第37話 もう一度そばに来て
雪の降る札幌に大霹靂が落ちた日より数か月さかのぼる。
東京都内某所の墓地に髪の長い女性が訪れた。メラニズムのヘビのような艶めいた髪は膝の高さまで伸び、前髪は目を完全に覆っていた。乳白色のスーツとタイトスカートに黒い稲妻模様は墓地には不謹慎だ。時折前髪の隙間から覗く美貌も寺で禁欲修行中の若い僧侶にとってはマーラだ。
女性は水道で水を入れた手桶、柄杓と箒を持って、しばらくローファーの踵であちこちの石畳を鳴らした後に一つの墓の前で立ち止まった。ほのかに残る線香、まだ少し透けている蝋。さっきまで誰かがここにいた。
大きな墓ではない。見知らぬ人から献花されるような偉人の墓でもない。ここには普通の人が眠っている。そう、普通の人だ。
「村上家の墓。ここね」
そこに名が刻まれているのは、凪、千穂、そして響子。
少しややこしいが、ここはメロンの墓だった。そして今日はメロンの月命日だ。
メロンの本名は網柄甜瓜であり、網柄甜瓜はゴア族主流派族長外庭数に改造された地球人の女性、鹿井響子である。その鹿井響子は村上凪という男性と結婚していたので、この墓が作られた時の彼女の正しい名前は“村上響子”だった。
その村上響子は十五年前に夫の凪、娘の千穂と三人で街を歩いていたところ、異星人の無免許運転の暴走に巻き込まれ、凪と千穂は即死した。そして不幸にも、三人が運び込まれた病院は、地球では医師として過ごしていた外庭数のものだった。
当時の外庭は托卵ゴア族計画の結果を待っていたが、その当時、托卵ゴア族の因幡飛兎身は九歳。犬養樹は四歳。果報は寝て待てというが、端的に言うと外庭は焦っていた。結果から言うと外庭の遺した托卵ゴア族が開花するのは外庭の死後、駿河燈に引き継がれてからだったし、托卵ゴア族の進捗状況、果報は寝て待てと言ってももういくつ寝るとお正月、のお正月よりご臨終が近い年齢と健康状態では不安が募る一方だった。
先天性の超能力者を作るより、今あるもので作ってみよう。
その極悪DIYの被検体になったのが村上(旧姓:鹿井)響子であり、現在の網柄甜瓜、そしてゴア族のコードネーム:サクリファイス、現在のメロンだ。
しかもメロンはメッセ以上の絶世の美女。超能力の後付けが出来なくても蘇生して手先にするだけで若手を束ねる大きな戦力になる。そして外庭の企みは大成功。命令は全て聞くし、生前の美貌もそのまま。外庭の死後もジェイド、アッシュ、鼎の助けになり、飛燕頑馬率いる虎の子の助っ人、駿河燈率いるトーチランド、江戸川双右率いるイタミ社を大いに苦しめる強力な超能力もこの時ゲットした。
しかし書類上、村上響子は手術の甲斐なく死んでしまったことになっており、メロン自身も記憶の改竄によって自分が家族を持っていたことなど忘れていた。
記憶の大半を取り戻した時、今ある生活のほとんど全てが外庭に用意されたものでも、今の自分を“鹿井響子”ではなく“網柄甜瓜”として認識している人が多い、という理由から、メロンは“鹿井響子”を捨てた。
その後の活躍はご存知の通り。従う相手とポジションが変わっても諜報・連絡・運搬・索敵・相談といったチームプレーの核をなし、サイバーミリオンを操作してサイバーマインに大ダメージを与え、トーチランドを機能停止に追い込んだ。
しかし、前世を捨てる、という判断は簡単なものではない。
「ちょっといいかしら」
「はい」
「わたし、この人の遺族ではないけど毎月、月命日にはここにきてお墓の掃除をしてもいい?」
「ええ。村上さんも喜ばれます」
村上(旧姓:鹿井)響子は十五年前に死んだ人間。そんな人間が、死んだはずの十五年前と変わらない姿で月命日には自分と夫と娘の墓を掃除して花と線香を手向ける。そんなことが起きたら東京にまた一つ怪談が増える。「今の人間関係を大事にする」というメロンの英断は前世との完全な断絶を意味する。もう最愛の夫と娘の墓に来ることも出来ないのだ。
