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裏切りの片割れ月  作者: 小鈴 莉子
六章 神降ろしの儀
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望む未来

 もう一度鈴を背負い直し、そこを目指して足を動かす。麓が近づいていくにつれ、だんだんと人影が視認できるようになっていく。


 まず、母が伊月たちの存在に気づいた。瑠璃色の双眸が驚愕に見開かれたかと思えば、今にも泣き出しそうな顔になった。


 逸る気持ちを抑え、伊月たちの帰りを待ってくれていた大人たちの元へと向かう。

 でも、そこで緊張の糸が切れてしまったに違いない。膝から力が抜け落ち、その場にうつ伏せに倒れ込んでしまった。


「い……つ、き……」


 名を呼ばれて振り向けば、辛うじて目を開けていたらしい鈴の瞼がゆっくりと下りていった。同時に、伊月の背にこれまで以上に重みがのしかかってきた。


 少しでも伊月の負担を減らそうと、限界を迎えるまで意識を手放さずにいてくれたのだろう。意識を失った鈴の身体は、先程の比ではないくらい重く感じられる。


 鈴の努力に報いるためにも、地を這って進む。ショルダーハーネスを肩から外し、リュックサックは置き去りにした。


「す、ず……大丈夫、だ……」


 肘や膝が地面に擦れて痛い。もしかしたら、血が出ているかもしれない。

 だが、地を這いつくばってでも、鈴と神器を背負ったまま前進する。


「――伊月!」


 虫みたいに地面を這って進む伊月の元に、母が駆け寄ってきた。他にも、数人分の足音が鼓膜を叩く。


 朝日が射してきたというのに、どうしてか再び視界が暗くなってきた。それでも顔を上げ、干上がった喉の奥から声を押し出す。


「す、ず、大怪我、して、る、から……病院、連れて、って……」


 そこまで懸命に口を動かしたところで、とうとう伊月も意識を保っていられなくなり、目の前が真っ暗になった。



 ***



「――それでさ。やっぱり鈴は、元はかぐやの一部だったらしいよ。かぐや本人も、きっとそうだって証言したんだって」


 ――神降ろしの儀を終えてから、数週間が経過した。

 鈴だけではなく、伊月も神降ろしに成功していたみたいで、そのおかげで左肩の傷はあっという間に治ってしまい、既に退院している。


 しかし、神の力が覚醒したというのに、伊月の右手の噛み傷や鈴の脛の傷は神の牙が原因だからか、治りが遅い。

 だから、まだ入院中の鈴の元へと見舞いに来たのだ。


 最初は、霊山の近くの病院に運び込まれ、そこに入院していたのだが、あまり家から遠いと何かと不便だから、八神本家の屋敷からそう遠くない病院へと移ってきたのだ。


 ベッドの上で上体を起こし、伊月の話に耳を傾けていたパジャマ姿の鈴は、考え込むような間を置いてから口を開いた。


「……じゃあ、私は遺伝子上、刀祢兄さんのお母さんってことになるの?」


「ううん。検査してみたら、違ったって。あと、詳しいことはよく分からないけど、かぐやと鈴は同一人物じゃないだって」


 大人たちは、鈴はかぐやのクローンみたいな存在に当たるのかと議論していたが、結果は違った。顔はそっくりらしいものの、遺伝子情報は異なるのだという。


「だから、鈴は鈴だ。何も変わらない」


 そう答えれば、鈴は淡い微笑みを浮かべた。


「……伊月らしいね」


「何だよ、それ」


 むっと唇を尖らせながら視線を手元に落とすと、右手に持った果物ナイフと左手に持った剥きかけの林檎が視界に映る。


 右手のリハビリがてら、見舞いの品の中にあった果物の詰め合わせから林檎を選び取り、皮を剥いて鈴に食べさせようと思ったのだ。


 でも、まだ右手が本調子ではないからか、もしくは伊月の手先がそこまで器用ではないからか、不格好な形になってしまった。


(ちょっと皮を厚く剥き過ぎたな……)


