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隻腕のアルタイル  作者: カニノミソシル
幼年篇
3/5

第二話 名前

 スピカは悩ましげに腕を組み、考え込む姿勢を続けていた。


 その間にカストルはカチャカチャと音を立てながら重ねられた皿をキッチンに運んでいる。

 少年は手伝おうとしたが、片腕では皿を割ってしまう可能性を考え、その場に大人しく座っていることにした。


 少年はグラスに残った少量の水を余すことなく啜る。

 とっくにぬるくなってしまった水でも、口に残ったこってりとした肉の油を流すのには十分だった。


 空になったグラスをカストルのもとへ持っていくと、「ありがとう」という一言とともに笑顔で受け取ってくれた。


 手持無沙汰になってしまった少年は時間が経ち冷静さを取り戻した頭で今後の生き方を考えた。


 ――これから、どうしよう。


 その日を生きることだけを考えて生きてきた少年は、今朝の非日常を味わったことにより、これからどう生きるべきかを見失っていた。

 カストルとスピカは自分のことをどのように思っているのだろうか。一時的に拾ってもらったに過ぎない自分は、傷が完全に癒えたらまた裏路地での生活に戻るのだろうか。

 もしかするとこのままここに住まわせてくれるのではなかろうか。

 様々な不安や淡い期待が少年の頭の中で渦を巻きはじめ、少年はそっとスピカに視線を向ける。

 なおも腕を組んだまま頭を捻るスピカの姿に、小動物的な愛くるしさを感じた。

 裏路地で時折見かける野良猫を見ているような気分になり、少年はふっと小さく笑った。

 抱いた様々な感情が消えることはないが、とりあえずはそれらを頭の片隅に置いておき、今は自分に名前が付けられるという出来事を楽しみに待つことに決めた。


 カストルが、片付けを終えてテーブルに戻ってきたのと同じくらいに、スピカはそっと視線を少年に向けて口を開いた。

 

 「……アルタイル、うん、アルタイルがいいよ」

 先程までのふんわりとした印象からは想像出来ない真剣なスピカの表情を見て、少年はごくりと息を呑んだ。

 「……アルタイル、それが僕の名前?」

 「そう、アルタイル。あれ、気に入らなかった?」


 不安げなスピカの表情に少年は首を横に振った。


 「そんなことないよ。いい名前、だと思う。あんまり分かんないけど」


 内心名前の良し悪しなど少年には分からなかったが、自分に優しく接してくれたスピカという少女に名付けてもらったという事実が少年は嬉しかった。


 

 自分に名前ができたことを実感できずぽかんとした表情を浮かべていると、不意にカストルが和やかに笑いをこぼした。


 「アルタイル、ですか。私がスピカによく読んで聞かせていた絵本の主人公ですね。懐かしい名前ですね」


 スピカは少し恥ずかしそうに頬を染めながら、俯きがちにコクコクと小さく頷いた。

  

 「……ありがとう、僕に名前つけてくれて」

 「どういたしましてだよ。絵本の主人公のアルタイルも赤い目だから、君の赤い綺麗な目を見てそう名付けるべきだって思ったんだ」


 綺麗、という言葉が少年の中で引っかかった。

 赤い瞳の人間はこの世界で珍しく、奇異な存在であるらしい。過去、道行く人に偶然目を見られたとき、赤い瞳というだけで気味悪がられ、理不尽に暴力を振るわれたことすらあり、「魔物のようだ」と言われたことを未だに忘れることが出来ずにいる。

 そんな自分の目を綺麗と少女は言った。過去には瞳が赤いせいで辛い経験もしたが、自分の瞳を認めてくれたことの方が断然嬉しかった。

様々な思いが交錯し、何も言い出せず黙り込んでいると、少年の気持ちを察したであろうカストルが新たな話題を切り出した。


 「ところで、アルタイル君。君には話しておかなければいけないことが幾つかあります」

 

 改めてアルタイルと呼ばれることに少し違和感もあったが、急に真剣な雰囲気になったカストルを前にし、そんな些細なことは気にしないことにした。

 アルタイルは真面目な表情を浮かべるカストルに目を向けた。


 「少し重い話になりますが、まず、私は君に左手を失わせてしまったことをとても後悔してます。医者として、本当に不甲斐ないと感じています。アルタイル君には辛い思いをさせてしまい、本当に申し訳ありません」


 アルタイルの表情は分かりやすく濁ったが、アルタイルが左手を失ったことにカストルが罪悪感を抱くことはないとも思った。自分が欲を掻き、危険な場に踏み込んだことが悪いのだと、落ち着いてからは思うようになっていた。

 アルタイルは何か言おうと口を開こうとするが、しかし頭では分かっていても簡単に割り切れない少年の幼さがそれをさせなかった。

 カストルは謝罪を述べてなお言葉を続ける。


 「私は元々アリストの宮廷医師として王朝に仕えていました。大戦次には戦場へ赴き、兵士達の断裂した四肢を繋ぎ止めたり、義手義足を与えるなど、戦線に復帰するための支援をしていたこともありました。今は色々あって、しがない街医者として生活していますが、そんな過去もあり、アルタイル君のような小さな子供が身体の一部を失ったということに様々な思いを持っているんです。」

 

 カストルが罪悪感を感じる理由が少し理解できた気がした。


 「せめてもの償いに、アルタイル君には義手を用意しようと思ってます。すぐにでも、と、言いたいところなんですが、生憎すぐに用意できるのは大人用の義手しかありません。とりあえずは君用の義手が用意できるまで、うちで過ごしてはいかがでしょうか?その後のことはまた考えましょう」


 「うんうん、それがいいよ。わたしももっとアルタイルのこと知りたいし」


 願ってもない話だった。これからしばらくの間は食べ物を探して寒い中を徘徊する必要もなくなるし、兼ねてから憧れていた温かい家庭というものを直に知ることもできる。

 アルタイルはこの有難い提案に強く頷いた。

 

 「うれしいです!ぜ、ぜひ、おねがいします」

 

 アルタイルの返事に二人は笑顔で答えた。

ぱっと空気が華やいだ。これから始まる新たな生活を想像し、アルタイルは心踊る気分になった。

 

 「そうと決まれば善は急げです。今日は運良く休診日ですので、私は地下の研究室で義手の製作に取り掛かろうと思います。しかし明日からは仕事もありますので、完成には数日かかると思います。その間スピカはアルタイル君と仲良く遊んだり、アルタイル君の知らないことを教えてあげたりしていてくださいね」

 

 笑顔で話すカストルにスピカはわかったと返事をすると、おもむろに立ち上がり、アルタイルに手を差し伸べた。


 「ほら、立って。うちを案内してあげるよ」

 「あ、うん。ありがと」


 差し出された手を握り立ち上がったアルタイルにスピカは満足そうに笑顔を浮かべた。

 アルタイルはスピカに連れられ、熱の残った居間を後にした。


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