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アブソリュート・トラッシュ  作者: 三篠森・N
第4章 アブソリュートミリオン 2nd
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第33話 公私混同

「あのぉ……虎威さん……? 今、話しかけていいですか?」


「おぅ、どうかしましたかな」


「ここの解釈についてお聞きしたいことがあるのですが、お時間いいですか?」


「いいよ」


 鼎が『新訳・三香金笛抄』の付箋をつけたページを狐燐に見せた。そろそろ学祭も近く、研究も仕上げに入らねばならない。仲良しの沈花がバイトを休んだり遅くに出勤する日が増えてきたが、鼎のシフトは入っているため沈花がいないから出勤しない、なんて言えない。それに沈花は狐燐と鳳落に全幅の信頼を寄せており、人格も実力も申し分ないと太鼓判を押している。そして何より、イタミ社が『新訳・三香金笛抄』を制作していた時、沈花はまだいなかったため、わからないところは狐燐、鳳落、経修郎、双右に訊くしかない。しかし経修郎と双右もまた留守が多く、この二人には得も言われぬ不信感を持ってしまう。


「えぇと……。サイバーアブソリュートミリオンってご存知ですか?」


「……知ってるよ。タチの悪い都市伝説だ。実在の人物の名前を使ってそんな噂流すなんてねぇ。なんで急にサイバーミリオン?」


「ユニスポのバックナンバーを読んでみました」


「ユニスポぉ?」


「論より証拠と言いますがまずは論だけでも探してみようかと思ったら、論が一番多いのはユニスポのように思いました」


「証拠は自分で見つけるってことか。ありっちゃありだ。サイバーミリオンねぇ」


 鼎の持っている『新訳・三香金笛抄』のページは確かに双右の指示を受けて狐燐が描いたものだ。だからよく覚えている。サイバーミリオンがサイバーマインと戦ったのは今年の九月。『新訳・三香金笛抄』の制作はもっと前で、このページも双右の指示で狐燐が表現したものに他ならない。そのため、狐燐はサイバーミリオンの存在こそ知っているもの、このページ制作時では本当に双右の妄想、あるいは予言の域を出ない戦いだった。双右は沈花だけでなく、自分たちにも何かを隠しているようだ。『新訳・三香金笛抄』には過去の具現化と断言、そして未来の預言が正確に記されている。双右はいつから、どこまでを知っていた? もう知らぬでは通らない。

 双右が四天王を交通の要所に派遣して渋谷で金をバラまいた事件も予言済みだがこれは自分で実行出来る。しかしサイバーミリオンはどうやってやった? 自分も知らずに描いた『新訳・三香金笛抄』のページはどこまで双右の予想で、どこからが確かな予言か?


「サイバーミリオンはコンピューターウィルスの一種だ。対象のコンピューターに潜り込み、出来の悪いアクションゲームを強制して、最後は自爆して何もかもポンコツにする。ユニスポの言う通りならね」


「そうですかぁ……」


「なんでサイバーミリオンのことを?」


「『新訳・三香金笛抄』にある魂も肉体もない戦士ってサイバーミリオンのことじゃないかと思ったんです」


「手当たり次第にやってみて検証するやり方は間違って……。る? そうか、鼎ちゃんは学祭というタイムリミットがあったね」


 公私混同。狐燐はこの言葉に敏感だ。

 鼎に情が移ると辛くなる、とは狐燐が沈花に繰り返し言ってきた言葉だ。ウラオビがこの子をどうするつもりか知らないが、どうせなら辛くない別れがしたい。しかし辛くない別れなんてそうそうない。辛くない別れがあるとしたらウラオビと別れる時だ。

 仕事に一切の感傷を入れないのが狐燐の理想だ。その理想がまた崩れつつある。感傷を捨てる? それは人間性を捨てるということだ。人間性を捨てて効率に走れば狐燐は芸術家ではなくなり、超能力も使えないただの無能力アデアデ星人になってしまうだろう。


「力になれなくてごめんね」


「いえ、虎威さんは優しいですよ。疲れてるのに疲れた、ってわたしの前で言わないですし」


 ちっくしょおおお! このペンが! このペンが走っても絵にならなきゃ、仕事に無駄な情けを持ち込まないようになれるのか!?


