第30話 ウラ義理
「鳳落さん、あんた何か格闘技やってたのか?」
「高校時代にボクシングをメインに柔道、骨法、空手、レスリング、総合格闘技。大学時代は学生プロレスも齧ったわ。でも原点は父との戦いごっこね。幼稚園に入ったときから、父を相手にマジの取っ組み合いで遊んだ。あそこでファイティングスピリットと体の基礎が作られた」
頑馬と鳳落の巨漢コンビは、それぞれ鼎と沈花を遠くから見守る保護者目線で視界に入れながらベンチに腰を下ろしていた。背後には腸のように入り組んだウォータースライダー。お転婆な沈花にヒヤヒヤしつつついていくしかない鼎はなかなかいいコンビだ。娘にするならどっちがいいかなんて考えているのは頑馬だけか? 遠くない未来に義理の妹になるのは人見知りで挙動不審な方だろうけど。
「紅錦鳳落……。あんたヒオウだろう」
「アラ、ヒオウが珍しい?」
「いや。ヒオウなんていくらでもいるだろう。紅錦鳳落。あんたの親父は作家か」
「よくご存知」
「親父の本棚にあんたの親父の著書があった。子供のころは随分とワンパクだったようだな」
「手に負えないワンパクになったのは大学生以降だけどね。そこまでも本に書いてあった?」
「いや、本に書いてあったのは息子が中学に入る日まで。俺が勝手に家族とアブソリュートを捨てて旅に出たのと同じ歳の頃までだ。そこから先は、あんたのブログを読んだよ。ラーメンの食いすぎでぶっ倒れて、更生するまでのブログ。あんたを見ていると……。複雑な気持ちだ。どこの家でもそうなんだろうが、きっと父親と息子の間には強固な想いと絆がある。俺は親父からその想いと絆を奪って裏切った。そして今更息子面して戻ってきて“アブソリュートミリオン二世”と呼ばれ、いい気になって否定もしないなんて図々しいと思わねぇか?」
「ならアッシュが二世でよかったの? それも悪い気はしないでしょうね、あなたは兄だもの。でも譲れないわよね、そんな最高の称号。アタシも父の気持ちを無碍にした。今更息子面が図々しい? そんな言葉、ミリオンにもアタシの父親にも失礼よ。アタシたちの必死の反抗なんて、いくらやっても父の愛という大海を泳ぎ切ることは出来ない。気にしないことね、敵いはしないわ。それを知り、ようやく人の親になってみるのも悪くない、なんて思えるようになった。父がちっぽけな存在に思えた頃は、自分のような息子を持ったら手に負えないから家族なんていらないと思っていた。父になれば変われるわよ、自己嫌悪も自己への過小評価も。あなたの場合もアタシの場合も、ちょっと親父がデカすぎるわね。アブソリュートミリオンが父親なんて、言葉を選ばなければ大変ね。でも超えようとするなら自分も父になるしかない」
「……あんた、“工事”はすませちまったのか?」
「いいえ。する気もない。アタシはただ趣味で女装しているだけで性的自認も性的指向もストレート」
「いい親父になるぜ」
紅錦鳳落は遅めの反抗期で父と確執があった。しかし父への想いは頑馬と語った通りだ。紅錦鳳落は精神が高潔過ぎた。もしもっとシンプルで粗暴な精神の持ち主ならば沈花を殴ったレイを許さないとか理由を考えてレイを憎めただろうが、鳳落は鳳落のやり方でまず相手をリスペクトしながら接する。これは鼎の人見知りとは対極に位置する考え方だ。
こいつがあのヒオウだったらアッシュのやつは骨が折れるだろうな、なんて頑馬は考えた。しかしこの男を超えられた時、その時はアッシュに“アブソリュートミリオン二世”を譲ってやってもよい。ミリオンには悪いが、レイはミリオンを超えていく予定だ。
〇
碧沈花はバカである。
バカにも色々種類があるが、碧沈花は極度に楽観的で自分に都合の良い方に考えてしまう。だから東京国立博物館で鼎を襲ったことも、ウラオビの命令があったからで狐燐の梵字の効果でバレていないし別の話、と思っている。だから今、鼎と一緒にいても罪悪感はさほど抱かない。
「いるのかな、オバケ」
「いても鳳落さんは格闘技経験者だからどうにかなると思うよ」
「そりゃジェイソンとかなら所詮人間だからジャイアント馬場には敵わないでしょうけど、本物のオバケは格闘技じゃどうにもできないんですよ」
「そうなの? ……鼎ちゃん、彼氏、いる?」
「キエッ? 一応いますけど、内密に……」
「フフッ、誰に?」
「とりあえず大学の人とか江戸川さんには内緒にしてください」
「わかった。約束。どんな人?」
「あいつの良さがわかるやつはそうそういないですよ。何も考えてなさそうで、何か考えてるんですけど、大体その考えは及ばない。普段はとにかく怠けてるんですけどいざって時はちゃんと出来るやつ。だからこいつがずっと頑張っていたらどんなにすごいやつになるんだろうって思うと……。つまんないですよね、こんな話」
「わたし、彼氏いたことないんだよね」
「モテそうなのに?」
「羨ましいよ。初体験ってどんな感じ?」
「わたしもまだです」
「それまで死なないといいね」
視力に優れた沈花は目の前のお化け屋敷の敷居の向こうにいるものの姿を捉えている。
サラサラの黒髪ロングにガリガリの体、薄ら笑い。資料で見たアブソリュート・マイン……駿河燈にそっくりだ。暗闇の中の駿河燈はまだ沈花にしか見えていないとわかっているのか、薄ら笑いを浮かべたまま指で×印を作って、指先にエネルギーを集めようとする沈花を制止した。
