お父さんとの演奏会も終わり、今晩でゲルともお別れかぁ。
観光客のたくさんの拍手に
気を良くしたお父さんは
ドルジを手招きし
ホーミーを披露するよう促した。
習い初めて3年
不安な顔を僕に向けて
一音一音丁寧に声を発する。
まだまだお父さんの様な
地鳴りのする
芯のぶれない音は出ない。
ドルジなりの
線の細い
どちらかと言うと美しい
二重奏を1人で奏でていた。
必死なドルジ
息継ぎを忘れている。
だんだん顔色が悪くなって
目を閉じてしまった。
焦った僕は
咄嗟にドルジの背後に回り
背中をさすった。
そして
大きく深呼吸をする様
ゼスチャーをしてみせた。
完全に歌声は止まってしまい
観光客はじっとドルジを見守る。
「しっかり僕を見て」
そうドルジの目の前に
僕は人差し指を立てる。
指を目で追う事が出来たのを確認して
僕はドルジに向かって
今度は人差し指を指揮棒に見立て
振り下ろした。
そう。
ドルジはもう一度
続きを歌い初めた。
「でも長くは持たないな」
瞬時に感じて
僕はドルジの歌声に
バッハの無伴奏チェロ組曲を
そおっと被せた。
そして、ゆっくりドルジに
「ご苦労様。
もう後ろに下がっていいょ」と
目で合図をした。
バッハのあと
お父さんとトロイメライを弾く
その時
辺り一面の緑に西陽が落ち
オレンジの畝りを
風が作っていた
僕たちのトロイメライを
風は気に入ってくれたのかなぁ。
***
いつになくお母さんが
優しい顔で僕をみている。
沢山のマットンボーツ(モンゴルの肉まん)を蒸し器から出し
ドンドン食べて。と
ゼスチャーをする。
お父さんとドルジは馬乳酒を飲み(未成年も飲んでいるらしい。乳酸菌飲料みたいなもののようだ)
僕は缶ビールでオユンと乾杯をした。
明日の朝
オユンの馬に乗り
僕はウランバートルまで送って貰う。
帰りはあのスピードに上手く乗って
筋肉痛を起こさないようしなくちゃな。
オユンの背中にピッタリくっついて
乗れば疲れは少ないかな。
でも大切な赤いチェロケースは
僕よりオユンに背負って貰った方が良い。
となると
またあの不自然な3人乗りで
振り落とされないように
腕を掴んでもらうのかぁ。
待てよ。
ドルジがいるじゃないか‼︎
明日はドルジの後ろに乗せて貰おう。
大切な赤いチェロケースは
オユンに任せて。
一一一ドルジ!
明日、乗せて貰うよ。
君の後ろに。
一一一ダメよ。
私の後ろに乗って。
きっと上手く乗れるから。
あんな風に疲れないようにする。
オユンは僕が歩けないくらい
足がガクガクだった事を
気にしていた。
一一一オユン。ありがとう。
君にはチェロケースをお願いするよ。
大切なんだ。自分のコトより。
一一一どちらも乗せる。
私が乗せる。
無表情を作ってオユンが言う。
一一一分かったよ。
そうする。
ありがとう。
オユンの目の奥に映った僕は
少し歪んで
少し鈍感な振りをしていた。
一一一オユン。
明日はドルジに
羊の世話を1人でさせる。
荷物も多いし
ゆっくり走って行きなさい。
お母さんが僕をチラッと見て
そう言った。
一一一送って行きたいなぁ。
僕がいっぺんに
人も荷物もチェロケースも
乗せられたら良かったのに。
悔しくて堪らない様子のドルジは
いつの間にか
僕の脇に腰を下ろしていた。
一一一ねぇ。僕の下手クソな歌声の上に乗せてくれた曲を聞かせて。
一一一いいょ。外で弾こうか?
星も見たいし。
漆黒の中
チェロに耳を傾ける
一つの家族
同じ曲を聴いたって
それぞれ違う事を想う
そんな違った想いを
何となく
感じあえたら
少し気持ちが楽になる。