「鼎ちゃんはさ、読んだことある? 『東の宝島』」


「正直、大好きでした。でもファン丸出しで接したら虎威さんに悪いから」


 五年前。虎威狐燐二十二歳。


「ここまで来られたのはヒトシさんのおかげです」


「ここまで事前のペース配分通りに連載を進める作家さんは前例がありません。僕の仕事がないですよ」


 狐燐には(ヒトシ)という編集者がついていた。ヒトシは若く、新卒で配属になった月刊マンガ誌でまず狐燐というアタリ新人を引いた。そして彼女と二人三脚で『東の宝島』を成功に導いた。雑誌始まって以来の大騒ぎ、アニメ化、映画化。幼い子供が主要人物におり、演じられる子役がいないため実写化とは無縁だった。

 『東の宝島』は連載前の打ち合わせで最終回までの内容が全て確定していたため引き延ばしもなく、エロや百合や腐を求められても路線変更も出来なかったのでグッズの収入は意外に少ない。それでも二十代前半のマンガ家のデビュー作としては十分すぎるほどの評価だった。


「連載が終わったら例のこと、考えてくれますか?」


「もちろん。連載終了までなら時間の問題ですね」


 一仕事終わったら結婚しようなんて映画では真っ先に死ぬ約束を二人は結んだ。そして狐燐が連載を終えたのは二十四歳の時。現在二十七歳の狐燐は独身だ。そういうことだ。ヒトシは死んだ。過労死だった。マイナーな月刊誌では大ヒットの場合にどう担当編集者を動かすかのノウハウが整っていなかったのだ。ただしヒトシはきっちりと『東の宝島』最終巻発売後に死んだ。正確に言うなら最終巻発売のサイン会の晩に駅で倒れて階段から転げ落ちて帰らぬ人となった。

 編集者とマンガ家の関係以上になってしまったことが、天才マンガ家の心に再起不能の傷を残した。だから公私混同はダメなんだ。


「サイバーミリオンのこと、わたしも少し探ってみるよ。業務に支障のない範囲でね。それなら気にならないでしょ?」


「ありがっ」


 バタン。

 鼎が何かに弾かれたように一瞬のけぞり、神経の反射がなくなってぐったりと狐燐の方へと倒れてきた。ぞくぞくぞくと狐燐の背筋と脳裏に嫌なものが蘇る。本当に人が突然倒れる時はこうなのだ。狐燐がガリガリの細腕で鼎を受け止め、頭の中のページをめくる。完全に意識がない。しかし呼吸はしている。何もないところで突然こうなったんだから頭は強打していないはずだ。頭を動かしてもいいのか? 出血はない。いや、あった! 頭から出血していないだけで、鼎を支える左手に感じた体温が手の甲へ伝って滴っていく。


「鼎ちゃん? 鼎ちゃん!」


「やぁやぁ狐燐。どうしたんだい?」


 裏口のガラス戸を開かれ、冬特有の差し込む風が鼎の髪を揺らして狐燐の手に当たり、血で束ねられてしなやかさを失った。


「ウラオビ……。双右じゃなくてそっちの姿で出て来るってことはお前がやったのか」


「どうだろうか?」


「しらばっくれんじゃねぇぞマジでおい」


 フワフワとGペン、丸ペン、カッターナイフ、各種定規と言った文具が宙に浮き、その先端を玄関のウラオビに向けて浮遊が安定する。狐燐の念力の狙いが定まったのだ。


「僕も歳をとってね。昔は女の子なんて向こうから寄ってきたのに、今じゃ根拠もなく嫌われる。悪いことがあると女の子はみんな僕のせいにするよね。君も例外じゃない。君も僕を疑っている。君も僕を嫌っている」