「……あれでもあいつも相当マシになったんですよ」
「話したりない? そういうの、いいと思うよ」
お化け屋敷の中の少女は沈花に背を向け、楔形文字のポータルで姿を消した。沈花は人差し指を軽く振るってエネルギーの充填を中止した。江戸川さんの奇行もここまで来たか。ついにマインのコスプレをして夜の遊園地をうろつくまでに……。
「デートとかしてみたい……。彼氏と原宿とか行きてぇ……」
「実際は池袋で座り込んでサラミ食べるとかですよ」
こうやって鼎と仲良くなれるのは沈花にとってもいいことだ。友達が増えるに越したことはない。鼎は人見知りなだけで話せばそれなりに面白いやつだし、話していて楽しい。でもこうやって鼎と良くなることはいずれ、鼎と自分を苦しめる。でもそれがウラオビの目的だ。複雑な気持ち。鼎と仲良くしろと言われて、言われた通りに出来ているのに苦しい。でも沈花の中に、ウラオビの命令以上にシンプルに、鼎と仲良くなりたいという気持ちが強くなってきてしまった。ここからは友情に食うか食われるかだ。
〇
ぺきぺきぺき。空けたばかりのエナジードリンクの缶にらせん状に折り目を付けると、簡単な力で缶がねじ切れてドリルに似た凶暴に尖った形状になる。
「ツラ貸しなさい」
「はぇ、そんなキレイなおツラを持っててこんなクマだらけのシケたマンガ家のおツラが欲しいとは変わったお方だメッセ副隊長」
頑馬、鼎、沈花、鳳落、サカモト。五つの視線はせわしなくとしまえんを行き交っている。鼎の視線は沈花と重なりがちなので躱すのは楽。頑馬は意図的に視線をそらしてメッセをフリーにしてくれている。やっかいななのはオネエ。それも頑馬がひきつけてくれている。見つめあう視線のレーザービームを上手くすり抜け、メッセはボックスオフィスの陰に狐燐を呼びつけた。
「お前があのアデアデ、鳳落さんがあのヒオウ、沈花が偽ジェイド。あっている?」
「どのアデアデかな?」
「そんなので言い逃れ出来ると思うほどお前はバカじゃない」
「ハァ……。でもメッセさんもそんなにバカじゃないよね?」
「どう?」
「ここで事を荒立てるようなバカ」
「ご名答」
「気配は隠したはずだけどなんでわかったか聞いても?」
「決め手になったのは偽ジェイド。あいつは頑馬への敵愾心を隠せていない。あとは芋づるよ。もうウラオビ、お前、ヒオウ、偽ジェイドは覚えた。あと人間態がわからないのはあのギレルモ星人だけ。そしてヒオウはフジの獲物、あのギレルモ星人は頑馬の獲物。ウラオビはユキが話を付ける」
「ってことはチクるのか。でも何もおかしくないよ。それがメッセさんの仕事でしょう?」
「チクらない。一つ、条件がある」
「ほほぉう? おいしい話には慣れないんだ、おいしい話をもらってもそれをやり遂げる労力ってものは意外と備わってないからねぇ」
「ウラオビの目的を教えなさい。そうすればお前とヒオウと偽ジェイドには、こちらから……。つまりわたしと頑馬とメロンは手出しをしない。ただし、お前とヒオウと偽ジェイドの正体は頑馬とメロンには伝えるし、被害を出せば応戦はする」
「アッシュとジェイドには?」
「教えろ、と言われたら教えるし、訊かれたらウソはつかない」
「理屈に合わねぇえ……。もうわかってるだろうメッセさん。戦力はそっちが上だ。ジェイドにチクれば全部終わる」
「でしょうね。でも事実の列挙だけで真実を導いても、そこに勘というファクターが働くのが人情よ。人情が真実を曇らせる。……お前たち、ウラオビを裏切る気でしょう?」
「……見えてるじゃん、真実」
狐燐はマスクから漏れたため息でメガネを曇らせながらうなだれた。出会ってすぐのメッセに見抜かれているくらいならウラオビにも見抜かれているか?
「不思議とお前は見ていて悪いやつに思えない。ただしウラオビとあのギレルモ星人は別。あの二人は下賤で下品で下劣なカス野郎よ。お前……なんて呼ぶのは悪いわね。狐燐、あなた歳は?」
「27歳」
「ならわたしが年上ね。わたしは29歳だから呼び捨てにするわ、狐燐。狐燐と鳳落さんはウラオビを裏切ろうとしている。それは正義の心から。ウラオビへの嫌悪感、あなたたち二人への興味が、あなたたちとここで事を荒立てない理由。説明になってる?」
「いい意味で勘ピューターだね。ウラオビさんへの嫌悪感を言語化できる?」
「難しい質問ね。あなたたちにもわかるように言えばあいつはマインを真似ようとしている。その猿真似が薄ら気持ち悪い。ここまで言われて腹も立たないんでしょう? あなたの中にウラオビへの忠誠心なんてないのよ」
「お見通しだね。きっとウラオビさんにもお見通しだ。でもわたしたちがウラオビさんへの忠誠心を見失った理由だって……。マインと大して変わりない。わたしたちは多分、ウラオビさんを裏切ることになる。でもわたしたちはきっとメッセさんの敵のままだ。メッセさんたちと力を合わせてウラオビさんや経修郎さんと戦うことはない。それでも見逃す?」
「追加戦士はもういらない」
「わかった、話そう。ウラオビ・J・タクユキの目的。その代わり頼みがある。沈花を、偽ジェイドを……」