第8話 ネバーセイネバー
二十一世紀を迎えた日本。その最も長い一日が始まる。
富山県の黒部ダムの水面から突如、火山の噴火に似た爆炎が上がり、まるでその爆発の一部始終の映像を空中で逆再生したように炎が収束、体長約五十メートル、翼長約九十メートルの三つの首を持つ異形の龍に変化した。しかし、異形の龍は奇妙だった。物理的に飛べるはずのない形状、生物学的に不可思議な構造……。しかもその羽ばたきはそよ風一つ起こさない。そのまま新潟県の佐渡島まで飛行した異形の龍は、天に向かって三つの頭で電子楽器のような奇妙な鳴き声を上げ、それに呼び寄せられるように細かい流星群が佐渡島の金山を襲った。舞い上がった砂金を浴びて黄金になった龍は、流星群を一度呼び寄せると疲れ切ったようにぐったりとしてしまい、佐渡島から動かなかった。
政治家、官僚、学者、活動家、消防、自衛隊、外交官……。日本で働く全ての人が忙しくなった。なにしろ怪獣が現れるのは、約五十年前にアブソリュートミリオンがマグナイトを倒して以来なのだ。当時のマニュアルなど何も役に立たない。異形の龍は東京にも来るのか? その心配している者も少なくはなかった。老人たちはアブソリュートミリオンが助けに来てくれるはずだと祈ったが、ミリオンを知らない世代は逃げたり立ち向かったりするために、駆ける。
「アブソリュート・ジェイド」
特殊警察ACIDは立ち向かうために駆け回っている方だった。先日のフットサルで寿ユキと和泉岳が連絡先を交換していたのは不幸中の幸い。ジェイドが力を貸してくれるとなれば百人力、怪獣と戦うノウハウを教えてもらうだけでも状況は大きく変わる。
「よろしく。挨拶は抜きよ。あの怪獣は操られている」
「すまない、この通話は録音させてもらう。で、操られている? 誰に?」
「録音はして。そしてこれを聞いてもパニックを起こさない人にはどんどん共有すべき。あの怪獣は“サウザンX”。ゴア族が遺伝子操作で作りだした最強の人工怪獣」
「ゴア族? 異次元人か」
「この間のフットサルチームの若者は異端中の異端です。全てのゴア族がああなんじゃない。全ての人間だってそうでしょう? アブソリュート人もそう。ゴア族は異次元の壁を突破する狂暴な民族で、生物を兵器に改造して送り込む。サウザンは優れた兵器。命令に忠実で“悪意”を源とする精神の力を物理に変換して波動弾として放ちます。念動力も有し、特に流星群を呼び寄せるのは最大の攻撃だけど、使用した後はサウザン自身が激しく消耗する。それでもサウザンは、今のゴア族にとっては切り札でしょう」
「ならば、そのサウザンとかいうラジコンに勝負を仕掛けるならばヘバっている今、ということか」
「どうかしら。わたしがゴア族だったら……。本気で侵攻するならサウザンはもっと大事に使う。本来体力はある怪獣よ。富山に隠しておいたとしても、新潟、東京、札幌、仙台、大阪、名古屋、神戸、福岡、どこでも飛んでいける。あれだけの巨体よ。歩くだけ、消耗の少ない悪の波動で目いっぱい暴れた後、最後っ屁で流星群を使う。訊きたいことはわかるわ。わたしやカケルは戦わないのか? でしょ? ごめんなさい。わたしはわたしの意思で動く。もちろん地球人を見殺しにはしない。でもわたしに出来る最善は完璧ではないわ。ハッキリ言えば、佐渡島からサウザンをどかすことは簡単よ。わたしのジェイドリウムに閉じ込めてしまえばいい。疲れているサウザンならかなりの時間閉じ込めることが出来る。復活したサウザンならジェイドリウムに閉じ込めておけるのはせいぜい三十分。ずっと復活しないと仮定すれば一週間。その間、わたしは消耗して変身出来ないわ。でもサウザンはいつ復活するかわからない。もう一枚、ゴア族がカードを切ってきた時にちょうどよくサウザンが復活すると、わたしはよくないコンディションで二体の怪獣を相手にすることになる。そしてゴア族は、そういうことをする民族よ。でも地球人に出来ることはゼロじゃない。操っているゴア族を探し出すこと。ゴア族はサイキックを持っている者もいるけど、そういうのは地球人と同じで一握り。ゴア族一人一人は地球人と大差ないわ。……フットサルでいい試合ができる程度のね。サウザンを操ってるゴア族を倒してくれれば、サウザンは無力化できる。あなたの言う通りラジコンよ」
