つまり、俺は蘇生に対して抵抗や嫌悪感、禁忌感が無かったと言う事になる。個人的にはそれなりに葛藤をしたつもりだったんだけどなぁ。
天戸が魔法を使えないのもそういうところなのかも知れないな。
あいつはああ見えて常識的だから。
「ジラークはさ」
その単語に反応して天戸は振り返る。
目の前の水槽の向こうでは足の長い蟹が悠々と歩いている。
少し言葉を選んでいると天戸が催促をする。
「ジラークは?」
「んー、適切かどうかわからないけどさ。天戸のいなかった俺なのかなって」
あの夜、ハルの墓で天戸に止められなければ、俺の練習はどんどん進んだと思う。
ハルを蘇生させる前に、きっといくつもの人間を蘇生させたはずだ。
例えば異世界で、多くの人に感謝されながら。
そうやってどんどん抵抗をなくし、既成事実を作り、最後にはハルを蘇らせたはずだ。
いや、最後じゃないか。
始まりだよな、それこそ死霊王だよ。
天戸は首を横に振る。
「そうはならないわ。死んでも私が止めるもの」
「……だからお前はいねーっつってんだろ。あとすぐ命賭けるのもやめろ」
「よくわからないけど、少しは感謝してるって事?」
「まぁね。それなり以上には感謝してる」
それを聞くと天戸はクスリと笑う。
「珍しく素直ね」
「はい、もう2度と言わねー。」
「すぐふて腐れるんだから」
「お前に言われたくはねぇな」
それからも、ああだこうだ言いながら水族館を巡る。
何て事のない俺の薀蓄にも珍しく天戸はふんふんと頷いて聞いた。
正直、楽しい。
周りのカップル達も気にならない位には。
◇◇◇
そして、訪れる終わり。
出口である。
天戸は残念そうに俺を見た。
「終わっちゃった」
俺は階段を指差す。
「また最初から見られるぞ」
別に誰も一周なんて決めていない。
天戸は、本当に嬉しそうに俺を見た。
「いいの?」
「異世界を周回してるんだから水族館だって周回してもいいだろ」
訳の分からないこじつけに天戸は笑った。
「そっか」
出口と書かれた看板を過ぎて、順路と書かれた道に戻る。
水族館ループは始まったばかりだが、もしかしてようやく俺達は前に進めたのかもしれない。