128話 目の前の大魔王
◇◇◇
目が覚めると、山と街が見える平野にいた。
近くに召喚者がいないパターンだ。
一度大きく息を吸い込み、深呼吸をする。
そのうちハルが現れる。
いつものパジャマを着て。
「……んあ、うーちゃんおはよ」
「おはよ」
私の8回目の、私とハルの3回目の世界が始まる。
周囲の服装と違いすぎると一目で異界の勇者とばれてしまうので、服は異世界の服に着替える。
「今戻る事もできるよ?」
着替えながら念の為、もう一度ハルに聞いてみる。
逃げたっていいはずなのだ。誰がハルを責めるだろうか。
だが、やはりハルは首を横に振る。
困ったような、申し訳ないような、親に怒られる子供のような顔で私を見る。
「……本当は言いたくなかったんだけどさ。私はあれからずっと逃げ続けてるんだよ。うーちゃんが救いの手を振り払えなくて泣いていても、私は平気で振り払ってグーグー眠ってるんだ」
ハッとした。
ハルも異界の勇者だと言う事は、ハルにも救いの声は届いていたのだ。
「えへへ、だからさ。……今日だけは逃げられないよ。私が逃げたら誰がジラーくんを救うの?」
「ハル……。そのジラーくんて何?」
ハルは少し驚いた後でケラケラと笑う。
「え、そこ!?ジラークくんの変化形だよ」
ハルが笑うと私も楽しくなる。
「変なの」
「そう?かわいいじゃん」
自分を殺したジラークを救うとハルは言う。
ハルは優しい。
かわいい。
強い。
「ねぇ、ハル」
「なんだい、うーちゃん」
私が用意した着替えに着替え終わり、くるりと回るハル。
「私杜居君が好き」
振り返りながらハルはニヤリと悪戯っぽく笑う。
「知ってる」
私は真っ直ぐにハルを見つめる。
「私にとってハルは魔王なんかよりもずっとずっと勝てない最強の敵よ。だから、しょうがないと思ってたし、戦うつもりも無かった。でも、もう逃げないわ」
緊張か、恥ずかしさか、武者震いと言うやつか、足が震えている。
けれど、私の目の前の大魔王は何故か嬉しそうに笑っている。
「知らなかったの?『大魔王からは逃げられない』んだよ?」
「それは知らないけど……。私がちゃんと戦って勝つ為に、ハル……あなたは絶対に死なせないわ」
「臨むところだよ、うーちゃん」
その後でハルはチラッと自分の胸を見る。
「でも平気?私結構胸大きくなるみたいだけど」
「私だってなるもん!」
「あは、それはどうかなぁ~?」
「もう!うるさい!」
「あはは、ごめんて」
未来は変わるんだ、私の胸位どうにでもなるはず。
でも、そんなのは本当はどうだっていい。
神様、お願いです。ハルを助ける力を下さい。
◇◇◇
うずめさんと杜居君から渡されたこの世界の地図や状況のメモ。
「どうしようか」
街に行けばおそらくすぐジラークと遭遇するのだろう。
黒髪で、褐色の肌の人懐っこい笑顔の青年と言っていた。
私が手も足も出なかったうずめさんが、手も足も出ない相手。
ハルは地図を開きながら楽しそうに滝を指差す。
「ここ行こう」
100年前のこの世界で、杜居君たちが修業をしたと言う滝。
「別にいいけど、何をしに?」
「ん?観光に決まってるじゃん。私の旅の一番の目的はさ、うーちゃんとの楽しい思い出だから。世界を救うとかジラーくんを救うとかは二の次なのさ」
さっきまでの神妙な顔が嘘みたいに楽しそうにハルは言った。
「あ、そう。じゃあ行こっか」
そのハルの明るさに、どれだけ私が救われたか。
きっとハルは知らないだろう。
別にいいけど。
「滅竜って言うのも見てみたいな~」
「ふふ、次ね」
◇◇◇
滝は街から結構離れているそうで、歩いている途中に通った馬車に乗っていく事にした。
何でも街と滝の往復定期便らしい。
「お譲ちゃん達も『イオリの滝』に行くのかい?」
「イオリの滝!」
私とハルの声が揃った。
「……ねぇ、イオリってやっぱり伊織かな?」
ハルはこそこそ声で私に言う。
「まっ……まだわからないわ。元々その地名の可能性だってあるし」
ハルが御者さんに滝の由来を尋ねると、案の定由来は杜居君だった。
約100年前に、勇者イオリがその滝で封印術の修業をして、滅竜を封印したそうだ。
「イオリの封印は強力でな、もう200年は保ちそうだよ。その偉大な異界の勇者イオリに敬意を表して、滝に名付けたそうだ」
私もハルも嬉しくなってしまった。
うずめさんと杜居君の、ハルを救う奇跡の軌跡。
後は、私とハルの仕事だ。
暫くして『イオリの滝』に着いた。
滝は観光名所となっていて、私達の他数人が滝を眺めては勇者イオリの功績が彫られた石碑を眺めた。
白い水しぶきを上げてゴウゴウと音を立てるイオリの滝は中々の迫力だ。
ハルは口を開けて滝を見上げる。
「ふえー、私滝って見るの初めてかも」
「嘘。70年以上生きてたのに?」
ハルはジトっとした目で私を睨む。
「あ、それ言う?」
「ごめん、ダメだった?」
「あは、いいよ。何十年生きてても見ようと思わなければあんまり気にしないもんだよ。もしかしたら視界にくらいは入っていたかもしれないけどね」
「ふーん、そういうもの?」
「そ」
それから私達は暫く『イオリの滝』を眺め、その音に身を任せ、水しぶきを浴びた。
「伊織は地味にすごいよね。100年先迄名前を残すなんてさ」
「そうね。滝の名前になるくらいだもの」
「へへ、戻ったら教えてあげようね」
「あ、写真撮らない?」
「いいね」
何枚か写真を撮って、露店が出ていたので何やら食べる。
肉と野菜が一本の串に刺さっているやつがおいしい、名前はよくわからないけれど。
もしかしたら、この楽しいひと時は今日で失われてもう2度と訪れないのかもしれない。
嫌だ。
嫌だ。
気が付くとハルが心配そうな顔をして私を見ていた。
「うーちゃん……、泣かないで?」
「違うわ!……あれよ、あの滝のせい。杜居君のせいよ」
「うーちゃん、無理やりすぎだよ……」
「自然よ。無理やりなんかじゃないわ」
目を擦りながらハルを見ると、一人の男が視界に入る。
そして、向こうも私を見て驚いた顔をした。
動けない。
ハルはさっき冗談で言った。『大魔王からは逃げられない』って。
正にそんな感じだ。
何か圧を掛けている訳でもなんでもない。
彼はゆっくりと、近づいてくる。
黒い髪で褐色の肌のその青年は聞いていた通り人懐っこそうな笑顔を浮かべて私に近づいた。
「異界の勇者の情報を聞いて来てみたら……、天戸さんとはね。久しぶり、いや……初めましてか」
身体は動かないくせに歯はガチガチと音を立てて、足はガクガク震えている。
全身に全力で力を入れて、奥歯が砕ける程歯を食いしばると漸く震えは止まる。
私は一歩前に出てハルを下げる。
――ハルは私が守るんだ。