だから彼女は、自分の代わりに新たな相棒であるメッセを遣わした。
落ち葉も増えるこの季節、お嬢様育ちで外の掃除なんてほとんどやったことのないメッセは、箒で落ち葉とダンゴムシを払いながら自分の今後を考えていた。
エレジーナの王族の血を引くメッセだが皇位継承順位なんて遠いも遠い! メッセの祖母の代までさかのぼっても、メッセの祖母ですら地球侵略の先兵に利用され、さらに彼女は当時地球を防衛していたアブソリュートミリオンに八つ裂きにされている。これはミリオンの名場面として『CRアブソリュートミリオン』の激アツ演出で見ることが出来る。
血筋なんて人を測ることに何の意味も持たない。
美女に成長したメッセは、自分なりの自由と力を求め、偶然、メッセの地元にふらっとやってきて滞在していたアブソリュート・レイとその相棒バースに自分を売り込み、高貴で野蛮な自由と力と仲間を手に入れた。
そこにマートンが……。やがてオーが……。
そして満を持して地球にやってきて、見事メロンに敗れて拘置所生活。司法取引でトーチランド撃退に成功してシャバに復帰。サイバーミリオンの特訓で合宿したメロンはメッセに懐いてくれたし、メッセはメロンの美貌と人柄に魅了されていた。
「邪魔ね」
長い髪の先端に落ち葉がつく。どうせ生き方が変わるんだ。レイがまっとうなアブソリュートの戦士になるとしても、それに従う正義の怪獣のポジションはまだ空いているしそこもきっと悪くない。メロンが相棒になってくれるなら、探偵事務所でも開こうか。
心機一転。月命日の墓掃除の邪魔にもなるし、メッセはバッサリとスーパーロングを切ってボーイッシュなショートカットにイメチェンした。
『Private Eye: Messenger』
自称でどうにかなる肩書と職業でも、無職や悪名高きチンピラ一味のキレイどころよりは様になる名刺だ。これならメロンの前世からの引継ぎを多少どうにかできるだろう。
メッセは……。捨てられなかった。自ら名乗りはしないが、「アブソリュートに味方する正義の怪獣」なんて厚顔無恥に言うには無軌道に暴力と快楽を貪った過去。ここにきてもやはりレイは道しるべだった。レイが忍んだ恥に比べればこんなもの……。結果的にはエレジーナの王族以上に稀有で困難で誇り高い椅子だぞ、「アブソリュートに味方する正義の怪獣」。
そして今! 暴力に満ちた過去の独りよがりな正当化は、本当に正当になる!
討て、メッセ。「アブソリュートに味方する正義の怪獣」として、邪悪のウラオビ・J・タクユキとそれに転がされる哀れな無邪気にとどめを刺せ!
〇
「……あれ、このページ読んだっけ?」
寿ユキの住まいがあるキャッスル祖師谷。ここには今、フジ・カケル、寿ユキ、望月鼎がいる。
望月鼎はベッドに寝かされてまだ目を覚まさない。しかし目を覚ましていないのが不思議なくらいだ。体温、脈拍、血圧、呼吸、血色、いずれをとっても健康そのもの。ウラオビの襲撃を受けてから沈花の治癒を受け、ユキの治癒を受け、未知の毒や呪いの類も感じられない。
ユキは落ち着こうと、まずは三人分の夕食の準備を始めた。フジも落ち着こうと、姉の蔵書のコレクションに手を出してみたものの、文字を目で追えているのに読解が出来ず、読んだはずのページの記憶もないし、今何が起きているのかもわからない。だからページを遡ってもそこすら読んだ記憶がない。
鼎を案じる気持ちが少し途切れれば、紅錦鳳落のおかげで怒りと狂気に任せた殺人者にならずに済んだ事実、そしてその恩返しと八つ当たりである紅錦鳳落との決闘の勝算ばかり考えてしまう。今のところ勝つ算段はない。
「姉貴ィ。夕飯、何?」
「カケルの好きなコンビーフよ。ジャガイモとコンビーフを炒めてスペイン風にニンニクで味を調える。それからパエリアとミネストローネ」
「わぁー気分はアンダルシアー」
……今の俺ってバカじゃね?
