120話 好きだったらよかったのに
◇◇◇
船は陸を離れて暫く経つ。
目的の港まではあと2日程かかる見込みだと言う。
船旅なんて随分久しぶりだ。
空飛ぶ絨毯が無いと移動一つとっても中々大変だし、何より時間がかかる。
スマホが無いといい景色を見つけても写真を撮ることが出来ない。
一人で異世界に来ていたときは写真は撮らなかったな。
本を読むような気分でもないので、ベッドにごろりと寝転がる。
特等客室の窓から空を見上げると、少し雲が出ている。
雨が降るのだろうか?
嵐にならないといいな。
何とか船が守れないか?と思い、障壁を張ってみると船首から船尾まで覆えたので一安心だ。
あんまり目立つ事をすると杜居くんたちに見つかってしまいやすくなるけれど、人の命を見殺しには出来ない。本当に私は勝手な人間だと思う。
この世界を救うために、誰かの命を犠牲にしてまで召喚されたのに、世界を救わず一人逃げ回っている。
人より沢山救える力があるから、人より沢山救わなければいけないのに。
小さくため息が漏れる。
――いけない、楽しい事を考えよう。
ベッドから空を見上げながら、顔をぐにぐにマッサージする。
口元を上に上げてみたら少しは楽しくなるだろうか?
港町で食べたお肉は美味しかった。船の料理もまぁまぁおいしい。
海の中から魚達が見られたのは楽しかったな。
そういえば雨の中で花火をしたこともある。
……と言う事は、海の中で花火だって出来るんじゃないか?
この世界にも花火があるならやってみようかな。
――1人で?
豪華な客室が急に狭く感じる。
あぁ、そうか。
私は勘違いをしていた。
私1人で、楽しい事なんてもう何も無かったんだ。
杜居くんが――。
頬を触っていた手で両頬をパンっと音がするくらい叩く。
ポロリと涙がこぼれた。
勿論、痛くて。
船が港に着くまであと2日。
枕を抱いて大きくため息を吐く。
ハルがいなくなってからは何も感じなかった。
この数か月は、あっと言う間だった。
――あぁ、世界とは、なんて退屈なのだろう。
◇◇◇
そして、まるで永遠にも思えた残り2日間の刑期を終えて、船は次の港町に着いた。
船から降りると、桟橋の向こうで船の金額に見合った教育をされた男性が恭しくお辞儀をする。
「よい旅を」
「ありがと」
彼の言葉には些かの悪意もあるはずは無いのに、ひどく腹立たしい侮蔑の言葉に聞こえた。
本当に、私はなんと性格が悪いのか。
「この街で……、別の街でもいいんだけど、お勧めのご飯のお店はありますか?」
その男の人は一瞬目を大きくする。
……私で無ければ気が付かない位の差ではあるが。
金額に見合った教育とさっき思ったけれど撤回だ、食事を聞いただけでそんなに驚いた顔をする事はないじゃない。
男が少し考えるので、私も足を止めて待つ。
「苦手なものや、食べられないものはございますか?」
首を横に振る。
「いえ、何も。強いて言えば、食べた後で楽しい気持ちや、幸せな気持ちになれる料理だと最高ね」
もはや味の好みではない私の注文にも男はニコリと微笑んだ。
「それなら、こちらのお店はどうでしょうか?」
男はポケットからメモを取り出すと、サラサラと簡単な地図を書いてくれた。
「通りから一本入るだけですので、すぐお分かりになると思います」
私に地図を渡すと、通りの方向を手で示した。
「ありがとう」
ペコリと頭を下げると、男は深々と頭を下げた。
「お気をつけて」
◇◇◇
何日も狭い船の中にいたので、食事をする前に街をぶらぶらする事にした。
この街は以前来た事が無い街だ。
ハル達の向かったテールザット寺院のあるデイデヤデ大陸とはちょうど反対側。
これからどうしようかはご飯を食べてから考えよう。
暫く街をぶらぶらして、公園があったから公園でぼーっとする。
遠くに黒い雲が見える。
嵐にならなくてよかったな。
どれくらいぼーっとしていたのかわからないけれど、黒い雲が近づいてきたのでそろそろお店に向かおうと思う。
あの男性の書いてくれた地図はわかりすく、彼の言う通り通りを一本入ってすぐにそのお店はあった。
年季の入ったレンガ造りの建物に、重厚な木の扉。
周りは新しく高い建物に囲まれているので、日陰になっている。
でも、お店から漏れてくる匂いだけで既においしい料理を出すお店だとわかる。
おいしいデザートもあるといいな。
◇◇◇
扉を開けると中は薄暗く、数名の先客がいた。
「いらっしゃいませ。空いているお席、どこでもどうぞ」
一番端のカウンター席に座る。
「お勧めで何かいただけますか?」
カウンターの向こうにいる優しそうなおじさんはニコリと微笑み頷いた。
「好き嫌いは?」
「ありません」
「仔牛の酒煮込とかいかがでしょう?」
「お酒……。まだ飲めないので」
「あぁ、大丈夫。ずっと煮込んでいるから酒分は飛んで味わいだけ残っていますよ」
「じゃあそれにします!」
匂いからするとビーフシチューやデミグラスの様な感じかな?
