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アブソリュート・トラッシュ  作者: 三篠森・N
第4章 アブソリュートミリオン 2nd
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第20話 ザ・清貧

 彼の名は大森(オオモリ)龍之介(リュウノスケ)(21歳)。大学進学と同時に一人暮らしを始めたどこにでもいる大学生だ。妻子持ちの年の離れた兄と、美人だけど独身貴族のアラサーの姉がいる。母はだいぶ前に亡くなった。既にリュウノスケは母のいない世界を受け入れていたし、母の死はショックだったけどトラウマではない。

 父はそこそこの金持ち。古くからこの町に住み、一人で暮らすには広すぎる家と立派な土蔵と洋画DVDのコレクションを持っていた。

 その父が突如姿を消した。しかしこれは問題ではない。父はちゃんと「お前らのための遺産は十分に残したまま世界旅行に行く」と家族に連絡を入れてから消えたのだ。それ以降も中国、モンゴル、インド等からの絵葉書が大森三兄弟のもとには届いている。

 ここからがリュウノスケが他の大学生と少し違うところだ。

 父はリュウノスケにだけ特別な手紙を残していた。それは住み込みでの父が暮らしていた家と庭の手入れの依頼。その代わりリュウノスケが下宿から大森邸に引っ越す際の費用、光熱費は父が持つ。つまり父が世界旅行から帰ってくるときのために迎え入れる準備をしておけってことだ。

 なんと破格!  下宿から実家の大森邸に引っ越しても通学には問題なかった。こうしてリュウノスケは豪邸と家財を手に入れた。このことはまだ誰にも話していない。


「おっ」


「どうした?」


 いや、このことを話した相手が一人いた。藤守(フジモリ)(ヒビキ)(21歳)。リュウノスケの彼女で背の高い、古着と洋楽が好きな東北出身のオノボリサンだ。顔立ちも整っている。見た目の割に人気はないけどリュウノスケには過ぎた彼女だ。


「やっべぇ~。ソノシート付『初代アブソリュートマン』の怪獣図鑑の初版が出品されてる」


「いくらで?」


 二人は特撮オタクだった。リュウノスケもヒビキもそれなりに優良物件なのに人気がないのはこれが理由、そして入学してすぐ意気投合した二人を見て、男子たちはこのステキなモデル体型サブカル女子の彼氏はリュウノスケになるだろうと悟った。だってお互いに特撮オタクだってわかると自作の特撮風ビデオや手作りマスクを見せあったり、初代アブソリュートマンやアブソリュートミリオンの登場以降増えた彼らをモチーフにした特撮ヒーロー作品のグッズと知識の蒐集で特撮オタク度オークションを行って、競っているのに楽しそうだったのだ。

 フジモリ・ヒビキなんてもう攻略を仕掛けるほど相手じゃあねぇよぉ、割れ蓋に綴じ蓋だ、なんて言ってヒビキの入札からはすぐに手が引かれ、イナカモノビューティーに東京をアテンドする権利も価値のないものとして、男子たちからヒビキへの関心は薄くなっていった。


「やばいぜヒビキ。5万5千円」


 今のリュウノスケのスマホのバッテリー情報を見れば、彼のスマホの電池を最も消耗させているのはフリマアプリだと教えてくれる。次はインターネットの検索ブラウザだ。


「買えない?」


「買えちまうんだなぁ、これが!」


 実家暮らしと光熱費の負担軽減でリュウノスケの財布は人生で最高に膨れ上がっている。引っ越しで不要になった下宿の家具をフリマアプリで売り払ううちに貯金はどんどん増えた。すっかりリュウノスケはフリマアプリの虜だった。


