星屑の下、僕はチェロを好きな人へ向ける。
僕の滞在は
このゲルの人たちに
疲労をもたらした事は明らかで
だけれども
少しは
いつもより
心がウキウキとしてくれたかな。
一一一ずっと聴いていたいんだけど。
きらきら星の変奏曲を
弾き終えたところで
オユンがそう言う。
何処へ行ってもそうだけれど
お礼の為の一曲を弾く度
両親と姉に感謝しなくちゃと思う。
家族の努力の上の
僕の音色。
夜風と演奏会の疲れから
お父さんとドルジはゲルに戻り
お母さんは愚図るサロールをおぶって
ゲルの周りを歩いている。
オユンのために
「月の光」を弾いた。
ドビュッシーのピアノ曲。
冒頭のウットリする高音は
チェロだと少しシックになる。
クライマックスに差し掛かったところで
一一一ボロン。ボロロン。
オユンが僕にお構いなしに
チェロの弦を爪弾いた。
僕が演奏しているそのチェロに
手を横から出して爪弾いたのだ。
プロのチェリストに
そんな事をする人は初めてで
普通なら
怒って帰るところなのに
見つめ合って笑っている。
プロのくせに
僕は演奏をいつの間にか止めて
一緒になって爪弾いてる。
コレは
尋常ではなかった。
愛おしい僕のチェロが
ただの道具みたいになっていた。
一一一この国から出た事ある?
オユンの瞳を覗きながら聞く。
一一一ないわ。
一一一旅をした事は?
一一一ないわ。
一一一してみたくない?
一一一それって…
私の国が何にもなくて
美味しいものを食べさせたいとか
色々見せてあげたいとかってコトね。
一一一好奇心はないの?
一一一ないわ。
何処へ行くのも馬でなければ嫌だし
緑に寝転べなければ
胸が締め付けられるだろし
これらに変わるものが他の国にある?
僕はしばし考えてみた。
オユンが喜んで観光出来る場所を。
しかし
一瞬の愉しみの後
着地する場所は
ここしか浮かんでこなかった。
そしてオユンは
膝を抱えてこうも言う
一一一この国の女も面白くないんでしょ。
馬頭琴だけ何処かで聴いて
すぐに帰れば良かったのに。
僕は驚いていた。
彼女の
手綱捌きと
美しい脇の下と
小さな命を守る力と
揺るぎない決心に
ずっと忘れていた
この感情を思い出していた事に。
***
一一一強くて驚いたよ。
馬と対等だし羊を操る力にも。
そして何より生活力。
一一一逞しいだけね。
「それだけじゃない」そう言って
抱き寄せればよかった。
自分がもどかしくて
情けなかった。
この土地から離れるコトを
生涯しないと言い切られて
畏れ多くて
怯んでいた。
悔しい気持ちを込めて
ポロネーズを弾く
すると突然
オユンが僕の背中に
抱きついて来た。
一一一この曲カッコいい‼︎
このまま聴きたい。
耳元でそう囁かれ
一一一そんなの無理だろ。
そう言って降り向こうとした時だった
「バッチーーン」
もう1人の彼女が怒り出した。
150歳を越えた
15年付き合っている僕の彼女
一番細い弦を切って
僕の頬を殴って来た。
驚いたオユンは
狼狽えて
一一一壊れたの?
ねぇ。私壊してしまったの?
一一一大丈夫。
弦が切れただけだよ。
取り替えればまたすぐに弾ける。
チェロの前に跪き(ひざまずき)
オユンは優しく楽器のf字孔
(fの形に切り抜かれている穴)を撫でながら
「怒ったんだね。ごめんなさい」
そう呟くと
さっと立ち上がり
ゲルに真っ直ぐ走っていった。