「わかった。最後に聞きたい。アブソリュート・ジェイド」
「何?」
「フジは……」
「他力本願はよくないわね。わたしはカケルのこともあなたたち地球人のことも信じている。でも頼ってはいない。冷たいかしら? でもそういうものなの。アブソリュート人は地球人じゃない。力一杯戦っている時だけ、正義がある方に力を貸す」
「いや、あなたは温かい人だ、ジェイド。俺も、地球人もやれるだけのことをする」
和泉はミリオンスーツの通信をオペレーターの明石に切り替えた。
「聞いていましたね? 明石さん」
ミリオンスーツのバイザーには巨大な貨物船が映っている。ACIDが突き止めた異星人のアジトだ。所有者は外庭数という医者のはずだが、医者が貨物船? 中ではビンを叩き合わせるような音と若者たちがバカ騒ぎする嬌声が聞こえてくる。この中にいるのがゴア族で、ジェイドの言う通りにゴア族は地球人と変わらないスペックならば、一騎当千のミリオンスーツは通用するはずだ。
「デェアッ!」
アブソリュートミリオンの真似をして己を鼓舞しながら、和泉は突入した。貨物船の中にいたゴア族の若者たち突然の出来事に驚き、武器を構えるがもう遅い!
「デェェエエエエイ!」
片っ端から殴る蹴る! 大ダメージを受けたゴア族の若者たちは変身が解ける。眼球が潰れて唇が存在せず、歯がむき出しの本来の姿に戻り、悶絶する。ゴア族が使用しているのは地球の銃器。これではミリオンスーツに歯が立たないことはもうわかっている。和泉がミリオンスーツの着用者として最も適していたのはこの勇敢さとスーツへの敬意だった。いくらスーツが優れているとしても、攻撃されれば普通は怖気づいてしまう。だが和泉はミリオンスーツの性能を信頼し、効かない攻撃は効かないと、思い切って行動ができる。生身の人間を遥かに凌駕する防御力を最大限に活用するには、この勇気と敬意が必要だった。もはや銃弾如きを恐れる和泉ではない!
「キィー」
「ビックリー」
「キャー」
「ヤッツケロー」
まるでハイスコアを狙うゲーマーのように敵を蹴散らす和泉の足元を小さな何かが走り回る。数センチの半透明な小人だが、扇情的な服装をしている。
「出たな、“サクリファイス”」
「こんな再会をするくらいなら二度と会いたくなかったわ、お巡りさん」
頭に手ぬぐいを巻いた若手のゴア族が操縦するフォークリフトのパレットの上で、まるで中野ブロードウェイのレンタルショーケースの特撮フィギュアのようにサクリファイスがポーズをとっている。その手から下がる鳥かごからは小型サクリファイスが蜂の巣をつついたように出撃する。
ハッキリ言ってミリオンスーツとサクリファイスの相性は最悪だ。サクリファイスの爆弾は広範囲にばら撒かれ、遮蔽物があっても回り込んで追跡し、自爆する。さらに温度や感触、動きを感知するセンサーでもある小型サクリファイスは、ミリオンスーツの隙間や弱点を的確に見つけ出し、ミリオンスーツごと和泉を殺すだろう。何も考えずに力押しで爆撃を続けても、距離があるうちにはサクリファイスに分がある。だがサクリファイスは慎重だ。鳥かごを置いてパレットの上で両手をクロスさせ、ぐぐぐっとその腕を上げる。それに応じてフォークリフト運転者の資格を持つ若手のゴア族バラ(22歳)がパレットの位置を高くする。そしてサクリファイスのポーズ、パレットの位置が頂点に達したところで、サクリファイスが全力で両腕を広げながら叫んだ。