「でもヒビキ……」


「リュウノスケの家にはレコードプレーヤーもあるんじゃない?」


「あるけど」


 リュウノスケはハンドリングの一点では、もう学科で最も金に触れている。しかし彼が魅力と快感を覚えていたのは金を出すことよりも入れることだ。

 大学入学時に一人暮らしのために父の金で買った家具家電をフリマアプリで売る。売った金はリュウノスケの懐に入る。加えて少々のバイト代。これらは全部意味のあるものだ。

 リュウノスケの人生プランはだいぶ先まで立てられている。地味な自分はあまり稼ぎのいい企業には務められないだろう。でも将来のパートナーはヒビキがいい。貯金次第では大学卒業してすぐにヒビキにプロポーズしたっていい。そして結婚式では、特撮番組でおなじみの採石場でナパーム爆発をバックにモーニングとウェディングドレスで記念撮影をしたい。それから自主制作の特撮映画も一本作ってみたい。金だ。金がいる。でも亡者になる必要はない。金を使いたい欲望には抗い、金を稼ぎたい欲望には忠実に。この金銭管理の感覚と現時点での貯金のキープ。これがあれば出来過ぎた彼女、ヒビキを経済的に困窮させることはない。


「我慢だ」


「チェッ」


 とはいえ、フリマアプリで稼ぐにも出品出来るものに限りがある。しかし一度金の味を覚えたリュウノスケはもうバイトの稼ぎでは安心できない。


「うわっ、ヒッドイ話」


 リュウノスケのスマホを覗き込んでいたヒビキが顔をしかめた。


「『劇場編集版 東の宝島』の初週入場者特典の描きおろしマンガが2500円、『東の宝島』原作全16巻セットが1600円。入場者特典って0円でしょう?」


「ああ、しかも『劇場編集版 東の宝島』は特別興行料金だから入場料1300円。転売ってやつだな」


「名作なのにね、『東の宝島』」


 転売か……。

 リュウノスケは所謂転売屋ではなく、本当に不要になったものを売却しているだけだ。広い家とはいえ一人暮らしでドライヤーが二つも必要か? 使わずいたずらに温存して腐らせるくらいなら必要としている人の手に渡すべきだ。

 リュウノスケのバッテリーを二番目に多く消費しているインターネットのブラウザ。そこで調べているのは主に売却するものの相場だった。


「昔より物欲なくなったよね、リュウノスケ」


「ケチにはなったな」


「そういえばリュウノスケ、『マスクファイター E(えどまえ)』のブルーレイBOX持ってたよね?」


「ああ」


「あれ貸してよ。『マスクファイター』シリーズでは『E』が一番特撮凝ってるらしいんだよね」


 ヒビキが絵コンテ用のノートをパラパラとめくる。彼女はマジで自主制作特撮映画を撮ろうとしているのだ。入学してリュウノスケに出会い、オープン過ぎるほどの特撮オタになったヒビキは芸術学部でもないのにデッサン人形や画材を集めて、ちょっと……。シャレにならないほど重度の特撮オタクになっていた。ヒビキの熱量、知識量なら質がどうかはまた話は変わってくるが、絵コンテと脚本、ヒーローとヒールズのデザインは在学中に完成してしまいそうだ。これはリュウノスケの金回りがよくなる前からのチャレンジなのでリュウノスケの金を使って撮影しようって金目当てな魂胆じゃない。特撮絡みになると人の目を気にせず周りが見えなくなる以外は出来過ぎた彼女なのだ。ちゃんと察してる。リュウノスケはデートにかけるお金やヒビキへのプレゼントは増額してくれたけど、収入と反比例して自分は節制して貯金に徹底しているって。


「それじゃあ明日、『E』のブルーレイ持ってくるわ」


「ガッテンテン」


 高級住宅街の帰り道は、建物と建物同士の間隔が広いせいでかえって静寂が怖さと侘しさを増幅させる。たまに吠えている犬はアフガンハウンドか?

 庭の広い家ばかりで歩道を照らすのは街灯ばかりでまた暗い。待ち針のような街灯の光の間を最短距離で歩きスマホのリュウノスケから漏れる光が縫う。その光が上ではなく横を照らして揺れる。


「おっと、すみません、よそ見してました」


「いえいえ、気にしていませんよ」


 ウッカリぶつかってしまった相手は息を吞むほど容姿端麗で柔和な表情の美青年。リュウノスケと同年代に見えるのにスーツでキッチリ固めて黒い革の鞄を持っている。まさかこんな時間帯にセールスマンが歩いているなんて。