「今は関係ない。いいから沈花を呼べよ。疑われてるぅ? 変なことばっかりしてわたしたちからの信頼を失ったのは自業自得でしょ?」


「本当は怖かったんだろう? 僕を嫌いになることが。僕の計画を知れば本当に心底、僕を嫌いになってしまいそうだから」


「さらば、江戸川双右。編集者としてのお前はスゴウデだった」


 カケアミやベタフラッシュの類のマンガの表現で縁取ったポータルが鼎と狐燐を囲む。しかし転送する前に二人を中心にそれより小さい楔形文字のポータルが広がり、狐燐が病院にワープした直後にウラオビがイタミ社に再転送、空間が玉ねぎの輪切りのようになった。


「チッ」


 ポータルで一度病院に転送されたせいで念力を込めた文具たちがまたフリーになっている。もう情け無用。とりあえず先制打でパソコンのマウスを飛ばし、ケーブルをウラオビに巻き付け、スケッチブックをバラして紙の嵐を放つ。次々とウラオビに突撃するイラストはアニメのような動きを見せ、ついに馬脚を露した悪しき軽薄王子を覆いつくした。猶予が生まれる。沈花のところか、地球人の病院か。……もしくはジェイドのところか。


「沈花ちゃん!」


 最終的な判断の後押しになったのは、狐燐が沈花に感じる同類のシンパシーだった。沈花は娑婆僧で結局感傷に左右される。ウラオビの息がかかっていようと沈花は傷ついた鼎を見捨てられない。沈花が歩いているのは文京区内の大学構内。座標の把握が正確じゃなく、転送地点は沈花から少し離れた上空になった。沈花の目がすぐに高さ約一.五メートルの狐燐と鼎を補足する。狐燐にも見えている。半透明の緑色の魑魅魍魎が沈花と狐燐の間に『ヘンゼルとグレーテル』のパンくずのように道を作っている。


「これは……。メロン!?」


「わたしが運ぶ!」


 鼎にもメロンがついていたのだ。しかしメロンが感知機能を残したまま鼎についているとそれは本当にストーキングになる。なので鼎についているメロンの機能が自動でONになる条件は『鼎の周囲で寿ユキ以外のポータルが開かれる』ことなので、狐燐とウラオビの両者でメロンは機能を再開した。沈花の視線が一.五メートルの高さから自由落下の速度、そしてメロンロードに寄り道し、再び上昇する。約百八十五センチに! そして万有引力の速度を超えた下降速度! 拳が狐燐の後頭部に振り下ろされる!


「経修郎……。お前もウラオビ派?」


「もうわかってんだろう? 取り立ての時間が来た」


 鼎をメロンロードに預けた狐燐は何らかの超能力を使って経修郎の拳を回避し、沈花と鼎との距離をなるべく離し、なおかつ経修郎の視界にいる場所に出現した。右手には巨大なGペン、左手には算数の授業で使うような30°、60°、直角の巨大な直角三角形定規を西洋風チャンバラごっこの盾に持つ。

 経修郎も刃渡り約60センチのオーソドックスなギレルモ星人のハサミを装備し、ロングマフラーを顔に巻きなおしてギレルモ星人の原点である暴力的な忍者の装いになる。


「沈花ちゃん! 今は経修郎が敵だとかわたしがどっちだとか、気にするな! 鼎ちゃんを治せ! わかれ! それが出来るのは今は君だけだ!」


 三角定規シールドが経修郎の初撃を防ぐ。しかし馬力に差がありすぎる。大きく弾かれて体勢を崩し、Gペンの槍を念力で手放してチクチクと経修郎を牽制する。ペン先が描くジグザグのインクの線からもその動きの激しさが読み取れる。戦闘シミュレーションでは多彩な超能力の有無で狐燐のスペックは経修郎をも凌ぐが、沈花と鼎を守りながら、この超至近距離まで迫られてしまうと発動させることが難しく、土壇場での勘はやはりプロである経修郎に一日の長がある。狐燐にとってかなり不利な状況だ。


