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裏切りの片割れ月  作者: 小鈴 莉子
四章 求愛
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混沌

「――へえ……面白れぇじゃねぇか」


 呟くような言い方なのに、その声は不思議とよく通る。

 引き寄せられたかのごとく、一旦、伊月から目を逸らし、声の主を捜し求める。


 すると、あたかも自分が主役だとでも言わんばかりの堂々とした足取りで、祖母へと近づく青年の姿があった。


 伊月と同じか、あるいはそれ以上の長身を誇る青年は、ワインレッドのシャツにスカイグレーのネクタイを合わせ、アッシュグレーのスーツに身を包んでいる。その威風堂々とした態度故か、体格に恵まれているのか、鮮烈な存在感を放っている。匂い立つような色香も纏っており、異性が青年に向ける眼差しには色が乗っている気がした。


 しかし、声を聞いただけではすぐには分からなかったものの、ミルキーブロンドにヘーゼルの勝ち気な釣り目、そして何より、めのうに似ている華のある容貌に、胸の奥底から懐かしさが湧き上がってくる。


「八神のばあ様、これ借りるぜ」


 突如として現れた干渉者に眉間に皺を刻む祖母に構わず、青年はその手からマイクを奪い取った。


「――おい、刀祢。八神の姫様を狡賢(ずるがしこ)く奪おうなんざ、いい度胸じゃねぇか」


 青年が不敵にやや厚みと艶のある唇を笑みの形に歪めたかと思えば、唐突に近くの席に飾り付けられていたクリスタルの花瓶から一輪の赤い薔薇を抜き取った。それから、革靴と床が擦れ合う音を立てつつ、主賓席につかつかと歩み寄ってくるや否や、鈴に向かって薔薇を差し出した。


「――八神の麗しき姫様。この不知火透輝も、貴女の愛を乞う者に名を連ねることを、どうぞお許しください」


 ――差し出された赤い薔薇と、求愛の言葉に、愕然と目を見開く。

 辛うじて口を呆けたように開けることだけは踏み止まれたが、誰の目から見ても鈴の驚愕が読み取れる程度には、顔に出てしまっているに違いない。


 マイクを握ったままの手を胸に当て、愛を囁いた透輝はどこまでも芝居がかっている。

 でも、伊月はそう思わなかったのか、先刻から隣から殺気立った気配が肌に突き刺さってくる。


(透輝くん、一体どういうつもり……?)


 透輝の真意を見極めようと、じっと凝視していたら、差し出された薔薇をいつまでも受け取らない鈴に焦れたのか、強引に右手を掴まれて花を持たされた。そうかと思いきや、薔薇の花を握らされた手の甲にキスが落とされる。


「おい……!」


 物々しい気配がより一層膨れ上がった途端、伊月が勢いよく席から立ち上がった。思わず隣を仰ぎ見れば、目元を不快そうに歪めた伊月が、鈴の手の甲に唇を触れさせた透輝を睨み据えていた。


「どうした、伊月。お前も鈴が欲しいなら、まどろっこしい真似なんざやめて、真っ向から奪いにこいよ」


 どれだけ射殺すような目を向けられようとも、笑みを崩さないどころか、挑発までやってのけた透輝に、これ以上伊月の怒りを煽らないで欲しいと叫びたくなる衝動をぐっと堪える。


「刀祢も、来るなら来いよ!」


 鈴から手を離し、くるりと背を向けた透輝は、今度は刀祢のことまで煽り始めた。

 当の刀祢はといえば、あの感情がすとんと抜け落ちた顔で透輝を眺めている。鈴同様、透輝の思惑を探るため、慎重に観察しているように見受けられる。


「ああ、そういや五家と八神家と月城家、本家の息子がちょうど五人も揃ってるじゃねぇか。――おい、蓮、誠司! お前らも来い!」


 急に名を呼ばれた蓮は、戸惑ったように撫子と鈴を交互に見遣り、誠司は不愉快そうに透輝を睨みつけている。


「ちょうどいい! 俺ら五人で、姫様の寵愛を奪い合おうじゃねぇか! ――我ら五家の祖先が、麗しの女神様の永遠の命と美貌を我先にと搾取したようになぁ!」


 マイクに乗せられた透輝の焚きつけるような声により、場がさらなる混沌へと叩き落された。


 かぐやの名は、五家だけではなく、八神家や月城家の人間も忌避している。それなのに、明言まではせずとも、かぐやを仄めかしてみせた透輝に嫌悪を露わにしている招待客も決して少なくはない。