 とりあえず最後まで皮を剥き、用意しておいた紙皿の上に切り分けた林檎を並べると、鈴に差し出す。


「……食べたくなかったら、無理して食べなくていいから」


 そう言い添えたら、鈴は心底不思議そうに目を丸くした。


「どうして? 伊月が一生懸命、剥いてくれたのに」


 鈴が何の躊躇いもなく林檎に手を伸ばしてくれたから、すかさず爪楊枝も手渡す。


「ありがとう」


 鈴は爪楊枝を一本摘まむと、一切れの林檎の果肉に刺した。それから、口元まで運んでそっと齧りつく。


「……うん、甘くておいしい! 伊月、これ蜜たっぷりでおいしいよ!」


 林檎を一口食べた鈴は、目をきらきらと輝かせて喜んでくれた。この様子から察するに、別に伊月を気遣っているわけではなさそうだ。


 鈴に勧められるがまま、差し出された林檎の果肉に齧りつけば、甘い果汁が口いっぱいに広がり、爽やかな芳香が鼻腔をくすぐっていく。


「……ほんとだ、おいしい」


 だが、よくよく考えれば、まだまだ他の林檎が皿の上に並んでいるのだから、なにも鈴の分を一口もらわなくてもよかったのではないかと、今さらながら思う。


 正気に引き戻された途端、頬に熱が上っていったのだが、鈴はそんな伊月の変化に気づいていないのか、能天気に林檎を頬張っている。


 自分ばかりが意識している状況が恥ずかしくてたまらないのと同時に、何だか悔しさも込み上げてきた。


「そういえば、伊月。今日は、お父さんやお母さんとは一緒じゃないの?」


 二切れ目の林檎を食べ終えたところで、ふと思い出したように鈴が問いかけてきた。


「ああ……うん。母さんたち、鈴のことで忙しいみたいで……今日は、俺一人で来たんだ」


 鈴の正体が判明してからというもの、両親はずっと忙しそうにしている。特に、母は多忙を極めているらしく、最近ではろくに顔も見ていない。


 月城本家が身元不明の孤児である鈴を結局引き取らなかったのは、誰の子か分からない女児が八神本家の敷地内で発見された話を当時のかぐやに聞かせたところ、異様な執着を見せ、常軌を逸した態度を見せたからなのだという。


 八神本家も、さすがに赤子をかぐやに差し出し、惨たらしく殺害されることを懸念し、自分たちで引き取ることにして、かぐやに近づけないようにしたのだ。


 しかし、こんなことならばもっと早くかぐやと鈴を引き合わせるべきだったのではないか、本当に現人神だというのであれば、切り札としてこれからもしっかりと養育していくべきではないのかと、今になって議論が白熱してしまっているらしい。


 伊月が説明せずとも、鈴はある程度察しがついているみたいで、やけに大人びた溜息を吐いてみせた。


「……月城の人たちと話し合わなきゃいけないこと、たくさんあるだろうからね。仕方ないよ」


「俺、思うんだけどさ。どうして、今まで通りじゃ駄目なんだろ」


 そうぼやけば、鈴は怪訝そうに小首を傾げた。


「だって、鈴は人の子だけど、神の子でもあるんだろ。なら、鈴が八神本家の血を引く俺と結婚して、子供を産んでもらえば、俺たちの子供がかぐやをどうにかしてくれるはずじゃないのか」


 伊月としては、鈴が何者であろうとも、今までと考えは変わらない。


 いずれ八神本家の当主の座を継がなければならないのだとしたら、その隣には鈴にいて欲しい。そして、伊月の隣で笑っていて欲しい。


 思ったことをそのまま口にすれば、鈴は何故か表情を曇らせた。


「私は……自分の子供に、私たちと同じ役目を押しつけるのは嫌。伊月との結婚は嫌じゃないけど……多分、そんな単純な話じゃないと思う」


 鈴はもう一切れ林檎に爪楊枝を突き立てると、また頬張った。


「そうか?」


「何となく、そんな気がする」


 林檎を咀嚼して飲み込んだ鈴は、伊月の問いかけにこくりと頷く。


「それに……私が現人神だっていうなら、ここで流れを変えるべきだと思うの」


 鈴は、伊月ほど現状を楽観視しているわけではないみたいだ。思いつめた面持ちで、伊月を見つめ返してくる。


「確かに、鈴の言うことには一理あるけど――」


 爪楊枝をもう一本取り出し、伊月も林檎の果肉に刺す。


「――俺の考えが採用される可能性だって、ゼロじゃないよな。選択肢は多ければ多いほどいいだろ」


 少なくとも、視野を狭めるよりは、より良い結果を導き出せるはずだ。


「俺、できるだけ色んな人に、このこと話してみるよ。一応、俺は八神本家の息子だからさ。聞くだけ聞いてもらえると思う」


 自分の願いを叶えるためにも、まずは行動あるのみだ。子供である伊月にできることなんて限られているものの、打てる手は打っておきたい。


「もし、俺の意見が通ったら、鈴とずっと家族でいられる。だから俺、頑張るよ」


 鈴は相変わらず浮かない顔をしていたが、やがて控えめに微笑んでくれた。


「……うん。そうなったら、いいね」


 この時の鈴は、既に予感していたに違いない。


 身元不明の孤児と認識されていた頃よりも、自分の立場がもっと危ういものになることを。かぐやの一部だということで、自分が周囲から忌避される存在になることを。そして――一層、死を望まれるようになるだろうと。


 そこまで思い至らなかった伊月は、鈴の曖昧な微笑みの意味にも気づかず、自分が思い描いた未来はいつかきっと実現すると、信じて疑わなかったのだ。

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