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第5話 東の大木

東の大木は、想像以上に巨大でなんだか神秘的だった。


幹の太さは大人三人が手をつないでもぐるりと囲めないほどで、地面から突き出た根は蛇のように絡み合い、不気味な模様を描いていた。木の上部は雲をつかむほど高く伸び、その葉の茂みは太陽の光を遮り、周囲に薄暗い影を落としていた。

「すごい…」

えっちゃんがその巨木を見上げ、息を呑んだ。

空気が変わった。西の祠の周りとは違う、重苦しい雰囲気が三人を包み込む。鳥の鳴き声も聞こえず、風の音すらない。まるで時間が止まったかのような静寂。


「次は何をするの?」

ヤンマが声をひそめて尋ねた。彼の声が無駄に大きく響き、三人はハッとした。

「えっと…」えっちゃんは紙を取り出した。「見つけた自然物を木の根元に置いて、名前と願いごとを唱えるんだって」

「それから?」

「木に耳を当てて、十数えるの。何かの音が聞こえるかもしれないって書いてある」

ボクは大木の幹を見た。樹皮は黒ずみ、所々剥がれ落ちている。何かが這ったような跡もある。


「じゃあ…やってみようか」

えっちゃんは布袋から水たまりの水を入れた小瓶と若葉を取り出し、木の根元に置いた。ボクも羽と光を象徴する小さな鏡を並べる。

「名前と願いごと…」

えっちゃんは深呼吸し、閉じた目を開いた。

「私の名前は星野恵美子。願いは…」

彼女は一瞬、迷った様子を見せた。ヤンマとボクが見守る中、彼女は静かに続けた。

「願いは、強くなること。誰も傷つけられない、強い私になること」

その言葉に、ボクは胸が痛んだ。彼女は本当に苦しんでいたのだ。

「ボクの番」

ボクは前に出て、声が震えないよう努めた。

「ボクの名前は高橋和也。願いは…えっちゃんと、いつもいっしょにいられること」

言い終えると、頬が熱くなった。となりでヤンマがくすりと笑う。

「いい願いだ」

彼は優しく言った。その言葉に、ボクは少し勇気づけられた。


「じゃあ、次は木に耳を当てるんだよね」

えっちゃんは大木に近づき、幹に頬を寄せた。その姿は、まるで大切な人を抱きしめているかのようだった。

「一、二、三…」

彼女は目を閉じ、数え始めた。風が突然吹き、木々がざわめいた。太陽がさらに傾き、辺りは一段と暗くなる。

「…八、九、十」

えっちゃんが目を開けた瞬間、彼女の表情が変わった。

「どうしたの?」

ボクが訊ねると、彼女はゆっくりと木から離れ、耳に手をやった。

「聞こえた…」

「え?何が?」

「声」

えっちゃんの顔は青白く、震えていた。

「女の子の声。『来て』って言ってる」

ヤンマが眉をひそめた。

「冗談はやめろよ」


「冗談じゃないよ」えっちゃんは真剣だった。「ほら、カズくんもやってみて」

ボクは恐る恐る大木に近づいた。粗い樹皮が頬に当たる感触は、想像以上に冷たかった。

「一、二、三…」

目を閉じて数える間、心臓の鼓動が聞こえるほどだった。

「…九、十」

その瞬間、確かに何かが聞こえた。かすかな笑い声。子供の。そして、「おいで」という囁き。

ボクは飛び退いた。

「聞こえた?」えっちゃんが身を乗り出した。

「う、うん…」

「何て言ってた?」

「『おいで』…って」


ヤンマが二人を見比べ、笑顔を取り戻そうとした。

「そんなの、聞きたいものが聞こえるだけだよ。自己暗示だよ」

「じゃあ、ヤンマもやってみたら?」彼女が挑戦的に言った。

「いやいや」ヤンマは首を振ったが、二人の視線に負け、しぶしぶ木に近づいた。

「バカバカしい…」

彼は木に耳を当て、数え始めた。表情は冷静そのものだったが、「七」と言ったところで、急に目を見開いた。木から離れると、彼の顔は引きつっていた。