 もう、刀祢と鈴の縁談どころではない。透輝の乱入により、話はどんどんと大きくなり、既に収拾がつかなくなっている。


(もしかして、透輝くん――)


 透輝の考えの一端を掴めたような気がした直後、こちらに向けられていた背が再度翻った。

 真正面から鈴を見下ろすと、透輝がにっと悪戯っぽく笑った。


「そんで、その中から鈴が決めろ。いいか? ――逃げんじゃねぇぞ」


 最後の最後に付け足された声は、つい泣きそうになるほど優しかった。


「透輝くん……」


 ――透輝はきっと、他者が作った流れに翻弄されそうになっていた鈴を、掬い上げてくれたに違いない。そして、自分が進む道は自分の意志で選べと、背を押してくれたのだ。わざわざ、自分から憎まれ役を買って出てまで。


 あまりにも強引で無謀で、滅茶苦茶だ。だが、その分かりづらい優しさに今、鈴は確かに救われた。


「――それでは、紳士淑女の皆々様。引き続き、パーティーをどうぞお楽しみください」


 もう一度、鈴たちに背を向け、わざとらしいほど丁寧にそう告げた透輝は、最早皮肉としか言いようがないほど、恭しいお辞儀を披露してみせた。それから、もう用は済んだとばかりに足早に去っていき、すれ違いざまにスタッフの男性にマイクを押しつけ、会場から颯爽と出ていった。


 会場内は、未だに騒然としたままだ。正直、もうパーティーどころの雰囲気ではない。


「……伊月」


 素早く椅子から腰を上げ、まだ隣で立ち竦んだままの伊月に声をかければ、透輝が出ていった出入り口をひたと見据えていた暗緑色の双眸が、鈴に向けられた。


「私、ちょっと席を外すね。だから、あとはよろしく!」


 それだけ耳打ちするや否や、踵を返してドレスの裾をたくし上げ、赤い薔薇の花を握り締めたまま、その場から駆け出した。


「鈴!」


 鈴の名を呼ぶ声が背を打ったが、構わず透輝が出ていった出入り口の外へと走っていく。

 幸い、今日履いているパンプスはヒールが低いため、全力疾走しても鈴には何の問題もない。長いドレスの裾さえ踏まないように持ち上げれば、どこまでも走っていける。


 疾風のごとく駆けていく鈴の耳元で、真珠のイヤリングが忙しなく揺れる。真珠のネックレスも、幾度も跳ねては鈴の鎖骨を叩く。


 特徴的なミルキーブロンドとアッシュグレーのスーツを捜し求め、鈴は驚くホテルのスタッフを余所に廊下を駆け抜けていった。



 ***



「――鈴!」


 鈴にあとはよろしくと頼まれたものの、こんな混沌とした場を若輩者である伊月にどうにかできるわけがない。

 何より、自分ではない男の背を迷わず追いかけていった鈴を、放っておけるわけがない。


 その上、鈴は透輝から贈られた薔薇の花を手にしたまま駆け出したのだ。伊月にとって許し難い事態が、目の前で次から次へと展開しているというのに、見て見ぬふりなどできない。