鼎を傷つけられ、その復讐のために捕えたテンカウントを中途半端に拷問して手が汚された。しかも復讐は完遂することなく紅錦鳳落によって没収され、紅錦鳳落と決闘。
コンビーフとニンニクなんて大好物の組み合わせにスペイン風なんてオッシャレェな名前の付いたものを食わせてもらえるからって落ち着ける訳がない。
しかし浅薄な殺人をせずに済み、鼎ももう起きていいはずだ。気長に待つか。
……と、若き戦士は読書なんて出来るはずもなく苦悩を続けていた。
「カケル。相談があるの」
「俺に出来ることなんてあるのか? もう全部姉貴がやってくれ。ウラオビもギレルモ星人も全部やってくれ。それがダメなら兄貴のところでアニサキス覚悟で生のサバを食う」
「あと一時間……。一時間待っても鼎ちゃんが目を覚まさなかったら、地球人の病院へ移しましょう」
「……何?」
「それがタイムリミットよ。これ以上は誤魔化せない。これ以上眠りが長引くようならご家族にもお知らせしなきゃ。その治療をしている場所が得体の知れない星人の自宅で、治療してるのも星人なんてのはご家族は納得できないわ。カケル、あなたが車にはねられて入院していた時、わたしはあなたをギリギリまで治さなかった。でもそれとこれとは話が別」
「姉貴ってさぁ、苦手なことあるだろ。少なくとも俺は姉貴の苦手なことを一つ知ってる」
「何かしら、弟子の育成のこと? 言ってみて」
「今ので二つになった。一つは冗談。カイの野郎はよくやった。あいつが死んだのは姉貴のせいじゃない。姉貴の苦手なこと、もう一つは考えることだ」
「考えること?」
「姉貴は思うだけだ。意外と、大したこと考えてねぇよ、姉貴は。それも姉貴のせいじゃねぇな。強すぎたせいだ。姉貴がそうする、と言うと逆らえねぇんだよ。兄貴も、いや、親父だって姉貴の判断に異は唱えない。それは姉貴が強すぎるからだし、姉貴の判断は大体あってる。でもそれが間違っているかどうかの検討が甘い。姉貴は食ったことがあるか? マンボウのネギトロ。安い寿司屋じゃマグロの代用品になってる。それを知らねぇガキはマグロのネギトロ美味しいね、なんていいながらマンボウを食っているんだ。だが生憎俺は三崎港の本物のマグロを鼎と食いに行った。本物の味を知った。大好物ってのは飽きが来ねぇから大好物なんだ。またすぐに食いたくなる。でも石神井公園のボロアパートじゃあのマグロは食えねぇ。三崎港は遠いし、本物のマグロは高い。だから近所のスーパーで赤身の魚を買ってきて、オリーブオイルに浸して大トロに似た何かを作るんだ。その赤身の魚は、マンボウだ。スーパーサイヤ人がなんで金髪か知ってるか? 黒髪のサイヤ人の髪を黒く塗るより金髪のスーパーサイヤ人の方が作画が楽だからだ。何通もレターパックを出さなきゃいけないのにいちいち依頼人の名前を記入するのは時間がかかる。だから予め自分の住所と名前のスタンプを作っておいて時間を省略する。何が言いたいかわかるか?」
「なんとなくね」
「生き物は物事を効率的に進めるように作られているんだよ。それは一種の制限だ。その制限をぶち切って輝くのが、三崎港のマグロで、完全版の表紙の黒髪の悟空で、レターパックに認めた肉筆の美しさだ。効率を求めるが故に、非効率を極めたイッテンモノは貴重だ。意見交換やミーティングってのは効率の果ての量産品と非効率のイッテンモノ、どちらを求めるものでもいいと思ってる。俺が言いたいのは、その副産物であるマンボウをオリーブオイルに浸すような工夫と、どっちにしろ採用されないカス意見のことだ。姉貴からはそのカス意見が全く出ない。出そうともしない。まぁ、それでいいっちゃいいんだけどな。何しろ姉貴は“ジェイド”だ」
「……」
「メロンとメッセがいてくれてよかった。そういうことはあの二人に任せて、姉貴はあの二人がマッチングした敵をドーンと敵を倒す。そういう楽なポジションでいいんじゃねぇか? ……悪い、言いすぎた。でもどう思う? 俺が考えに考えたこの言葉だって、姉貴はそう思うわ、って即答する」
「そうね」
「ほらな」
「でも言わせて。あなたは、自分のことを姉にビクビクして姉の影響下から逃れられず、その全てに左右されるシスコンの弟と思っているようだけど、それはこっちもよ。わたしは弟の成長、堕落……。そういうものに影響を受けて大きく一喜一憂している。非効率でしょう?」
「屁理屈の量じゃ俺には勝てねぇぞ」
「でももう違うかもね。あなたが一番、影響を受けているのはお姉ちゃんじゃなくて、鼎ちゃんかも」