「どうしたの?」

「なんでもない」

彼は答えたが、その声は上ずっていた。三人は黙り込み、互いの顔を見つめた。


「次は…」えっちゃんは紙を見た。「この大木の周りの赤土を少し取って、小瓶に入れるんだって」

確かに、大木の根元には赤みがかった土があった。三人はそれぞれ小さなビンに土を入れた。

「それから西の祠に戻って、小瓶を石の上に置く」

えっちゃんが続けた。まるで儀式を執り行う巫女のようだった。

「最後は…」

彼女の声が小さくなった。

「閉鎖されたトンネルに行って、夢のキーワードを唱えるの」

沈黙が三人を包んだ。日が傾き始め、森の中は急速に暗くなっていた。


「もう戻ろうよ」

ヤンマが突然言った。彼の声には、普段聞かない焦りがあった。

「これ以上は危ないって」

「でも…もうすぐ終わるよ」えっちゃんは反論した。「せっかくここまで来たのに」

「変だよ、こんなの!木から声なんか聞こえるわけないだろ?」

ヤンマの声が大きくなった。彼は明らかに動揺していた。

「何を聞いたの?」ボクが静かに訊ねた。

「え?」

「さっき、木から何を聞いたのか教えて」

ヤンマは俯き、唇を噛んだ。

「名前…」

「名前?」

「ああ」ヤンマは顔を上げた。「『ヤンマ』って。はっきり呼ばれたんだ。でも、そんなの知るはずないじゃん。だから、やめようよ、これ以上は」


三人は再び黙った。ボクの背筋に冷たいものが走った。この大木は、彼らの存在を「知って」いる。

「戻ろう」えっちゃんが決めた。「西の祠に」

ヤンマは抗議しようとしたが、えっちゃんの決意に満ちた顔を見て、諦めたように頷いた。

「でも、もう暗くなってきてるし、早く済ませないとマズいよ」

三人が大木から離れようとした時、奇妙なことが起きた。風がないはずなのに、大木の枝葉が激しく揺れ始めたのだ。まるで彼らを引き止めようとするかのように。

「早く行こう」

ヤンマが二人の手を引いた。三人は急いで大木から離れ、来た道を戻り始めた。しかし、来た時には明るかった山道が、今はどこか違って見える。木々が不自然に傾き、道が曲がりくねっているように感じた。

「おかしい…こんな道、通ってきた?」

ヤンマが不安そうに周囲を見回した。

「さっきまでは…違ったような…」

山全体が彼らを迷わせようとしているかのようだった。そして足元を見ると、地面から赤土が染み出しているように見えた。先ほど瓶に入れた土と同じ鮮やかな赤色。

「早く、山を出よう」

ヤンマが言った。その声には恐怖が混じっていた。三人は急いで歩き始めたが、どれだけ歩いても山の出口に辿り着かない。

「まるで…」

ボクは恐ろしい考えが浮かんだ。

「私たちを、山が離さないみたい」

えっちゃんが言い切った。その時、遠くから声が聞こえてきた。

「こっち…」

かすかな少女の声。振り返ると、薄暗い木々の間に、白い服を着た小さな影が見えた。

「あれ…」

思わず声が出た。その影は、どこかえっちゃんに似ていた。

「行かないで」

ヤンマがボクの腕を掴んだ。「幻かもしれない」

しかし、えっちゃんは既に動き出していた。

ボクとヤンマは必死に彼女を追いかけた。木々の間を縫うように走る白い影。そして、その後を追うえっちゃん。

「こっち…」

その声は次第に大きくなっていた。そして彼らの前に、突如として開けた空間が現れた。

それは、先ほど訪れたはずの西の祠だった。

西の祠に到着すると、三人は黙って小瓶を祠の奥の石の上に置いた。風が強くなり、木々が不気味にうねった。

「いよいよ、最後だね」

えっちゃんの声が、闇の中で妙に響いた。


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