 しかし、鈴の俊足には敵わない。伊月もすぐに会場を後にしたというのに、瞬く間に距離が開いていき、鈴の背はどんどん小さくなっていく。


 でも、それでも鈴の背を追おうと、革靴を履いた足に一際力を込めた直後、後ろから腕を掴まれた。


「――伊月さん、何をしているのです! はしたない!」


 嫌というほど耳に馴染んだ伊月を叱責する厳格で品の良い声が背を打ち、思わず舌打ちを零してしまった。


「……おばあ様」


 ここで祖母を振り切るのは、伊月にとって容易いことだ。

 だが、伊月も祖母に物申したいことがあったため、一度嘆息すると、後ろを振り返る。

 すると案の定、目を吊り上げた祖母がジャケットの袖を掴み、伊月を見上げていた。


「伊月さん、挨拶もなしに退席するなんて、どういう了見です? 八神の次期当主としての自覚がおありなら、それ相応の振る舞いを心がけなさい。――さあ、中に戻りますよ」


「おばあ様、説教なら後でいくらでも聞きます。ですから、今は離してください。俺は鈴を――」


「――あんな化け物の娘など、どうでもいいでしょう!」


 祖母のきんきんと耳に響く声に目元を歪めながらも、なるべく穏便に済ませようと、丁寧な口調を心がけた伊月を意に介さず、さらに耳障りな金切り声が鼓膜に叩きつけられた。


「……は?」


 祖母に鈴を化け物呼ばわりされた途端、冷めた声が自然と唇から零れ落ちてきた。

 しかし、祖母はやはり伊月の反応など構わず、忌々しそうに表情を歪めていた。


「……ええ、そうですよ。あんな忌々しくおぞましい女の一部だった娘なんて、化け物同然でしょう」


 ――鈴が元はかぐやの片割れであり、現人神であることが判明したのは、八年前に行われた、『神降ろしの儀』の時だ。


 当時、十歳だった伊月はその事実が発覚するなり、すぐに八神本家の面々に意気揚々と報告した。

 鈴は人の子であるが、神の子でもある。その鈴に、八神本家の血を引く伊月の子を産んでもらえば、その子は必ずかぐやを討ち取ってくれるはずだ。


 その時の伊月は、まだ幼かったからなのか、それともそれほど頭が良くなかったからなのか、どうしてか現人神である鈴がかぐやを滅ぼす立役者に選ばれることなんて、露ほどにも想定していなかった。馬鹿みたいに、自分と鈴が結ばれ、その子供に死と隣り合わせの役目を託すものだとばかり思っていたのだ。


 鈴が「幸せな家庭」に憧れていたことを知っていたはずなのに、その願いを平然と踏み躙った。ただ、鈴に生きていて欲しくて、生きていても許される理由が欲しくて、好きな女の子の願いよりも己の欲を優先させた。


「あの女の胎から生まれ落ちた刀祢さんが、あの娘が欲しいと口うるさく強請ってくるものですから、体よく押しつけられたというのに……二人まとめて亡き者にできると思ったのに……それを、あの不知火の息子が……よくも、とんでもない真似を仕出かしてくれましたね」


 でも、幼い伊月が自らの欲望を押し通そうとした結果、他でもない鈴を死の縁へと追い詰めてしまったというのか。


「伊月さんや刀祢さんだけじゃなく、まさか不知火の放蕩息子まで誑かすなんて……所詮、娼婦紛いの死に損ないが――」


「――そんなに、かぐやが憎いのですか」


 気づけば、口角が持ち上がっていた。嘲笑交じりの声が、唇からするすると流れ出てくる。


「大伯父様を……おばあ様の兄上の心を生涯奪い続けた女が、そんなにも憎いのですか」


 ――ああ、憎い。

 かつての幼稚で愚かな自分自身も、鈴を化け物と罵り、伊月の手から奪い取った挙句に刀祢なんかに与え、死の縁へと追いやろうとしている祖母も、何もかもが憎たらしくてたまらない。


「な、にを……」


 あれほど威勢よく鈴への呪詛を吐き出していたというのに、伊月が問いを重ねた直後、祖母の顔からは目に見えて血の気が引いていった。


 伊月のジャケットの袖を掴んでいた手を放し、まるで自分自身を守るかのようにその手を胸元で握り締め、もう片方の手で覆い隠した。

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