月夜の晩に
やあ! こんにちわ!
今からボクがお話をするね。
なぜかって?
だって話を聞いてくれるキミがいるし、
話をするボクがいるんだもの。
ボクが誰かって?
ボクは52歳です。
名前を聞かれたのに年齢を言うなんておかしいよね?
でもボクはキミの名前を知らないし、ボクもキミに名前を言う程まだ親しくはないんだもの。
ただボクは、キミに聞かせられる話があるんだ。
「だから黙って聞きなさい」
あれはお月さまがびいどろみたいにピラピラと光る夜だったよ。
そういう風にお月さまが光るのはさ、コウモリが逆さまに笑う、月に一度の晩だけなのは知ってるよね?
だからボクは、とってもとても気分が良かったんだ。
これはウレシイのおすそ分けをしないといけないと思ってさ。
ご近所の斎藤さんのお宅に向かったんだ。
新品の六角レンチを持って、
新品の六角レンチは縁起が良いだろ?
斎藤さんとはアイサツもした事がないし、会った事もないけどさ。
ゼッタイ、必ず、間違いなく喜んでくれるって確信があったんだ。
びいどろ月の晩を、鼻歌でボブ・ディランの《はげしい雨が降る》を歌いながらアスファルトの道を歩いてるとさ。
そしたらさ、町内の防災倉庫の前でおんなのひとが座っていたんだよ。
ヒザを抱えてさ、俯いていたんだ。
髪なんてボサボサで、何も履いてなかったんじゃないかな?
暗かったけれど、びいどろ月が笑ってたからよく見えたんだ。
死んだおばあちゃんが、おじいちゃんの見送りで着てたようなまっくろの服を着てたよ。
でもさ、おかしくない?
だって夜だよ?
暗い中おんなのひとが外で座ってるなんて!
おかしいよねぇ!?
だからボクは言ったんだ。
「どうされたんですか? ご気分でもすぐれませんか?」
ってね。
するとおんなのひとが顔を上げたんだ。
そしたらさ、
顔が真っ赤っかだったんだよ。
顔はちゃんと、鼻とか目とかデコボコなの。
でもさ、穴がないんだ。
普通は口とか鼻とか目に穴があるよね?
あるよね?
でもそのおんなのひとにはないの。
それで顔中真っ赤っか。
びっくりしてさ。
背中の骨から頭のテッペンまでヒヤッとしちゃってさ。
でも人さまに対して、そんな反応って失礼だよね。
声が出そうになるのを必死にこらえてさ。
もう一度聞いたんだ。
「どうされたんですか? ご気分でもすぐれませんか?」
ってね。
壊れたレコードみたいに。
でも何にも言わないの。
ただボクの方を見上げるだけ。
ボクは思ったね。
(外人さんかな?)
って。
だってさ、ボクは日本の言葉でしゃべったし、おんなのひとは返事をしない。
顔はただ真っ赤なだけだし、髪の毛は黒色だけれども外人さんだって黒髪の人はいっぱいいるわけじゃない?
だから言い直したんだ。
「May I help you?」
って。
でも何にも言わずに、ただボクを見上げてるの。
失礼じゃない?
ボクは良い気分でボブ・ディランの《はげしい雨が降る》を鼻歌で歌っていたし、新品の六角レンチだって持ってたんだよ?
台無しだよ。
だから気分を変えようと思って、そのおんなのひとの前でジュディ・ガーランドの《オーバー・ザ・レインボー》を歌ってやったんだよ。
裏声で。
大サービスだよ。
そしたらウェ~イアッ~プハ~イって歌った所でおんなのひとが立ち上がったんだ。
ボクは158センチあるんだけどさ、そのおんなのひとったらボクよりもアタマ一つ分大きいの。
見下ろされちゃってさ、目もないくせに。
なんだよなんだよ!
って思うじゃない?
思うよねぇ!?
キッと睨んでやったんだ。
そしたらさ、おんなのひとの顔がタテにバァ!!!!
って割れたんだよ。
顔の中はもうね、ギザギザ。
8さいの頃に見た天の川よりギザギザだったね。
ボクったらそんなの初めて見たからさ、
「ひっ」
なんて口から洩れちゃったよ。
それからおんなのひとがボクに覆いかぶさってきたんだ。
初対面のおんなのひとにそんな事されたらさ、
照れるじゃん?
ついつい突き倒しちゃったんだ。
ボクはとっさに
(けいさつに通報されるかも!)
って考えちゃって、怖くなって
怖くなって
怖くなって怖くなって
走って逃げ出しちゃった。
わかるよ?
キミが言いたいことはわかる。
いくじなしって思っちゃうよね?
でもさ、考えてみてよ?
けいさつに掴まっちゃうとさ、オマワリさんがウチに来るじゃん?
そしたら仏さまの前でずっと寝てるおかあさんに会っちゃうんだよ。
ずっと寝てるおかあさん
ずっと寝てるおかあさん
ずっと寝てるおかあさん
ボクは走りながら
(ずっと寝てるずっと寝てるずっと寝てるずっと寝てる)
って考えつつ、ヒジとヒザをゴンッ! ゴンッ! てぶつけてた。
電信柱を31コ通りすぎたあたりかな?
つかれちゃったんだよ。
いつもなら38コはヨユーで越えられるんだ。
たぶん裏声出したからだね。
ぜえぜえ言いながら
「やっぱり年齢には勝てないな」
って、手をヒザについて息を整えたんだ。
ボクったら張り切ってスーツなんか着ちゃってたから、もうシワクチャ。
せっかくおかあさんがずーっと前に買ってくれたのにさ。
胸元のポッケに入れてたラルフローレンの黄色いハンカチでおでこの汗を拭いて、ボクを待ってる斎藤さんのトコに行こうと歩き出したんだけど、
いるの
女の人が
32コ目の電信柱に。
ボクが気が付いてピタッと止まるとさ、
四つん這いになってこっちに来るの!
ボクは気が付いたね、
(あのヒトけいさつじゃない?)
って。
そうと決まれば逃げなくちゃ。
おかあさんに会っちゃう。
また走ったね。
(ずっと寝てるずっと寝てるずっと寝てるずっと寝てる)
って思いながら。
カンカン鳥が鳴いてるのを聞きつつ、角を曲がって踏み切りを通り抜けようとしたんだけどね。
無理だったよ。
明日は朝から監査計画書を確認したあと朝礼前までにサイボウズで各部署ごとへ送らなきゃいけないから、帰らないと。
帰らないといけないのに。
まぁ、びいどろ月を見上げてるうちに気分もなおっちゃって、コウモリが逆さまに笑ってる事を考えたらどうでもよくはなっちゃったんだけど。
斎藤さんに六角レンチを見せてあげられなかった事だけが、
ほんとうにほんとうに残念だったよ。
最後まで聞いてくれてありがとう。