5・連絡先を交換した
下校時。
「ここにいましたか、せーんぱい」
朱里が性懲りもなく、俺のクラスまでやって来た。
「…………」
「また無視するつもりですか? さっきはちょっと慌てちゃいましたけど、もうその手には乗らないんですから」
周囲の視線を感じる。
ああ……こんなことしてるから、俺はこいつと付き合っていると勘違いされていたんだろう。
「そういえば、先輩。さっき女の子と喋っていましたよね」
俺は一言も発していないのに、朱里は喋り続けている。
「彼女ができたなんて嘘ですよね? そうに決まっています。先輩に彼女なんてできませんから」
「…………」
「先輩が女の子と喋ったら嫌われるだけですよ? だから今までわたしが他の女の子から遠ざけてあげてたのに、好意を無駄にするつもりですか? 悪いことは言いません。先輩はわたしとだけお喋りしていたらいいんです」
女の子と喋ったら嫌われる?
その物言いにかちんときた。
「おい」
自分でも驚くくらいに低い声が出せた。
「え……」
俺は朱里を壁際まで追い詰める。
朱里は戸惑っているのか抵抗できない。
「言っていいことと悪いことがあるだろうが」
「……っ、な、なに言ってんですか。先輩は……」
「お前はそうやっていつも俺をバカにしてきたな。そのせいで、俺は自己肯定感の欠片もなかった。いつも自分を卑下して、彼女を作るのも大変だったんだ」
「か、彼女って……まーた妄想……」
「だがな、俺だってお前がいなけりゃ女子と喋るくらい簡単だ」
朱里の言葉を遮って、俺は続ける。
「お前のせいで俺の高校生活は台無しだ。謝罪の一つでもあったら違ったかもしれないが、もう無理だ。何度でも言う。これ以上もう俺に関わるな」
ふう。
やっぱり一度吐き出してしまえば気持ち的にすっきりするな。
俺は朱里に背を向けた。
「せ、先輩……ど、どうしたんですかっ? 最近の先輩は変ですよ。わ、わたしもちょーっとだけやり過ぎていたかもしれません。ご、ごめっ……」
ごめん。
そう一言言おうと思ったのだろうか。
しかし待てど待てども、その先の言葉が発せられる様子はなかった。
「…………」
「まあ、もう謝っても許してやらねえけどな」
我慢の限界はとっくに突破しているのだ。
まだなにか言いたげな朱里を放って、俺は教室から出た。
◆ ◆
「昨日もそうだったが……やっぱり一人で帰るのは格別だな」
いつも見慣れた下校風景。
だが、朱里がいないだけでキラキラ輝いて見えた。
「そうだ。本屋でも寄ってから帰るとするか」
朱里と毎日帰宅していた頃は、自由に好きな店にも入ることができなかった。
本屋にでも行こうとするならば。
『本屋ってなんか静かじゃないですか? あんなところだったら、先輩とお喋……じゃなくてイジめられないでしょう。今から先輩はわたしとパフェを食べに行くのです』
と行きたくもなかったお店に強引に連れて行かれた。もちろんその時の代金は俺持ちだ。
それを考えたら、自分の意志で好きな店に寄るのも新鮮だな。
やがて近所の本屋に到着。
「さて……ラノベの新刊は出ているだろうか」
そう呟いて、ラノベが置かれている棚まで移動しようとした時であった。
「あれ? 牧田君ですよね……?」
後ろから聞き覚えのある声。
振り向くと、そこには眼鏡をかけた女の子がいた。
「市川」
そう俺は彼女の名を呼ぶ。
市川花音。
北沢や小鳥遊と同様、クラスメイトの女の子である。
「あれ? 今日はあの……一年生の彼女さんと一緒じゃないんですね……?」
「はあ……やっぱり市川にも思われていたのか」
俺はこの日三度目となる「朱里とは付き合っていない」ということを、市川に説明した。
すると市川はほっと安堵したように。
「そっか……あの子と付き合っていなかったんだ……それに喧嘩したんですね。稲本さんも酷い後輩です……」
「だろ?」
「は、はい……」
と市川は小さい声を発した。
市川は眼鏡をかけていて、前髪も伸ばしているため、一見根暗な女の子に見える。
俺は別に嫌いでもないし、なんならそんな彼女に好感を覚えているがな。
そうだ。
良い機会だし聞いてみよう。
「なあ市川」
「なんでしょうか……?」
「俺と喋っててなんか不快な気持ちになったりするか?」
「へ?」
なにを言われたのか理解していないのか、市川は目を丸くした。
「変なことを聞いてすまん。朱里に『あなたが女の子と喋ったら嫌われるだけ』と常々言われていてな。気にしてたんだ」
「そうだったんですね……! わ、私は牧田君と喋ってて全然不快にならないですっ! それどころか、こうやってお喋りできてとっても楽しいです!」
「本当か?」
「本当です……! 私、こんなことで嘘を吐きませんよ!」
そう言う市川の顔は真剣そのものであった。
「そっか。ありがとう。市川の言うことを信じるよ。市川のおかげでなんだか楽になった」
「ど、どういたしまして……! 私なんかでお役に立てたら嬉しいですっ」
言わば、朱里の『あなたが女の子と喋ったら嫌われるだけ』は呪いそのものであった。
そのせいで女の子と喋るだけでも、俺は尻込みしてしまっていた。
しかし市川もこう言ってるんだし、徐々に元に戻っていくだろう。
そんな気がした。
「あっ……牧田君! 次は私から質問したいんですが!」
「なんだ?」
「こうして本屋に来ているということは……牧田君も本が好きなんですか?」
「ああ、本は好きだぞ。主にラノベと漫画だが……子どもっぽいかな?」
「ぜ、全然そんなことありません! ラノベと漫画は日本の立派な文化です。私も大好きです!」
「おお、それは嬉しい。だったら市川は読書仲間だな」
きょとんとした表情になる市川。
ちょっと距離を詰めすぎただろうか?
しかし俺の不安は杞憂だったようで、すぐに市川は笑顔になって、
「は、はい……そうですね……! 私、読書仲間なんていなかったですから、牧田君にそう言ってもらえて嬉しいです……!」
と言った。
反応は悪くないようだ。
そうだ……この勢いのまま聞いてしまおう。
俺はポケットからスマホを取り出す。
「良かったら、トークアプリのIDを交換しないか?」
「い、いいんですか!?」
「ああ。もし良かったら、お互いに好きな本とか紹介しあおう」
俺のトークアプリの中には朱里のIDしか登録されていない。
もし他の女のIDでも入れようでもあれば、朱里に見つかって即効で消されていたからだ。
朱里以外の人間のIDを手に入れる。それができれば真人間に一歩近付けるような気がした。
「も、もちろんです……ID交換しましょ! 今日とか早速メッセージを送ってみてもいいですか?」
「いつでも気軽に送ってくれ。俺も送ると思うから」
「はい……!」
その後、俺は市川とトークアプリのIDを交換した。
たったこれだけのことなのに、俺は大きく前進したような気がするのであった。
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