「ヒール・ジェイド! 鼎ちゃんを!」


「メロンん。マインは君のことを……。とにかく危険視したね」


「ウラオビ……」


 楔形文字のポータルでウラオビ・J・タクユキが出現する。百八十五センチの忍者、巨大文具をぶん回す顔出しもした天才マンガ家より、醸し出す嫌悪の空気に当てられて大学の女子生徒たちが眉をひそめた。もう既にウラオビに集まる異性からの嫌悪は誰にも制御出来るものではない。沈花でさえもムカっ腹が立って胃と眉間がムズムズする。当然と言えば当然だ。沈花にとってこの人物は“ウラオビ・J・タクユキ”ではなく“江戸川双右”だった。だからウラオビの姿の方が違和感は強い。この考え方は特に狐燐にとって顕著だ。狐燐は悪事専用の姿であるウラオビ・J・タクユキが大嫌いだった。しかし両親の夫婦ゲンカを見せられると子供が歪むよう、狐燐はウラオビの姿への不信感と嫌悪、警戒を沈花に伝えていなかった。


「沈花。早く鼎ちゃんを治すといい」


「……」


 ダメだ。完全に沈花がテンパっている。狐燐が通常サイズのGペンを一本、念力で飛ばして沈花をつついて我に返らせた。


「沈花ァ! 早く!」


「フォフォフォ! 甘い。他人を気にする余裕があったか?」


 バキィッ! 火の出るような膝蹴りが狐燐の額の冷えピタを引っぺがし、粘着面を下にした冷えピタは砂を冷やす。眩暈を起こした狐燐はその冷えピタの上に手をつき、少し滑ってガクンと頭の標高を下げた。純白の冷えピタが日の丸の国旗をいくつも作る。こめかみの皮膚が割れてしまったようだ。


「沈花……」


「狐燐さん!」


 ウラオビがグーを口に手を当てて咳払いと笑みを浮かべる気障な仕草。嫌悪と注目を一身に集め、ウラオビは笑った。


「君の治癒で治すといい。しかし君の治癒はジェイドの治癒とは違うまがい物だ。貸した分は返してもらわなきゃいけない。利子をつけてね。鼎ちゃんに貸しを作るのは君の自由だ。そろそろメロンから報告を受けたジェイドが来るだろう。そっちに任せてもいいけどね。でも鼎ちゃんに貸しを作れば、いずれ返してもらわなきゃいけない。それは君が強敵に立ち向かい、力が足りなくなった時、或いは君が瀕死の重傷を負った時。生命力を返済してもらって……」


「信じたくなかったけど、今その説明をするってことは双右さんが鼎ちゃんをやったんだね?」


「ああ」


「ケイオシウム光線!」


 詳細、正体不明の超能力でケイオシウム光線が無効化され、ウラオビの軽薄な笑いは揺るがない。指を左右に振りご機嫌なステップを踏み、沈花、そしてアンチウラオビの筆頭狐燐を挑発する。


「君は偽物だ。君の治癒は慈しみでもなんでもない。僕の野望の最終段階で、君を最大の化け物、悪の権化にするための重要な手段の一つだ。鼎ちゃん一人分の命だろうと、取り立てればその差で本物のジェイドに勝てるかもしれないよ。さぁ、そろそろ動きだそうヒール・ジェイド。ジェイドに討たれるくらいの大悪となり、そのプロデューサーである僕の処刑をもって終わりを迎えようじゃないか」


 沈花がジャンパーを脱ぎ、それを丸めて枕にして鼎を寝かせた。冬の地面は寒いので長時間は寝かせられない。


「へぇ、わたし、元気玉が使えるようになったんだ」


「面白い表現だ。そうだね。貸した相手から元気を徴収し、君はジェイドと戦う。そうだ! いいことを思いついた。今までに僕の怪獣軍団にさんざん貸してきたけど、彼らは雑魚だからはした金しか返してもらえない。鼎ちゃんはそれ以下だ。でも彼女はどうだろうか? 狐燐。君は自分では言わないけど、多分史上最強のアデアデ星人だよ。彼女を殺し……。ヒール・ジェイドの治癒で生き返れるギリギリまでダメージを与え、それを貸した時、どれだけバックがあるだろうか? 経修郎。やれ。それが終わったら祝杯を挙げよう、経修郎。僕たち二人の船出に」


 公私混同。


「わたしを気にするな……。ウラオビと経修郎を倒せ、沈花ちゃん!」


 その瞬間、狐燐の網膜に草鞋の裏が焼き付き、ぐしゃりと音を立てた。狐燐は自分の頭が潰れるその音を聞くことはなかった。

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