「G-斬! 起動!」
モーションと音量でメロンのような豊満なバストが挑発的にたゆんたゆんと揺れる。その揺れが収まった頃、鋭利な刃物の先端が古い映画のサメの背びれのように床を泳ぎ、絨毯を切り裂いてシャープな体型のゴア族が出現し、和泉の前に立ち塞がる。両腕は巨大な鎌、ペストマスクのようなクチバシは少し高級な焼き肉屋の皿のように残忍な金属光沢だ。ライダースジャケットのような肌はところどころプロテクターのようになっている。
G-斬はその名が示す通り、近距離戦闘で敵に斬撃を加えGore、血塗れにすることに特化したサイボーグゴア族である。ゴア族は仲間でさえ簡単に改造し、駒にしてしまうのだ。
「KISHAAA!」
金属の軋みにも断末魔にも聞こえる雄たけびを上げたG-斬は少しお調子者なのか大げさに武器を振り回し、ポーズをとり、そして幅跳びの代表選手じみた跳躍で鎌を和泉目掛けて振り下ろす! 当てる気の見えない大振りな攻撃だが、まるで豆腐に箸を刺すみたいに無駄な破壊をせず床を貫通し、簡単な腕の動きで床板を切り裂いてクズを巻き上げる。
「ディッ!」
ゴア族が地球人と同じスペックなら、自分と同じぐらいの運動神経の持ち主、そしてミリオンスーツと同等の装備を作ることも可能だろう。しかし今の斬撃を食らえばミリオンスーツも無事では済まない。加えてジェイドが言っていたように、サクリファイスというサイキッカーも後ろに控えている。G-斬に守られている以上、サクリファイスの爆撃が止むことは計算出来ない。
「KISHAAA!」
G-斬もサクリファイスの援護があることがわかっている。フォア・ザ・チームではなく、自分のやりたいように鎌を振るう。だが簡単に隙はつけない。サクリファイスはそこ、隙を突きに来た自分の隙を狙ってくるだろう。G-斬の動きをギリギリで見極め、サクリファイスへの警戒も怠らない。だが自分が一時的に戦闘不能にしたゴア族の雑兵もこれから続々と復活してくるはずだ。
「KISHAAA!」
「ディアッ!」
G-斬の一撃を紙一重で躱し、鎌の峰を踏みつけて刃の深くまで床に突き刺させ、ホルダーから拳銃を抜いてサクリファイスに狙いを定める。厄介なのはサクリファイスだ。G-斬の攻撃を躱すのは簡単だ。後で始末すればいい。
「キィーッ!」
しかしそれを許すサクリファイスではない。銃に忍んでいた小型サクリファイスが自爆。発砲のタイミングや狙いをズラし、弾丸はサクリファイスの乗っているフォークリフトにも掠らない。手が打てない……。一瞬希望を失った瞬間、強引に鎌を引き抜いたG-斬のフォークリフトの衝突めいた強烈なキックが和泉を蹴り飛ばし、窓を砕いて外へ放り出した。フォークリフトの衝突は最低でも骨折である、と、工場や倉庫に勤務したことのある人間は最初に教わる。和泉にまとわりついていた小型サクリファイスのセンサーは、どんどん標高を下げ本体から遠ざかる。
「KISHAAAAAAAAA!!!!!」
改造により言葉さえなくしてしまったG-斬が雄たけびを上げる。少し遅れたタイミングで、サクリファイスはコカ・コーラの缶のような艶やかな赤の唇を開いた。
「……よくやったわG-斬。あのお巡りさん、もう冷たくなってしまったわ」
ガキン。
窓の外から潮風と共にやってきたのは、ミリオンスーツが冷たい海に沈む音じゃない。重たい金属の塊が硬い何かにぶつかった音だ。和泉に着けていた小型サクリファイスのセンサーの位置は海抜ゼロメートルじゃない。
「……」