「そういう狙いすました一撃には敵わねぇけどあざといんだよぉぉお……。忘れてくれ。姉貴に任せる。訳の分からねぇチンピラがモヤモヤするって理由で地球人を一家族ぶん回すより、ジェイドがそう決めたってバーンと言う方が望月家も納得だろうさ。お姉ちゃんには敵いませんなぁ。オネエ……。チッ、嫌なやつのこと思い出しちまった。……ヘイ、メロン。オネエ対策を立てるぞ」
分の悪い口喧嘩から逃れるためにフジは耳をタップしてメロンを呼び出した。緑色で半透明の魑魅魍魎は現れてはくれたものの、その姿は火の消えた蝋燭のように濁ってきている。
「どうしたメロン。具合でも悪いのか?」
「ごめんフジくん、連絡が遅れた。メッセがヒール・ジェイドと戦っているわ。今はそっちで忙しいの」
「オッケ。俺は急ぎじゃない」
フジがテレビのチャンネルを回すと札幌での戦いの中継だ。全国中継のため、祖師谷でも札幌でも同じものが映っている。
札幌にある東のオフィスのテレビの向こう側の窓には、一瞬にして通り過ぎる白い影! 西にある居酒屋のテレビの向こうの窓では白い光陰矢の如し! 南にある塾のテレビの向こうの窓では空から降る雪とダッシュのスタートで飛び散る雪、遠ざかっていく白い霹靂。北のアパートのテレビの向こうの窓には、カメラのズーム以上の速度で急接近する能面の白皙!
「メラァッ!」
全ての窓ガラスを一瞬にして過ぎ去っていったが、その全てのテレビに映っている札幌テレビ塔からの映像から見てもわかるように、メッセが低い建物を飛び越えてヒール・ジェイドの顔面に飛び膝蹴りを食らわせる。テレビのステレオと現実の肉弾の音が不愉快に輪唱した。よろめいたヒール・ジェイドの首に足を絡ませて膝を折り、頸動脈を締め上げてヒール・ジェイドに変則的な肩車を強要する。メッセの体重は非常に軽くヒール・ジェイドはアメリカンマッチョを振り払うテキサスのロデオ牛めいた動きを二足歩行のまま札幌で行う。しかし異常な細さの足は関節技の域を超えてワイヤーによる絞首刑に近い。
「メメメラ!」
組み付いたヒール・ジェイドの脳天に肘を討つ! 名DJのスクラッチじみた音の途切れるような三連打! 空っぽの頭は打楽器になってよく鳴った。しかしそろそろヒール・ジェイドも慣れてくる。後頭部に張り付くメッセを狙うトキシウムエッジの動きが闇雲ではなくなってきた。潮時だ。
「メラッ」
尻尾を再度建物に打ち込んでアンカーを機能させた後、尻尾の伸縮でヒール・ジェイドを市中引き回しにして放り投げてやった。ヒール・ジェイドは受け身が取れない! まだ脳に酸素が回っていないのだ!
「エレジーナ電磁流!」
「チェアーッ!」
メッセが通り過ぎた窓たちには、さっき白い影、白い矢、白い霹靂、白皙が来た方向とは逆に向かうエレジーナ電磁流が映る。紫の悪の飛沫も悲鳴もない。最もヒール・ジェイドに近かった南の方角ではエレジーナ電磁流がヒール・ジェイドの目の前で弾かれて拡散し、無効化される様。
「カブロンさん……」
この超能力はあのお調子者の宴会部長、カブロンの頭頂部で展開される超防御力と同じものだ。
そう。メッセがエレジーナの最大火力でウラオビもろともヒール・ジェイドを消し去ろうとした瞬間、碧沈花は自分の意思で怪獣軍団から“取り立て”ることを決めた。今、渋谷がどうなっているかはわからない。それにアッシュとジェイドが呑気にこの戦いの中継を寿ユキ宅で眺めていること、つまり東京は平和だってことも知らない。
それでもエレジーナの最大火力でも致命傷にならなかった根拠はこれだろう。
本当に沈花はウラオビのシナリオ通り、怪獣軍団を電池にして、真にメッセ、レイ、ジェイド、アッシュへの挑戦権を手に入れた。本当に自分が彼らから力を奪ってしまったのだ。
遠距離攻撃をある程度防げるカブロンシールド……。メッセの最大火力、通称“ピープルズ・E”にはシールドを貫通されたことでダメージを負ったが、通常のエレジーナ電磁流程度なら距離があれば無効化出来るようだ。
「メラァッ」
しかしそれでも無策に使い勝手のいい技を連発するメッセではない! 肉弾戦メインに切り替えたクレバーな判断とその流れるような連続攻撃はメッセをただのお飾りの司令塔や非力な超能力者にしない。これもレイと旅をして手に入れた力の一つであり、尊敬する男の尊敬出来る妹を騙るお調子者に浴びせている名状しがたい暴力の洗礼からも、高貴で野蛮な誇りの一端を感じ取れる。電磁流はシールドで防がれても電気が弾けて目くらましになる。その電磁流と同じ軌道で急加速し、メッセ自体が弾丸となってその膝がヒール・ジェイドの左目を抉る!