「随分と熱心に何を見ていたんです?」


 なんだこの言いぐさ。当たっておいて逆ギレだが気にしてんじゃねぇか。


「フリマアプリです」


「アラアラ、いいですね。僕も好きですよ、フリマアプリ。自分が気に入っていたものに高値が付くと嬉しい。不要だったものに高値が付くといい気分。WIN-WIN。どのアプリを使っています?」


GO(グローバルオーシャン)マルシェ」


「GOか! あのポータルサイトはいいですね。特に“GOES”部門はウェブマスターのユーモアセンスに脱帽ですネ」


「あのっ、急いでるんで」


「本当にそれで満足ですか!?」


「ハァ? 警察呼びますよ?」


「確かにGOマルシェは日本最大規模のフリマアプリ。人が多く集まるからすぐに売れるし、場合によってはボッタくるのも楽勝だ。でもそれでいいのかな? 本当に目の肥えた人たちは“ホンモノ”を見抜いて、正しい価値を金額で示し、それを市場に出してくれた謝礼も込めて金を多く出す。そんな市場を知りたくないですか? 価値のわからない人たち相手にチマチマ稼いでいるのでいいのかな?」


「あんた、何者だ?」


「僕の名前はウラオビ・J・タクユキ。人の心が好きな人間さ。醜い心も美しい心も。ただ残念ながら人の心には隙間がある。でも心が膨れ上がれば隙間を埋めることは出来るだろう。僕はその手伝いをしているだけさ。もちろんお金は一銭もいりませんよ」


 ウラオビが鞄からスッと取り出したのは!


「ソノシート付『初代アブソリュートマン』怪獣図鑑!?」


「GOマルシェで5万5千円で買ったものですけど、僕があなたに紹介したいアプリ、ザ・清貧。ザ・清貧でのこれの値段はこちらドーン! 10万円ーッ! 使ってみたくないですか?」


「何かウラがあるんでしょう?」


「いいえ、ありませんよ。強いて言うなら、ザ・清貧は買い物をするのには向いていないということぐらい」


 ちょっと待てよ。

 GOマルシェで5万5千円出して怪獣図鑑を買う→ザ・清貧で10万円で売る。4万5千円の利だ。

 買い物はGOマルシェ。売るならザ・清貧。併用すれば錬金術だ!


「あとは当たり前のことですが、ザ・清貧ではロクでもないものを売り続ければ出品者としてのランクが下がって見向きもされなくなりますね。目の肥えたお客さんばかりですから」


 ウラオビの言っていることが本当ならば……。ヒビキの映画の製作費になる。結婚費用にもなるし、ヒビキが先に死んだ場合はデカい墓と普通の卒塔婆じゃ長さが足りない戒名もつけてやれる! 自分が先に死んだ場合はヒビキが自分にそうしてくれるはずだ。


「でも扱いには気を付けてくださいよ。そうですね。ザ・清貧に出品するのは三日に一回程度がいいでしょう」


「ウラオビさんに見返りは?」


「ウフフフーッ! 人の心が満たされること、あとはザ・清貧にスゴウデバイヤーが増えれば人に紹介しやすいってことですかね。だからあなたもそうでいてくれればそれで結構」


 ウラオビに送ってもらったURLでザ・清貧にアクセスする。欲しかったものは全部手に入らない値段がついている。ウラオビの言う通りザ・清貧は買い物には向いていない。


「……」


 かつてリュウノスケは新品の『マスクファイター E』のDVD-BOXを6万円で買った。しかしザ・清貧では9万で売れる。ヒビキに『マスクファイター E』を貸してやると言ったがそれはブルーレイBOXの方だ。ダブりのDVD-BOXなら売っても問題はない。


「あれ? ウラオビさん?」


 気付くとウラオビは消えていた。でもこれは夢じゃない。スマホにはザ・清貧のホーム画面が映ったままだ。既にリュウノスケは3万円を手にした気分になっていた……。




 〇




 ランクシルバー。それがザ・清貧における現在のリュウノスケのランク。不用品をザ・清貧に売り出すだけで貯金は数万単位で増えていった。その貯金の総額は四百万以上にも上る。