サクリファイスの口を離れた息が白く濁る。サクリファイスだけではない。倒れているゴア族、体温の高いG-斬の体から白い湯気が上がっている。露出度の高いサクリファイスの素肌にも鳥肌が立ってきた。
「……アブソリュート……ジェイド……」
パキパキと海が凍結していく。急いで窓の外を覗き込むG-斬が見たのは、自分の真下に広がる巨大なクレーター、そして上空に浮かぶアブソリュートミリオンスーツ、そして冷徹な目で全てを見下ろす最強戦士アブソリュート・ジェイドの人間の姿、寿ユキだ。
「何故来た? ジェイド」
「理由はいろいろあるわ。理屈で言えば、和泉岳とミリオンスーツという大戦力を失えない。感情で言えば二対一なんてズルい。サクリファイスはわたしが抑える。もう一人は任せた」
眼下に広がる氷の平原。これが“本物”の力だ。いくら地球人の中で身体能力が優れているとはいえ、いくら優秀なスーツを身に纏っているとはいえ、本物にはなれない。このジェイドはもちろん、アッシュ……フジにも敵わない。サウザンにも勝てるなんてこれっぽっちも思っていない。
「俺は……。アブソリュートミリオンにはなれない……。俺は、俺は地球人の和泉岳だ!」
ユキも耳を塞いで顔をしかめるほどの怒鳴り声をあげ、和泉は貨物船に再突入する。G-斬は待ってましたとばかりに邪魔な柱を切り飛ばし、決闘に必要なスペースを作ってニヒルな笑みを浮かべる。サクリファイスも邪魔をしない。自分に睨みを利かせているのはあのジェイドだし、G-斬はやりたがってる。
「オラァ!」
気合の入った声と“後ろ蹴り”! 地球の武道“空手”の技である! 鎌でガードを上げたG-斬を大きく後方によろめかせる!
「オラァ!」
“サイドキック”! 一九七〇年代に少年たちを熱狂させたカンフーマスター“ブルース・リー”を開祖とする地球の武道“截拳道”の代表的な技である! 長身の和泉が放つ蹴りはG-斬の右腕をガードごとへし折った。G-斬から悲鳴が漏れる。
「KISHAAA!」
G-斬も引き下がれない。戦いのために改造された存在だし、憧れの最高幹部サクリファイスさんも見ている。残ったもう片方の鎌を振り上げるが野生の勘……地球人の勘が冴えわたった地球最強の警官には通用しない。
「オラァ!」
“一本背負い”! オリンピックで大国が火花を散らす地球の武道“柔道”の大技である! G-斬の尻が自ら作った裂け目にはまる。
「オラァ!」
“メイアルーアジコンパッソ”! ブラジルにルーツを持つ地球の格闘技“カポエイラ”を象徴する技である! G-斬のペストマスクがへし折れ、バイザーが砕け散る。体に力が入らない……。仰向けに倒れたG-斬のむき出しの目が捉えたのは、紛れもない“地球最強”の男だった。
「……」
戦える心、戦える技、戦える体、戦える力をくれた地球への感謝と敬意。少しは返せているだろうか? 地球は自分を、和泉岳を誇ってくれるだろうか?
だが断言出来る。和泉岳のような男は地球に必要だった!!
〇
「もしもォ~し? 特選チラシ三人前。あとおろしポン酢竜田揚げに、うどんつけてくれ。あとトロ? トロ! 一番いいヤツ! それをあるだけワサビ抜きで。ああ場所? どこだここ? さぁ、わからねぇな。何が見えるかって? スカイツリーとサンシャインが見えるけど。あとは、泡吹いてる情けねぇゴア族のツラしか見えねぇな。早く持って来いよ。場所は“黒塗りヤクザカマロのボンネットの上”のフジ・カケル様だ。ちょっと待て」
フジはゴア族ヤクザカーのボンネットに上にスニーカーで着地し、フロントガラスを蹴り上げた。中にいたヤクザたちにガラスのシャワーが降る。
「お前らもなんか食うか?」
「そのガキをブッ殺せコラァー!」
「ご注文は以上で!」
アブソリュート・ジェイド/寿ユキvs最高幹部サクリファイス/網柄甜瓜!
そして目覚める怪獣!
第9話『忘れられない場所』!