激闘
長槍を片手に、鈴はかぐやが住まう御殿の観音開きの扉をゆっくりと開けていく。すると、鈴と同じような白衣と緋袴を身に纏ったかぐやが部屋の中央に佇み、既に自らの命を狩りに来た者を待ち構えていた。
「あら、さくや……貴女一人なの?」
獲物相手に、こちらの手の内を明かすわけがないのに、かぐやは小首を傾げて問いかけてきた。
「かぐや……約束通り、全てを終わらせにきたよ」
かぐやの問いには答えず、言いたいことだけを言うと、慎重に槍を構える。
しばし無言のまま、翠玉の眼差しと紅玉の眼差しが絡み合う。
やがて、鈴は鋭く短く息を吐き出すと同時に、勢いよく御殿の内へと踏み込んでいく。
かぐやも、飛ぶような速さで鈴との距離を詰めてきたかと思えば、すぐ目の前まで迫ってきた。
かぐやの手がこちらへと伸びてくるや否や、鈴は袂に忍ばせていた短刀を鞘から抜き放ちながら素早く取り出し、鬼女の左目に思い切り抜き身の刃を突き立てた。
(……これで一時的に、相手の片方の視覚は奪った!)
かぐやは不老不死ではあるものの、さくやや鈴とは違い、痛覚は正常に機能している。その事実は、さくやとしての記憶にはっきりと残っていた。
即座にかぐやの腹部を槍の穂で貫き、槍の柄を握る手に渾身の力を込め、鈴から見て右側の壁に全身を叩きつける。その直後、轟音と共に木の粉が舞い上がっていく。かぐやは槍の穂で胴を貫かれた上、背を壁に強かに打ち付けた衝撃で、口から血を吐き出していた。
やはり、視覚を奪われた側へと攻撃を畳みかけて正解だった。現に今、かぐやは鈴の攻撃に対応できていない。
だが、かぐやは左目に刺さっていた刃を引き抜き、畳の上に短刀を投げ捨てた。しかも、一切の手心を加えずに潰したはずのかぐやの左目は、あっという間に再生していく。
にいっと血で汚れた唇を笑みの形に歪めるなり、かぐやは自分の腹部を串刺しにした槍を掴み取り、何の躊躇もなく槍の穂を引き抜き、そのまま槍を振り回した。
寸でのところで槍の柄から手は放したものの、その槍の柄が脇腹に入り、先程のかぐやみたいに壁へと激突した。
咄嗟に受け身は取ったが、それでも息が止まるかと思うほどの衝撃が全身を走った。
(あばらは……折れてない。他の骨も大丈夫)
しかし、かぐやが鈴に休む暇など与えるはずがない。
鈴の槍を奪い取り、白衣を赤く染めたかぐやが、すぐに目前に迫ってきた。
即座に態勢を立て直した直後、未だに鮮血が溢れ出すかぐやの腹部に鋭い蹴りを見舞う。
――あの鬼女は不老不死だが、弱点がないわけではない。
霊山にて鈴に稽古をつけてくれた精霊の声が、耳の奥に鮮明に蘇ってくる。
――頭部、胸部、腹部……つまりは、人体の急所に当たる場所に致命傷を受ければ、回復に時間がかかる。
かぐやとの距離を稼いだところで、懐に隠し持っていた拳銃を取り出し、撃鉄を起こして引き金を引く。
――そして……三か所同時に激しく損傷させることができれば、鬼女の命をも奪うことができるかもしれない。
鈴の狙い通り、銃口から放たれた弾丸はかぐやの白い喉を目掛けて飛んでいったが、その手に握り締められたままだった槍で弾かれてしまった。
舌打ちを零しつつもすぐさま身を低くして、かぐやが振り回す槍の猛攻から逃れる。
(やっぱり……そんなに上手くはいかないか)
少なく見積もっても数百年の間、かぐやは八神一族や月城一族と命のやり取りをしてきたのだ。たとえ、戦い方などろくに知らなかった女性でも、さすがにそれだけの期間と機会があれば、ある程度学習していく。
でも、かぐやが学んだ戦術はあくまで我流だ。その上、不老不死の身の上だからなのか、どこか力任せな印象を受ける。
かぐやの攻撃を躱しながら畳の上を転がっていき、腹這いになって拳銃を構え、隙を見つけてもう一度発砲する。
まずは右足の脛を狙い撃ち、かぐやが態勢を崩しかけたところで、左足の腿に弾丸を撃ち込む。
足は急所ではない。かぐやの再生力を以ってすれば、瞬く間に傷は塞がってしまうだろう。
でも、ほんの短い間でも足が使い物にならなくなれば、その間に攻撃を続けるのは難しくなる。現に神降ろしの儀の際、左足を負傷した鈴は劣勢を強いられた。
そして、それは攻撃する側にとって確かな隙となる。
急いで身を起こしてかぐやへと接近しつつ、今度はその眉間に弾丸を貫通させる。
赤黒い血と脳漿を撒き散らしながら倒れていくかぐやを横目に、鈴の武器を奪還する。
(腹部と頭部への攻撃、完了!)
腹部を槍で貫き、眉間を撃ち抜かれたかぐやは、二か所の急所に受けた傷を再生させるのに手間取っているはずだ。その隙にかぐやの心臓を激しく損壊させることができれば、鈴に勝機がある。
槍を構える以上、拳銃は邪魔だ。まだ熱を持ったままの銃口の向きに気をつけつつ素早く腰に差し、槍を構え直す。
かぐやとの距離に細心の注意を払いながらも、心臓に狙いを定めて槍の穂先を突き出そうとした矢先、先刻倒れたばかりの肢体が急に起き上がった。それから、鈴と目が合った途端、かぐやは凄絶な微笑みを浮かべた。
かぐやの腹部からは、相変わらず血が止め処なく溢れ出している。だが、眉間の穴は綺麗に塞がっていた。
(……お腹の怪我より先に、眉間の穴を塞ぐことに専念してたのか!)