「こんなんじゃ舐められる」


 ドライヤー、洗濯機、冷蔵庫、そういった短い一人暮らしで使用したものは売ってしまった。DVDを持っていたけどブルーレイを持っていなかったコレクションは全て買い替えた。それでもザ・清貧とGOマルシェの併用なら黒字だ。しかし金はあっても売るものがなくなってきた。既に家具も大半は売ってしまい、そのうち高級品に買い替えれば、なんて考えたまま清貧生活を送っている。でももう半端な物は売れない。ザ・清貧のお客さんたちはリュウノスケに期待してしまっている。……リュウノスケはそう思い込んでいる。


「せめてヒビキの奨学金を……」


 数日後。リュウノスケはヒビキと一緒に池袋の家電量販店に並んでいた。今日、この店で今大人気のアニメ『機動殭屍・ピン』の高級フィギュアが発売されるのだ。こいつをザ・清貧で転売し、一旦ザ・清貧からは手を引こう。なんとか整理券を入手し、暖房の効いた店内へ。そしてリュウノスケとヒビキの番がやってきた。


「こんちにはヤオヨロズデンキにようこそこんちにはヤオヨロズデンキにようこそこんちにはヤオヨロズデンキにようこそ! ハイ、68番と69番のお客様ですね。転売目的ですか?」


 さっすが日本最大手のヤオヨロズデンキ。店員も隙が無い。


「違います」


「では次の質問にお答えください。『機動殭屍・ピン』における“十傑”のうち、ピンは何番目?」


「“四番”の病嬌拳」


「では“十番”は誰?」


「坤乱派蛤蟇功の果」


「では果のキャッチフレーズを漢字で書いてください」


「……」


「お引き取りクダサイ」


 いつからか。ヒビキのためと言いながら、ヒビキのせいにして何もかも売ってしまった自分。ザ・清貧に質の悪いものを出品して顔の見えないザ・清貧のお客様への罪悪感。『機動殭屍・ピン』のフィギュアの入手に失敗してしまってもう売る物がない。金はあるのに資本が無い!


「このままじゃ終われねー」


 いつしかリュウノスケは自宅でタバコすら吸えなくなっていた。壁にヤニが染みる。査定が悪くなる。


「買うしかねー」


 今日の家電量販店でも整理券番号70番はクイズに正解してフィギュアを買えたようだ。そいつが出品したのか知らないが『機動殭屍・ピン』のフィギュアをGOマルシェで定価の約三倍の値段で購入した。

 そうさ! ザ・清貧さえあれば!

 リュウノスケの堰はここで切れた。GOマルシェでプレミアのついているものを片っ端から買い漁ったのだ。なにしろリュウノスケは! ザ・清貧のシルバーランクの出品者! リュウノスケを待っている人たちがスマホの向こう側にいる!


「……終わってんじゃねぇか、俺」


 スマホをタップする度に心がひび割れていく。リュウノスケ自身も気付いているのだ。もうこれは正常な状態じゃない。金は金だ。貯めるにも使うにも躍起になったらダメなんだ。たとえ愛する誰かのためであろうとも。

 大森邸のインターホンが鳴る。モニターを覗き込むと、諸悪の根源のあの美男子だ。


「ウラオビ・J・タクユキ」


「リュウノスケさん。約束を破るご予定ですか?」


「約束? 何のことです?」


「スゴウデ出品者であり続けること。ザ・清貧に出品するのは三日に一回だってこと。ただの転売屋なら山ほどいるんですよ。ザ・清貧のお客様たちはみんなそれをわかっていらっしゃる。何故、ザ・清貧であんなに物が高く売れるかご存知ない?」


「わかりませんよ」


「シルバーランクともあろうお方が……。このままだとあなたは安いはずのGOマルシェでの買い物で借金地獄ですよ。いいでしょう。一番高く売れるものを教えてあげます。それはあなたの恋人。もしくはあなたの恋人が描いている絵コンテと脚本とデザインの権利」


「アイディアを買ってどうする?」


「しっかりと温存しますよ」


「ヒビキを売る訳ねーな。そうと聞いちゃアイディアだってなおさら売れねー」


「では次に高く売れるものを教えましょう。それはあなた自身です。まだ心があるあなた」


「俺?」


「あなたが怪獣になって僕の怪獣軍団に就職するしかないね」

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