おいしそうなパンを焼く匂いもしてきた。
あぁ、おいしそう。
でも、私は1人だ。
……1人でなく、ハルや……杜居くんと食べられたらもっとおいしいのだろう。
しょうがない事なんだけれど。
すっと私の前に飲み物が出される。
色と香りからするとミルクティー。
チラッとおじさんの顔を見ると、手でカウンターの反対を示す。
「あちらのお客様から」
頬杖を突いてそちらと反対側を向き、ため息を吐く。
やれやれ、どの世界にもこの手の輩はいるのね。
「……結構よ」
「ははは、そう言うなよ。一度やって見たかったんだから」
えっ。
一瞬固まる。
だいぶ長く感じたが、多分一瞬。
その声を、私が聞き間違えるはずは無い。
カウンターの一番端に座る杜居くんの姿。
私はどんな顔をしていたのかわからないが、彼は何事も無かったように軽く手を挙げて私に合図をする。
「よう、久しぶり」
混乱する。
何で杜居くんがここに?
「……何で?」
間抜けな声をあげた私に彼は勝ち誇った様な顔で得意げな笑みを浮かべて隣に来る。
「隣いいっすか?お嬢さん」
私の返事を待たずに、グラスを持ち隣に来る。
「……他の2人は?」
「ハルはクーネルさんと例の寺院。うーちゃんは上で待ってる」
「うーちゃん!?」
理解が追い付かない。何でたった数日の間にうーちゃん呼びになっているのだろう??
「お待たせしました」
私達の前に料理が運ばれてくる。
大き目のお肉と野菜の入ったビーフシチューと、熱々で柔らかそうなパン。
「さ、食べようぜ。ビーフシチュー好き?」
私は言葉が出せずに無言で頷く。
「そう言えば天戸の好きな食べ物って知らないかもな。飲み物はミルクティーが好きなのは知ってるんだが」
「……もっ、杜居くんは!」
頑張って声を出そうとしたら思いのほか大きい声が出て、私も杜居くんもおじさんも少しびっくりする。
「ビーフシチュー……好き?」
――別にそんな事が聞きたかったわけじゃない。
1人で勝手に思い込んで、何も言わずに消えてごめんなさい。
何でこんなにすぐ見つけられたの?
いつからうずめちゃんの事うーちゃんて呼んでるの?
私達だけこんなにおいしそうなもの食べてうずめちゃん可哀そうじゃない?
……何でいつも私を助けてくれるの?
色々聞こうとしたが、きっと目の前のビーフシチューがおいしそうだったからだ。
「や、割と普通」
笑ってしまった。けれど、大体予想していた答え。
「あ、そう」
そして、私達は手を合わせ、声を合わせ、『いただきます』と言った。
おじさんは微笑んで『召し上がれ』と言った。
ほんの数日振りに、誰かと……杜居くんと一緒に食べる食事。
スッとスプーンで容易く切れたお肉とシチューを口に運ぶ。
それは、申し訳ないけれど今まで色々な世界で食べたどの料理よりも美味しく、明日から好きな食べ物は『ビーフシチュー』と答えようとすら思ってしまった。
「おいしいね」
そう言うと、杜居くんがぎょっとした顔で私を見た。
気づかないうちに涙が流れていた。
「泣くほどか」
杜居君は若干引き気味にそう言った。
「泣くほどよ」
私はそう言うしかできなかった。
ビーフシチューはおいしい。
「でも、こんな短期間で何で私の行動ルートがわかったの?……盗聴器でもつけてるとか?」
パンもおいしい。
「別にそんなもんいらんよ。天戸だったらどう考えるかをずっと考えてれば簡単だぜ。幸い本人もいたしな」
「へ……へぇ。そんなにずっと私の事を考えてたんだ?やっぱり杜居くんてさ、私の事……好きなんじゃないの?」
私の言葉に露骨に眉を寄せる杜居君。
「あ、散々人に迷惑と心配かけておいてそう言う軽口叩く?」
「ごめんなさい」
「ま、かくれんぼみたいで楽しかったぜ。ようやく俺の勝ちだな」
そう言って杜居くんは本当に嬉しそうに笑った。
子供の頃はいつも私を見つけてくれなかったのに。
「……好きだったらよかったのに」
ついぼそりと呟いてしまったが、杜居くんはパンでお皿を拭いていた。