致命傷は致命傷でも、眉間に空いた穴の方が明らかに命に関わる。普通の人間であれば、即死だ。
切腹しても死に至るにはそれなりの時間を要することを踏まえ、腹部の傷はまだ放っておいても問題はないと判断し、眉間の穴にその分の再生力を回していたに違いない。
鈴がさくやだった頃、かぐやにそんな器用な真似はできなかった。だから、さくやがいなくなってから身につけた技術なのだろう。
しかし、即座に動揺を打ち消し、態勢を立て直したのも束の間、かぐやが鈴に猛然と近づいてきた。そして、何の躊躇いもなく槍の穂先を両手で握り締めたかと思えば、槍の柄を掴んだままだった鈴を振り回し始めた。
両足が畳から離れ、今にも身体が吹き飛ばされそうになる。かぐやは遠心力を利用し、鈴ごと槍を振り回し続けているため、槍の柄にしがみついていなければ、壁か畳に全身を叩きつけられそうだ。
(いや……受け身を取って、いっそ自分から手を放す?)
凄まじい速度で身体を振り回されているため、文字通り目がぐるぐると回り、三半規管が狂っていく。
これでは槍の柄から手を放したところで、平衡感覚を失った鈴が無事着地することは不可能に違いない。そこをかぐやに突かれたら、負傷は免れない。
次第に焦燥が募っていく最中、人一人分の体重が乗っている槍を振り回しているとは微塵も思えない涼しい顔をしているかぐやが、ついに鈴を吹き飛ばした。
自分がどこに向かって飛んでいっているのか、全くもって見当がつかなかったものの、咄嗟に受け身を取る。
その直後、背中からどこかに激しく衝突した。今度こそ息が詰まり、苦しさに表情が歪む。
眼下に、青々とした畳が広がっている。要するに、鈴はかぐやに吹き飛ばされた結果、あろうことか天井に激突したに違いない。そうなれば、この身体は重力に従って真っ逆さまに落ちていく。
現人神といえども重力には逆らえないはずなのだが、何故か鈴の身体は一向に落下しない。
おそるおそる視線を巡らせれば、鈴の身体は天井にめり込んでいた。非常に不安定な状態であることには変わらないが、かぐやの剛腕のおかげである意味命拾いしたみたいだ。
でも安堵する間もなく、また赤い双眸が眼前に迫ったかと思えば、腹部に衝撃が走った。胃液が喉の奥から迫り上げ、耐えられずに胃に入っていたもの全てを吐き出す。そして、鈴の身体はさらに天井にめり込んでいく。
状況を把握するべく、考えるよりも先に視線を走らせると、鈴の腹部に槍の柄の先端が押し当てられていた。もし、これが槍の穂先だったらと想像した途端、ぞっと背に悪寒が走った。
「――ねぇ、さくや。もう、苦しいことは終わりにしましょう? 私と一緒に……死にましょう?」
どうやっているのか、かぐやは天井にへばりつき、鈴の頬に自らの頬を擦り寄せてきた。おかげで、自身の胃液の酸っぱい臭いとかぐやの血の臭いが混ざり合い、悪臭に眉根を寄せる。
「……生憎、だけど……どんなに苦しくても、それでも私は生きていきたい。貴女と一緒に、死んでなんかあげない。だから――」
意志の力で懐からあるものを取り出す。三度の衝撃で壊れてしまったかと思ったが、幸い無事だった。
それから、かぐやの肩を渾身の力を込めて突き飛ばし、懐から取り出したものを勢いよく放り投げる。
落ちていくかぐやの目には、それはビー玉として映ったかもしれない。
だが、鈴の手から離れたそれは、高く澄んだ音を奏でた。そして、天井の梁にぶつかるや否や、甲高い音を立てて砕け散った。
――そう、鈴が放り投げたものの正体は、ガラス製の鈴だ。
『――いい? 伊月、刀祢兄さん』
鈴、伊月、刀祢の三人で行った前日の作戦会議での自身の声が、鼓膜にありありと蘇ってくる。
『まず、瞬発力に特化してる私だけで突入して、かぐやの力を可能な限り削ぎ落す。それで、充分に時間を稼げた、もしくはこれ以上は限界だと判断したら、この鈴を壊して合図を送る』
誰からもらったのかは忘れてしまったものの、このガラス製の鈴は土産か何かでもらったものだ。複数セットの土産品だったのか、同じものをいくつも所持していたし、ガラスの破砕音は緊急性を感じられるため、合図を送る道具に選んだのだ。
『そうしたら、兄さんの能力でかぐやの部屋に忍び込んで待機してた二人が、私と選手交代。戦況次第では、私の救出もお願いします』
二人に合図を送るために動いたせいか、天井にめり込んでいた身体が、何の前触れもなく落下を始めた。
受け身を取りつつも、最悪の事態を想定してぎゅっと目を瞑った直後、落ちていった鈴の身体を誰かが力強く抱き留めてくれた。同時に、シトラスミントみたいな爽やかな香りが鼻腔をくすぐっていく。
――誰か、なんて考えるまでもない。この数日間、鈴はこのぬくもりも香りも知り尽くしてきたのだ。
ゆっくりと瞼を持ち上げれば、鈴がこの世界で一番大好きな青年の顔が視界いっぱいに映った。