「チィイイイエエエエエ!!!!!?」
Bam!
確かな手ごたえ! ヒール・ジェイドのリアクションがさっきまでと変わった。苦しみ方の質が違う。立て続けに攻撃されることに対するダダとは違う。真の痛みだ。ヒール・ジェイドはゴア族特有のドス黒い血を飛散させながら左顔面に手を当て、激痛に震えている。指の間からボロンと大きな肉の塊が零れ落ちた。女の子なのに顔面に大きな損傷を負ってしまったようだ。雪と合わせて黒い血はくじら幕。そろそろ死も近いか。
「チ……チエ……」
「……そこまでやるつもりではなかった。なんて言うつもりは、ない!」
零れた大きな肉の塊は、眼球の残骸だ。
左目。それがアブソリュート人にとってはある意味、左胸の心臓以上に重要な部位であることは言うまでもない。ミリオン、アッシュ、ジェイド、レイの家系でも、マイン、シーカーの家系でも左目に変身のスイッチを置いている。左目がなくなれば“碧沈花”は二度と“ヒール・ジェイド”に変身することはない。彼女が本物であれば。
「チエ……」
ここまでか? ここまでか、ヒール・ジェイド!?
終わってくれ。メッセはそう願っていた。
あのカス野郎二人……。ギレルモ星人はレイが、ウラオビはジェイドが始末する。残ったアデアデとヒオウは自首して、もう終わろうじゃないか。
ここまでは既にウラオビのシナリオ通りだ。電磁流を防がれた時点で、メッセも知っている怪獣軍団電池化のシナリオは履行された。ウラオビがウラオビのお望み通りジェイドに討たれることももうこだわらない。終わりたい。
〇
ハロウィンは二か月前に終わったってのに、約五十人の仮装集団が渋谷の路上で倒れている。寝ていることすら耐えられないこの土地の悪臭にアスファルトの冷たさ。本当に気絶しているか、立ち上がる力もないのだ。パキケファロサウルスを模した頭頂部がスベスベの男もここに倒れている。
そんな仮装集団をよりアップで撮影するために中腰でカメラを向ける人たち。その死屍累々と崩壊したモラルの土俵の中に、二人の偉丈夫が屹立している。
一人は身長百九十一センチメートルで、短髪にいかついスポーツグラス、レザーのライダースジャケットでドデカい筋肉を収めたマッチョマン。彼は怒りに燃えている。
一人は身長百八十五センチメートルで、アップバング七三にちょび髭、丸メガネに和装の伊達男。彼は喜びに燃えている。
「名前を言え」
「鉄竹経修郎。もっと早くに訊いてほしかった。もっと早く訊いてもらって、お前の仲間になりたかった」
「何故、こいつらは死んでいる?」
「死んではいない。これから死ぬかもしれないやつはいる。知っての通り、ヒール・ジェイドの電池にされた」
「じゃあてめぇは何で無事だ?」
「俺はヒール・ジェイドに治されていないからな」
「鯉住音々のヒーローショーを台無しにしたあの戦いで負った傷を自力で治したのか」
「そういうことになるな」
「ふざけやがって……」
「いいぞいいぞぉ。義憤! 人情! そういうものにツッコミを入れても崩れない人間関係! お前の相棒に、ずっとなりたかった!」
「やっぱりてめぇは俺の仲間にはしねぇ。錆になって消えろ」